第23話 願い
近所に、有名な男性がいた。
年齢は70歳を越えていて、何が有名なのかというと、少し行動がおかしかった。
「お願いしますお願いしますお願いします」
歩きながら、そうずっと呟いている。誰かに向けて言っているのではなく、口から自然と零れているみたいな様子だった。
近所の人は気味悪がったが、害は無いので放置していた。子供達も「お願いじじい」と名付けて遠巻きにからかった。
何をお願いしているのか、誰にも分からない。この人が徘徊するようになった理由を、何人かは知っていた。
「あの人は、可哀想な人だから」
「あんなことがあったら、やっぱりねえ」
老人は山下と言い、自分の家近くを歩き回っていた。何をお願いしているのか。それは、もう20年以上前に起こった事件にさかのぼる。
当時山下は、2歳年下の妻と30代の息子夫婦、そして5歳になったばかりの孫がいた。孫の名は涼太。元気いっぱいで人懐っこく、近所でも愛されるアイドルみたいな存在だった。
家族みんな溺愛していて、山下も色々な場所に遊びに連れていくほど涼太が好きだった。
しかし、悲劇が襲いかかる。
山下が公園に連れて行って、少し目を離した隙に涼太の姿が消えた。どこかに隠れているのだろうと、遊びに付き合っている気分で探していた山下だったが、一向に見つからず何かが起こったのだと気づく。
焦りながら交番に行き、涼太がいなくなったことを告げた。すぐに家族にも連絡して、捜索の範囲を広げたが見つかることはなかった。
事故か事件に巻き込まれたのか。しかし死体は見つからず、誘拐犯から連絡が来ることもなかった。警察も調べてはくれたが、何も手がかりはなく、山下は自分を責め周りからも責められた。
どうしてきちんと見ていなかったのか。もしかして何かあったのを隠そうとしているのではないか。特に息子夫婦からの責めが強く、山下はどんどん元気を失っていった。さらには心労がたたり、妻が倒れ入院。月日が経たないうちに、そのまま亡くなってしまった。
妻が死に、そして息子夫婦も出ていった。1人残された山下は、とにかく涼太に何があったのか知りたくて情報を集めた。
顔写真入りのチラシを作り、店に頼み込んで貼ってもらい、自身も駅前など人の多いところに行って配った。
「お願いします、どんなことでもいいです。何か知っていることがあれば教えてください。お願いします」
すっかりやつれた姿で、必死に頼む山下。同情が集まり、テレビ番組で取り上げられ、一緒に協力してくれる人も現れた。
しかしそれも、時が経つにつれていなくなった。事件のことすらも人々の記憶から消えていく中で、山下だけは決して諦めなかった。
ただ老化と、それに伴うボケも進行して、彼はただお願いしますと呟きながら徘徊するだけになってしまった。
可哀想な老人。近所の人は、そういう理由もあり山下の行動を見て見ぬふりしていた。同情していたが、臭いものに蓋をするぐらいの感覚でもあった。
「そんな人に、今から会いに行くの? どうして?」
良信の話を聞いて、聡見は訪ねる目的が分からず首を傾げた。
休日、寺に行くとちょうど良信が出かけようとしているところだった。遊ぶ約束を特にしていなかったので、用事があるなら帰ろうとしていた聡見を呼び止めて一緒に行くかと聞いてきた。
「え、いいのか?」
まさか誘われるとは思わず、良いのか確認する。
「うん。とみちゃんがいた方がいいかも」
良信は、聡見の顔をじっくりと見ながら答えた。視線の奥に意味ありげなものを感じて、ゾクッと背筋が寒くなった。しかしその気配はすぐに無くなったので、考えすぎだと首を振った。
向かっている途中、目的地とそこに住んでいる山下の悲惨な過去を教えてもらう。
「本当に、俺が行っても構わないのか」
「平気だと思うよ」
そんな重い過去のある場所に今からいくなら、聡見はもう一度同行していいのか問う。良信の返事は、どこまでも軽かった。
「ずっと前に頼まれていたのが、ようやく叶えられそうだから。まさかこんな時期にね……それも運命かなあ」
意味ありげな言葉をこぼす良信の目は、どこか悲しさに包まれていた。聡見は、そんな良信の手を自分から握る。そうそうない行動に、視線が向けられるが無視して前を向いた。ふにゃりと笑った良信は、絡めるように握り直した。
良信が連れてきた場所は、普通の一軒家だが寂れた雰囲気があった。家に元気がない。死んでいる、聡見はそう思った。
手入れがされていない壁にはひびが入っていて、屋根も瓦が何個か落ちている。雑草も伸び放題で、知らない人が見れば空き家だと間違えそうだ。
本当にここで合っているのか一瞬疑ったが、表札には山下とあった。インターホンはボタンのカバーが割れていて使えそうにないので、門扉を開けて中へと入っていく。
石が玄関までの間に一定の距離で配置されているが、草が邪魔をして通りづらくなっていた。聡見は良信の後を追った。すでに手は離れている。
「外を歩き回っているって言ったよな。出かけてないのか?」
家まで来たはいいが在宅とは限らない。むしろ話が確かなら、外にいる可能性が高い。そうなったら見つけるのも一苦労だ。心配する聡見だが、良信は杞憂だと笑った。
