11.たのしい地獄・リターンズ
我らがA組の担任は、先日からお馴染みの森木ユウゾウ先生であった。
学年主任との兼任らしいので、目を付けられないよう、品行方正に過ごす事を密かに誓う。男女関係のトラブルとかは特に避けたい。
彼は教室に入るや否や、教卓に積み上げられたビラの束を持ってきたダンボール箱に納めていった。
実に慣れた手つきであった。どうもあの勧誘がマジでこの学校の伝統らしき事はそこからも見て取れた。
森木先生は何も言わないが、恐らく思うところはあるのだろう。ビラの量に呆れているようだった。
森木先生はビラの詰まったダンボールを足元に置くと、簡単な挨拶の
「早速ですが、この後は始業式が行われます。式の後はホームルームを行うので、皆さんの自己紹介はその時に」
そして早速体育館へと移動する。
少なからず事務的な印象を受けるが、男性教師という肩身の狭い立場でありながら学年主任を務めるような人物だ。常に毅然とした態度でなければやっていられないのだろう。
父の苦労を知るだけに、それをとやかく言う気にはならなかった。
体育館の中は先日に比べ少々様変わりしていた。
三学年分のパイプ椅子が並べられているが、先日新入生と保護者が座っていた席をそのまま配置し直しているようだ。
毎学期、始業式の度にパイプ椅子を並べているのだろうか?
いや、恐らく入学式の片付けの手間を減らす為だろう。
始業式の終了と共に片付ければ、生徒達を動員する事もできるし。
一体、どこの
始業式はスムーズに終了した。校長による無駄のない爆速挨拶の賜物である。
片付けには何故か一年生だけが動員され、在校生は何かに巻き込まれるのを恐れるように、そそくさと体育館を出て行った。
仕方ないので、周囲のパイプ椅子を持てるだけ持って運ぶ。
それから十分ほどでパイプ椅子の片付けが終わる。
同級生達は皆愚痴を言いつつも真面目に作業をこなしていたので、思っていたよりも早く済んだ。
「そ、それにしても、始業式も、終わるの早かったですね……校長先生は、こういう式典が、嫌いなんでしょうか」
パイプ椅子を運び終えた後、佐々木さんが息を整えながらそんなことを言う。
特に深い考えもないが、勝手なイメージを述べる事にした。
「式典っていうか、無駄が嫌いなんじゃないかな。我が道を最短距離で往くタイプって印象がある」
「なるほど……」
佐々木さんは俺の表現に、納得したように頷いていた。
いや、まぁ知らんけどね。話した事もないし。
ただの偏見なのであまり真に受けないで欲しいと付け加えれば「ふひ」と笑っていた。
他愛のない雑談をしつつ体育館を出た時、眼前に広がる光景を見て思わず声が出た。
具体的には、
「うーっわ……」
「う、うわ……うわぁ……」
体育館を抜けると、そこは地獄だった。
体育館と校舎を結ぶ通路では、今朝の校門前と全く同じ光景が広がっていた。
周りを見れば同級生たちは暗い表情を浮かべており、一方の先輩方は狂気に満ちた目を爛々と輝かせつつ、
二年生以上の生徒がそそくさと校舎へ戻っていったのはこれが理由か、と思った。
「クッ、付き合っていられるか!私は教室へ帰るわ!」
そんな折、とある一人の勇敢な新入生が人混みから飛び出した。
彼女は無謀にも、地獄の花道の脇を抜けて校舎へと向かおうとする。
しかし、それは数名の先輩方によって阻まれた。
「どこへ行くんだい!こっちへおいでよ!」
「うわあ!離せ!この化け物!」
「怯えなくてもいいじゃあないか……どうだい?君も数式同好会に入らないか……?我々と共に数学オリンピックで素晴らしい結果を残そうじゃあないか!」
「うわああ!円周率は3.141592653589793238462643383279……!」
うん。
あの新入生どう見ても
あとあれ、絶対演劇部だろ。めっちゃ腹から声出てるし。
案の定というべきか、本物の数式同好会らしき方々が一連の茶番を見てヤジを飛ばしつつ爆笑している。
……いや、そもそも、数式同好会ってなんなんだよ。ニッチすぎるだろ。
「ヒィ……コワイ……コワイ……」
しかし一定の効果はあったようだ。
現に佐々木さんは今朝のトラウマを思い出して震えている。死にかけのリスみたいでかわいい。
新入生達の反応もそれぞれだった。笑っている者もいれば、佐々木さんのように今朝の地獄を思い出して絶望に満ちた表情を浮かべている者もいる。
ここは覚悟を決めて突っ込むべきだろうか。
ある意味ではこれも由緒正しい泰禪乙川の洗礼だと言える。のかもしれない。
そう思うと、おっさん的にはこういう学校特有のノリは、正直すごくたのしい。
なんだか急にワクワクしてきたので、いつ突っ込むべきかとソワソワしてしまう。
新入生は皆、先導する母鴨に置き去りにされた子鴨の群れのように、進むべきか否かを探っているようだった。
そんな時だった。
一人の人物が意を決して踏み出すと、先輩方の視線が釘付けになる。
光のイケメン様こと中沢レンの登場である。
レンも今朝の地獄を知っているのだろう。いや、あの感じだと恐らく俺や佐々木さん以上の地獄を見ているに違いない。
青い顔で歩みを進める度に、ビラを握った先輩方がじりじりと距離を詰めていく。
そのせいというか、そのおかげというべきか。
地獄の花道はその八割近くがレンに集中し、通路の半分はスカスカになっていた。
拍子抜けである。
一方、避雷針となったレンは激流に呑まれながら「うっ、うおお!」と叫んでいた。
すまん、頑張れ。ついでにち〇こもげろ。
「……行こうか、佐々木さん」
「ヒィ……」
俺は少し残念に思いつつも怯える佐々木さんの手を引き、快適になってしまった通路を進むのであった。
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