自分の心にとって何が最善か

「た、大変申し訳ございませんでした……。ム、ムウマ伯爵夫人」

「いえいえ」


 凡そ十数分に亘って思いの丈を想いの通りにぶちまけた所で幾分冷静さを取り戻し、ようやく私の肩書を思い出したらしい。母親であるヒイロ様と同じ朱色ヴァーミリオンの髪をしょぼんと俯かせ、ミイヤ様は小さく縮こまってしまった。

 私はすっかり冷めてしまったお茶を口に含みつつ、気にしていませんよとアピールを込め、なるべく優しい口調を心掛けた。


「大変でしたね、ミイヤ様」


 まあ、詰まるところ、の戦いに負けたわけだ。

 婚約者のいる男性に手を出したのは件の侍女。

 それを知り、あんなことやこんなことやそんなことをして虐めを行ったのはミイヤ様。

 それを逆手に取り、密かに証拠を押さえて公の場で弾劾させるよう、男を仕向けたのは侍女。

 結果、男は侍女に靡いた。試合終了ゲームセットである。

 

 誰か、彼女のことを自業自得と嘲るだろうか。

 やりかたを間違えたのだと糾すだろうか。


 少なくとも、私に求められている役割はそのどちらでもないだろう。

「ミイヤ様。今日はリジィ様のご厚意でお時間を用意して頂けましたので、せっかくですから、私のカード遊びにお付き合いください。ほんの気晴らし程度ですが、そのくらいはお力にならせて頂きます」

「は、はい。あの、ユノ様から、ムウマ伯爵夫人の占いのことは聞いておりまして……」

「メオで結構ですよ。ひょっとして、ユノ様のお茶会にも?」

「ええ。あの時は大変でしたわ。きっと数年後思い返したときには、全て笑い話にできるのでしょうけど」


 なにがあった、ユノ様……。


「では、改めまして。初めに注意事項です。私のカードには、人の心を言い当てたり、未来を予想する力はありません。カードにできることは可能性の提示であり、受け取った結果をどうするか、全てはミイヤ様次第です」

「……はい」

「その上で、ミイヤ様の今後について、少し大きな視点でカードの意見を聞いてみましょう」

「宜しくお願い致します」

「では、今回は太陽の輪サン・ホイールを用います」


 これは、神秘の十字を象ったスプレッドだ。

 入念にシャッフルしたカードの山から、まずは一枚を表にして中央へ。

 出たカードは、『水精ウンディーネとキャロット』の逆位置。

 この上に、横向きにしたカードを重ねる。『6本のスティック』。


 十字に重ねたカードの四方に四枚のカード、その右側に更に四枚のカードを縦一列で並べる。

 欲望。誘惑。疑心。奮闘。などなど、正に今のミイヤ様にうってつけのカードが出るわ出るわ。

 ううん。ユノ様といい、引きが強いなあ……。暗示を決めつけ過ぎないように注意が必要だ。 


「まずは最初に出したこちらのカード。ミイヤ様の現状を端的に表しています。本来は鋭い知性と静かな理性を併せ持つ暗示ですが、それが逆位置となることで、自身の身を護るために周囲に棘を向けてしまっているようです」

「す、すみません……」

「謝らないでください。当然ですよ。むしろ、必要なプロセスだと思います」

「うう」


 それはそうだろう。女にとって一番負けたくない戦で、それはもう物の見事に大敗を喫したわけだ。平静を保っていられることのほうがおかしい。


「その上のカードは、今目の前に横たわる障害を表します。ずばり、『勝利者への称賛』。ここまで素直な暗示が出るのは珍しいですね」

「……」


 あ、目にまた暗い炎が……。

 いけない、いけない。


「では、次に上下のカードを同時に見てみましょう。これはミイヤ様の意識と無意識を表します」

 顕在する意志・思考としては、『7本のスティック』――必死に奮闘しているが、潜在的には『8本のチューリップ』――現状に区切りをつけ、次のステージへと向かおうとしている。

 これまた素直な暗示だ。ちょっとすごい。


「ミイヤ様。今回、色々な方から貴女のお話を聞きました。いつも聡明で、先々のことまでよくお考えになられる方だと、みなさん仰っていました。もし、今、心のうちで、なにか次のことを考えているのであれば、それもまた大切な貴女の心ではないかと思います」

「はい……。そうですね、それはもちろん。このままでいるわけにはいきませんわ」


 次に見るのは、過去と近未来。十字の左右に配したカード。


「ミイヤ様は水精ウンディーネに好かれているみたいですね。水精とスティックの組み合わせは、女性的な魅力と情熱を表します。ただ、やはり先ほどと同じように逆位置で出てしまっていますので、今までのミイヤ様は、少し余裕を失っていたのかもしれません。そして――」


 深く暗い森の入口、樹上の枝にて妖しげにウサギを見下す一匹の『黒猫』。

 欲望と呪縛を暗示するアニマルカードだ。


「まだしばらくは、その思いがなくなることはないでしょう。それもまた、貴女の心の一つです」

「……はい」

「ですが、ご安心ください。最初にお話しした通り、私のカードに未来の先までを予知するような能力はありません。この暗示も、精々1週間程度の話です。それにですね――」

 

 右端に縦一列で並べたカードの下端。

 スティックを片手に踊るウサギと、その先端に火を灯して戯れるサラマンダー。


「今まではミイヤ様の内面に焦点を当てて見ていましたが、少し広い視野で見れば、今のミイヤ様にはツキが回ってきています。火精とスティックはとても相性の良い組み合わせで、大きなエネルギーを持っています」

「そ、そうなんですの……?」

「ええ。今回の騒動では、みな公正で的確な判断などできていません。みんな、自分の感情に振り回されてしまっています。ミイヤ様も、その侍女の方も、そしてソマリ侯爵令息もです。ただ、この一番右上のカードを見てください」


 キャロットの紋様が描かれた大きな旗を、土精ノームと共に支え、遠景を仰ぎ見る黒ウサギ。その、真っ直ぐな視線。


「これは、この問題の最終予想のカードです。ミイヤ様は、もう既に普段の冷静な心を取り戻しつつあります。自分にとって何が最善か、自分の心にとって何が最善か、しっかり見つめ直す準備はできているはずですよ」

「自分の、心……」


 オブラディ・オブラダ人生は続いていく。先はまだ長い。

 これが物語であれば、敗者は舞台から去り、勝者にはハッピーエンドが与えられ、閉幕カーテン・フォール。それでおしまい。けど、そういうわけにはいかないのだ。

 負けたなら、別の道へ、次の一歩を。


 私の言葉をゆっくりと咀嚼し、飲み下し、ミイヤ様はお腹の前で手を組み、深く息を吐いた。


「ありがとうございます。メオ様。今日、お話しできて本当に良かったですわ」

 

 瞳の色が澄んでいた。

 きっと、その言葉に偽りはないだろう。

 もう大丈夫かな。大丈夫だろうか。ううん……。

 一応、最後に一言だけ言っておくか。


「ただ、くれぐれもお気を付けください、ミイヤ様」

「はい?」


 右上から二番目。自身の願望を暗示するカードに、『9本のチューリップ』の逆位置。

 意味は、『欲に目がくらみ判断を誤る』。


「……重々気を付けますわ」

「そうされるのが宜しいかと」

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