第36話 死角


 死角というもの恐ろしいものであると、聡見は常々思っていた。

 障害物や体の向き、視野の狭さなど様々な要因があり、すぐ近くであっても見えなくなる。そこに何かがいたとしても分からない。どれほど恐ろしいことだろうか。

 近づいてくるのが人間ばかりとは限らないので、聡見はできる限り気にして生活をしていた。



「あ」


 ――危ない!

 そう続くはずの聡見の言葉は、声にならなかった。

 聡見と良信は、登下校を基本的に一緒にしていて、片方に用事がある時は学校の玄関で待ち合わせをしていた。

 今日は聡見に用事があり、待っている良信のところへ急いで向かっていたのだが、途中で止まらざるを得なかった。

 良信は聡見に背を向けた状態で立っていた。そこに、スルスルと近づく物体がいたのだ。

 フォルムを説明するならば、ナメクジが一番的を射ていた。ねっとりと粘膜が体を覆っていて、つつけば軽く反発がありそうな餅ぐらいの硬さ。移動した道筋に、粘膜が残っていた。スピードがナメクジほどだったら良かったが、音を立てずにとんでもない速さで良信に近づく。

 あれは良信に悪影響を与える。気づいていないから、俺がなんとかしなくては。死角だから見えていない。

 そう思って声を出そうとしたのだが、結局言葉にはならなかったのだ。


 背後から近づき飛びついたそれを、良信は視線を向けることなく叩き落とした。何故か手に持っていたハリセンを使って。

 バチィインという音が響き、聡見は手を伸ばした体勢で固まった。叩かれたそれは、地面に勢いよく体を打ちつけて消える。残ったのは粘膜だけだ。


「あ、とみちゃん。遅かったね」

「えっと、悪い」


 聡見に気づいて振り向いた良信は、今あったことを話題に出さなかった。聡見もなんとなく聞くタイミングを逃して、良信の隣に並ぶ。

 良信には死角が無いのかもしれない。そう考えて、聡見は違う意味で恐ろしくなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る