14話 土地神様と出処調査 その九
「呪いって信じる?」
スマホの画面をこちらへ向け、姉貴はそう言い放った。
何度見ても表示されている写真の女性は変わらず黒い靄に抱かれるように包まれていて、よく見ると顔色も悪い。
「やっぱりセキくんにもコレ、見えてるよね」
驚きつつ写真を凝視する僕を見て、姉貴は確信めいたように呟いた。
コレ、というのはこの黒い靄のことだろう。
「見えてる、ってことは」
「うん。他の人には見えてないらしくてさ」
「マジか。これがその呪い?」
「まあ、とりあえず見た目がそれっぽいって理由でそう呼んでるだけなんだけどね」
私も初めて見たから、と続けた姉貴は座ったまま伸びをした。
それっぽいからて。まあたしかにおどろおどろしいビジュアルだけど。
「……なんで姉貴と僕だけ見えるんだろ」
「それは分からないけど……ていうかセキくん、相変わらずあっさり信じるねえ。お姉ちゃん心配になるよ?」
「姉貴は必要ない嘘はつかないでしょ」
「信頼されてて嬉しいなぁ」
姉の人となりを知ってればこういう反応にもなるさ。
まあそこは置いといて……
「もしかして見た目以外にも理由があったりする? あ、この人が顔色悪いのって……」
「そうそう、コレが周りに漂い始めてから。最初は空中に浮かんでる海苔の佃煮だと思って気にしてなかったんだけど、なんか増えてきた辺りでどんどんこの子の調子が崩れちゃってね」
まず海苔の佃煮が宙を漂っている時点で異変を感じてほしいんだけど。
それはともかく……
「なんで他の人に見えないんだろ……てか、姉貴の方は大丈夫なの?」
「今のところ特に影響はないよ。あ、いや私のことはいいんだけど、この子が大変でね」
「そりゃそうか……ってそういえばこの人って誰?」
「私の友達。っていうかあの本の作者」
「この人が!?」
え、いや、なんというか……明確なイメージがあったわけじゃないけど、なんか思ってたのと違う。
スマホに映っている小柄な女性は顔色こそ悪いが、可愛らしい顔をしている。プラチナブロンドの長い髪も綺麗だし、スタイルや服装も悪くない。ぎこちない笑顔と洒落っ気のないピースという明らかにカメラ慣れしていないであろうことを除けば、モデルか何かと思えるビジュアルだ。
「ま、たしかに見た目からはイメージ湧かないかもね。でもすごく大人しい子で、漫画やアニメに詳しいんだよ」
「……あ、もしかして女子高の時言ってた友達ってこの人?」
「そうそう、よく覚えてたね」
そうだ、三年くらい前に仲の良い後輩の友達ができたとか言ってた気がする。まさか進学先が同じだったとは知らなかった。
えっと、たしかドイツと日本のクォーターとかなんとか言ってたっけ? 話には聞いていたけどこんな見た目だったのか。どおりで綺麗な御髪をしてらっしゃると思いました。
「それでこの人が大変っていうのは?」
「黒い靄のせいだと思うんだけど、この子が熱出して寝込んじゃってね。本どころじゃなくなっちゃってさ」
「ええっ」
それってかなり大変なことじゃないか。
そんな状況で帰ってきて大丈夫なのかこの姉は。
「ああいや、熱はもう下がってるし、そっちは大丈夫なんだけど……問題はその後でさ……」
「……なんかあったの?」
起き上がった姉貴は腕を組み、なんだか言い辛そうに悩ましげな表情を浮かべている。それから首を捻りながら口を開いた。
「なんというか、時々性格が変わるっていうか」
「……性格が?」
「うん。いつもより時々口が悪くなるというか……病院で調べてもらっても身体に異常は無いらしいけど……今までの彼女なら言わないはずの言葉を遣ったり、変な行動もするしで心配でね」
「
「そうそう。元々すごく大人しくて人見知りな子なんだけどさ」
大人しくて人見知り。キリさんみたいな感じだろうか。
それはともかく……性格が変わる、か。なんらかの病気にかかって一時的に性格が変わることがあるらしい、なんて話は聞いたことがあるが、今回の原因として怪しいのは明らかにこの黒い靄としか思えない。
姉貴の話しぶりからして病み上がりのストレスによる一時的な変化という線も薄いだろうし、お友達の身に何かが起きているのは明白だろう。
「それはたしかに本どころじゃないな……」
「ああ。この子も実家に帰ってるから、一応明日会って色々試すつもりだよ」
「ふーん……変な行動って、例えば?」
「そうだなぁ……最近は色々言いながら勝手に私の部屋に忍び込んできてたり、私の服を脱がそうとしたり、ことあるごとに匂いを嗅ごうとしたり、ベッドに忍び込もうとしたり、仕方がないからベッドを貸したら布団が謎に濡れてたり、って感じかな。普段はこんなことしない子なんだけど」
「マジで本どころじゃないな?」
変な行動ではなく変質者の行動である。変わったのは性格や人格じゃなくて性癖ではなかろうか。
……まあ、実家に帰ってきた本当の理由がはっきりした。そんな状況なら一時帰宅も止む無しだろう。
