あの女狐が全部悪い

 ある日のこと。


「婚約、破棄……ですか?」


 その不穏当にもほどがある言葉に一瞬心臓がキュっとなったが、幸いなること山の如くして、私は既に婚姻を結んでいる身だ。を破棄されることはない。ことの当事者は、私ではない。


「ええ。ソマリ家の御令息を大いに怒らせてしまったそうなの」

「ソマリ家。ええっと、確か武家の――」


 ビスク様に向け、ここ数カ月で叩きこまれた勉学の成果を披露すべく記憶を捩じり出したところによると、ソマリ家当主は今代の王属近衛騎士団の副団長を務めており、当国でも屈指の名門武家だ。そのご令息といえば、王立学園の高等部に通う年頃だったはず。

 もちろん婚約相手だって、どこぞの高位貴族の御令嬢なのだろう。


「ええ。ミイヤ=ディル伯爵令嬢よ」

 頬に手を当て、眉根を下げるビスク様の憂い顔を見るに、どうも事態は混迷しているようであった。しかし、そのご両家は、ムウマ家となにか関係がある家だったろうか。

「ほら、前々回のサロンにいらしていたでしょう。ヒイロ様のご息女よ」

「ああ……」


 朱色ヴァーミリオンの髪を積乱雲のように巻き上げていた奥様か。

 尖った顎と吊り上がった眦の放つ威圧感に、後ずさりそうになる踵を必死に床に縫い付けた記憶が蘇る。まあ、話してみれば意外と穏やかな方だったけど。

 占い自体には興味がなくはないけど、単純に社交の場だと思ってご参加されたそうで、ご自身は特に順番待ちのリストには加わらなかったはず。


「それで、婚約破棄というのは……?」

「ええ。先月末に開かれた、学園の舞踏会でね」


 以下、話を要約するとこんな感じだ。


『ミイヤ! お前との婚約を破棄する!!』

『そんな、なぜですか、エル様!?』

『お前が私付きの侍女に働いた数々の狼藉、もはや許してはおけん』

『狼藉? 一体なんの――』

『しらばっくれる気か? 身分の差を笠に着て高圧的な態度で接するだけならまだしも、私と親しい彼女に嫉妬し、仕事の邪魔をしたり、髪飾りを奪い取ったり、衣服を棄損したり――』

『そんな、誤解です』

『私はこの国も未来を背負って立つ騎士となる男だ。たとえ家が決めた婚約であろうと、これ以上正義に悖る行いを許すことはできない』

『お、お待ちになってくださいませ!』

『くどい! これは決定事項だ!』

『そんな、御無体な――』


 まあ、大体これで伝わるだろう。


「エル=ソマリ侯爵令息は、正式にミイヤ様との婚約を破棄した上で、改めて侍女であった平民の女性を正室に迎えるそうよ。なんでも、真実の愛を見つけたのだとか」

「し、しんじつのあい」

「馬鹿な」


 その言葉に反応したのは、当然朝食の場でそれを一緒に聞いていた、私の旦那さまである。


「仮にも侯爵令息が、屋敷の使用人を正室に迎えるというのか。貴族法をなんだと――」

「ええ。まずは遠縁の子爵家に養女として引き取って頂くそうよ。その上でご結婚されるらしいわ」

「ああ、それなら問題ないですね」

「ないのですか!?」


 フィオ様にツッコミを入れられるようになった自分の成長を密かに実感しつつ、助けを求めてビスク様を見れば、艶やかな苦笑いが帰ってくる。

 フィオ様はフィオ様で、優雅な所作にて食後のお茶を口にすると、不思議そうに私を見つめてきた。


「ああ、法律上はなんの問題もない。養子縁組に関しては第二条第五項――」

「ええっと、そうではなく、元の婚約を破棄するやり方が随分強引というか……。それに、ミイヤ様のお気持ちを考えると」

「ふむ。しかし、婚約はあくまで婚約だ。我が国の場合は慣習法の部類にあたり、実のところ法的な拘束力はそこまで強くない。それに、件の令嬢には不道徳な行いがあるのだろう。真実の愛とやらは私には理解しかねるが、自身の正義に従うという意志には共感が持てる」

「なるほど」


 なるほど、この問題に関してフィオ様を会話に加えてはいけないことは良く分かった。

 当然、ビスク様もこの話をこの場だけで終わらせるおつもりはないだろう。

 案の定、その翌々日、私はビスク様のお供をする形で、とある貴族家のお茶会に出席させられることとなった。


「フィオの言ったことは、気にしなくていいからね」

「はい。それで、今日の行先には、ひょっとして例のミイヤ様が……?」

「そうなの。随分ショックを受けたみたいでね。ずっとふさぎ込んだ様子なのを見かねて、リジィ様が、もしよかったら、って」


 どうやら次の占いサロンにお呼びしていた奥様が、順番を譲ってくれたということらしい。

 改めて詳しく話を聞けば、学園の舞踏会という場で堂々と婚約破棄をされたミイヤ様のお立場はかなり悪いらしく、それ以来学園にも出席していないのだとか。そしてその事実が、噂に更なる尾ひれ背びれをつけて自由自在に泳ぎ回らせているそうで、ディル伯爵家としても頭を抱えているとの由。


 向かいの馬車の中で、また出席したディル家の茶会の場で、ビスク様含め奥様お嬢様方の意見のほとんどはミイヤ様に同情的であった。


「お可哀そうにねえ」

「せっかく良縁だったのに」

「優良株よねえ」

「もったいない」

「なんでそんな話になっちゃったのかしら」

「やるならもっと上手くやらなきゃ」


 ……ん?


「相手が一枚上手だったのよ」

「そお? ミイヤ様も詰めが甘かったと聞いたけれど」

「噂を立てさせる相手はもっと慎重に選ばなきゃねえ」

「お友達にもきちんと話を通しておかないと」

「先生方の懐にはちゃんとお包みをしてたのかしら」


 …………んん??


「メオ様。こんなことに巻き込んじゃってごめんなさいね」

「これで人生おしまいってわけでもないんだし。そろそろミイヤ様も気持ちを切り替える頃合いだと思うのよ」

「なんなら、お話相手になって差し上げるだけでも違うと思うから」

「申し訳ないけど、宜しくね」

「は、はあ……」


 なんだか、話が想像していたのと違う方へ向いていないか?

 気のせいか?

 いや、しかし……、んん??


 しばらくして、改めて屋敷内の応接室に場を設けてもらい、私がチェリーの木箱からカードを用意する向かいにて、私と二人っきりになったミイヤ様は、声も高らかに叫んだのだった。


「あの女狐が全部悪いのよ!! 人の男に手ぇ出しくさりやがって!! さんざん虐め抜いてやったのに裏で手ぇ回して逆襲してくるなんて!! こんなことなら侍女服全部八つ裂きにしてやればよかった!!!」


 ……はい。

 私で宜しければ、お話お伺いいたしますとも。

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