9「こいのうた」とおじさん、の巻

 

 『…困ったわ。会話することがない』


 私の目の前で、黒い魚の煮付けを無心に食べている同じ職場の男性を見ながら、私こと【メリー・ルー・ビギンズ】は心の中だけで思った。


 『職場で彼氏いないのもう貴女だけなんだし、この際だから同じ職場の彼女いない人とくっついちゃったら?』

 先月まで私と同じく自分も彼氏いなかったのにも関わらず、彼氏ができた途端に受付事務員の同僚は私に対してそう言った。

 同僚には悪気はなく『今はそういう時期』というだけなのだろう。

 はいはい…といって最初は受け流していた私だったが、今日は『受け流しそこねた』。


≈≈≈

『ビギンズさんもはやく彼氏作りなって』

『うーんそのうちね』

『同じ職場にもいるじゃない彼女いない男の子』

『会計課のトゥーリントットさんのこと?』

『そうそう!前にもちょっといいかもって言ってなかったっけ』

『…それ私じゃない』

『良いじゃんトゥーリントット課長。歳も同じくらいだし』

『確か2つ年下だったと思う』

『…なんで歳知ってるの?』

『なんでって同じ職場だし』

『歳知ってるってことは少しは気になってるってことよね』

『…なんで?』

『しかも"同じ職場の彼女いない男の子"ってしか言ってないし、ワタシ…』

『…ぅ』

『ねえ、なんで言ったの"トゥーリントット課長のこと?"って…ねえ、なんで?ねえねえ…』

『………』

≈≈≈


 こうして私は、彼氏できたばかりで『彼氏ハイ』になっている同僚の画策かくさくによって、会社帰りにトゥーリントットさんに声をかけることになったのだった。

 トゥーリントットさんのことだから多分断るだろうと思っていたら、最近嘱託しょくたく職員としてギルドに採用されたカタヒラさんというおじさんが見る見る間に意味のわからないパワーで私達二人を言いくるめて、この店で二人で飲む段取りを整えてしまった。

 しかも、おじさんは『来れたら来る』と言っていたので、おじさんを待つために私とトゥーリントットさんは、もう一時間近くこの店で一緒にお食事を続けている。

 …おじさんグッジョブ!



≈≈≈


 『…迷惑じゃなかったかしら?』


 私の目の前の席に座って、魚の煮付けを食べている男性のはしの動きを無意識的に目で追う。

 指の長い大きな手のひらで、繊細に箸を使う人だ。魚の小骨もちゃんと皿のはしっこにけている。

 きっと家が厳しいのだろう。…うちと同じように。

 目の前の男性は、パクパクと元気よく定食を食べている。健康そうな白い歯だ。

 意外と一口が大きい…と私は思った。


 『…虫歯とかはあるかしら』


 今、私と一緒に食事をしている同じ職場の男性の名前は『カリメル・トゥーリントット』さんという。この街では結構有名な老舗しにせのお菓子屋さん『菓子房かしぼうトゥーリントット』のご長男だ。

 かつて、この街が戦災に見舞われた際に、私財をなげうって街の復興に努めた『義商トゥーリントット』といえば、この街ではちょっとした伝説のようになっている。

 お菓子屋さんの方は、お父さんと妹さんが経営してくれているお陰で、長男のカリメルさんは自由に生きていられるのだという。


「…だから妹には頭上がんなくて」

 食事をしながらカリメルさんは、自分の頭の後ろを利き腕じゃない方の手でかきながら言った。長男だからといって必ずしも親の職業を受け継ぐ訳ではないし、なにも気にすることではないのに、カリメルさんはしっかり者の妹さんに少し負い目を感じているらしい。


 『…なに考えてるのかしら』


 定食を食べ終えたカリメルさんは、店員さんに手を上げて、二杯目の麦酒ビールとちょっとしたつまみを追加注文している。


 職場でのカリメルさんの評判は悪くない。

 むしろ、ギルド上層部としては、若く有望なカリメルさんに色々な部署ぶしょを渡り歩かせることで経験をつませて、ゆくゆくはギルドを背負って立つ人材に…と考えているらしい。

 それは多分、街の名家であるカリメルさんのご実家に気を使って…ということもあると思う。

 それでも、カリメルさんのほがらかな性格と真面目な仕事ぶりが評価されて、一時期はギルドの女性職員達から人気No.1職場男子の称号しょうごうを陰ながら与えられたこともある。

 無論、カリメルさん本人はそれを知らない。


 ただ、すごーく本人が真面目すぎるというか仕事とプライベート別すぎるというか女性の気持ちに対して鈍感すぎるというか、同じ職場の女性には別けへだてなく『仕事仲間』として一枚壁を作って接するところがある。

 カリメルさんにとって同じ職場にいる女性は『仕事仲間』なので、いくら女性側からアプローチをかけても振り向いてくれないらしい…



………


「うん!貝もうまい!ちょっと挑戦だったけど」

 つまみで頼んだ細長い変な形の貝を食べながら、カリメルさんは言った。よほどおいしかったのだろう。もう一皿同じ料理を追加注文している。


「メリー・ルーさんも食べなよ。あっ…ビギンズさんも食べなよ」

 カリメルさんは言い直した。


「…さっきも言ってましたよ『メリー・ルーさん』って」

 そうだ、私は覚えている。

 カリメルさんは、私の名前の方を知ってくれていた。

 ……私の姓の方だけじゃなく。


「そうだったっけ?」

「そうでしたよ」

「…そうだっけ。僕のこともカリメルでいいよ。『トゥーリントット』じゃ呼びにくいでしょ」

 バターで味付けされた細長い貝を食べながら、いいとこの子らしい闊達かったつさでカリメルさんは私に言った。

 そして、また私に貝料理と玉ねぎのドレッシングのかかった野菜サラダをすすめてきた。


「…分かりました。『カリメルさん』」

 私は初めて声に出して『カリメルさん』の名前を呼んだ。

 不思議なことに、声に出して名前を呼んだことで『カリメルさん』は私の中で少し特別な名前になったみたいだった。

 昨日までは同じ職場のいち上司でしかなかったのに…


 カリメルさんに薦められた貝料理とドレッシングのかかった野菜サラダを食べ終わったあとで、私の乗合馬車の最終時間があったので私とカリメルさんは店を出た。


 結局、二時間ってもおじさんは店に現れなかった。

 …おじさんグッジョブ!




 続く…



≈≈≈

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異世界働かないおじさん アマノヤワラ @sisaku-0gou

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