吸血鬼

夜ト。

吸血鬼

 俺は走る。逃げている。さっき、店に行って金を払わずに商品を持ち出してきた。だからと言って、万引きがバレて逃げているのではない。第一、俺は人間から逃げているのではない。吸血鬼から逃げているのだ。

「っはあっはっあっはあっ」

 そろそろ、体力が限界に近づいてきた。後ろを見ると、相変わらず吸血鬼が追いかけてきている。仕方なく銃をポケットから取り出す。これは警官から、いや吸血鬼化した警官から奪い取ったものだ。

 立ち止まって振り返り、吸血鬼を睨む。奴等は三体。弾は五発。二発ならしくじっても大丈夫だ。

――パンッパンッパンッ。

 乾いた音がして吸血鬼が倒れる。三体がしっかりと倒れたことを確認し、ペースを落としてまた走る。

 三分ほど走ったところで、やっと廃工場が見えてきた。走るのを止め、呼吸を整えるためにゆっくりと歩きながら廃工場の扉まで行き、凭れ掛かりながら扉を叩く。

「お、俺だ! 開けてくれっ!」

「合い言葉は?」

「我らに幸あれ!」

 中からガチャッっと重々しい音が聞こえて、ギッギィと音を立てながら鉄の扉が開いた。体力をほぼ全て使い果たしていた俺は、中に入ると同時に床にへたり込んだ。入り口部分の鉄の床の冷たさが足に伝わり、足の疲労を和らげてくれた。

「ちょ、涼哉!退いてくれ! 扉が閉められない!」

 何も答えず、いや疲れすぎて答えられずに、四つん這いの姿勢で奥へと移動する。後ろから扉が閉まる音と鍵がかかる音が聞こえてきて、次に縋が駆け寄ってくる音が聞こえた。

「おい、涼哉。大丈夫か? 噛まれてないだろうな?」

「ああ、大丈夫だ」

 そう言って肩に掛けていたバッグを縋に差し出した。

「おい、なんだよこれ。涼哉……お前、もしかしてあのスーパーに行ったのか?」

「おう。縋、食料が少なくなってきたって言ってたろ? だから……」

 そこまで言ったところで縋が怒鳴った。

「馬鹿野郎! あのスーパーの周りには奴等が多いから近寄るなと言っただろ! もし、どうしても行かなくなった場合は二人で行くとも言って置いたはずだ! なんで勝手に行動する!」

「……悪い……」

 言い訳を考えないまま答える。

「はあ……でも、まあ、ありがとな」

 縋はバッグを持っていって、中身の物を置くの棚に並べていき、そのうち二つを持って中央にあるテーブルに置いた。

「おい、いつまでそこにいるんだよ。早くこっちに来いよ」

 縋はそう言うと、なぜが缶詰を開けてから椅子に座った。俺も立ち上がって縋の対角線上に座る。

 今日の昼食は、非常食用のパンの缶詰だった。硬くてしょっぱくて、お世辞にもおいしいとは言えない代物ではあったが、そんなことは言っていられない。そう、こんな日々になってしまった以上、そんなことは言っていられないのだ。毎日が苦しくて、悲しくて、辛い。忘れもしない、あの日から全てが狂ってしまったのだ。


 今時の高校生と言えば、電車に乗って買い物に行ったり、ゲームセンターに行ったりするのが楽しみになっていた。

 しかし、ある日縋が、

「初心に戻って虫取りにでも行こうぜ!」

 と言ったのが事の始まりだったのかもしれない。

 行ってみれば、虫取りは意外に面白くて楽しかった。クワガタを一三匹取ったときには、空は少し暗くなっていた。縋の家と俺の家は同じ道にあるから、帰るときも一緒にいた。今思えば、縋とは小学校の頃から仲がよかった。

 事が動いたのは、縋の家に着いて縋と別れた十秒後くらいだったと思う。「うわああああああああああああ!」

 と言う縋の叫び声が聞こえた俺が、走って縋の家の前に戻ったのと、縋が家から飛び出してきたのはほぼ同時だった。

「どうした?」

 と聞くと縋は、

「あ……うっ……かっ……かあちゃんが……しっ……死んで……」

 と掠れた声で言った。

「何⁉」

 縋の家に飛び込み、縋の母を探した。

 縋の母はリビングで倒れていた。俺は真っ先に心臓が動いているかを確認し、結果心臓は動いていた。次に呼吸の有無を確認し、結果呼吸はしていなかった。そこで俺は、人工呼吸をしようと思った。医学の知識はほゼロに等しかったが、とにかく何もしないよりはましであろうと考えての行動だった。

