本物の優しい嘘
『ごめんなさい。なるべくサポートできるように、なんて言っておいて、こんなことになってしまうなんて』
そう言って、ビスク様は私に謝ってくださったけれど、こればっかりはビスク様に責任はないと思う。
元々、アニタ様が
ここまでの強硬策に出ることを見抜けなかった、私の落ち度だ。
誰が悪いかと言われれば、それはもちろん横紙破りを行ったアニタ様だ。だが、それが発覚した時点でお帰り頂く選択肢だってもちろんあったのに、彼女を迎え入れ、もてなしたのは私の選択だった。
あれだけの時間、ノルド子爵家の馬車がムウマ伯爵邸にとまっていれば、事情に明るいものならば誰だってノルド子爵なり夫人なりがフィオ様へ直談判をしに行ったのだと気づく。そして、それが突き返される様子がないということは……。
いくら私の占いの客だったと答弁したところで、生じた疑惑は拭いきることなどできないだろう。
ならば、誰に何を言われるよりも先に、全ての事情を公表してしまったほうがいい。
ノルド子爵家が私の占いサロンの予約を利用してフィオ様に近づこうとしたこと。一度そのような例が出てしまった以上、今後私が他家の人間を占いに招くことは出来なくなったこと。
ムウマ伯爵家を守るためには、こうするより他に方法はない。
アニタ様の立場は苦しくなるかもしれないと思ったが、全ての事情を含めて占いの予約をキャンセルさせてもらったとき、ご婦人方の反応はみな、アニタ様に同情的だった。
惜しまれる声ももちろん頂戴したが、それに関しては頭を下げるしかなかった。
「そうね。メオさんがそう決めたなら、それでいいと思うわ」
そんなことを報告した朝餉の場で、ビスク様は優しく微笑んでそう仰ってくださった。
眩いシャンデリアと、窓の外に聞こえる風の音。
柔らかな白パンにたっぷりのバターとジャム。
ようやく味に慣れてきたスープ。
穏やかないつもの朝。
ただ――。
「お義母さま。フィオ様は、今日も……?」
「ええ。そうみたい」
あの日以来、フィオ様は屋敷を空けることが多くなった。
携行食だけを持って朝早くに出発し、司法府に籠る。そんなことが、ここ数日続いている。
「私のせい、でしょうか」
来週に控えたベアド=ブルの公開審理に向けて調べ物をしている、とは本人の口から聞いている。
難しい審理となるのは間違いないのだろう。だが、本当にそれだけだろうか。
占いサロンは閉じ、今後屋敷に不特定多数の人を招くようなことはしないと誓いはしたが、そう易々と信用してもらえるとは思えない。
アニタ様を招き入れたことも、サロンを閉じたことにも、悔いはない。
だけど、その結果を受け入れるには、私の心はまだ弱かった。
「いいえ、メオさん。それは違うわ」
「でも……」
「あんまり、私の口からあれこれ言うのもどうかと思うのだけどね。フィオは昔から、人と関わるのが苦手だったから……。でも、もうちょっとだけ、フィオのこと、見ていてあげてもらえるかしら」
「……はい」
啜ったスープの味が薄い。
それが、私の味覚が慣らされただけなのか、それとも他の理由があるのか、判然としなかった。
そして、翌週。
「メオ。君にも来てもらいたいのだ」
そう言って、少しだけやつれた顔をしたフィオ様は、私を公開審理の場に参列させた。
司法府など、その存在だけは知っていたが、自分には縁もゆかりもない場所と思っていた私にとっては、まるっきりの異世界だった。
白を基調に統一された司法官の制服に身を包んだフィオ様は、いつも以上に清廉に見えた。
審理は長引いた。
だが、終始流れは変わらなかった。
ブル家側が提出する、ベアドの無罪を主張する証拠、その一つ一つを丁寧にフィオ様が論破していく。ブル家によって買収されていた証言者も、一人一人綿密な取り調べの上でその証言の矛盾を暴かれ、当主の醜聞を揉み消そうと入念に準備された牙城は、薄皮一枚ずつ丁寧に剥がされていった。
三人もの花嫁を虐待の末に死に至らしめたベアド=ブルの、その悪行をなした者とは思えぬほど落ち着き払った傲岸な態度は、徐々に徐々に強張り、蒼褪めていった。
フィオ様の理論武装は完璧だった。
やはりブル家に買収されていた他の司法官も、今回ばかりは相手が悪かった。
先代大法官――ファズ様が亡くなられる前に残していた捜査資料までをも持ち出し、癒着と買収の証拠をしっかりと確保されていたのだ。
我が国が法治国家となったのは、国の歴史からすればまだまだ最近のことで、古くから国を支えていた貴族家の中には、平等を謳い自分たちの既得権を侵す法の存在を快く思っていないものも多い。
今回も、世間での前評判としては、結局のところ伯爵家の権益をもって恩赦となるのがオチだろうと言われていたのだ。それを、フィオ様は決して許さなかった。
義憤によってではない。
憐憫によってではない。
あらゆる感情を排した、徹底した法の理論と理念によって、罪人に罪を認めさせようとしたのだ。
それが、フィオ様の答えだった。
フィオ様だからこそ出せた答えだった。
『ここで我々を裁くことがどういうことか――』
『貴様の家も同様に力を失うのだということが分からんか――』
『子爵家程度の息女を好きにしたことでなぜ我がブル伯爵家がこのような――』
終盤は、ひたすら上位貴族としての体面や義理に訴えかけたブル家の先代当主に対しても、フィオ様は氷のような鉄面皮を崩すことはなく、歴史上における高位貴族を処罰した先例を持ち出して反駁し、あくまでも理知的に跳ねのけた。
家の中では、あんなにも感情を露わに、思ったことが直ぐ顔に出てしまうのに。
それを、意思の力で抑えつけていた。
ただ、一度だけ。
『確かに
ベアド=ブルがこのような答弁をしたときだった。
『ふざけるのは辞めてもらおう』
フィオ様の口元から、血が流れた。
表情は変わらない。
声音も変わらない。
ただ、噛みしめられた唇から、赤い血の筋が僅かに垂れた。
『私は、
それは、長く続いた審理の中の、ほんの僅かなやり取りだった。
判決に直接結びつくような発言ではなかった。
だけど、その他のなによりも私の胸を撃ち、震わせた言葉だった。
判決は、有罪。
ベアド=ブルは、天高く聳える塔の上で、その生涯を終えるまで狭い部屋の中に幽閉されて過ごすこととなった。
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