第5話 幕間:デビルサモナー

 燕子花新町某所――


 彼は、ただ1人そこで壁や地面やら、そこかしらに文字を刻んでいた。


 文字、といえど日本語ではない。さりとて英語でもない。形容しがたいミミズの這ったような形状のそれは、知識無き者が見れば文字と認識することすら難しいだろう。


 彼は、自己は矛盾を孕んでいると常々考えていた。

 否、自己だけではない。人間という存在自体が矛盾塗れの生物であると、進化の過程で偶然発生してしまったバグのような存在だと、そう感じていた。


 故にこそ、清純のみならず汚濁をも許容する度量が彼に備わっていた。


 彼は、この燕子花新町にて悪魔と呼ばれる存在を狩るデビルハンター、エクソシストとも呼称される存在であるのと同時に、討伐対象たる悪魔を使役するデビルサモナーでもあった。


 悪魔は圧倒的に人類よりも上位の存在だ。種の根本からして在り方が異なり、そして格が異なる。だがその強大さ故に悪魔は常に飢えていた。

 だからこそ、正しい手順を持って正しい扱い方で、丁寧に供物を捧げることで。彼らの存在を保証することで、彼は人間の身でありながら悪魔を使役することが出来た。

 この技術は彼の家系が長年――それこそ、妖精と悪魔が二分されるか否かという遥か昔から――かけて編み出し練り上げ製錬した技術であり、エクソシストの秘術であった。


 悪魔をもって悪魔を制す。


 無論、一般的なエクソシストの感性からすればそれは外法とも呼ばれ嫌悪される技術でもあったのだが。


 ところで、彼が今何をしているのか。

 それは無論、悪魔召喚の儀式である。


「――いやごめんよ。実際キミらを使う必要なんてまるでないんだけど。悪魔へ捧げる代償はエネルギー……つまり熱量、カロリーな訳だから形さえ取り繕ってやりゃガソリンとかメタンとか、それこそウランなんかでもいいんだけど。出来ないって訳じゃないけど、そういうのはオレの家の専門外でね。動物、とりわけ人間を加工するのがオレん家の十八番な訳」


 異形の文字を描きつつ、彼は1人であるにも関わらず誰かに語り掛けるかのようにブツブツと呟きを漏らす。


「おっと。もう死んじゃってたか。死んじゃってたんだっけ。やっぱフツーの人間ってのは脆いよなぁ。高々ちょっと血が出た程度で死ぬんだから。いやでもキミは結構耐えてた方だぜ? そこんとこは素直に尊敬するよ。フツーの割によぅ頑張ったぜ。ま、キミにとっちゃ長く苦しんだだけの話なんだろうけれど。うん。ま、意識なけりゃ苦しんでないだろうけど。キミはただ単に生きていただけだから」


 人髪――それも、ヘアドネーションのような普遍的な加工をされたモノではなく、魔の技術とも評すべき方法で作られた筆を走らせる。

 濡れたその筆先が幾度も壁や地面に色を残す。その色は赤、あるいは黒。

 動脈血と静脈血、二種類の鮮血を用いて彼は儀式の準備を行っていた。


 その彼の背後にうず高く積まれた肉の塊。

 その全てが、かつて女性であったナニカだった。すべて、彼の手によって殺められたナニカであり誰かであった。

 鮮度を保つためギリギリまで生かされていた彼女達の成れの果てであった。


「実際さ。オレん家みたいなやり方は倫理がどうとか道徳的にどうとか言ってるヤツいるけどよ。考えてみろよ、簡単な数学の話だぜ? 野良の悪魔が2体街中で人を食うのと、1体分の犠牲で片方を飼いならして殺し合わせんの。トータルで見たらどう考えても後ろのがお得じゃんね? 犠牲無くしてなんとかしようっつーのは理想論だとオレは思う訳。だからキミらの犠牲は無駄じゃないし、オレの行動も悪くない。強いて言うならキミらは運が悪かった。オレのいる場所にオレのいる時間帯にオレの趣味の格好でいた、っていう間の悪さが全部悪い」


 彼は猟奇殺人鬼でもなければ快楽殺人を趣味にしている訳でもない。

 ただ。そう、ただ。彼の家がそういう家であり、そういう技術を持ち。

 そして、どうせ殺すんなら趣味の合う女を殺そうと。


 その程度の、彼のモチベーションに関わるからという適当な理由で彼女達は殺された。


 死体の山、あるいは肢体の山。

 それらの年代は20代前半が多くみられるが、若い者では10歳前後かと思われる幼い少女も見られる。皆等しく服を剥かれ、右腕と左腕に対象になるよう一筋の傷が刻まれていた。