 学校で習った方法を思い出し、まず気道確保から入った。下顎を押し上げて、頭部を後ろに傾けて……と、そこまでやった時、閉じていた縋の母の口が少し開いた。

 己の目を疑った。そんなはずはない、と思って目を擦ったが、それはしっかりとそこにあった。なんと、縋の母の口の中には異様な長さの八重歯があった。そう、まるで吸血鬼のような。

 その時、リビングの置くにある階段から誰かが降りてくる音が聞こえた。 誰だ?

 降りてきた顔には見覚えがあった。縋の父親だ。

「あ、縋のお父さん、すいません勝手に入っちゃって。でも、あの、縋のお母さんが……」

 ここまで言った俺は、縋の父の目の色が可笑しい事に気が付いた。

――赤い。

 縋の父の目の色は、透き通った綺麗な赤色だった。それに、よく見てみると縋の父には他にも可笑しなところがあった。

――口の周りが赤い。

――手も赤い。

――右手が震えている。

 それに、縋の母が倒れているにも拘わらず、階段の前に突っ立って動こうともしない。

 不審に思いつつも、俺はもう一度、本当に縋の母が呼吸をしていないかを確かめようとした。しかし、それは出来なかった。俺は、縋の父に押し倒されていた。

 驚きと恐怖で体が動かなかった。

 そして次の瞬間、縋の父が口を開いた。その時、俺が見たのは異様に長い八重歯と、真っ赤な歯だった。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 俺は縋の父の顔に右フックをぶち込んだ。ぐっと言って縋の父が――自分から見て――左に倒れ、そのすきに急いで家の外へと走った。この時、すでに答えは出ていた。縋の母の口を見たときからその答えはちらついていたが、もう認めざるをえない。

――こいつらは……吸血鬼だ。

 縋の家を飛び出ると、縋はまだ家の前でへたり込んでいた。

「縋、縋っ! 逃げるぞ!」

 しかし、縋は立とうとしない。引っ張ってみても動こうとしなかった。母の事がよっぽどショックだったのだろう。

 その時、俺を追ってきたのか縋の父――の姿をした吸血鬼――が外に出てきた。そして、手前にいる縋を押し倒した。

「と、とうちゃん?」

 まずい、と思ったときにはもう縋の父――の姿をした吸血鬼――は口を開いていた。

「う、うわっう、うわぁぁぁ……」

「縋!」

 叫んだ俺は、縋の父――の姿をした吸血鬼――の顔面に、今度は蹴りをぶち込んだ。ぐあっと言って縋の父――の姿をした吸血鬼――が縋の上から転げ落ちた。

「縋! 逃げるぞ!」

「あ、ああ……」

 やっと足が動くようになった縋の手を引いて、俺は自分の家まで走った。

 自分の家に着いた俺は絶望した。俺の家も、縋の家と全く同じ事になっていたのだ。それでも諦めきれなかった俺は、周りの家も回ってみた。しかし、全て結果は同じであった。つまり、俺達が虫取りに行っていた間にこの町は吸血鬼に襲われたのだ。

