10.たのしい地獄
校門を抜けると、そこは地獄だった。
正確にはビラの海であった。
部員の勧誘に熱を上げる先輩方によって形成された花道と、そこを進む度に顔面に押し付けられる部員募集のビラはまさに海と形容するに足る質量である。
マジで溺れそうになったのでやめてほしい。顔はやめろ。
先程まで桜並木を見て抱いていた感傷は、諸先輩方による熱烈な勧誘行為によって塵も残さず吹き飛んでいた。
皆して目が血走っているんだもの……名門進学校じゃなかったのかよ。
どうにかこうにか地獄を脱出し、呼吸を整える。
何がこうも彼らを駆り立てるのかは分からないが、偏差値が高すぎるが故の奇行なのかもしれない。
あるいは勉強による過度なストレスのガス抜きか。いずれにせよ碌なもんじゃねぇ。
「ヒィ……コワイ……コワイ……」
横を見れば、佐々木さんが涙目でうわごとのように呟いている。
更には両手は勿論、鞄や背中にまでビラの束を突っ込まれていた。
少し面白かったので、悪戯心と共に半笑いで声をかける。
「……佐々木さん、どの部活に入る?」
「えっ……いいっ今のでどこにも入りたくなくなったんですけど……」
そりゃそうだ。同感である。
新入生の為に廊下の至る所に貼り付けられたコピー紙の案内表示に従い、1年A組の教室へと辿り着く。
中に入ると、教卓の上にしわくちゃの勧誘ビラが大量に積み上げられていた。
クラス内を見渡してみると、どうやら皆同じ目に遭ったようだ。
手鏡を見ながら髪や着衣を整えている者が多い。一様に憂鬱な表情を浮かべている。
「あのアホみたいな勧誘って効果あんのかな。絶対に逆効果だと思うんだけど」
「ど、同感です……あっ、ありがとうございます」
佐々木さんの背中からビラを引き抜き、教卓の山に積み上げる。
そのまま二人で身だしなみを整えていると、後ろから別の人物に声をかけられた。
「ちょーっといい?スカートのポケットにもビラ入ってるよ」
「え?……あ、本当だ。ありが……うわっ」
見れば、俺のスカートのポケット……じゃないな、ファスナーだこれ。
いつの間にかスカートの腰元のファスナーを下げられ、その中にビラが押し込まれていた。
スカートがずり落ちていなかったのは丸めたビラが突っ張って支えになっていたお陰である。
ビラを広げてみれば、下手人は吹奏楽部であった。
もし公衆の面前でパンツ見られてたらどうする気だったのか。責任取って結婚してもらうぞ。
「アハハ。あの部活勧誘、伝統なんだってさ」
親切な彼女はそう言って笑う。どんな伝統だよと思ったが、顔には出さない。
改めて彼女の顔を見ると一応見覚えのある人物だった。
昨日、クラス割りの際に俺の後ろでレンに見惚れていた女子である。
折角なので話題を広げておく。
「へぇ、そうなんだ……ってか、覚えてないかもしれないけど、昨日ちょっとだけ話したよね?」
「あっうん!覚えてる。かっこいい顔してたから印象に残ってるよ。話しかけられた時、一瞬男子かと思ったもん」
「んっ……そ、そう?」
そう言って彼女は人懐っこく笑う。
どうやら社交的な人物らしいので、こちらも相応の態度で接しておくべきだろう。
元より、クラスメイト(男子は除く)とは可能な限り良好な関係を築きたいと思っていた所だ。
あとお世辞だろうが、かっこいいと言われたのが普通に嬉しかったのもある。
「えと、折角だし自己紹介しとこうか。自分は安城ナツメで、こっちは佐々木ミツハさん」
「アッ、エトッ。佐々木ミツハデス」
急に名前を出された佐々木さんが、俺の影から控えめに自己紹介する。
人見知り大爆発という感じだ。なんとも庇護欲をそそられる。
「安城さんにミツハちゃんね。井上ミカです。井上でもミカでも好きに呼んでいいよ」
井上さんはそう言い、笑顔で握手を求めてくる。
“安城さん”に、“ミツハちゃん”か……落差を感じる。いや、いいんだけどね?
“ナツメちゃん”なんて柄じゃないし、佐々木さんを可愛がりたい気持ちは分かるので。
「うん、どうぞよろしく。井上さん」
「ヨッ。宜しくお願い致します……」
「うん!よろしく!」
二人で握手に応じると、井上さんは明るい笑顔と共に満足そうに去っていった。
どうやら他の女子生徒にも挨拶して回っているようだ。
ああいう子が一人いてくれるだけでクラスの雰囲気が良くなるので大変に有り難い。
井上さんの背中を見送った後、黒板を見ると席順のプリントが貼り出されていた。
廊下側の先頭から後方にかけて出席番号順に割り振られている。
俺は出席番号1番、廊下側の最前席といういつも通りのポジションだった。
先日と同じ並びなので、一つ後ろの席は井上さんだった。
そして運の良い事に、佐々木さんの席は俺の左後ろであった。井上さんの隣でもある。
惜しくも俺の隣では無かったが、贅沢は言うまい。
「佐々木さん席近いね」
「あっはい……う、嬉しいです。ふひ……」
佐々木さんも嬉しそうに前髪をいじっている。
それからは互いの席に着き、予鈴が鳴るまで佐々木さんから『哀愁の西ローランドゴリラ』に関する詳しい話を聞いていた。
まぁ聞けば聞く程よく分からなくなったが、佐々木さんはずっと嬉しそうだったので、俺も嬉しかった。
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