 彼女らは彼に意識を奪われた上で右腕から動脈血を、左腕から静脈血を抜かれていた。死ぬまで動く、また死してなおその在り方を冒涜するかの如く彼の異能にて無理矢理動かされる心臓のポンプ機能によって、人間の胃袋を継ぎ接ぎにして作られた紀元前の水筒にも似た袋に不自然に血流を流し続けていた。


 別に代償は女性である必要も年若い必要もない。悪魔を使役するのに必要なのは単純なエネルギーだ。彼らに使用できる形でエネルギーを用意すればそれで良い。むしろ熱量という意味では男性の方が体格が大きく、また老人であるほどに寿命が短く未来も少ないのだから好ましかったかもしれない。彼が特段男性に対して潔癖であった訳でもない。


 単に趣味の問題だった。性癖と呼んでも良い。

 無論、ネクロフィリアでもなんでもない彼は彼女らの果ての姿に性的な関心を抱くことはなく、また生前であってもそういった関心は持たなかったのだが。


 その奇妙なこだわりによって犠牲になった彼女らから抜き取った血液を用いて、そしてようやく下準備を完了させた彼は何言か呟く。

 詠唱にして二小節か三小節ほど。魔術、奇跡、神通力と様々な呼称のされ方をする、人間が用いることの出来る異能の中でもそれは一際短いモノであった。


「さて。キミ、あるいはキミ達の犠牲に見合うだけのヤツが来てくれるといいんだけど。弱すぎるとキミ達が勿体ない、かといって強すぎるとエサが足りないしそもそも使役出来ない……残念なことにオレは凡才でね、悪魔召喚、招来の腕はゴミクズなのさ。一応呼べることは呼べるんだけど、どんなのが来るのかもその強さ、特性、性格、その他一切のコトは呼んでみなきゃ分からんのよ」


 死体の山に語り掛けつつ、赤黒く発光する部屋の中心――強大過ぎる悪魔が呼び出された際の防壁となる魔円陣の中から彼はどこか期待を滲ませた声を出す。


 悪魔を呼ぶのは過去に何度か経験している。その中には失敗した経験も当然含まれた。天才でも秀才でもない彼だ、ひとまず呼びつけることが出来たという事実に安堵しつつ、好奇心と不安感という両極端な感情を抱いた。


 そも、人間とは矛盾塗れだ。

 悪魔を忌むべきモノと定めながら、しかし現れる悪魔に対してトキメキにも近いセンスを感じる。人間を守る者でありながら、自らの手で人間を殺める。


 彼はその自己矛盾に洒脱さ、瀟洒さを感じつつ、どこか愉悦を思わせる表情でその時を待った。


 その密閉された、死と血液の匂いで満ちた部屋で何故だか空気が動く。

 常識はずれなその現象は、悪魔使いとしてはむしろ常識の範疇。期待していた理外の現象が、風が、光が、そして熱感が部屋中から溢れてくる。


「――うん、いいね。とりあえず見た目はオレ好みだ。っつーか、悪魔ってみんな女みたいな恰好だもんな。一応は生物なんだよな、メスしかいない訳?」


「……………………?」


 部屋中に刻まれていた血化粧を蒸発させ、文字通り血煙を浴びながらその存在は姿を現した。


 体躯は小柄、しかし放つ気配は威圧的。背中からは四枚の羽根が生え、腰の辺りには細長いストロー状の尾が見えた。その編み込まれた銀髪から覗く耳は長く鋭く尖っている。


 無言のまま佇む儚げで美しい、無垢で可愛らしい彼女に。

 これまた彼の方も続く言葉に困った。


 デビルサモナーにとって悪魔を制御できるかという意味では相手の強さは無論重要だが、その一点のみを見るならば。


 むしろ性格、相性面のほうが比重が大きい。


「……あー、うん。とりあえずさ、キミが人間の言語、とりわけここの日本語が分かるって前提で話すけどさ。お近づきの印ってことでさ。ほら、お食事でもどうかな? って、あぁうん、これじゃ慣れないナンパでもしてる気分だ、ううん。や、ナンパそのものには慣れてんだけど、悪魔のお嬢さん相手ってなると流石に緊張するってかさ、ね?」


 彼は一呼吸おいて覚悟を決め、そう口にした。


 前提として、悪魔を人間が完全に使役することは不可能である。

 なにせ存在としての格が違うのだ。動物に例えるなら、ネズミがトラやライオンを調教しようとするようなものだ。普通ならすぐに自身が食い殺される、あるいは常にその危険がある。魔具や魔術、礼装を用いてもその前提は変わらない。


