第11話 海に浮かぶ


「海行きたい」


 夏のある日、部屋であまりの暑さに溶けながら、聡見は言った。

 自分の部屋はあるがエアコンがなく、扇風機しか涼を取れるものがない。氷を入れた麦茶も、すでに常温の液体と化していた。アイスは決められた数しか食べられないので、涼しくなるためのアイテムが限られている。

 汗が全身から吹き出し、扇風機の生ぬるい風だけでは到底耐えられない。

 そこで、冒頭の言葉だった。


 部屋には、聡見一人だけではなかった。主である聡見を差し置いて、ベッドの上を占領している良信がいた。

 特に暑がっている様子もなく、知恵の輪を解いては戻しを繰り返していた。


「なあ、それ楽しい?」

「まあまあ」

「俺の話聞いてた?」

「まあまあ」

「聞いてないな」


 完全に話を聞いていない良信に、聡見は自分の不快を伝えるためにベタっとくっついた。


「うわあ。汗かいてるね」

「冷たっ。え、生きてる?」


 そして同時に驚く。

 良信は汗まみれなことに、聡見は触れた体の冷たさに、と理由はほぼ正反対だった。


「元から、暑さは感じないんだよね」

「いいな、羨ましい」

「あはは、その代わり冬は寒くて死にそうだけど」

「極端だな」


 どちらがいいかと聞かれれば、答えづらい性質だ。うげっと顔を顰めて、聡見は良信にくっついて少しでも涼しさを得る。


「なんでこんなに暑いんだよ。猛暑日とか死ぬ。だから、海行こうぜ」

「うみ?」

「そう。電車で行けば、何とかお昼前に着くだろ。とにかく行こう」


 翻弄されることが多い聡見は、暑すぎて遠慮が無くなっていた。乗り気では無い良信を半ば引っ張るように、海に行く準備をさせる。


「海だ!」


 電車を乗り継ぎ、予定通り昼前に海に到着すると、テンションが上がった聡見は暑さを忘れて駆け出した。

 その後ろを、良信がノロノロとついて行く。


「とみちゃんは元気だねえ」


 まるで老人のような言動をしながらも、決して嫌がっているわけではない。顔に出づらいが、テンションは上がっていた。

 それを聡見も知っているからこそ、とりあえず海の水を手ですくってかけた。


「うわあ」

「もっと驚けよ。中に入ると冷たい。でも、良信は暑くな、ぶっ!?」

「お返し」


 水を顔で受け止めた良信は、隙を見て聡見の顔に水をかける。油断をしていたので、直撃する。

 水でへばりついた前髪をかきあげて、聡見は笑った。


「ははっ、覚悟しろ!」


 そして、戦いの火蓋が切って落とされた。びしょ濡れになるまで続き、傍から見れば子供のじゃれ合いが終わった頃には、上から下まで濡れて大惨事となっていた。


「これ、乾くまで帰れないよな」

「着替え持ってこなかったからね。そもそも濡れる予定じゃなかったし」

「それは、良信が」

「元はと言えば、きっかけはとみちゃんでしょ」

「う……そうだけど」

「ま。こうしていれば、帰る頃には乾くでしょ」


 日当たりのいい場所にTシャツを置き、日陰で炭酸を飲み休憩する。


「海もいいね」

「だろ?何も考えずに来たけど、楽しいよな」

「とみちゃんと来られて良かった」


 素直な感想に、聡見は照れ隠しに視線をそらした。


「ん?」


 そして気がつく。


「なんだ、あれ」


 それは沖の方にいた。

 白い塊に、最初はゴミでも浮いているのではないかと思った。しかし、やけに大きい。

 風や波に揺られ、遠くに行ったり近づいたり。

 位置が変わって、聡見は見てしまった。

 白い髪。人だ。存在に気づいてしまい、まっさきにまずいと考えた。

 およそ常人とは言えない動きに、聡見は隣にいる良信の肩を叩く。


「よ、良信。あ、あそこ」

「んー?」

「あれ、やばい。どうしよう。気づかれたかも。こっち来てないか?」


 それが波に揺られて近づいている気がして、体をガクガクと揺すり、助けを求めた。


「よ、良信なんとかしてくれ」


 聡見の言っている方に視線を向けて、良信は眉間にしわを寄せた。睨みつけているようにも、観察しているようにも見えた。


「分かった。なんとかするよ」


 そう言いながら、良信はスマホを取り出して連絡をしだす。

 遠くのそれに、飛んできた鳥が止まった。


 良信の連絡を受けた警察が来て、詳しい話を聞いてきたが、聡見は衝撃から抜け出せず呆然としていた。何も出来ない彼に代わり、良信が全てを処理した。

 意識がぼんやりとしながらも、運ばれていくそれだけは、しっかりと聡見の記憶に刻み込まれた。

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