第2話 世界の裏側からこんばんは
ウロ坊という呼び名は、他のホームレス達がいつしか少年をそう呼ぶようになって出来た。ウロウロと何時でも誰かの後をついていく坊だからウロ坊。その行動は幼い彼が庇護者、あるいは誰かから愛情を受けたい一心での行動であったのかは分からないが、そんな少年を皆ウロ坊と呼び始めた。
ホームレス、というのはこれでいて案外退屈に殺されそうになるものだ。
小汚い身なりから街へ繰り出そうものなら周囲から汚物でも見るような眼差しを受ける。場合によっては妙な正義感か、あるいは退屈を持て余した若者に狩られることも珍しくない。故に彼らは基本的にひっそりと身を隠すようにして生きている。堂々と世間に身を晒すのは屑鉄を売る時や炊き出しに出向くときくらいなものだ。少なくとも、燕子花新町のホームレス達はそうして生きてきた。
そんな彼ら、社会から落ちぶれた落伍者達にとって、自身を必要であると縋ってくる幼い少年の存在は、時に煩わしく思うことはあれど失われた自尊心を僅かに回復させてくれる貴重な存在であった。
自身を殺しに来る退屈を逆に殺してくれる、本当に稀有な存在だったのだ。
だからホームレス達は、客観的に見て割に合わない非合理な行動――即ち彼を育てるという行動をとった。
なけなしの金をそれぞれ出し合い乳幼児用のミルクを買い、排泄の世話を代わる代わるして、出来得る限りの行動をとった。
どういう訳か少年はこの川のほとりという、ホームレス達の集団のなかという劣悪な環境において一切体調を崩すことなく育った。不思議なことに風邪どころか知恵熱すら一切起こさず、それはもうすくすくと育っていったのだ。
勿論、ホームレス達の中にはそんなガキ目障りだと感じる者もいた。だが、大多数は彼の存在に重度に依存した。
家も持てない程にまで社会の中央から落ちた者達だ。彼らにとって、いくら相手が乳児だとはいえど必要としてくれるという現実はあまりにも麻薬的であったのだ。粉々に砕けた自己肯定感を、承認欲求ともいえるようななにかを満たしてくれる存在であったのだ。
そのため、齢にして十歳になるかどうかというこの年まで彼らは少年を、ウロ坊を自身らだけで育て上げた。
ホームレスの中には、かつて成功をおさめながらもそこから転落した者もいた。そんな彼らはウロ坊が物心つくようになると彼らの辿ってきた経歴を彼に語るようになった。
かつての自身の栄華を、今は無きあの頃の日々をウロ坊はいつも楽しそうに聞いていた。
――そうして育ったウロ坊は、何時しかそんな彼らから得た知識で様々なウソを、物語を編むようになった。
燕子花新町を縦断する川のとある場所に、不思議な少年がいる。
そんな噂が街に流れ出したのは最近のことだ。
曰く、その少年は薄汚いながらもどこか不思議な雰囲気、魅力に満ちていて。
曰く、彼に小銭や食料といった類のモノを渡すと不思議な話を聞かせてくれて。
都市伝説未満のなんてことない噂話が流れ出していた。
――――
田舎とはいえど、東西を街に挟まれたこの川は存外明るい。
夏場特有の湿気を孕んだ温い風を受けつつ、ウロ坊は空を見上げながらそう思った。
月と街に照らされた夜の帳に浮かぶ星達、肉眼で見えるのは精々二等星までだろうか。三角形を模るデネブ、アルタイル、ベガがよく見えるが、その周囲の星々は正直言って良く見えない。いくつかうっすらと光る粒が分かる程度だ。
あの光も、数億年……あるいは数兆年前の光なんだ。地球にあの星達の光が届くまでそれだけ時間がかかっているんだ。
何時か誰かに聞いた知識から、ウロ坊はなんとなくそんなことを考えた。
そして、その光は地球に来るまでにどんな旅路を辿ってきたのだろうかと思いを馳せた。
光は一秒で地球を何周かしてしまうほどの速さで進むらしい。その光がそれだけの長い期間をかけてようやく地球へと降り注ぐ……そのことにウロ坊は奇妙な感慨を覚えた。
勿論、光というモノがただの現象……粒子の波に過ぎないということは分かっている。だが、そんな現実的な考えにはロマンがない。つまらない。退屈だ。
つい先日モエカに話したホラ話のように宇宙人がいたとして、彼らが地球に来ることはあるのだろうか。
たしか地球人は、数十年前にようやく月に辿り着けるようになった程度だ。はたして宇宙人は、それ以上の技術を持っているのだろうか。そもそも宇宙人は地球とどれくらい離れた場所にいるのだろうか。あの光っている星……ではないだろう。光っている星は大抵恒星という太陽のような星だ、熱すぎて生きていけないと思う……強い宇宙人なら太陽のような星にも住めるのだろうか?