 その後、俺達はこの廃工場を見つけて隠れ家にした。

 と言うのが約一ヶ月前の話だ。よく一ヶ月も戦った物だと、自分に感心する。それに、一ヶ月で吸血鬼の事が少し分かってきた。

 一つ、吸血鬼は日本語が話せる。

 二つ、アニメなどでよくあるにんにく、十字架、日光などの吸血鬼除けは全く効果が無い事。

 三つ、吸血鬼に噛まれると一時的に仮死状態になる事。

 四つ、仮死状態から抜け出すと吸血鬼になる事。

 この四つが分かっている。

「なぁ?」

 そんな事を思い出していると、縋が話しかけてきた。

「ん?」

「俺らってさぁ、幸せになれんのかなぁ?」

「何言ってんだ縋。俺らはもう幸せだろ? 俺らの幸せは人間である事なんだから」

 これは決して綺麗事ではなく、本心であった。

「そう、そうだよな。人間である事が俺等の幸せだもんな」

 どうやら縋も納得してくれたようだ。そう、俺等の幸せは人間である事なんだ。この考えは死ぬまで変わらない、いや変えない。

 次の日、俺達はコンビニに行こうと話し合った。水分が底を突きそうになったからである。

 廃工場から出、裏道には行ってそろそろと歩く。走ると、足音が立って反って危ない。裏道の出口が見えた。顔を少し出して、車道に吸血鬼がいないかを確認してから裏道を出る。俺達を警戒してなのか、人通り、いや吸血鬼通りが少ない。

 不意に縋が、

「隠れろ!」

 と小声で言った。俺は急いで近くにあった屏の裏側に回り込んだ。縋もすぐに回り込んできた。

 十秒後、ヒタヒタと歩く吸血鬼の足音が聞こえてきた。

「ビルかなんかに忍び込んだ気分だな」

 と縋が小声で言うので、

「前にもそんな事言ってなかった?」

 と小声で返した。

 足音が聞こえなくなったのをしっかりと確認してから再び車道を歩き始める。そして二分後、特に何事も無くコンビニに着いた。周りに吸血鬼がいない事を確認してからコンビニに入る。急いで飲み物コーナーに行くと、二人がかりで持ってきたバッグに水、お茶、ジュース、エナジードリンク、栄養ドリンク……と、手当たり次第に放り込んでいく。牛乳と酒は入れない事にしている。牛乳は要冷蔵だし、酒なんか飲んで酔っ払っている暇はないからだ。

 バッグが一杯になると、二人でバッグを持って入口に向かった。

 すると、いきなりバッグが重くなった。縋がバッグから手を離したからである。

「ちょ、すが……」

「かあちゃん……」

 俺が「すがる」と言い終える前に縋がそう言った。窓の外を見てみると、確かに縋の母――の姿をした吸血鬼――がいた。母ちゃん……と、言いながらコンビニを出ようとする縋の手を急いで引いた。

「おい縋! 気は確かか? あれは人間じゃないんだぞ? 吸血鬼なんだぞ?」

 しかし、縋は首を横に振った。

「まて、涼哉。よく考えれば、外見は吸血鬼でも人間の頃の記憶があるかのしれないじゃないか。ちょっと確かめてみよう」

「そんな危険な事出来るわけ無いだろう!」

 それでも縋の眼の光は消えなかった。

「大丈夫だ。もし危なくなった涼哉、お前のそれで俺のかあちゃんを撃ってくれ」

 そう言いながら縋は俺のポケットに入っている銃を指さした。これ以上何かを言っても無駄だろう、と思った俺は自分の判断で撃つ、と言う事を条件に縋に「確かめ」の許可を出した。

 縋が外に出、俺も出た。

「かあちゃん!」

 縋が叫んだ。近くにいた俺の鼓膜が破れそうなほどの声で。

「……す、縋?」

 驚いた。なんと、体は吸血鬼になっても人間の頃の記憶は残っていたのだ。

「かあちゃんっ!」

「縋!」

 縋は走って縋の母――の姿をした吸血鬼――に駆け寄り、抱きついた。

――待て、馬鹿野郎!

 母をたずねて三千里系のドラマだったのなら、感動の再会のような感じ、つまりハッピーと言う分類に入るのだろうが、今回は違う。今は、完全なるデンジャラスだ。

 俺は銃を構えて撃とうとした。しかし、今いる場所からだと縋にも当たってしまうため、急いで横にずれた。が、その時点でもう事は手遅れになってた。縋の母――の姿をした吸血鬼――の歯が縋の首に刺さっていたのである。

 引き金に押し当てていた人差し指の力が抜けた。腕の力も抜けて銃を構える事が出来ない。

 縋が崩れるようにして倒れる。

 縋の母――の姿をした吸血鬼――が俺の方を向いて、赤く染まった口でにいっと笑った。その笑いは俺の怒りを爆発させた。

「うわあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 叫びながら銃を構え、縋の母――の姿をした吸血鬼――に連射した。

