20話 土地神様は分からない その六

今回もイザ視点、というかリンギクとニシユキのお話。

イザの視点だと一部の人物の呼び方がセキとは若干違うのは仕様です。



◆◆◆



『はぁ……』


 愛しき従姉と口論をした次の日、ボクは自室で心ここに在らずといった体で溜息をついていた。

 手元の本にも目を通さずただ開いているだけといった状態で、彼女と次に会った時どんな顔をすればいいのか分からず思案に暮れていたのさ。


 日を跨いで冷静に考えれば、彼女は絵を描けなくなったとは言っていたが、これからも全く描かないなんてことはないだろう。

 今はある種のスランプに近い状態で、何かきっかけさえあればきっとまたモチベーションを取り戻すはずだ。


 そう気が付いて彼女の家に足を運ぼうとしたけれど、『待てよ?』と足は止まってしまった。


 彼女の現状がスランプだとすれば、要因は明らかにボクの短慮な行動から来たものだ。

 そもそも作品を公開するかどうかは作者側が判断すべきことだし、ボクは自分のエゴを押し付けたに過ぎなかった。


 そう気が付くと他にも色々と反省点が浮かんできて、頭の中を這い回っては暗い気持ちになっていき、また動けなくなったんだ。


 そんな感じで手に本を携えたまま、うんうんと悩んだ数分後、結論は出た。



 ―――考えても仕方ない。まずは誠心誠意謝ろう。



 ボクは結論に至ってからの行動は早い方だ。

 すぐに手元の本を置いて椅子から立ち上がり、彼女の家に行こうとしたのだが……


『おっと』


 本を置いた時、偶然隣に置いていたコップに手が当たって飲み物が本に付着したのだ。



 その瞬間、本から黒い靄が噴出した。



『え……っ!?』


 突如として湧いて出た、見たことのない謎の物体。

 海苔の佃煮にも似た黒い何かは開かれた本の上でふわりと浮き、球状に形を変えて凄まじい速度で壁をすり抜けてどこかへ消え去っていってしまった。


『い、今のは一体……む?』


 超常現象に唖然として驚いたのも束の間、開かれていた本のページが目に留まった。

 そこに書いてあったのは―――人を呪う方法。

 その題字が目に入った時、同時に彼女の頭に浮かんだのは従姉の姿。


 ボクはすぐに駆け出し、西雪さんの家へと向かった。



『―――はぁっ、……姉さんっ!!』


 焦りから乱雑にドアを開け、前日飛び出した部屋に押し入った。

 するとそこに待っていたのは―――




『あ゛? ……誰だ、テメェ?』




 ―――黒い靄に包まれ、別人のように豹変した従姉の姿だった。




『……ッ!』


 その姿を見て、一歩後退る。

 ベッドの上に座っているは、見た目こそ敬愛する従姉の姿。

 しかし口調は似ても似つかず、周囲には黒い靄が浮かんでいる。明らかな異常事態であることは明白だった。


『オイ、聞いて……っ―――』

『―――っ姉さん!?』


 何も答えないボクに追い迫るように口を開いた彼女の中にいる何か。しかしその言葉は最後まで続くことはなく、糸が切れるように倒れ込んだ。

 僕が慌ててその身体を受け止めると、


『……あれ? 今、自分……』

『姉さん! 気が付いたか!?』

『え、うん。……どうしたの?』


 いつも通りの様子で彼女は目を覚ましてくれて、心の底から安堵したよ。

 しかし……


『……この黒いの、なんだろう? 佃煮?』

『……っ』


 周囲に浮かぶ黒い靄は消えておらず、そのまま彼女の周囲を漂っていた。

 当然の疑問を浮かべる彼女に対し、ボクは―――



『……、な。ボクが来た時には、もう漂っていたから』



 ―――嘘をついてしまった。


『うーん、煙……じゃないみたいだし、なんなんだろ?』

『それより姉さん、身体は大丈夫か?』

『え? あ、言われてみればちょっと風邪気味かも? でもそんなに酷くないし大丈夫だよ』

『そ、そうか』


 軽い風邪の症状。

 その程度で済んだのだと、その時のボクはまた安堵した。


『……えっ!? な、何アレ!?』

『え?』

『あ、あそこ! 机の横!』


 焦りながら告げる彼女の指摘にボクは急いで振り返って確認すると、彼女の言う通り、周囲に漂っているものと同様の黒い靄がまるで吹き溜まりのように密集して机の横に集まっている。


 怯える彼女を手で制止して、恐る恐る近づいて確認すると……靄に包まれていたのは例の同人誌の箱だった。


(……!?)


