第49話 浴衣と祭りと
聡見と良信は、成長期に一気に身長が伸びたタイプで、それまでは他の人よりも小さいぐらいだった。そのせいで幼い頃は、女子に間違われることも何回かあった。母親も面白がって、ワンピースなどを着せたりした。
小学生とはいえ、女子の格好をするのは恥ずかしい。ノリのいい良信に対し、聡見は嫌だと拒否したが上手く丸め込まれて結局着ることになっていた。お菓子やおもちゃにつられてだ。ただ完全に納得したわけではないので、残っている写真では全て不満そうな顔をしている。
親の悪ふざけだったこれは、あることが起こってからは二度としなくなった。
「昔、私が着ていた浴衣、2人ならまだ着られると思って。隣の市でやっているお祭りなら、そうそう知っている子に会わないから大丈夫よ」
そう言った聡見の母親に押し切られて、お祭りに女子用の浴衣を着て行く羽目になった。
良信は白地に朝顔が咲いているもの、聡見は同じく白地に金魚が泳いでいるものを着せられた。髪飾りまで付けられ、動くたびにシャラシャラと視界と音で邪魔をしてくる。
すっかり機嫌を損ねた聡見だったが、楽しそうな良信につられたのと、祭りに行けるというので徐々に機嫌を直していく。
「どうして、良信はそんなに楽しそうなんだよ。浴衣なんて嫌じゃないのか?」
「別に。だって、浴衣はこういうものでしょ。ひらひらなのは変わりないよ。それに、とみちゃんと出かけられるのが楽しみだから!」
「ふーん、そっか」
聡見は素っ気なく返事したが、顔はにやけていた。その表情を、車を運転していた聡見の母親だけがバックミラー越しに見た。仲がいいようで何よりと、気づかれないように笑った。
夏祭りは、神社の境内で行われていた。
聡見達は神楽よりも、出店に目を奪われる。母親からお小遣いをもらい、2人で行動することになった。はぐれないようにしろと言われたので、しっかりと手を繋ぐ。
「とりあえず、全部の店を見てから何するか決めような!」
「うん、そうだね」
良信を引っ張りながら、聡見はキラキラと輝いて見える出店に顔を輝かせる。
たこ焼き、チョコバナナ、りんご飴、かき氷、金魚すくい、くじ、型抜き、射的――文字を必死に追いながら、聡見はお小遣いの入っているがま口を握りしめた。首から紐で提げているそれは、可愛らしい金魚の形をしている。これも、母親が幼少期に使っていたものだった。
「何にするか決まったか?」
人混みの中、一通り店を確認すると聡見は良信に聞く。聡見自身は目移りして、どれがいいか決まっていない。
「うーん、どうしようかなあ……」
良信は首を傾げる。髪飾りが揺れて、どこかの光を反射した。
「おやおや、なにかお悩みのようですねえ」
「っ!?」
それが眩しくて思わず目を細めると、突然話しかけられた。驚きながら振り返った先には、ひょっとこがいた。正確に言うと、ひょっとこのお面を被った男性が立っていた。
不審者だ。聡見は良信を庇うように、男の前に一歩出た。
「誰?」
警戒マックスの聡見に、心なしかひょっとこが困った様子になった。お面で見えないはずなのに、動かないはずの表情が変わった気がした。まるでお面と下にあるはずの顔が同化しているようだった。気味の悪い姿に、聡見はどうやって逃げるべきか考えた。
「そんなに警戒しないでください。私は、ただのしがないお面屋ですから。あなた達に素晴らしいものを紹介するために、話しかけただけですよ」
ひょっとこが、話せば話すほど怪しい。不審者を見る目を聡見が向けていれば、その後ろから良信が顔を覗かせた。
「素晴らしいものってなに?」
「あ、こら。話しちゃ駄目だって」
「おや、お友達の方が興味があるようですね。あなた達の人生を変えるような、そんな素晴らしいものが待っていますよ。今日だけ、今だけ特別です。これを逃したら次はありません。二度とないチャンス、見るだけでいいので一緒に来ませんか?」
良信が興味を持ったせいで、ひょっとこの勢いが増す。こうなったら自分では止められないと、聡見は本当に危ない時は殴ってでも止めてやると覚悟を決めた。
「それじゃあ、少し見るだけならいいよ。とみちゃんも本当は気になっているでしょ。こんなに勧めてくれているんだから、見てあげないと可哀想だって」
「……分かった。でも、金魚すくいしたいから、ちょっと見るだけな」
「うん、約束」
「そうと決まりましたら、早速ご案内いたしましょう。……ああ、そうだ。申し訳ないのですが、お2人にはこちらをつけてもらいますね」
そう言って渡されたのは、対になったお面だった。黒と白、狐をモチーフとしたもの。
「これは?」
「素晴らしいものを紹介するために必要なチケットだと思ってください。こちらをつけていただけないと、連れて行くのが難しいですから」
チケットと言われてしまえば、素直に受け取るしかない。聡見は黒色を手に取り、良信には白色を渡してつけた。
視界が狭まったが、歩くのには支障のない範囲だった。女子用浴衣のせいで、聡見は良信が知らない人に見えてしまう。手を繋いで、その知っている体温に安心した。
「とてもお似合いですよ。それでは行きましょうか」
ひょっとこがニヤリと笑う。聡見が思わず握る力を強めれば、良信が安心させるように顔を覗き込んだ。
「大丈夫だよ、とみちゃん。悪いことは何も起きないから」
「う、うん」
ひょっとこ先導の元、聡見と良信は手を繋いだまま着いて行った。
「さあ、ここです」