――パンッパンッパンッパンッパンッカチッカチッカチッカチッ……。

 五発全てが命中して、縋の母――の姿をした吸血鬼――が倒れても、引き金を引き続けた。

 やっと人差し指の動きが止まると、走った。ただひたすらに走った。体に纏わり付いた悲しみや怒りを振り落としたくて走った。しかし、廃工場に着いた時にはその悲しみや怒りは体に染みこんでいた。尻ポケットから鍵を出して中に入ると、すぐに寝た。夢の中では俺が死んでいた。


「涼哉、起きてよ。ねぇ、涼哉」

「分かった、待って……」

 そう言って目を閉じたまま上半身を起こした俺だが、まてよ? と考えた。この町にはもう、人間は俺一人しかいないはずだ。なぜなら、縋は昨日――人間として――死んだのだから。つまり、この声の主は吸血鬼だ。

 俺は文字通り飛び上がった。

「おはよう、涼哉」

 声の方向に目線を移すと、案の定赤い眼をした吸血鬼がいた。急いでポケットに手を回すが、銃がない。昨日落としてしまったのだろうか。マットレスの下に手を入れて、刀を取り出すと吸血鬼に向ける。たしかこの刀は、どこかの金持ちの家から取ってきた物だ。

「誰だお前! どこから入ってきた!」

「誰だお前って……私の事忘れたの?」

 俺はなに? と言ってもう一度、改めてその女の吸血鬼の顔を見た。

「理央……」

 心臓が止まりそうになった。その女の吸血鬼は、俺の恋人――とは言っても、もう吸血鬼だから恋人でも何でも無いが――だった。

「よかった。覚えていてくれたんだね」

「何がよかっただ! お前は俺の好きな理央じゃない! 吸……いや、ただの化け物だ!」

「ほう、化け物と来たか。まあいいんじゃない? どうせ涼哉も今日から仲間入りだし」

 仲間入りという事は俺を噛むという事か? おもしれぇ、やってみろ! などと、アニメの主人公のような台詞を言ってみたかったが、言えなかった。俺は弱いんだ。言えたのは、

「来るな……」

 の一言だけであった。刀を握る手に力が籠もる。

「無理だね、涼哉。あなたは私を傷つけられない」

 理央――の姿をした吸血鬼――が近づいてくる。

 今刀を振れば理央――の姿をした吸血鬼――を切れる。と言うときになっても俺は刀を振れない。手が震えてきて、目には涙が浮かんできた。

 涙を拭こうと思って袖で目を擦ったとき、首に痛みが走った。意識が遠のく。

――ああ、何で俺はこんなにも弱いんだろう。


「…………きて!涼哉!ねえちょっと!」

「……?」

「ねえ、起きろって!」

――バチンッ!

 何でかは知らないが、起きて早々ビンタされた。

「……いった……」

「あ、やっと起きた。相沢先生ー」

 この女は、理央の姿をした吸……と、そこで俺は考える。俺は噛まれた。つまり、理央と同じ種類の動物になったという事だ。自分も理央も吸血鬼。ならば、元々人間と人間だった状況と同じではないか。つまり、理央の姿をした何かではなく、ただ理央だ。

「やあ、涼哉君」

 ドアが開かれ、どこにでもいそうなおっさんが入ってきた。

「突然だが、上を見てくれたまえ。ヘルメットのようなものがあるだろう?あれで君を洗脳、自分が吸血鬼である事があ誇りに思えるような頭にする予定だ」

 上を見ると、確かにそれらしきものがある。

「私たちは新しい吸血鬼を捕まえてきては洗脳して、を繰り返しているのだよ。覚えてはいないが、私も洗脳されているらしいんだがね。

 で、まあ言ってしまえば無理矢理多くの吸血鬼を洗脳してきたんだがね。最後の君ぐらい、納得してもらってから洗脳しようと思ってね」

 納得? 笑いそうになった、と言うか笑った。何を納得させてくれるのだろうか? 俺を吸血鬼にした事か? 洗脳する事をか?