 箱を開けて本を捲り、ボクは思わず目を見張った。

 印字されていた彼女のハンドルネームや仮止めで書いていたサークル名等の彼女に関する部分が全て黒く染まってしまっていたのだ。


『これは一体……』

『うっ……ゲホッゴホッ』

『っ、姉さん!』

『だ、大丈夫……コホッ』


 手元の本に驚いていると、彼女に異変が起きた。

 突然咳き込み始め、顔色もかなり悪くなったんだ。


 そう、本に近づいた途端に。


『……その本の、せい?』


 彼女は白い顔でそう口にした。

 全てはこの本が原因なのではないか、と。


『な、何を言って……』

『だ、だって……こんな黒い靄、今まで見たことなかったよ? この部屋で他に変化があったとするなら、それしかないし』


 実際の所、あの同人誌と彼女の体調についての因果関係は分からないが、根本的な原因はボクの家にある本であることは明白だ。

 しかし事情を知らない彼女からすれば一番怪しいのは目の前の同人誌。どうしても疑念の目を向けてしまっていた。


 違うとは言い切れない。

 けれど、本当の原因をボクは知っていた。

 なのに―――


『そうかも、しれないな』


 ―――また嘘を重ねて、誤魔化した。



 その後、彼女の先輩である相引レイさん……そうだ、相引先輩の姉君だ。彼女に連絡を取って秘密裏に処分してもらうことを依頼した。

 まさか託したその場で中身を見られるとは思わなかったが……ともかく、多忙ながら快諾してくれたことを感謝しつつ受け渡したとも。


 ……それからなんだか顔が会わせ辛くて、彼女とは会っていない。




「―――嘘を重ねて、捨てる原因まで作って、また逃げた。そんな卑怯な人間がボクさ。……以上が今回のあらましだ。何か質問はあるだろうか?」

「質問っていうか、ツッコミどころが多いというか……」


 特に後半の黒い靄が出現した辺りの話。ちょっと展開が急すぎないだろうか。

 前半はよくあるすれ違いとかそういう話だったと思うんだけど、後半は唐突に現実的じゃないものが出てきたりしていた。持ち込み漫画とかなら編集者にダメだしを食らいそうだ。


「体験したボク自身思うところはある。だが、嘘偽りのない真実なんだ」

「いや、アンタが嘘つくとは思わないけどさ……そもそもなんでそんな呪いの本なんか持ってたのよ?」

「ああ、何年か前に祖父の家で見つけてな。ベルトで巻かれた封印されし黒い革の装丁ブラックレザーがかっこ良かったので譲って貰ったのさ。……まさか書かれている内容が本物だったとは思わなかったが」


 見た目からして明らかにいわくつきなんだからもうちょっと警戒しなさいよ。

 クッ、と歯噛みする後輩の姿を見ながら呆れてしまった。


「……ま、アンタのやらかしはよく分かったわ。そういうことなら余計にちゃんと会って話さないとね。一緒に行ってあげるから安心しなさい」

「あ、ああ……って先輩、よく受け入れたな? 我ながらそうそう信じられない話だと思うし、先輩はそういったことは信じない性質タイプだと思っていたんだが」

「あー……そうね」


 たしかにあまりにも荒唐無稽な話だし、少し前のアタシなら理解に時間が掛かりそうなものだ。

 けど、最近知り合った真っ白な友人。物を浮かせたり身体が溶けたりといった超常現象の塊のような彼女との出会いのおかげでそういった事は受け入れられるように―――



『おえええぉろろろろろろ』



 訂正しよう。

 友人と言っていいのか分からない荒唐無稽な自称土地神に無形物体ゲロを先日ひっかけられたばかりなので多少の超常現象くらいなら受け入れ態勢はバッチリである。


「何故突然真顔になったんだイザクラ先輩」

「大丈夫、最近嫌なことがあったのを思い出しただけ。アレに比べれば呪いとかカスみたいなモンよ」

「何があったんだ先輩」


 あの時着てた服、買ったばっかりだったのよね。結構気に入ってたのにアレのせいで着られなくなったし……思い出したら腹立ってきたな。


「ハァ……まあいいわ。それじゃさっさとお店に戻りましょ。もしかしたらその呪いの方は解決してるかもしれないし」

「? どういうことだ?」

「店で隣に座ってた白い髪の人、アンタも見たんでしょ? あの人なら大体なんとかできそうだからねー」

「……一体どんな方なんだ?」

「アタシに頭からゲロぶっかけた不届き者」

「それは……心強いというか恐れ知らずというか……たしかになんとかなりそうだな!」


 半分冗談のノリで言ったんだけど。この子にはアタシがどういう人間に見えているんだろう。

 後輩の曇った目に疑問を抱きつつ、少し調子を取り戻した彼女に安心して立ち上がって歩き出した。


「あ、そうだ。今日会わせる予定だった子がいきなり用事が入って来られなくなっちゃったみたいでさ。ごめんね」

「む、そうなのか? まあ急用ならば仕方あるまい。大丈夫さ」

「……まあ、神社の事知りたいならキリさんに訊く方が早いし、後で話聞いてみよっか」

「ん? キリさんというと……ソウビキ先輩も言っていたな。そのアルビノの方ミステリアスレディとは先輩もご面識があるのか?」

「今言ったゲロ女がキリさんよ。……何よその顔」


 なんでそんな驚いた顔を……ってああ、そうか。セキからはアルビノ着物少女としか聞いてなかったんだっけ?