そも、宇宙人はどんな外見だろうか。人、というくらいだから人型とするとして、大きさはどれくらい? 何メートルもあるかもしれないし、逆に数センチかもしれない。怪獣と戦う大型の宇宙人の特撮だったり、逆に地球へ不時着した数センチの宇宙人のゲームがあったりしたと話では聞いたことがある。
その宇宙人が地球に来た目的も気になる所だ。
先のホラ話のように観光目的だろうか。それともよくあるフィクションのように侵略者としてやって来たとか? 単に偶然迷い込んでしまっただけとも考えられる。
「宇宙人……ホントにいたらロマンあるよな。ま、侵略とかされんのは困るけどよ」
誰に言うでもなく、ウロ坊は空に向かってそう呟いた。
やっぱり宇宙人の目的は侵略だったりといった派手な方が面白いとは思う。けれど、それはあくまでフィクション……ウソの作り話だからだ。実際に宇宙人が地球に来るのなら友好的でなるべく弱い方がいい。話としてはつまらないかもしれないけれど、弱くてちっぽけで、そんな宇宙人が来て欲しい。侵略されて人類絶滅とか、宇宙人の支配下に置かれるだとか、そういう事態になったら困る。
尤も、そんな想像も仮定の話に過ぎないのだけれど。
まずこの星空のどこかにある星に生命がいて。その生命が知性を持っていて。さらに宇宙へと旅立てるような技術まで持ち合わせていて。そしてその宇宙人が広い宇宙空間から地球を見つけ出しそこに狙いを定めて。それが丁度今この瞬間……あるいは数年か、数十年か、自分の生きている間にやってくる。
どんな確率だ、それこそ天文学的だとウロ坊は自分の空想を笑った。
「仮に宇宙人が……めっちゃ強い宇宙人が地球を侵略しにやってきたらどうなるかな……」
普通に考えれば、人類は終わりだろう。なにせ宇宙を旅することが出来る技術力とそれを成せる知性をもった生命体がやってくるのだ。明らかに人類と比べて上位種といえる存在だ。勝ち目はないだろう。
いや、案外なんとかなる可能性もあるのかもしれない。なにせその宇宙人は皆地球外出身だ。地球に合った進化はしていないと思う。重力、大気圧、空気の組成、ウイルスや細菌といった衛生的な問題……そんな些細な条件で地球に適応できない可能性だって十分にある……いや、その程度宇宙に出ることが出来るほどの技術力でやっぱりどうとでもなるような気もする。
「おい、貴様」
「あん?」
星空を見上げながら空想に耽るウロ坊に対して、背後から唐突に声をかける存在が現れた。
少し低めで棘のあるような、若い女性の声だ。
その声に対し空を見上げたまま視線を送ることなくウロ坊は反応した。
「貴様は何をやっている」
「ワシか? ……宇宙人について考えてた」
「宇宙人だと?」
「そう、宇宙人。人間より強くて賢い、そんな宇宙人が人類を侵略しに来たらヤバいよな、って」
こんな時間に若い女性が、珍しいな。
そんなことをウロ坊は思った。
ここはホームレスの居付いた川辺だ。治安的にも、他の様々な意味でも年若い女性にとってよろしい場所とは言えないだろう。自分の年齢を棚上げしてウロ坊はそう考えた。
そして、直後に知り合いという訳でもないし彼女がどうなったところで知ったことではないな、とも思った。
衛生面、栄養面等の理由から、また冬場は寒さから死に往くホームレスを見てきたウロ坊だ、他人の生き死にや危害の有無に関して彼はシビアな価値観を持っていた。
