第6話 人間は駆除されるべき?
「――ん? 起きたか」
ウロ坊が目覚めた際、真っ先に視界に飛び込んできたのは布に包まれた双丘であった。
青空を背景に、黒い布地に覆われた丘が2つ。あるいはそれは、細胞分裂の過程の最終盤、細胞膜か細胞壁が離別するその時の曲線を思わせる形状をしていた。
僅かに滲みぼやける視界、その中に映るそれが発育しすぎた女性の胸部であることに彼が気付くまで、そう時間は必要ではなかった。
「…………夢じゃ、なかったんだな」
記憶にこびり付いた、さりとて鮮明とは言い難い炎と煙とガソリンの香り。そのどこまでが正しくどこからが誤りであるのか。ウロ坊自身、その自己認知の精度には疑問を抱くものの、少なくとも『その出来事』が嘘偽りではなく現実に起こった事実なのだということは彼に投げかけられたハスキーヴォイスで証明されていた。
「膝枕、ってやつか。川辺の爺さんたちの話じゃあ男の憧れ、ロマンってヤツみたいだがよ。されたのは初めてだ、ワシ」
「ワタシも膝枕をするのは初めてだ。なにせ妖精にはそのような文化や習性がないものでな。人間のオスの一部はこれを好むらしい、と聞いていたからやってみたまでだ。人間は弱いしな、まして貴様は幼体だ。首への負担を和らげる目的もあった」
「そいつはどうもよ」
「それで、感想はどうだ」
「……少なくとも、悪くはない。妙な気分だが、嫌じゃない感じだ。こう、モヤモヤするけど不快じゃないってか……言語化しずらいけど、無理矢理言葉にするなら」
「するなら」
「……安心する。落ち着かないけど安心すんだよ。人類滅ぼしに来た妖精さんの膝の上で言うコトじゃねぇだろうがな」
「――――そうか」
川の対岸にて、ハトが争う様子が見えた。
1羽の傍観するハトと、そのすぐそばで頭部をぶつけ合わせるようにして戦う2匹のハト。
あれはドバト。あるいはカワラバトとも呼称される、日本国内にて普遍的に見られるハトの一種だ。
「なぁ」
「なんだ、ウロ坊」
藪蛇になるかもしれない。
そう一瞬だけ躊躇ったが、どうせ行うのならば自分が止めることは出来ないと。そう割り切ってウロ坊はメルヴィレイに疑問を投げかけた。
「人類、人間滅ぼすんじゃなかったのか? こんな所でワシを相手に暇してていいのか?」
「滅ぼすとも。少なくとも、今はそのつもりだ。そしてワタシは個人でそれを成し得る力があると確信している……ふふっ、変な言い草だがな。人成らざる身でありながら自身を個人と呼称するなど」
妙な所にツボのあるらしいその妖精は笑い声と共にその奇妙な鱗に覆われた尻尾をうねらせた。
「順序としてはこうだ。まずはこの街……確か名前は燕子花新町、といったか。この街を滅ぼす。ワタシは人間と比べてエネルギーの消費が激しい。体内の活動性を低下させている今のような状態であればそうでもないが、動くとなるとそれ相応に食わねばならん。だが人間を食う気にはならんな、あれは不味い」
昨夜の、彼女の食事の光景を。
それを思い出しながら、さもありなんとウロ坊は思った。
人は食われることを想定した、管理された飼育などされていない。品種改良もされていない。当然肉質は食肉としては低級だろう。さらに酒や煙草、その他薬物、あるいは化学物質に日常的に晒された日々を送っているのが現代人だ。奇跡的なナニカが発生し上手いこと体内にて化学反応でも起きていない限り、その味が終わっているのは想像に難くない。少なくとも、目の前の彼女にとっては終わっていたらしい。
「故に、食料となる資源の調達先の確保と、そしてこの程度の規模の街を滅ぼすために必要な熱量を図らねばならぬ。さらにはワタシは妖精の住むアチラ側……ワタシにとってはむしろコチラがアチラ側だが基本世界はここだからな。ともかく、アチラ側しか知らぬ身だ。コチラについては知識では分かっていようと体験してみなければ、身をもってでしか測れぬナニカもあろう。まぁ、そんな未知のナニカを知る必要もあろう?」
「……あるのか?」
「当然だ。人類を滅ぼすことは、まぁ、苦労はするかもしれぬが何時でも出来る。それは良い」
「良くないが? 滅ぼされる側からすれば何も良くないが?」
「だが、それでは『人類が存在するコチラ側』という世界の情報が永久に失われる。絶滅は容易いが、それを行えば失われた情報は永久に失われたままとなるのだ」
「……まぁ、うん。良くはねぇけど、言いたいことは分かった」
