その① 呪われた家

 夢を見て寝苦しかった夜。明け方ようやくウトウトと眠った。目を覚ますと待っていたメールが届いていた。

 夕香は、2、3日前求人サイトで見つけた探偵事務所のHPにアクセスし求人エントリーに登録していた。その事務所からのメールだ。現地で待ち合わあせをする依頼だった。

 面白そうと応募した案件だった。出来ればワクワクする仕事がしたい。体を動かす仕事のほうが自分に合っている気もした。

 突然、時間と場所がメールで送られてきて『そこに来れるかって』夕香は自信はなかったけど…仕事なら行かないと…そう思って承諾の回答をした。

 物怖じしない夕香は会って直ぐに打ち解け、隣を歩いた。

 二人が訪れた丘の上の邸宅は、周りをぐるっと塀がめぐらされかなり向こうまで敷地が続いている。門扉に手をかけた先生が蜘蛛の巣を払っていた。庭は、ひどく荒れ果てて、想像もできないほど長い間、門を閉ざされ、歴史から置き去りにされたお城のようだった。

 中央の大きな樫の木。大きな枝ぶりの見事な木の下に、ペンキが剥がれて傷んだベンチが取り残されている。此処に暮らした人たちの幸福な生活の痕跡を封印するかのように…ベンチから賑やかな声が聞こえてくる気がする。

 石垣はひっそりと苔むし、どこからともなくわずかな水の流れる音がする。水を止められた噴水に一筋湧き水が光っている。

 夏なら雑草が生い茂って歩きづらく足を取られたかも知れない庭。今は冬だから、全てが枯れ果てて眠りについている。一足ごとにパキパキと枯れ枝が鳴る音がして、その度に緊張するけれど、そこには何もなかった。

「ここに誰か住んでるんですか?人が住めるのかなこの状態で…」

「……」

「先生」

 夕香はその人を先生と呼ぶ。そんな風格で落ち着いて辺りを見回していた。

「……」

「先生。なんか言ってくださいよ。こんなところで黙られたらおっかなくて泣きそうです」

「……」

 先生は歩きながら何かを探しているようだった。右に左に目を配っている。開けたところに出ると、

「これか…」

 そう言って何かを手に取った。

「これってなんです?」

「依頼者が資料に書き込んでいた。怖くて入るのは嫌だけど、不可解なものが落ちていると」

「それが不可解なものですか?」

 夕香が訪ねたそれとは、ビニールの破片、もっと薄い紙のようなもの。光の当たり具合でキラキラと光るものだった。

「あ、あそこにも、探すとありますね。これは…」

「紙吹雪のような細かい、割いたビニールだろうか…う〜ん。不可解というより似つかわしくないと言ったほうがピンとくる代物だな」

 先生はそう言ってその周辺の欠片をひとつづつ拾い集めた。たくさんは無い。偶然広がったような1メートル四方に4つほど、というところか。無いところにはひとつもない。この家ほど古い物ではない。人工的なもの。それが封印されたこの家には似つかわしくないと言うことか。

「他になにか気になるところは…

 人の入った形跡は無い。この庭は閉ざされてから、その後、長い間、誰ひとりとして足を踏み入れていない場所のようだ」

「風に飛ばされて此処で集まったんでしょうかね」

「ふむ…、一度出よう。一旦出て依頼主のところへ行ってみよう」

 柵越しに隣の住人だろうか庭の落ち葉を熊手でかき寄せていた。初老の男性、帽子をかぶり眼鏡を掛けていて表情までは見えない。

「すいません。お隣は誰も住んでないのですか?」

「ああ、お隣ですか?もう長い間誰も住んでいませんよ。隣の者としては物騒なんで草刈りや掃除だけでもしてもらえるとね。有り難いんだけど…勝手に入るわけにもいかないし」

「管理している人は、いないという訳ですね」

「と思いますよ。長年誰も来ませんから」

 老人は話す間も手を動かしている。掃除に余念がない。こちらの空き地も許可が貰えれば掃除したがっているように見えた。

 二人は、頭を下げ、もと来た道を辿って屋敷を後にした。先生が錆びついた扉を寄せて取手をカチッと下ろした。グラブをはめた手で…

「門とエントランス、入り口と3つカメラが有ったな。非常に小さな音で、分かりづらい場所に隠されて、首を振らないように固定されているカメラだった。もう少しで気が付けなかった。でも、確実に作動していた。いったい何処から何を監視しているんだろう」

「カメラですか。全然気が付きませんでした。何処かから見られていたんですかね。私達」

「だろうね。簡単にはわからないように設置されていた。欲張りなものは全てを見ようとカメラを動かしてしまうだろ、その音で侵入者に察知されてしまう。来たことだけがわかれば良いんだろうな。それ以上はわからなくていい、賢い番人が最深の注意を払って管理している年代物のお城か…」

 先生は黙って歩く。ほとんど話をしないので夕香の口数が多くなる。彼女だっておしゃべりじゃないのに…不満な顔をして見上げると先生はすでに車に乗り込もうとしていた。

「君、名前は?」

「高月夕香と申します。ご連絡ありがとうございました。最近…家に籠もっていて余り外に出てなかったので、ちゃんと来れるか心配でした」

「でも、僕より早く着いてたね。前の仕事は?何かやってましたか?」

「あの…正直にいわないといけませんよね。あの、女子プロボクシングの選手でした」

 『え!』と言う顔をして先生が初めて夕香の顔をまじまじと見た。

「ボ、ボクシング…強いの」

「はい、決勝戦で目に食らって、網膜剥離で入院です。もう良いかなって、止めたんです。諦めたんです。ボクシングの道は…」

「そう、なんだ。危ない仕事だったんだね」

 先生を少し脅かしたかも知れないと夕香は思った。さすがに前職がプロのボクサーって誰でも驚く…

「華奢だよね」

「あ、はい」

 先生には、夕香がプロボクサーには見えなかったらしい。


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