「ふむ? 何か面白い事でも言ったかな。まあいい。涼哉君、これは進化なのだよ。分かってくれたまえ」

「……何を言いたいんだ?」

「見たまえ」

 そう言うと、相沢はカッターナイフで自分の腕を切りつけた。しかし、そこから血は殆ど出なかった。相沢は傷口を俺の目に近づけてくる。驚いた。なんと、もう傷が治っているのである。

「分かるかい? 我々は再生能力が非常に高いのだよ。だから、このくらいの傷なら殆ど血は出ないし、物の二秒程で再生する。明らかな進化だろう?

 さらに例を挙げてみようか。

 これは見て分かる物じゃないがな、我々は息をしなくとも生きられるのだよ。けれど、私は今息をしているだろう? これは生きるための息ではなく声を発するための息だ。それと、我々は食料を必要としない。我々は日光から養分を作る事が出来るようになっている。そうだな、植物の光合成と同じように考えてもらって構わない。

 曇りの日はどうするか? それも大丈夫だ。酸素、二酸化炭素を皮膚が吸収して養分にしてくれる」

「そんな馬鹿な……」

「信じられぬか? まあ、いずれ分かるであろう。それに、もう一つ。大きく進化したところがある。生殖機能だ。おい、理央」

 相沢に呼ばれた理央は、俺の前に来るとズボンとショーツを下ろした。俺は思わず目線を逸らした。

「ちゃんと見たまえ」

 相沢の声が耳の中で木霊した。

 目線をゆっくり戻した俺は、言葉を失った。そこにあると思っていた物がなかったのである。つまり、理央の股間には性器、さらには肛門もなかった。思わず自分の股間を確認したが、俺も同じようになっていた。死角になって見えないが、肛門も同様であろう。

「分かるか? 性器が無いだろう。人間は性的行為をし、子供を作った。しかし、性感染症などがあり、安全な行為とは言えなかった。だが、我々はこの歯を使って子を作る事が出来る」

 相沢はあの長い八重歯を指さしながら続けた。

「男は、自分の意思でボラニス――人間で言う精子を歯から出す事が出来る。つまり、男が女を噛む事によって子を作る事が出来るのだ。女は口から子を産む。我々の子は小さいから苦しむ事もない。それに、先程も行ったが食料を必要としていないため、当然肛門は必要ないため無くなった。分かるかい? これは進化なのだ」

「……分からないですよ。人間は、そういう危険と向き合いながら生きてきたんですよ。どうすれば危険を回避できるか、危険を少なく出来るのかを考えて考えて考えながら生きてきたんですよ。人間という生物が出来てからずっと積み上げてきたんですよ。なのに、あんたらはそれを一瞬で……人間の努力を……」

 相沢は難しい顔をした。

「なぜだ? 一体何が不満なんだ? なぜそんなに人間に拘る? 安全な日々が一番じゃないか。食糧危機が起こる事もなし、地球温暖化も止まるであろうし、性感染症もない。素晴らしいじゃないか! 我々が恐れる物は何もないのだぞ?」

「黙れ」

 俺は生まれて初めてキレた。

「黙れ黙れ黙れ黙れ! 勝手に人間の世界に入り込んできた寄生虫どもめ! 素晴らしい? ふざけんな! 人間は人間であるからこそ意味があるんだ! 悩んで、苦しんでって、そんな苦悩があるから生きるのが楽しいんだ! わかんねぇだろ? 安全な日々を過ごしている寄生虫どもにはなあ! ハハハ!

 ああ、くだらねぇよ。くだらねぇぜじじい! 洗脳? やれよ! やってみろよ! そしたら俺、お前の首切り落としてやるから! どうせくっつくんだろ? 生き返るんだろ? いいよ! 何回でも切ってやる。くっついたらまた切ってやる。何回でも! 何回も何回も何回も何回も! 永遠に切ってやる!」

 近くにあった鋏を手に取る。

「なあ、これをこうしたらどうなるんだっ!」

 俺は鋏を相沢の眼球に突き立てる。シャリシャリっと、花道で使うオアシスを押したような感覚がした。鋏が二センチほど入ったのが分かると、鋏をぐっるっと回して引き抜いた。グシュッと音がして、相沢の眼球が取れた。