 たしかに外見の要素だけ詰めるとこの子が好きそうな性質盛り込んでるようなもんだわ。

 イメージを壊して申し訳ないが、アタシからすれば彼女は土地神を自称する謎の飲酒系超能力者。先日の一件でその印象は揺るぎないものになってしまっているのだから仕方がない。


「……逆に会いたくなってきてしまったな!」

「なんでだよ」


 ……悩みを聞いたことで少しだけ彼女を理解できたかと思ったけど、どうやら自惚れだったらしい。

 この後輩の考えることは、まだまだよく分からない。




「仮に呪いの方が解決しているとなると、まずは彼女に謝らなければな」

「そうね。まあでも事故みたいなものだし、そこまで気負わなくてもいいんじゃない?」

「いや、きっかけはどうあれ引き金はボクだ。それに嘘をついて事態を複雑化させたのも事実。きちんと謝らねば」

「真面目ねー。ま、なんかアタシにできることがあれば言いなさいな」

「ありがとう。だが見守ってくれるだけでいいさ。それだけで心強いからな」

「そ。……てか、話は変わるけど、呪いの発動条件緩くない? 何よ飲み物溢したら呪われるって」

「いや、本来は魔法陣のようなものに生き血を垂らすのだそうだ。おそらく呪いの方も血と間違えたのではないだろうか」

「呪いの方が間違えるって何? てかそん時何飲んでたのよ」

「トマトジュース。好物だからな」

「似てんの色だけじゃん……」


 そんな会話をしながら歩いていると、喫茶店の前まで到着した。

 早速中に入ろう、と思ったのだが……入り口を前に中二病少女の足は止まってしまった。


「……大丈夫?」

「す、すまない。頭では分かっているんだが、どうにも足が動かなくて……」


 彼女は謝りながら自分の足元に目線を落とした。

 立ち直ったようでも無意識下の怯えが身体に出ているようで、少しだけ震えて立ち尽くしてしまっている。


「ここで足踏みしてたら変わんないわよ。怖いのは分かるけどさ」


 そんな彼女の背中を押すように励ましてやる。

 彼女より背は低くともアタシは先輩だ。それらしい言葉も掛けてあげないとね。


「そうだ、その通りなんだが……はっ! そうだ先輩。こう、後ろからボクを蹴り飛ばすような感じで背中を押してくれないだろうか!? そうすれば勢い余って行けること間違いなしだ!」


 物理的に背中を押すつもりはなかったんだけど。

 まあ蹴りはしないけど押してほしいなら普通に手で……って動かねえ。なんで?


「アンタ踏ん張って留まろうとしてない?」

「どうしても身体が強張ってしまってな。申し訳ないが頑張っていただきたい」

「アンタが頑張んなさいよ」


 ちょっと他人事みたいな口調で応援するのやめろ。本来応援するのはアタシの方でしょうが。

 少し腹は立つが、不用意に後輩への暴力を振るうなんてことをするつもりはない。

 アタシは基本的に穏健派で……え? フキとセキ? アイツらは別枠でしょ。


「本当に頭では分かっているんだが……クッ、生来臆病な自分の気風が恨めしい……っ!」

「恨めしいのはアンタとの体格差だよ」

「そこはどうにかして埋めてほしいのだが……そうだ! ボクを突き飛ばさざるを得ない状況に追い込んでみよう!」

「自分自身を追い込んで足動かせよ」


 あとそんな策を弄する必要がない程度に多少追い込まれてはいる。一応この辺りにも人通りが無いわけではないので、羞恥心的な意味で。


「方法は……そうだな。よし、ボクを蹴らなければこの場で先輩の好きな人を叫ぶとしよう」

「それは本当にやめて」


 なんだその悪魔のような発想は。

 そもそもこの子がそんなことを知っているはずは……あ、そういや部活の時ちょっと話したかも。

 ……いやいや、だとしても流石に冗談だろう。

 実行には移さないでしょ…………やらないよね?


「すぅ、はぁ……ふぅ―――……」

「待て。ホントに待って」


 前準備と言わんばかりに深呼吸を始めるな。

 息を吸い込み始めるな。待て待て待て、ホントにやるつもりかコイツ!?



「イザクラ先輩の好きな人は!!!」



「やめろっつってんだろオラァ―――ッッ!!!」

「ぐわあぁぁ―――ッッ!!!」



 本当に勢いよく声を発し始めた後輩の背に、全力のドロップキックを喰らわせた。

 我ながら過去最高レベルを更新した渾身の一撃である。

 策にハマったといえばいいのかは微妙だが、とりあえず彼女の思い通りに動かされてしまった。恐るべし後輩。


 ただ、彼女に一つ誤算があったとすれば―――




 ―――想定以上に蹴りが強すぎて、喫茶店へ向けて勢いよく水平にすっ飛んでしまったことかな……。





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