6「蒼氓」とおじさん、の巻

 

「……大丈夫ですか。寒くはありませんか?」

 優しい女性の声が、頭と背中にゴザをかけて座り込むわたしのななめ上から降ってきた。

 その声を聞いた途端とたん、不意に頭の中で小さかった頃の娘や若かった頃の妻の声を思い出す。

 柔らかな優しい声。


「……『お汁粉しるこ』です。もしよろしかったら、どうぞ」

 言いながら女性は木椀もくわんに入った汁物をスプーンと一緒に差し出してくれた。女性はお汁粉と言っていたが、わんの中にはいもや肉の細かい切れはしも入っている。どういう仕組みなのか、冷たい雪の降る道の上だというのに、娘さんの手の中のお汁粉は今出来上がったばかりのようにホカホカと温かそうな湯気を立てていた。

 娘さんの白い手からお汁粉のわんを受け取りながらわたしは、……ありがとう、と言ったつもりだが、声が出たかどうかは分からない。深夜からこの町に降り始めた冷たい雪が、わたしの体からあらゆる感受性かんじゅせいを奪い去っていた。


「……食べてからで構いませんので、これ読んでみてください」

 そう言って優しい声の娘さんは、わたしの椀を持ってない方の手にそっと一枚の紙を握らせた。そのまま娘さんは地面にひざをつけて、霜焼しもやけでかじかんだわたしの手をお汁粉のわんごと自分の小さな両手に包み込みわたしの手の甲に息を吹き込む。娘さんの手を通してわたしの手の中に温もりが流れ込んでくる。

 娘さんは自分の小さな両手の中にあるどろで汚れたわたしの手を見ながら、祈るようにわたしに言った。


「……けして諦めないでください。あなたの居場所は必ずありますから」


 優しくて、どこまでも暖かい言葉。

 わたしは自分の顔を上げて、目の前の娘さんの顔を見る。

 娘さんは頭に被ったフードの下で微笑みながら、混じりっけのない瞳でわたしを見ていた。


 娘さんのフードの胸元に、『雪割草ゆきわりそう』のような青い花の模様が象嵌ぞうがんされた銀製のポーラータイが見えた。


「…ファリス殿下」

 かたわらに立つ部下らしき男のたしなめるような声に、娘さんは振り返りうなづきを返した。

 立ち上がった娘さんは、もう一度わたしに笑顔を向けた。被ったフードの下で、娘さんの長い金髪と『雪割草ゆきわりそう』のポーラータイが揺れている。


「……食べてくださいね。器とさじは差し上げます」

 娘さんはそう言って部下のまだ若い男とともに、わたしの前から去っていった。わたしのように雪の中で道の上に座り込んでいる別の男の元へと、『お汁粉』を届けるために。

 娘さんと若い男が去るのを見送ったわたしは、娘さんから頂いた甘いお汁粉を食べた。娘さんの温かい手から離れたお汁粉は少し冷めてはいたが、久しぶりの汁物の温かさと豆の甘みと細切れの芋と肉の味が、わたしの冷え切りかわききった体の中に染み渡っていくのを感じた。

 ふと、わたしは空を見上げた。

 わたしの上に降っていた雪は、いつの間にか止んでいたようだった。


…………


 わたしが、ゆっくりとした動作でお汁粉を食べていると先程とは別の娘さんに声をかけられた。

 娘さんは自分は『ギルド』の職員だと名乗った。


「……異世界の方、ですよね。安心してください。見捨てませんから」


 ギルドの娘さんは、後半は自分自身にも言い聞かせるかのようにつぶやいた。ギルドの娘さんは『メイドさん』とでも言うのか、なんだかメンソレータムのキャラクターのような格好をしていた。


「…先程、ファリス殿下から頂いた『紙』を読むことはできますか?」


 そう言われて、さっきもらった紙を見てみると、文字ではなく何やらQRコードのような微細な紋様もんようが描かれている。不思議なことに、わたしの目にはその紋様の形が意味していることが分かった。


「『この刻印を読み取ることが出来た方は……

バルダンギルドまでおいでください』……?」


 紙に描かれた紋様にはそう書かれているようだ。

 こんな複雑な紋様としか思えないものがなぜ読めるのかは、わたし自身にも分からなかった。


「…はい。あなたのお名前を教えてくださいませんか?」


 ギルドの娘さんに聞かれ震える声でわたしは答えた。


「……【片平平蔵かたひらへいぞう】。……55歳です」




 続く…



≈≈≈

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