私たち次第

 公開審理のあった日、フィオ様はその後諸々の処理のため司法府へ泊まり込むことになったらしい。

 私は一人ムウマ邸に帰り、ビスク様と夕餉を共にした。

 私が、拙い言葉でフィオ様のご活躍を伝えると、ビスク様は優しい眼で微笑んだ。


「ええ。そりゃあ、あの人の息子だもの」


 そのとき、ビスク様の眼の端に涙の粒が浮いて、私の方がぽろぽろと泣いてしまった。

 その夜は、胸がざわついてなかなか寝付けなかった。


 そして、翌日。

 ここ最近のいつも通りに二人きりで朝餉を済ませ、午前中の勉強を終わらせた後で、ビスク様に声をかけられた。


「メオさん。今からサロンに行ってもらえないかしら。一人、話を聞いてもらいたい人がいるの」

「え?」


 ビスク様はいつになく真剣な表情で、とても冗談を言っているようには見えなかった。


「でも、私……」

「お願い。行ってもらえるだけでいいの。占いをするかどうかは、メオさんに任せるわ」


 この半年近くの付き合いで、ビスク様がムウマ家のことをどれだけ大事にしているかはよく分かっていた。まさか、ここにきてフィオ様の足を引っ張るようなことはしないだろう。

 私は事情もよく分からないままに、チェリーの木箱に入ったカードを持ち、久しぶりに離れへと向かった。


 私が使わなかった間も、サロンはしっかりと手入れがされていた。

 活けられた花も瑞々しく、薄っすらと焚かれた香が部屋に彩りを足している。

 支度を整えてくれた使用人が去ると、部屋には私一人が取り残された。

 一体、誰が来るというのだろう……。


 しばらく手持無沙汰にしていると、控えめなノックの音が響いた。

 どうぞ、と応えを返し、やはり控えめに開けられたドアから現れた人物を見て、私は思い切り狼狽してしまった。


 眩いブロンド。

 澄明なアイスブルーの瞳。

 私の、素敵な旦那様。


「フィオ様。あの、えっと、これは」

「ああ、違うんだ。メオ。

「ええ!?」


 占いは、いつもあのテーブルでするのだろうか、と、気恥ずかし気な表情で、フィオ様は席に向かい、椅子の背もたれに手を置いた。

 私は慌ててテーブルの向かいに立ち、着座を勧める。

 改めて向かい合ってみれば、フィオ様の頬に僅かに朱が差しているように見えた。


「あの、フィオ様。これは一体……」

「私は、ずっと女性というものが苦手だった」

「はい?」


 渋みのある声が、ぽつぽつと、慎重に言葉を選び、紡いでいく。


「私にとって、理解しがたい存在だった。私が理を説いても、『そうは言っても』、などと言って聞く耳を持たない。その場その場の曖昧な感情で非論理的な行動を取る。占いなどというものも、専ら女性が好むものだ。私にはそれが、理解できなかった。だから、遠ざけていた。それでいいと思っていた」

「はい……」

「私は“法”が好きだ。それは徹底して理知的で、万人に公平で、揺るがない。だからこそ、万人に寄り添い、力になることができる。そう信じて疑わなかったし、それは今も変わらない。だが、私の考えや行動は、世のご婦人方には理解しがたく、近寄りがたいものであるらしい」


 自嘲気味の声。

 初めて聞く話。

 そして――。


「ああ、話が上手くまとまらないな」

「大丈夫です。聞いてます、ちゃんと」


 これはきっと、大事な話。

 私が聞かなければならない話。


「メオ。君の占いは、やはり私には理解できない。だが、それが母様や、我が家の使用人、リリル公爵夫人の心を捉え、彼女たちの心を慰めていることを、認めないわけにはいかない。そうであるならば、やはり私は関わるべきではないのだろうと、そう思っていたんだ。


 私の考えも行動も、きっと君には理解され得ないのだと思っていた。私は遠慮するだとか、空気を読むだとか、忖度するだとか、そういったことができないんだ。きっと、私が私のまま君の傍にいれば、遠からず君を傷つけ、不快にさせていたかもしれない。


 メオ。君はこの家で本当によくやってくれている。母様も、我が家の使用人たちも、みな君を気に入っている。君がムウマ家に嫁いでくれたことは、この上なく幸運だった。私は、それに報いたいと思っていた」


 私は。

 私は、一体、今までこの人の何を見ていたのだろう。

 いや。いや。

 何も見えていなかった。

 気づいていなかった。

 勝手に決めつけて。この人は自分に興味などないのだと、こちらからも目を逸らして。

 この人の言うことの一つ一つに、勝手に裏の意味を汲み取って。

 

『きっと、メオ様自身が幸せになる方法も、あると思うわ』


 猛烈な羞恥心で、心臓が捻れそうになった。

 賢しらにカードをめくって、人の心の機微を悟ったような気になって。

 一番近い人の心を、一番見て差し上げなければならなかった人の心を、ほったらかしにして。


 アイスブルーの瞳が、真っ直ぐ私を見据えていた。

 

「そんな顔をしないでくれ。きっと私たちは、互いに足りてなかった。互いに、踏み出すべきだったんだ」


 それは、とても優しく、弱々しい言葉。


「私は、もっと君の心に触れたいと思う。私のことを知ってほしいと思う。君のことを知りたいと思う。メオ。私は君を尊敬している。君の良き夫でありたいと思う。何をいまさらと思われるかもしれないが、改めて、私は君と夫婦になりたい。

 どうだろうか、メオ。私は、父様のように立派な夫になれるだろうか。私たちは、父様と母様のように、立派な夫婦になれるだろうか」


 それは、相談?

 それとも、願望?

 私は、どうすればこの人の心に寄り添うことができるだろう。


 奮える手で、チェリーの木箱を開けた。

 カードを取り出し、手の中でシャッフルする。

 滑らかな手触りのカードが、いつもより温もりを持っているような気がした。


「では、今回は……ワン・オラクルを用います」


 自分の声が、びっくりするほどか細かった。

 鼓動がうるさい。

 頬が熱い。


 念入りにシャッフルした山から、一番上のカードを一枚だけ引き、めくる。

 運命を示す、ただ一つの託宣ワン・オラクル


 それは、緑あふれる湖畔の景色。

 水べりに座り込むウサギの視線の先には、平らかな湖面に浮かぶ二羽の『ハクチョウ』。

 向かい合って寄り添い、満足気な表情で目を伏せている。

 左右対称な二羽の首の湾曲によって形作られたハートマーク。

 それは、自分一人では得ることの出来ない心地よさ。

 相手がいることの安心感。安らぎと幸福。正しい選択を暗示するカード。


 別名、『恋人たち』のカード。


 フィオ様の眉根が下がり、困ったような笑みを浮かべた。


「これは詐術? それとも運命?」


 私は、精一杯の強がりで、頬を持ち上げ、笑顔を作った。



「それは、私たち次第ですわ。フィオ」

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