第4話 妖精さんと悪魔祓い

 妖精と呼ばれる生物は、尾を用いて捕食活動を行う。

 その際突き刺して体液を啜るような個体もいれば、尾が裂けるように開きあたかも蛇が獲物を飲み込むように食す個体もいる等、妖精ごとに差異はあれど食事は尻尾で行うのだ。


 生物的に見るならば、尾が消化管――即ち胃袋へと繋がっており、人間が食事に用いる口は完全に呼吸と発声の為だけの器官となっている。

 それはまさに、収斂進化の賜物……人間、ひいては一般的な脊椎動物とは完全に異なる進化の歴史を辿ってきたということを意味していた。


 彼女、メルヴィレイ・リヴァイアサンの捕食方法は先述した形態では後者に近かった。サソリを思わせながらも太く長い尾っぽはその鱗にも似た表皮が裂け、内部にびっしりと輪を描くように硬質な牙を備えていた。

 それを用いてメルヴィレイは横転した自動車――確か、トラックとかいう荷を運ぶ機能に特化した種類だっただろうか――の正面、ガラス越しに。

 運転席にて既に事切れていた成人男性を貪るように食らいつつ、目の前で倒れ伏した少年を見やりながらふむと独り言ちた。


「食べなれぬ故か、それとも種として味覚に適さないのか、はたまたワタシ自身の好みの問題か。人間というのはそう美味いモノではないらしいな。この個体が特別不味いか、それとも調理次第で化けるやも知れぬが。聞くに、人類というのは数十億匹も地上にいるらしい。とても食い滅ぼせんな」


 ゴキュリ、という粘着質な音と共に衣服諸共トラック運転手だった彼を飲み込んだメルヴィレイは、腕を軽く振るった。するとどういう原理であるのか、炎上していたトラックとその破片、アスファルトに残されたブレーキ痕や横転した際に出来た傷等が全て消え去った。不自然に、超自然的に、まるで呪術、魔法、あるいは奇跡とでも呼べるかの如く。

 道路の欠片から煙の一筋、炎の断片に至るまで、先ほどの一幕がなかったことになってしまったかのように。


 ただ一点、ガソリンと煙の臭いがメルヴィレイの着る衣類に染みついたままであるというそれを残して。


「しかし、分からんな。今しがた食った人間はただぶつかっただけで死んだ。人間はそれほど脆弱であるにも関わらず、何故ここまで地上を支配し得たのか……? 物理法則に囚われたままの、知能が高いだけの動物如きが……」


 そして、疑念は次に眼前に倒れた少年へと向かう。


「……ウロ坊、といったか。この個体は何故、生きている? 人間は脆弱だ、それは改めて、事実として、今し方確認できた。だのに何故コレは幼体であり、劣悪な環境でありながら生存出来ていた? 確か人間は、肉体精神共に成熟するのに十数年は必要であると教わったのだが……」


 と、その時。


「――ほう?」


 パンという軽い音とほとんど同時に。唐突に、彼女の白い首筋に一点の穴が開き、そこから噴水の如き勢いで鮮血が迸った。

 メルヴィレイはその穴に無造作に二本の指を突っ込むと、穴を開けた原因たるナニカを摘まみだした。


 それは、先端が少しだけ歪んだように潰れた、ドングリを思わせる形をした金属だった。


「うむ、知っているぞ。確かコレは……そう。銃弾というヤツだ。人間が用いる武器の一つだ」


 そして、その言葉が言い終えられるかどうかという所で再度の発砲音。今度の銃弾は左胸に食い込んでいた。


「ふぅむ……この場合、ワタシは叫び声でも上げて倒れるべきなのか? それとも逆上でもすれば良いのだろうか? なぁ、そこにいる人間よ」


 言葉と共に。

 出血が止まり。僅かに感じていた痛みが止まり。彼女の身体に刻まれた弾痕が、その奥底の肉が盛り上がるようにして。メルヴィレイの受けた傷が癒えていく。


 胸に開いた小さな穴からポロリとアスファルトの大地へ転がった弾丸が音を立てる。


「――気付いていたのなら、何故避けなかったのですか」


「これは異なことを。貴様は無害な虫が肌を這う程度でその虫を払うか? 殺すか?」


「大抵の場合、嫌悪感を持てば払いもするし殺すこともあるでしょうね」


「そうか。人間とはそういう生物なのか……そうだったな。確か、不快害虫なる言葉もあるほどだものな。無知を謝罪しよう、野蛮なる人間。根本的に貴様らとワタシでは価値観が異なるのであった」