「ま、そんな感じで本については今のところ進展がない、というかできないんだよね。その本にハマった人? にも代わりに謝っておいてくれるかな?」
「ああ、うん……え、いやマジで明日行くの? 大丈夫?」
「え、心配してくれるの? 一緒に行く?」
「行く」
気が急いた僕の食い気味な返事に、姉貴は一瞬ポカンとした顔をしてから嬉しそうに笑みを浮かべた。
姉貴としては久々に弟と行動ができて嬉しいとかそんなところだろうけど、このまま行かせたらお友達にナニを試されるか分かったもんじゃないからね。流石に一人で行かせるわけにはいくまい。
キリさんへの謝罪……については特に気にしなくてもいいか。状況が状況だから話せば納得するだろうし、この前『何年でも待つ』とか言ってたからには多少待たせる程度は誤差の範囲だろう。
というか勘違いで発光するような神様だし、作者について言及するとどうなるか分からない。そっちの方が心配である。
そう、神様の……。
土地神様………………あっ。
「姉貴」
「ん、なんだい?」
「もしかしたら、なんだけど―――
―――解決できる
〇〇〇
「―――といったことがあった次第でして」
『なるほどネー』(ガタン、バコッ)
『なんか色々面倒なことになってるわね……』
「僕もそう思う」
姉貴との明日の予定を決めてから時間は経ち、夜の7時半を回った頃。
今日の出来事をまとめて報告すべく、メッセージアプリのグループ通話を開いていつもの面子と話していた。
『ところでスグにキリチャンが浮かばなかったノはナンデ?』(カタカタッ)
「そりゃ最近神様らしさを感じることが少ないから神様ってこと忘れ……ところでサラ」
『ナンデッシャロかいな』(ボスッ)
「後ろから音がするけど、今なんかしてる?」
『おっとSorry. 今日買ったモノの
『大丈夫よ』
「問題ないよ。ご苦労さん」
『OKOK……あ、キリチャン待っ―――』
話の途中でサラの声が離れていき、明滅するアイコンから『ぬおあああ!?』というキリさんの遠い叫び声と何やら物を動かす音が聞こえたと思ったら
何買ったんだお前。
『……ってかフキは? アイツずっとミュートなんだけど……おーい』
「…………返事がないな。どうしたんだろ……あ、メッセージ来た」
『? 何コレ』
通話画面から切り替えてチャット欄を開くと、そこにはフキから送られた『オイルショック』という謎のメッセージが浮かんでいた。
なんのこっちゃ。……って、あっ。もう一つ来た。えーっと……?
『バラムツ』
【バラムツとは】
別名オイルフィッシュ。味は上等だが、人間に消化できない油分(というよりもワックスに近いもの)を溜め込んでいる深海魚である。
消化ができないが故に下痢や腹痛といった症状が表れ、食べてから半日ほどで肛門から油が大量に漏れ出すという厄介な性質を持つ。糞便と違い自力で止めることは不可能なので無意識下で尻が油まみれになってしまうのでオムツが必要になるという話もある。
……簡単に言えば美味しいけど食ったらケツから油が止まらなくなる魚である。
((食べたんだな……))
つまりアイツは現在進行形で尻からオイルショックを巻き起こしており、通話はできないが聞くだけに留めているということか。
何してんだあの馬鹿。
『―――Sorry! チョットTroubleで……ってコレナニ?』
『大した事じゃないわ』
「ヤツの名誉のためにも気にしてやるな」
通話に復帰したサラにイザと一緒になって話を流す。
「てかトラブルって大丈夫なの?」
『大したコトはネェからダイジョーブ! Open the bagしたらBOOM!! してキリチャンがフトンにBlown away されたダケヨ』
『セキ、解説よろしく』
「圧縮された布団のマットレスか何かの包装紐を切ったらキリさんが吹っ飛ばされたってことかな。……え、布団が吹っ飛んだんじゃなくて?」
『んんっふ……! 何してんのよ、もう』
僕が解説とツッコミを入れると、イザのアイコンから噴出しながら笑いを堪えるような声がした。相変わらず笑いのツボが変なところにあるなコイツ。
「で、吹っ飛ばされたキリさんは今何してんの?」
『ヤッホー、イザ! 今はネーMattressとFightingして……あ、負けてる』
『なんでだよ』
向こうの状況はよく分からないが、どうやら神は布団のマットレスに負けたらしい。ある種の歴史的瞬間である。
「あー、サラ? お忙しそうなところ悪いんだけど吹っ飛ばされた神様とお話できる?」
『ンジャ、Speakerにするネ。キリチャーン、こっち来……ダイジョブ?』
『うぐおぉぉぁ……あ、うん。大丈夫……』
「なんか呻き声が聞こえてるけどホントに大丈夫なんですか?」
『板が喋った!!』
うわうるさっ。
『ドッタノヨ、キリチャン』
『いいい今この板喋らんかった?』
咄嗟にスマホから顔を離すと、画面の向こうから慌てたような声が聞こえた。
この反応……もしかしてこの神様、スマホの通話は初めてなのか?
