36.天国と地獄(?)
図書準備室の扉からほど近い、廊下の窓際で井上さんと時間を潰していると、不意に扉が開いた。
中から出て来た数名の生徒達は誰もが疲れた表情を浮かべており、そこからは図書委員内での係決めが難航していたのであろう事が容易に見て取れた。
人混みの中に佐々木さんの横顔を見つけて声を掛ける。
他の人々とは大きく異なり、こちらを向いた彼女の瞳は熱意と狂気で満たされていた。
「聞いてください!司書の先生が蔵書管理について色々と教えてくれるそうです!」
「よかったね。あと落ち着いて」
俺達を見つけるや否や、興奮冷めやらぬ様子でまくし立てる佐々木さんの背を撫でる。
曰く、週に三日ほど放課後に図書室の受付をしつつ、学校司書の先生から司書としての作業を実際に教えてもらえる事になったとの事。
さながら、プロ野球選手に指導してもらえる事になった野球少年のようだった。
まさに熱狂と称するに相応しく、かなり気圧されつつも、あまりに嬉しそうなので思わずこちらまで笑顔になっていた。
一しきり吐き出し満足気に息を吐く佐々木さんであったが、やがて落ち着きを取り戻すと、一転して微妙な面持ちで俺を見ていた。
どうしたのかと尋ねると、遠慮がちにおずおずと切り出す。
「あの、それで、明日から早速……図書委員の仕事で帰りが一時間ほど遅くなってしまいそうで。安城さんと一緒に帰れなく――」
「ん?一時間ぐらいなら普通に終わるの待つけど」
佐々木さんは俺の返答が予想外だったのかかなり大げさに驚いていた。
「えっ、いいんですか!?」
「え?うん……逆にダメだった?」
若干不安になりつつ聞くが、佐々木さんはふるふると首を振る。
一転して嬉しそうに笑うのでなんだか人懐っこい子犬を見ているような気分になった。
頭を撫で回したい衝動がグッと湧きあがるが、どうにか理性で抑え込んだ。
井上さんはそんな俺達のやり取り……特に佐々木さんの事を穏やかに見つめている。
前々から思っていたのだが、彼女はどうも佐々木さんを愛でて心を癒している節があった。
「私もたまにミツハちゃんがいる日に図書室行っていい?」
こちらの話がひと段落ついたタイミングで井上さんが声を掛けると、佐々木さんは慌てて頷いた。
「あっ、もっ、勿論です!ふひ……」
「あとついでに面白い本とかあったら教えて欲しいな」
「勿論喜んでッ……!井上さんの好みをヒアリングした上で渾身の一冊を――」
「やった!ありがと~」
「あっ。井上さ、あっ。ち、近っ。あっ」
あらあら。二人が目の前でイチャイチャしはじめた。井上さんの優しいハグを受けた佐々木さんが赤面している。あらあらあら。
Q.可愛い女の子同士の絡みっていいよね
A.いい。とてもいい。
脳内で脳死Q&Aが繰り広げられ、つい笑顔になってしまった。いい。
眼前の「泰禪乙川の絶景100選」に選ばれそうな光景を眺めてニヤつきつつ改めて思ったのだが、友人関係となってから未だ一週間と少ししか経っていないというのに、佐々木さんは俺と井上さんに対して相当に心を開いてくれている。
そしてそれは俺も同じで、我ながら二人とはかなり相性が良いと思っている。
この感覚を喩えるなら何の気なしに手に取ったジグソーパズルのピースが一発で合致した時のそれに近いだろうか。
とにかく気張らずに話せる相手と入学早々に巡り合えた事は、間違いなく神的な存在に対して感謝の意を捧げるに値する。
まぁ、井上さんに関してはジョーカーの擬人化みたいな子なので、俺や佐々木さんに限らず誰とでも馴染んでいるし打ち解けていると思うが。当然ババ抜きではなく。
一方でもしもどこぞの反社系ヤバお嬢様やレンのヤツと同じクラスに放り込まれていたら……と思うと、入学早々マジで不登校になってたかもしれん。
あのお嬢様が一体どういったきっかけでレンに執着しているのかは知らないが、恋敵を潰す為ならどんなえげつない手段であろうと平気で行うタイプの人種であろう事は間違いない。あの絶対零度の瞳を前にしたときに俺は本能でそれを理解した。
対抗できるのはアマネくらいのものなんじゃなかろうか。
C組のパワーバランスがどうなっているのかは知らないが、あのお嬢様に関する悪い噂が流れてこない時点で何かしらの統制が敷かれている事は察するに余りある。
いずれにせよ。
とにかく関わり合いにならない事、それに尽きる。
身内とは言えど、レンを巡る争いに関しては積極的にアマネの味方をするつもりもないし、その逆もまた然りである。
利敵行為で身内を敵に回すような愚は犯すまい。
それにレンの目が腐っていなければ、選ばれるのはアマネに違いないし。
そんな事を考えつつ、俺は改めて平和なクラスに配属されて良かったと、二人のイチャつきを眺めつつしみじみと思った。
翌日の昼。
佐々木さんは図書委員の仕事があるらしく、昼食もとらずにそそくさと図書室へと向かってしまった。
井上さんも今日の放課後は調理部の活動があるそうで、その前準備の為に駆り出されていた。
そんな訳でたまにはぼっち飯も悪くないか、と教室を出ようとしたところで声を掛けられた。
「安城ちゃん!佐々木ちゃんどうしたの?」
日野目さんである。
教室の後方から大声で呼ばれた為、教室内からはやや視線が集まっていた。
日野目さんと共に机を囲んでいる友人のギャル二人もこちらを凝視している。コワイ。
「あ、いや……今日は図書委員の仕事があるらしくて、お弁当もそっちで食べるみたい」
「そうなんだ。安城ちゃんはどこ行くの?」
「あはは。たまにはぼっち飯でもしようかな~って」
特に隠し立てする事でもないのでひらひらと手を振りつつ素直に答えると、日野目さんは太陽のように笑った。
「マジ?じゃあウチらと一緒に食べよ!二人ともいいっしょ?」
地獄への道は善意によって舗装されている、とは誰の言葉であったか。
日野目さんのその発言に、俺の脳内に真っ先に浮かんだのはそれであった。
「別にいいよー」
ダウナーに応じたのは露木さんという子で、地雷系めいた外見のギャルである。
素っ気ない言動が目立つので、正直、クラス内で一番コワイ。
「てか安城さんと絡むの初じゃん?よろ~」
そしてその横でひらひらと手を振っているのは
緩いパーマを片側で軽く編み込んだミディアムショートが特徴的で、普段の言動は割と歯に衣着せぬ物言いが多い印象だ。コワイ。
二人の反応を見るに、どうやら俺の拒否権は最初から存在していない。
日野目さんの一言で、もはや俺が同席する事は既定路線と化していた。
「……ありがとう三人とも。よろしくね」
こうなると空気を読まずに拒む事なぞできよう筈もなく、俺は愛想笑いを浮かべながらその輪に混ざる事しか出来なかった。
ほぼ初絡みのギャル二名を交えた未知の空間へと放り込まれる事になったアラサー成人男性にとって、それは地獄のランチタイムの始まりにも思えた。
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