要するに、彼女は今情報を必要としている。
1つは効率的に人類を絶滅させるための食料資源の確保――淘汰圧云々で裏側とでもいう世界を作り出した妖精だ、きっと野生生物以外から補うのだろう――と規模換算で必要な熱用の算出。
そしてもう1つは、人類が絶滅した際に失われる『人類がいた状態の地上』の情報。確かに、これは滅ぼしてしまえば完全に消え去るいわば取り返しのつかない要素だ。
「だから、こうしてのんびりしてるって訳だ。余裕があるから」
「うむ。それに外見が似ているのもあってかどうも貴様ら人間という種は愛嬌がある。知能も比較的高く、こちらが歩み寄れば言葉も通じる。存外可愛いものだ。滅ぼそうとする手も鈍ろうものよ」
「……その可愛いヤツを昨日……昨日でいいんだよな? 食ってた本人の台詞とは思えねぇ発言だなおい」
「貴様らと同じことだ。豚や馬、あるいは鶏か? なんだって良い。愛玩するような生物であれ食うではないか。愛らしいことと食う食わぬに因果など無い」
そう言われてしまえば黙るしかないのが人間だった。確かに人間は可愛い、カッコいいと感じる生き物を容赦なく捕食する生物だった。
よくよく考えてみれば、動物として考えれば。
「……もしかして、人間ってケッコーヤバい生き物なのか?」
「ヤバい、なんて規模ではない。環境改変能力と他種への影響、同種間競争の激しさ、どれを取れども他の追随を許さぬ非常に危険な生物。それが人間だ」
「そう聞くとヤバいな。侵略的外来種なんて目じゃねぇぜ」
さらに思えば、地上に人類以外の知的生物――少なくとも人類に比肩し得るだけの知性を持つ――がいないことは結構な不自然だ。
勿論、その原因も人間であると考えられている。ネアンデルタール人を代表とした知性の高い霊長類を、環境への適応性等の要因もあれど生存競争の過程で絶滅させた要こそホモ・サピエンス、つまりは人間であるとされているからだ。
「そう。不自然なのだ。人間という種が生息するこの地球は、人間という存在によって不自然たらしめられているのだ」
故にこそ、と。
自身の存在が不自然な淘汰圧となると、世界から姿を消した妖精の末裔たる彼女は零す。
「妖精に中にも、人類を絶滅、剪定、あるいは駆除とでも言うべきか? 地球を生命体と例え人間を病原体と例え、治療とでも呼称すべきか? そういった意見が見られるようにもなったのだ」
無論、ワタシもその主張そ支持者だ。
そう言ってみせた彼女は、しかし同時にその表情から苦悩を覗かせてもいた。
「その意見って、どの程度なんだ? その、妖精全員がそう考えている? それとも半々ってな感じで意見が割れてる? ……人間を滅ぼすことって、妖精がコッチの生物に淘汰圧をかけるってコトでもあるよな?」
その言葉に、少しばかり息を飲んだメルヴィレイは大人びたその表情の影をさらに深くした。
「……随分と察しが良いな。そうだ。この思想、意見は種全体としての自己矛盾甚だしい。だが、事実として地上には人間によって歪められた不自然があるのだ。これを正す力を持ちながら行動に移さぬというのも、ワタシには間違っているように感じられるのだ」
ため息を1つ。こめかみを抑えしばしの瞑目。そしてまた、再度のため息。
「人類の根絶。はっきり言って、この意見そのものは少数派だ。妖精は個体数が二万いくかどうかといった程度だが、その中でも明確にこの思想を掲げる者は1%にも満たぬよ」
「すっげーマイノリティ。生きてくの大変そう」
「そうでもない。こうしてワタシがコチラ側に来れている事実が何よりの証左だ。十数年しか生きていないワタシを他の妖精が止めることなど容易であっただろう。だが、誰もそれをしなかったのだ。皆、矛盾と向き合うことが出来ぬだけで今の地上を良しと思ってなどいなかったのだよ」
「…………今なんてった?」
「うむ? だから、コチラ側に干渉する是非を――」
「そこじゃなくて」
ウロ坊は思わず。
人類を滅ぼす、人類を根絶するという大きなスケールの話以上に、つい。
「アンタ、今十数年しか生きていないっつったよな?」
「うむ。正確には、14と少しだな」
「若っか! いや妖精って寿命数百年とか言ってたからてっきり……」
メルヴィレイの顔貌を見やる。
冷たく凍てつくような美貌は、どう見ても成人女性のそれに近しい。いや、確かに年若いのだが……それでも完全に20代は超えているように見えた。