「人を食らう悪魔が、なにを野蛮などと」


「食い食われることが生物の正しき在り方だろう? 無論、同種が食われた事実に恐怖し、そして食われぬようと足掻くことは生存欲求の根底故に理解するが。なんだ、人間が食われてはいけないのか?」


「人類を悪魔から守る者として、その行為は許容しかねます」


「……先から悪魔悪魔と。この国の言葉――日本語ではワタシのような存在のことを妖精と呼ぶと、そうワタシは教わったのだが。悪魔というのは所謂悪しき存在であろう?」


「人を誑かし、人を食らい、人を貶める。それが悪魔でなければ何と呼称すべきでしょう」


「上位存在を悪し様に扱い認めぬか。実に傲慢な話だ……尤も、ワタシに傷を付けることが出来るその武具……いや、技術か? それそのものには素直な称賛を送ろう。劣等種にしては実に素晴らしい」


 透き通った声を連れ現れたのは、宵闇を照らす星明りの元尚も黒く暗く染まったセーラー服姿の女学生。その右手に携えたのは女学生らしい鞄などではなく、全長50センチをも超える拳銃と呼んで良いのか怪しいほどにまで大きな超大型リボルバーであった。


「うむ? 拳銃とは銃と呼ばれる武装の中でも特に護身目的で用いられる故に小型であると聞いていたが。人間の社会ではそれが常識なのか? それにこの国では銃というモノは特殊な役割の個体のみが保有すると認識していたが」


 言葉を遮るように、女学生が引き金を引いた。


 大型拳銃にしてはあまりにも小さな乾いた音。しかしトリガーを絞った右腕が背後に流れてしまうほどの強烈な反動とそれを引き起こした爆風が橋上を駆けた。


「…………話の途中であろうに」


 女学生の放った弾丸はその狙い違わず、針を通すような精密さをもって驀進した。音よりも早く空中を走り、ソニックウェーブと呼ばれる衝撃波を伴って。


 しかし。

 その凶弾は、標的たる眉間を目前にしてメルヴィレイの二本の指先に阻まれてしまっていた。


「これは。妖精の力とも異なる、しかし自然を超えた現象だな」


 そして、メルヴィレイは先んじて受けていた二発の銃撃と共にその弾丸の力に軽く驚きの声を上げた。

 完全に受け止めたはずの弾丸から未知のエネルギーが彼女の皮膚へと流れ込み、指先を焼け爛れさせていた。


「……そんな。何故受け止められるのですかっ」


 しかし、メルヴィレイ自身驚くほどの銃弾の威力、それが生み出した結果は女学生の想定外であったようで。

 銃撃の反動故か痺れた腕を左腕で抑えつつ、愕然とした表情を彼女は浮かべていた。


――――


「思うにな。ワタシは叡智無き善意は時に悪意にも害意にも等しいと。そう思うのだよ。はて、貴様ら人間はこの価値観が理解できようか。根本が貴様らとは異なるワタシには、これが素直に分からぬのだよ。なにせワタシが観測した『個体』は貴様で2例目だからな。無知ですまない」


 場所を橋上からその下へと移し。

 目下の少女を不可視の力場で拘束したメルヴィレイは顎に指を走らせつつ彼女にそう問いかけた。


「そうさな。例えるなら、貴様の目の前に飢えに飢えた少年がいたとしよう。比喩ではない。ここ数日……10日ほど、何も口に出来ていないほど飢えた少年だ。さて、善を自称する存在はコレに対しどう対応するだろうか」