「ほら、取れたぞ! どんな風に再生するんだ?」

 相沢の眼孔に小さな白い塊が出来、みるみる膨らんでいって、五秒ほどで眼球ができあがっていた。

「……どうやら君を納得させる事は出来ないようだね。残念だよ。皆、さっさとやってくれ」

 すると、ドアが開かれ、十人ほどの吸血鬼が入ってきた。

「押さえつけろ!」

 相沢が叫ぶと、入ってきた吸血鬼が一斉に飛びかかってきた。

「死ねぇ!」

 俺は鋏を開いて振り回す。肉を切り裂く感覚が手に伝わってくる。一人、吸血鬼が倒れた。俺はそいつに馬乗りになって鋏でメッタ刺しにした。穴がどんどん塞がっていくから、無限にさせる。前を見ると、一メートル程先にあの刀が落ちていた。腕を掴んできた吸血鬼に蹴りをぶち込んで刀を取りに行く。刀を握ると、自分が最強になった気がした。

「うあらあああああああああ!」

 刀を強く振り下ろし、三人の吸血鬼の首が空を飛ぶ。他の吸血鬼も次々に切り落としていく。首の再生には時間がかかるらしく、全員の首を切り終えても再生が終わっていなかった。

 と、その時、もう一人吸血鬼が入ってきた。手には、俺と同じように刀が握られている。

 俺はそいつと向き合うと、首を切りにかかった。

「しゃああああああああああ!」

 しかし、そいつは動こうとしなかった。何だ? と思って少し気を緩めた瞬間、そいつは俺の足を切り落としていた。驚きべき早業であった。

「今だっ!」

 相沢が叫ぶと、あいつは刀を捨て、再生が終わっていない俺を運んで例のヘルメットを被せた。

――こんな体じゃ自殺も出来ないじゃないか……。


 目を開けるとそこは、俺の家の俺の部屋だった。

「あ、起きた、まったく、涼哉はよく寝るねぇ」

 この女子は……そうだ、理央だ。俺はなんだか懐かしく思えて理央に抱きついた。

「やっと一緒になれた……。何で、何で俺、吸血鬼になりたがらなかったんだろう……」

「んはっ、三時間前と行ってる事が真逆だね、涼哉」

 今思ってみれば、俺は馬鹿だった。人間である事に拘りすぎて、本当の幸せを見つけられていなかった。

 ドアが開いて、懐かしい顔が入ってきた。

「お、涼哉!起きたか!」

「す、縋!」

 俺は理央から離れて起き上がると、縋に勢いよく抱きついた。縋は倒れそうになったが、なんとか踏ん張ってくれた。

「おいおい涼哉……」

「……寂しかった……」

 縋は俺を抱きしめ返してくれた。自然と涙が出てきて、縋の服を濡らした。それでも縋は、俺を抱きしめたままでいてくれた。

「……涙、出るんだな」

 そう俺が言うと縋は、

「まぁ、人間とそんなに変わらないからな」

 と返してきた。

「いや、変わってるだろ。目の色とか」

「あ、そうだ涼哉。目の色変わったからか、外がすごく明るくて、綺麗で、えっと……うん、凄いぞ!」

「あ、そんならさ、皆で外歩かない?多分楽しいよ」

 理央がそう提案した。

「行く!」

 と、縋が言うので、俺も、

「行く!」

 と返した。

 三人で外に出る。縋が行っていたとおり、人間の時とは見え方が全然違う。

「涼哉、早くう」

 理央が呼んでいる。

 俺は走って二人の元へ行く。

 もう、追われなくていいんだ。逃げるために走らなくていいんだ。俺らが恐れる物は何もないんだ。

 二人に追いつく。

「なあ涼哉」

「ねえ涼哉」

 二人が俺に問いかけてくる。

「幸せ?」

 二人の声が綺麗に重なって俺の耳に届いた。

「幸せだ……」

 俺は迷わずそう返した。

 そういえば、さっきから俺の中で何かがずっと、

――俺の幸せは………………………………だ!

 と叫んでいる。一体何が幸せだったのか。まあ、思い出せないんだからたいしたことではないのだろう。

 しかし、どうしてもそのことが引っかかって俺は考えた。

 俺は今幸せ……?

 その疑問は俺の頭の中を駆け巡り、俺はもう一度〝幸せだ〟と言う事が出来なかった。

 出来なかった……。

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吸血鬼 夜ト。 @yoruto211

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