「キリさん、僕です。セキです」
『え、セキさん!? 何、封印されたん!?』
『セッチャンフーインされたノ!?』
即座にその発想が出てくるあたり僕は封印されそうな存在と認識されているのだろうか。あと収集つかなくなるからお前までノッてくるな赤いの。
「いや違いますから。電話です電話」
『な、なんじゃ電話か。びっくりしたー』
『あ、そこは通じんのね』
『80 years oldだからネ』
……キリさんが知ってる一般常識の範囲についてはまた今度話すことにして、続きといこう。
「サラにもさっき話したんですけど、会ってほしい人がいるんです。イザの後輩なんですが、キリさんの神社について教えてほしいみたいなんですけど……いいですか?」
『あ、はい。大丈夫よ』
「ありがとうございます。それからもう一人……なんか姉の友人が変な事になってまして。キリさんなら解決できるかなーと思ったんですけど……」
『変って、どんなんなん?』
「黒い靄に包まれていて、体調崩してて、性格も激変して……姉は『呪い』って呼んでます」
『黒い……あ、海苔の佃煮みたいな?』
海苔の佃煮で通じるのかよ。すげえ共通認識。
もしかして姉貴とキリさんって感性が近かったりするんだろうか。
「僕も写真越しでしか知らないんですけど、そんな感じ……あ、そうだ。これがその写真です」
『……普通の写真じゃない? 海苔の佃煮ってどこよ?』
説明と共にチャット欄へと写真を送信すると、イザがそんなことを言ってきた。
疑っていたわけではないけれど、どうやら僕ら以外には見えないという姉貴の言葉は本当らしい。
……なんで僕らだけ見えるんだろ?
『ええっと、サラさん。どうやって見るん?』
『チョト貸してー。ハイドーゾ!』
『あ、ありがとう。んー……なるほど、これは……』
「何か分かります?」
『呪い、というよりも別の……いや、実際見てみんにゃちょっと分からんね。もしかするとほんまに呪いの可能性もあるけど』
流石は腐っても土地神様。なにかしら心当たりはあるようだ。
にしても……マジで呪いの可能性があるとは。なんか怖くなってきたな……。
「えっとそれでですね、明日本人の実家で会うことになってまして。キリさんさえ良ければついてきてくれませんか? 急で申し訳ないんですが……」
『え、あ、明日!?』
「あ、すいません。都合悪かったですか?」
『あ、いや、大したことじゃないんじゃけど……』
「はい?」
『し、知らん人に会うの怖い……』
あ、そっか。そういやこの神様、人見知りだったわ。
『てかそれならその人の方を神社に連れていったら? ってそっか、体調が良くないのか』
「うん、流石に無理はさせたくないし」
『キリチャン、行ってあげなヨ』
『う、うん……そうじゃね。あ、でも知らん人と会うの怖い……でも呪いだったら大変じゃし……いやでも……』
うーむこの人見知りの優柔不断な土地神。僕らで多少は人慣れしたと思っていたけどまだまだ難しいか。
しかしこちらは姉の貞操の危機、もとい姉の友人の危機である。できれば早急に来ていただきたい、いや、是が非でも来てもらわねば困るのだ。
というわけでとっておきの情報を開示しておこう。
「残念ですね。その海苔の佃煮に襲われてる人、あの本の作者なのに」
『行きます!!!!!!』
うわうるさっ。
『……あのさ、セキ』
「ん、どうしたイザ」
『あー……いや、ゴメン。なんでもない』
『そんなにフトンに負けたのが面白かったかネ?』
「イザ、土地神様だって負けたくて負けたわけじゃないんだ。掘り返してやるな」
『いや違っ、負けとらんよ!? ちょっとふっ飛ばされて上に被さってきただけじゃし!』
「負けてんじゃねえか」
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