「……普通なら、病院にでも連絡を入れたり食事を与えるのではないでしょうか。その人が善人であるのなら」


「おっと。確かに『今のこの、比較的豊かと言える日本という名の国』の常識ではそうだな。いやしかし、この国ではそうまで飢えた者は出るまい」


「前提条件が他にあるのですか」


「いや、その解答でも十分だとも。しかしこれは善意が時に害悪になるという例え話だ。そこを重点に置いてもう一度考えて欲しい」


「要領を得ませんね。結局何が言いたいのですか」


 両腕を頭上に掲げ縛られているかのような体勢で固定された少女の様子に対して、メルヴィレイは不満げに鼻を鳴らした。


「その脳、霊長を名乗る体積はまさか飾りか?」


「学業の成績という意味でも知能という意味でも、ワタシは優れていると自負しているのですが」


「下等生物の競争などどうでも良い。この話の結論となる部分を言うと、だ。仮定に仮定を重ねる形にはなるが。きっと善なるものは飢える者を救おうとするだろう。だが、もしその飢えた者に善なる者が差し出した食事が汚染されていたら。あるいは消化吸収の困難なモノ、生の米や麦であったらどうなる」


「…………前者は言うまでもなく、後者も突然の食料供給によって胃痙攣を引き起こす危険があります。そして……そして、それは時に致死的ともなるでしょう。数日食事を摂れないような場合環境も劣悪でしょうから、きっとその末路は……」


「そうだ。端的に言って、知識無き行動は理念が善であれど害をなす可能性を秘めている」


 メルヴィレイは、今度は満足げに鼻を鳴らした。

 先ほどの襲撃(尤も彼女自身はそれを襲撃だと認識していないが)自身の知識と照らし合わせ、目の前の彼女の立場はおおよそ見当がついている。そのため彼女から自身に向けられる敵意は理解できる。不快とも感じない。

 むしろ、上位者たる自身に、少しばかり前の攻防未満のナニカで格の違いというものを理解してなお。武装を取り上げられてなおも、こうして反抗的な視線を向けてくる姿には好感すら覚えた。


 故に、僅かな敬意と気まぐれ故に。


「ワタシの名はメルヴィレイ。メルヴィレイ・リヴァイアサンだ。貴様、名を何という?」


「……無地モエカ。分かっていると思いますが、エクソシストです」


「悪魔払いか。だからワタシは悪魔でなく妖精であると言っておろうに」


 根本は同じものだろうがな。

 そうモエカに対してメルヴィレイは口にした。


「島嶼化、という現象を知っているか?」


「……それは、生物学としてでしょうか」


「うむ。島嶼……つまりは島のように資源の限られた場所では通常の進化とは異なり大型生物は小型化、小型生物は大型化するという現象だ。前者は限られた資源において肉体の維持や性的成熟の早熟性から有利に、後者では前者の小型化によって捕食圧の低下が発生することで同種間競争で有利に、といった理屈が一般的だ」


「それが今、何の関係があるのですか」


「簡潔に言うと、だ。ワタシ達妖精はあくまで『生物』だ。物理法則から逸脱しても、生物であるという前提がある。当然そこには競争や淘汰も、な」


 貴様ら人間も生物であり動物であり、競争と淘汰し合っているだろう、と。

 そう皮肉気な笑みを浮かべながら。


「貴様らの言葉でいう所の魔術だとか超能力だとか、そういったモノをワタシ達の先祖は獲得した。だが、そういった能力は当然膨大なエネルギーが必要となる」


 ウロ坊にもした妖精が裏側とでも呼ぶような異空間を作り出し移住したことをメルヴィレイはモエカに説明し、そして。


「妖精の作った世界には、ワタシ達がそのまま生きていけるだけのエネルギーが無かった。コチラ側から多少補填するにしても足りぬし、それでは本末転倒だ。それは妖精の存在が他の生物の淘汰圧になるということだからな」


 だから、進化した。

 だから、淘汰された。


「妖精は、体格や能力ではなく『活動性』を低下させることでエネルギーの少ない環境に適応していった。要するに、穏やかな性格の者が過激な性格の者よりも消費するエネルギーが少なく環境に適していたということだ」


「……なら、まさか」


「結論に至ったか。人間にしては頭が回るではないか」


 ――悪魔とは。

 ――妖精とは。


「妖精はワタシの先祖のように、裏側に適応できた者。そして悪魔は適応できず表側に逃れた個体であろうな。貴様のように悪魔祓い、エクソシストなる存在が作られたことから人間の苦労は察するが、まあつまらぬ種間競争だ」


 そして、と。


 そしてと彼女は続けて、改めてこう口にした。


「ワタシは妖精だが、貴様ら人間からすれば悪魔と相違ないであろう。なぜなら、ワタシが人類を滅ぼすからだ」

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