エルフ耳、とも評される耳の形状と長寿であるという特性から、若い時期が長いタイプなのだとウロ坊は完全に勘違いしていた。
なんなら、数百歳とかなのかなとも内心考えていた。
「えぇと。それはアッチ側だと時の流れが違うとか、1年って単位が違うとか……?」
「そういう訳ではない。時間の流れは等しく、今し方口にした14という歳もコチラ基準だ」
「若っか! いや思ってた以上にワシと歳近いな!」
何なら、よくこの川辺を訪れるあの女子高生よりも近い。というか年下だ。
見た目は完全に成人なのに。背丈だって結構高いのに。
「ふむ。そういえば、ワタシ達と人間では発達過程が異なるのであったな。故に見当違いな想像をしていたと見える。うむ、許そう。聞くところ、人間は老いて見られることに対し憤る場合が多いらしいな? 特にメスの個体はそれが顕著な傾向があると。だがワタシはむしろそれを喜ぼうではないか」
少しだけ口角を上げた表情で。
「良い。妖精という存在について生物として語ろうではないか。まず前提として。妖精は胎生ではなく卵生だ」
「卵生なんだ……」
「雌雄、という概念は薄い。雌雄同体という訳でもないがな。体内にて生成された1つの配偶子……日本語で言えば卵子が近いか? それを繁殖の際に片方の体内にて融合させる」
「繁殖って。生々しい。しかも不思議な生態だ……」
「ワタシからすれば貴様らこそ不可思議だ……コホン。その後、数日ほどで産卵、その後卵は放置される。稀に親、とでも言う概念を知った個体が卵の面倒を見るらしいがそれは例外だ。故にワタシ達はほとんどが親というモノを知らぬのだよ」
「ずさんすぎる」
「強大な能力を得て天敵がいなくなった反動だろうな。おそらくワタシ達の祖先の生息圏にはワタシ達の卵を捕食しようとする存在などいなかったのだろう」
「……待て。親がいないって、じゃあ名前は誰が決めたんだよ?」
「自分自身に決まっているだろう」
「えぇ……」
「卵は産卵から約一年ほどで孵る。そうして生まれた個体は、まぁ、色々あって5年前後で完全に成体になる。個体差はあるがな」
「はっや……数百年生きる生き物の発達速度じゃないだろ……」
思わず、ウロ坊は膝枕されたままの体勢で、ともすれば親しき中でなければ不快感を与えかねない――あくまで人間の常識の範疇であれば、だが――動きでメルヴィレイの腰回りに目をやった。どう見ても、人間サイズ。であるならば――不躾な話なので妖精の繁殖行為について聞くのは憚られたが、生物としての常識から考えるならば、卵はまぁ、そこから出てくる訳で。
なればその大きさにも限度がある訳で。
その卵から孵ってたった5年で成体……つまり目の前の彼女程度に育つ訳で。
不思議だ。不可思議だ。興味深いが、興味深いのだが色々と謎過ぎてウロ坊の脳では処理が追い付かない。そういうもの、と投げ捨てらぬ程度に彼は妖精に惹かれていたが、かといってそれを理解するにはあまりにも幼すぎた。
なので、ウロ坊は一度妖精に関しては考えないようにすることにした。
「……オーケー。分かった。一旦妖精さんの生態は後回しにしよう。正直人間って生き物についても完全には理解してないのに、より高次の存在を理解出来るってのが間違いなんだ、置いていこう」
「ふむ? まぁ、ワタシは別に構わぬが」
それよりも、と。
「それよりも、人類を滅ぼすのはどれくらいかかる感じなんだよ」
先の彼女自身の発言より、まさか明日明後日といった話ではないだろう。だが、一ヶ月、あるいは一年先に行われる可能性は十分にあった。
だが、その可能性はメルヴィレイの次の言葉で否定されることになる。
「そうさな……世界全体を、この地球全土の人間とその周囲への影響を記録せねばならないからな。短く見積もっても貴様が生きている内には滅ばぬだろうよ。確か、人類は長くとも百年程度で死ぬのであったな? うむ、そういった意味では貴様は幸運であったな」
彼女は軽く鼻を鳴らしてウロ坊の顔を覗き込んだ。大きく突き出した胸部がより一層ウロ坊の顔に影を作る。
「手始めに、個体としての人間の観察からだ。サンプルは言うまでもなく貴様自身。よろしく頼むぞ?」
どうやら、彼女の人類駆除は随分と長期計画らしい。
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