私と一曲踊ってくださいますか
数日後、私はとある貴族家の夜会に出席していた。
事前に聞いたところによれば、ここ数年続いていた砂の国の一部族との小競り合いに一応の終止符が打たれたそうで、その祝賀会だそうだ。
それに係る法務顧問としてフィオ様も関係していたらしく、せっかくなのでまだ私に会わせたことのない方々に私を紹介しようと、そういう運びであった。
久々にビスク様の腰巾着でなく、旦那様のエスコートを受けて社交の場に参加した私だったが、幸いなことにサロンの利用者の方が何人かいてくださったおかげで、気まずい時間を過ごすことだけは避けられた。
そんな中で、ご婦人方に今流行っている
以下、要約。
『ミイヤ! 私が悪かった!』
『あら。どうなさいましたの、ソマリ侯爵令息様』
『聞いてくれ。私は騙されていたんだ。まさかあの女が、あんな、あんなふしだらな――』
『あらあら。あの女の本性がどうかなさいましたの? 以前仰っていたではありませんか。真実の愛を見つけたのだと』
『知らなかったんだ! 私はなにも。だって、だって彼女は――』
『あらあらあら。知らなかったからなんだと言うんですの? 彼女とはもうご婚約されたのでしょう?』
『もちろん解消する! ただ、父上が、この短期間に二度も婚約解消など、風聞が悪すぎて認められないと……』
『それはそうでございましょうね。それで、私にそれを言ってどうしろと?』
『頼む。君からも父上を説得してくれ。君ともう一度婚約関係を結びた――』
バチン!!!!
『舐めるんじゃありませんわよクソヘタレ男が!!!』
まあ、大体これで伝わるだろう。
ミイヤ様はあの後、人を使って件の侍女の人間関係や出自を徹底的に調べ上げた。
その上で、彼女が都で人気の劇団員のイケメン俳優とお楽しみしている現場をソマリ侯爵令息に目撃させ、そのタイミングで彼女にまつわる
その全てを、巧妙に人手を使うことで自分が糸を引いたことを悟らせずに、である。
こわいよ。
『メオ様には深く感謝しておりますわ』
とは、この夜会に私が出席することを知った、ミイヤ様からのお言伝。
それを私に伝えてくれた、とある奥様の艶やかな微笑には背筋をぞっとさせられた。
いや、あの。私が何も言わなくても、多分同じことしてましたよね、ミイヤ様。お願いだからそうだと言って。
当初の不安とは別の意味での気まずさに愛想笑いが引き攣りそうになったとき、不意に横から声をかけられた。
「失礼。ひょっとして、ムウマ伯爵夫人ですかな?」
振り返ってみれば、深い
真白い肌と、高い鷲鼻。薄い唇と、こけた頬。
見知らぬ紳士に突然声をかけられたことで委縮しそうになる心を宥め、教わった通りのカーテシーと名乗りで自己紹介を済ますと、 鷲鼻の紳士は、やはり丁寧に名乗りを返してくれた。
ブル伯爵家当主――ベアド=ブル様。
「先代のムウマ伯爵には、一度だけお世話になったことがございまして。その縁で新しい御当主にもご挨拶をと思ったのですが、どうにも時機に恵まれずにいたところだったのですよ」
お世辞にも柔和な顔つきは見えないが、出てくる言葉は慇懃そのもの。
確かブル伯爵家といえば、国の興りから資本と経済の力をもって王家を支えた古参の貴族家だったはず。資産だけなら公爵家を凌ぐとかどうとか……。
「此度の西戎との戦、我がブル家でもほんの僅かばかり資金面で援助をさせてもらっていまして、こうして本日のお招きにも預かった次第でして」
あの。フィオ様なら少し離れた場所でお仕事関係の方と話し込んでいられますけど、なぜこちらに?
そして、ええ、とか、はあ、とか曖昧な返答で適当に会話を繋げているが、先ほどから気になることがもう一つ。ベアド様の細い体躯の斜め後ろに、影のように侍っておられるご婦人は、どなた?
立ち居振る舞いは侍女にしか見えないが、服装は奥様にしか見えない。
でも奥様なら普通、最初に紹介してくれるものでは?
先ほどまで私と会話をご一緒していた奥様も同じ疑問と違和感を持ったらしく、私と共にちらちらとした視線を送ってはいるものの、それに気づいているのかいないのか、相変わらず慇懃な調子で会話を続けるベアド様が、ああそういえば、とわざとらしく話の流れを切った。
グレーの瞳が細められ、口の端が持ち上げる。
「ムウマ伯爵夫人といえば、最近ご婦人方の社交の場で占いなどをなさっているとか」
ね、ねちっこいぞ、言い方が。
これはアレか。伯爵夫人ともあろう者が低俗な遊びを貴族界に持ち込むなんてけしからん、という感じか。所詮は男爵家生まれの田舎娘よ、という例のアレか。
まあ、実のところこれまでに二、三度そのようなご忠告を他家の御当主様に賜ったことはあるのだが(そしてその全てにおいて、それを聞いた奥様娘様に大バッシングを食らい赤面させられていたのだが)。
私と隣の奥様に緊張の色が走ったのを見て取ったのだろう、ベアド様は、いえいえ、と掌を振って相好を崩した。
「そんな、ご婦人方の楽しみに口を挟むような無粋な真似はいたしませんよ。ただ、折角ですので、どうでしょう、私の妻のことも占ってみてはいただけませんかな?」
「え?」
え、とは、びくりと肩を震わせた後ろのご婦人の口から漏れた言葉だ。
なんだ、やっぱり奥様だったんじゃないか。
当人はまさか自分に話を振られるとは思いもしていなかった様子で、ベアド様の髪色と同じアイオライトの髪飾りを揺らし、頭を振った。
「い、いえ、そんな、私のようなものが……そんな」
「私がやってもらったらどうかと言っているんだよ」
「あ、そ、あの――」
ちょっと。怖いよ。
釣られてしどろもどろになりそうになった私に助け舟を出してくれたのは、一緒に話を聞いていてくれた奥様だった。
「申し訳ありません、メオ様の占いサロンは予約制でして、順番待ちなんですの」
「順番?」
ベアド様の目がさらに細められる。
「ええ。リリル公爵夫人もお待ちになっていただいておりますので」
「そうでしたか。それは大変失礼致しました」
「メオ様。宜しければ、今度招待状を送ってさしあげてはどうかしら」
「え、ええ。勿論です」
「お気遣いありがとうございます」
いえいえ、うふふ、おほほ、などと白々しい笑いで場の気まずさを誤魔化すのにも限界を感じた頃、
ダンスタイムだ。た、助かった。
先ほどからお仕事仲間の紳士たちと歓談していたフィオ様へ視線を向ける。
旦那様~。あなたの妻はここです~。早くこの気まずい場から連れ出してくださいませ。
私の祈りが通じたわけでもあるまいが、それぞれ互いのパートナーと手を取り始めた紳士淑女の合間を縫って、フィオ様がこちらへ歩みを進めてくださった、その時。
「おや、ダンスのお時間ですか。メオ様、せっかくのお近づきのしるしに、どうでしょう。今宵は私と一曲踊ってくださいますか?」
勘弁してください……!!
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