 だからこそ、基本は下手に出る。友好的な態度で、そして自身が共利の関係を築ける存在であると態度で示す必要がある――呼び出した悪魔がそもそも意思疎通出来ない手合いであることも珍しくはない訳なのだが。


「我は、悪魔では、ない」


 その一言に、彼は安堵した。良かった、とりあえず日本語を理解している悪魔のようだ。そして意思疎通を図れる程度に人間に近い思考を持つ個体だ。

 彼女の発したたった一言。それからそのことを類推した彼は、しかし当然魔円陣からは出ない。


「へぇ。悪魔じゃないって。じゃあまさか、天使? それとも妖精さん?」


「我は、妖精。そして、人間。貴様らが、悪魔と呼ぶ、我らの劣等種を、絶滅させる狩人」


「狩人?」


「そうだ。表側の、コチラ側に逃げ、神、悪魔、精霊、妖怪、その他雑多な呼ばれ方をし、好き放題生き、無駄な、余計な、余分な、不要な、淘汰圧を他の生物に押し付ける、劣等個体を、絶滅させる者」


「……ふぅん?」


 彼は、目の前の妖精を名乗る悪魔が何を言っているのか分からなかった。だが、悪魔の言っていることが分からないのは当然だし、重要なのはコレが使えるかどうかだ。


「逆に、問おう。人間、汝は何故我を、呼び出した。人間にとって、我々のような、上位者は、捕食者は、天敵は、脅威であり、不条理であり、不都合な、存在」


「いやいや。まぁ確かに自分より強いヤツってのは怖いしいない方がいいけどさ。必要な時もあるっていうか、ぶっちゃけオレに手を貸してほしいってか」


 銀髪の悪魔は、問いかけの返答を聞きつつその言葉を理解しているのかさえ怪しい挙動で、ガクリと首を傾げた。そして、彼に向かって尾を伸ばす。


「……うっわ。びっくりしたなもー」


 鋭い尾先は彼の脇を抜け、背後の肉塊達――かつて美しい少女、あるいは女性だった物質へと突き刺さっていた。

 蚊が血液を吸うが如く……否、より貪欲で凶悪な啜り方で。文字通りあたかも吸血鬼が顕現したかのような畏怖を放ちつつ、彼女は肉塊を尾から吸い込んでいく。


 彼女達だったその肉塊は、彼の手によってより高エネルギーに、そして悪魔にとって吸収しやすい形態へと加工されている。人間で例えるならば、さながら難消化性の糖たるセルロースをグルコースに分解するように。その上不自然に熱量を増して。


 ふぅ、と息を吐き彼は魔円陣の結界を解いた。なにも、警戒することを止めたためではない。警戒が無意味だと悟ったためだ。

 彼女の尾は、魔円陣を突き破って肉塊に突き立っていた。才覚無き彼の防護では一切の抵抗が無意味だということを、その事実が冷たく物語っていた。


「ちゃんとお食事を用意してて良かったぜ、うん。そりゃ、生のオレ1人よりも美味しく調理されたアッチを食べたくなるよな。目の前で調理した方が映えるしソッチのが好みって可能性もあったけど、今回は正解だった。いやー、良かった良かった」


「我が、コチラで活動するには、悪魔と呼称される同胞を殺めるには、些か熱量が、カロリーが、エネルギーが、足りていなかったのは、確か。これで、満ちて、補充出来て、満足。味は、そう美味くはないが、むしろ不味いが、だが、味覚にこだわるほど、我は野暮でも、無粋でも、ない。むしろ、我自身の自我、感情、意思においては、人間、人類、霊長の長に、友好的」


「あ、そういう感じなのね。都合いいけど。でもいいのかよ、今食ったの、一応人で出来てたんだぜ? 作ったオレが言うのもホント筋違いだけど」


「……? 人間は、生き物。アレは、かつて人間だった、肉。物質であり、生命ではない。それとも、アレはそう見えるだけで、実は生きている?」


「さっきまでは。でも大丈夫、ちゃんと死んでるから。モノだから」


「よし」


 いいのかよ。

 何がよしなんだよ。


 一般常識と良心を一応は持ち合わせている彼からすれば、やはり悪魔の感性は人類と異なるのだと改めて認識した。


 そして今日、今宵、この時を以てして。


 ――悪魔狩りと、淘汰狩りのタッグが、利害を一致させて組むこととなった。


 目的は同じ。

 ひとえに、悪魔の存在を滅ぼすために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る