無論モエカのように、またはその他の面識ある誰かのようにある程度見知った間柄であれば話は別だが、この声の主は全くの他人だ。
「ほう。人類より強くて賢い」
「大きさは、まぁ、どうだっていい……いや、人って言うくらいだから人型で、きっと人に近い大きさだろうな、多分だけど。何メートルもあったり、逆にちっさかったりするかもだけど、とりあえず人間サイズ」
「なぜ人型だと断言する」
「空想だから。ワシの好みで見た目を作るくらいいいだろ」
「ふむ……宇宙人など、いると思うのか?」
「いる、って前提」
「何故宇宙人なのだ」
「空見ててよ。星、いっぱいあるじゃんか。このどっかしらに宇宙人いんのかなって。いるんならどんなやつかなって。んで、そいつらが地球侵略しに来たらヤバいよなって。そんだけ」
「……宇宙人以外が地球を侵略しに来たら、とは思わんのか?」
「宇宙、ってか星空が発端だったからな。もうちょい考えてたら、そっちに思考が行ってたかもしんねぇ」
語りつつ、変な女もいたもんだなとウロ坊は思った。
こんな時間にこんな場所を……というのはまだいい。散歩であったり、コンビニにでも行く過程に通ったりしただけかもしれないから。だが、ここでこうして空を見上げる自身に話しかけて、会話を続けるのは中々に奇妙だ。
口調も妙だし、会話の相手に恵まれない可哀そうなヤツなのかもしれない。
「どんな外見だ」
「外見だ?」
「宇宙人でも地底人でもなんだっていい。その侵略者とやらはどんな外見をしている」
「……角が生えてたりしたらカッコいいかもな。あと、爪だったり尻尾だったり。そういう人には無い要素というか、人型に他の生き物の特徴を追加した、みたいな。鱗があってもいいかもしんねえ」
「化け物ではないか」
「いいんだよ、化け物で。なにせ人類を侵略しに来たヤツなんだからな。人型を基本にしつつ異形感マシマシ、ってのが最高にロマンあんだろ」
「限度があろう。盛り過ぎだ」
「……だったら、アンタはどんな侵略者がいいんだよ」
「ワタシか? そうだな。人間を基本と考えるならば、まず尻尾だ」
「尻尾か。分かってるじゃねぇか」
「それに加えて翼だ。いや、羽根と言った方が良いか?」
「羽根か……ソイツは腕が変化したタイプか? それとも背中から生えてるタイプ?」
「無論背中だ」
「ほぅほぅ……それで?」
「あとは精々、耳だ。エルフ、というのか? 空想上ではあるが、あの種族のような耳の形状をしている」
「エルフ耳。王道だな」
「最後に。人類以上の美貌を持っている。それはもう、圧倒的に勝っている。なにせ人類と比した際に完全に上位種だからな」
「美形揃いか……確かに、美人のほがイイよな」
フン、と鼻を鳴らすような声を背後の女性は出した。
「ところで、だが」
「なんだよ」
「その上位種とやらはこんな外見ではないか?」
その言葉と共にウロ坊は肩を掴まれグイと振り向かされた。
「――――――――」
月影と遠くの街灯りに照らされた女性の姿が視界に入る。
金色の長い髪、陰りのある美しい顔貌、腰からはサソリを思わせる外殻に覆われた長い尾が生え、背中には半透明の二対四枚の羽根。髪の隙間から覗く耳は、三角形を描くように鋭く伸びていて。
「宇宙人でも地底人でもないが、人間を滅ぼしに来た侵略者だ。よろしく頼むぞ、人間」
「……おおぅ」
そして、胸元がかなり膨らんでいた。
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