祭りの喧騒が遠くに聞こえる位置、薄暗く木が生い茂っている場所に、テント張りの小屋があった。明かりが少ないせいか、陰気な雰囲気が漂っている。
こんな場所に、素晴らしいものが本当にあるのか。聡見はすぐにでも回れ右したかったが、良信に手を引かれる。
「どんなものがあるかなあ。楽しみだね」
「分かったから、引っ張るなって。転ぶ転ぶ」
観音開きの入口に向かえば、その先は真っ暗だった。あまりの暗さに、飲み込まれるような不安があったが、聡見は良信を信じて中に入った。
「う、わあ……」
「思ったより凄いねえ」
中に入ると、急に視界が開けた。そして2人は感嘆の声をあげる。
色とりどりの光が全体を包み、金魚が空を泳いでいた。水に自分達がいるかのように錯覚し、タネを探してみるが見つからない。分かるはずないと馬鹿にするみたいに、金魚は目の前を優雅に泳いで通り過ぎる。
不安な気持ちを忘れて見とれていた聡見は、中に他に人がいるのに気がつく。浴衣を着た同じような子達。大人の姿は無い。みんなお面をつけているが、おかめや鬼などもいて、素顔までは分からなかった。はしゃぎながら、金魚が泳いでいるのを見たり追ったりしている。
「楽しんでいただけているようですが、まだまだこれからです。お次は、音を楽しんでいただきましょう」
姿は見えないが、スピーカーが設置されているのか、どこからかひょっとこの声が聞こえてきた。そして、うっとりするほど美しい音色が流れてくる。言葉では説明できない、今までに来たことの無いそれは、体の力が抜けてくる効果があった。その場にいたみんな、地面に座り込む。
「お次は楽しい夢を見ましょう」
それからも素晴らしい体験は続き、時間も忘れて楽しんだ。さっさと帰ろうとしていたはずなのに、ずっと続けばいいと思ったほどだ。
完全に意識が取られていた聡見だったが、良信に手を強く握られ、痛みで覚醒する。
「そろそろ戻ろうか。とみちゃん、金魚すくいしたいって言ってたもんね」
「あ、ああ」
鈍い返事しかできなかったのは、帰りたいと強く感じなかったからだ。しかし聡見は反対する気もなかったので、大人しく良信と帰ろうとする。
しかしその瞬間、ひょっとこの心底愉しげな笑い声が響いた。
「帰ると言っている人がいるみたいですが、ふふっ、もう帰ることは出来ませんよ。出口がないのですから」
言葉通り、あったはずの入口がどこにも無くなっていた。テントには切れ目がなく、出られそうなところもない。
そこでやっと、聡見は良くないものに巻き込まれたと気づいた。ひょっとこは自分達を閉じ込めて帰す気がない。連れていかれるのか、操り人形にでもされるのか、何かの餌にされる可能性だってあった。
「ど、どうしよう」
出口がなければ帰れない。聡見は絶望して、目の前が暗くなりかけた。しかし倒れずに済んだのは、良信がいたおかげだ。
「悪いことは何も起きないって言ったでしょ。ちゃんと帰れるよ」
お面の下で目を細めた良信は、聡見の手を握ったまま進む。起こされた聡見は足をもつれさせながらも、必死についていった。
「無駄ですよ。どうしたって入口は見つけられませんから。さっさと諦めた方が賢いですよ」
煽るひょっとこ。普通の子供だったら、それで心を挫けさせられただろう。
しかし相手が悪かった。
「見つけられないなら、作っちゃえばいいんだよ」
「へ」
良信はテントの前で、手を振った。ただの動作だけだったが、動きに合わせて空間が切り裂かれた。ひょっとこの間抜けな声。予想だにしない事態に、処理が追いついていないらしい。
待っているほど優しくない良信は、そのまま聡見を連れて外へ出る。引き止める間もなかった。
「とみちゃん、そのまま振り返らないで歩いて。いいって言うまで」
「分かった」
後ろから楽しげな音や、戻ってくるように誘う声がしたが、良信のいいつけを守り決して振り返らなかった。
「うん、そろそろいいかな」
良信がそう言ったのは、神社の境内に戻ってきた頃だった。安心した聡見は、足の力が抜けてその場にへたり込む。繋いだ手は汗をかいていたが、それを理由に離す気にはなれなかった。
「な、んだったんだ。あれ」
「そうだなあ……人さらいの一種?」
回復するまで立てない聡見の傍に、良信はしゃがみ説明する。
「あのまま帰れなかったら?」
「あそこにいた子ども達の仲間になっていただろうね」
「他にいたのは、もうあっち側だったのか。……助けることは出来なかった?」
「残念ながら。あっちに染まりすぎていたから」
「……そうか」
それなら仕方がない。聡見は決して少ない人数ではなかった子供達に同情しながらも、自分には助けられないと諦めた。一歩間違えれば、同じ存在になっていたかもしれないのだ。良信のおかげで助かったが、そもそもの原因も良信だったからなんとも言えない気持ちになる。
「それにしても、あれは変態だね」
「あれって、ひょっとこ?」
「とみちゃん、気づかなかった? あそこにいたの、女の子ばかりだったでしょ。つまりそういう子が好みってこと」
「……それじゃあ、俺達に声をかけてきたのは……」
「まあ、間違われたんだろうね。それぐらい、とみちゃんが可愛かったんだよ」
ひょっとこに目をつけられたのは、女子の格好が原因でもあった。可愛いと言われても決して嬉しくない。
事実を知った聡見は、これからはどんなに物でつろうとしても絶対にこういった格好はしないと強く心に誓った。
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