「大丈夫大丈夫。きちんと約束しているから。絶対にいるはずだよ」
断言した通り、山下は家にいた。
2人が声をかける前に、勢いよく扉が開いた。心臓が止まるのではというぐらい驚いた聡見に対し、良信はいつも通りだった。
「はじめまして。先日連絡した者です」
聡見が予想していたよりも、山下の見た目は若く映った。しかし怒りや悲しみ、憎しみなどの感情が強く、視線を向けられた際に聡見は意味もなく謝りそうになった。やはり来るべきでなかったと場違いな雰囲気を感じたが、意外なことに聡見の存在について山下は特に何も言わなかった。
「……入ってください」
顎を引いて中に入れと促され、良信に続いてもごもごと挨拶をしながら家に上がる。
フローリングの床に、クリーム色の壁。内装は洋風で、外とは違い最低限の手入れがされていて、ホコリなどは溜まっていなかった。
靴を脱いでいる時に、そこが一番気になっていた聡見は胸を撫で下ろす。
山下は口数少なく先導し、リビングへと案内した。まっさきに視界に入った4人がけのダイニングテーブルと子供用の椅子に、聡見はいたたまれなくなって視線をそらした。
しかし、今度は壁にかかっている家族写真が目に映る。まだ若い山下と、隣で微笑む妻だろう女性。他の写真には息子夫婦と、そして姿を消した涼太らしき少年の姿があった。
眉のところで切りそろえられた髪。くりくりとした目と笑顔は、その子をほとんど知らなかった聡見からしても可愛らしいものだった。聡見はさらにいたたまれなくなり、下を向くしかなかった。
座りづらかったが立っているわけにもいかず、山下の正面の席に良信と並んで腰かける。沈黙が場を包んだ。山下が口を開くのが数秒遅かったら、聡見は耐えきれずに世間話を始めるところだった。
「それで……何が分かったのですか?」
重々しい言葉。そこには、なんの希望も残っていなかった。20年以上探し続けていた間に、どんどん失ってしまったのだ。
まだ期待はしている。そうでなければ、良信の訪問を受け入れ入れたりはしない。
「うちの寺に、最近お祓いをしてほしいとある品が持ち込まれました」
それがどうしたのだと、山下は言いたかっただろう。しかしぐっと我慢した。良信の視線が止めさせた。
良信はカバンから、布に包まれた何かを取り出した。視線がそれに集中する。
「あなたはこれに見覚えがあるはずです」
いつもとは違う良信の話し方に、聡見は別人みたいに思えた。いつもの彼がいい、そんなわがままはこの場では言えなかった。
それよりも山下の反応が凄まじくて、態度を気にするどころではなくなった。
「そ、それは!」
中から出てきたのは、車のおもちゃだった。色が剥げて、動かそうとしても壊れている。古い玩具。山下は震える手で、それを指す。
「そ、それは涼太のお気に入りのおもちゃです。あの時も、公園で遊ぶのだと……一体どうして?」
「そうでしたか。見えたものに間違いはないようですね。……このおもちゃからは、涼太君の記憶が見えました。大好きな祖父との思い出です。一緒に遊んでくれるのが、凄く嬉しかったみたいです」
「で、でも私はっ。涼太を……目を離したせいでっ」
山下は涙を流しながら、責めるように自分の頭をかきむしる。そんな彼に対して、良信は肩に手を当てて優しく話しかける。
「いえ、あなたのせいではありません。それについて、一つだけ言っておきたいことがあります」
泣きすぎて声も出せない彼に、良信はさらに話を続けた。
「このおもちゃを買ってあげたのは、山下さんと奥様ですね。涼太君はとても気に入っていた。そんな彼が、これを落とすとは思えないでしょう。連れ去られたとすれば声を上げて助けを求めるはず、事故に遭ったとすれば何も痕跡がないのはおかしいです。そうなると、残った可能性は一つ」
傍で聞いていて、聡見はこの話がどこへ向かっているのかが気になった。静かに話を聞いている山下が怖かった。悲しみが消えて、憎しみが大きくなっている。
「この品物は、遺品整理で持ってこられました。前を向くために、との話でしたが……」
「……そうですか、教えていただきありがとうございます。これは私が引き取ってもいいですか?」
「はい、どうぞ。あなたが持っていらっしゃれば、悪いことは起こらないでしょう」
「本当にありがとうございました。おかげで、何をするべきかようやく分かりました」
「それは何よりです。お引き取りいただいたので、料金は結構です。もし何かあれば、またご相談ください。……とみちゃん、行こうか」
「え……あ、うん。えっと、お邪魔しました」
良信に手を引かれ、聡見は逆らわずにその場を後にする。山下がおもちゃの車を強く握りしめながら、遠くを見ている強い目が印象に残った。
それから、山下は徘徊を止めた。
お願いしますと言いながら、歩くことも無くなった。好奇心で何があったのか尋ねた近所の住人に、晴れ晴れとした顔でこう答えたらしい。
「天涯孤独の身となったから、強く生きなければ涼太に申し訳ないと思ったんですよ」
その手には、おもちゃの車があった。
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