第4話 絵画の女性


 良信の生家である天雲寺には、いわくつきのものが持ってこられることがある。もちろん供養してもらうためだ。品物が原因で恐ろしい経験をしたため、藁をもすがる思いで持ってくる。

 現在の住職は持ってこられる品物を拒否せず受け入れて、供養のためにお焚き上げをしたり、それが出来ない時は蔵に置いて呪いなどがおさまってくれるのを待った。

 その蔵は寺の敷地内にあるが、一般人が入らないように藪の中、それも奥の方に建っている。狙っていかない限りは、たどり着けない場所だった。わざわざ行きづらいところに建てたのは、中に眠っているものをいたずらに刺激させないためだ。

 興味を持ちそうな近所の子供も、探検するのを避けるぐらい、禍々しい空気を漂わせているので、中に入ろうとする者は関係者以外いなかった。

 そのため、寺によくお邪魔している聡見ですら、中に何があるか知らない。良信にすら聞いたことはない。

 ただ、蔵に入れる前の品物を見たことは何度かあった。下手をすれば、遊んでいる最中に寺の息子だと勘違いされて、無理やり押し付けられる。


「どうか、これをお願いします」


 その日もそうだった。寺の庭で良信を待っていた時に、憔悴しきった男性が敷地内に入ってきたと思えば、突然有無を言わさず渡された。


「え、ちょっと」


 さすがにと声をかけたが、すでに男性の姿は消えていた。去っていく背中すら見えなかった。呆然と立ちつくしながら、腕の中にある物を見る。

 それは額縁だった。箱などに入れることなく、むき出しのままぞんざいな扱いを受けている。賞状ぐらいの大きさだったため、重さはなかった。表の部分を胸に押し付けている形となっているので、どんな絵なのかは聡見はまだ知らない。

 良信はどこかに行ったまま戻ってきておらず、待つべきだという考えも浮かんでいたのだが、好奇心を抑えられない。

 少し見るだけなら――そう悪魔の囁きに逆らえずに、聡見は絵画を傾けた。


「うお……」


 思わずといった感じで、声がこぼれる。

 もっと禍々しいものを予想していたのだが、そういったふうでは無かったからだ。

 水面の上に跪く女性。金色の髪が長いから、体全体を覆うように広がっている。そのせいなのか、女性の顔は見えなかった。

 見た目だけなら、ただの綺麗な絵だった。聡見も、特に嫌なものを感じなかったのだが、吸い寄せられる魅力があった。

 少し見るだけだったのに、目が離せない。そして取り憑かれたように、絵を持ったまま寺から出ようとした。


「あれ、とみちゃん。何してるの」


 しかし良信に話しかけられ、歩みが止まった。そのまま逃げようという気持ちもあったが、さすがにせずに振り返る。


「……あ、えっと」


 何をしていたのだと冷静になり、後ろめたさから視線をそらす。こういう時にめざとい良信は、すぐに聡見の腕にあるものに気づいた。


「誰か来た?」


 聡見の様子がおかしいと察しているはずなのに、そこには触れない。それが逆に責められているように感じた。


「……うん、これをよろしくって」


 持って行こうとしたのは言わず、名残惜しくなりながら絵画を良信に差し出した。絵を見た良信は、聡見のように魅入られた様子もなく淡々としている。

 それが何故か、聡見にとって苛ついた。興味が無いなら返してくれ――俺のものだ。


「とみちゃん」


 良信の呼び掛けにハッとする。自分は今何を考えていたのかと、恐ろしい気持ちになった。自身の感情をコントロールできない。絵を見てから、完全におかしくなっていた。

 それを自覚しているのにも関わらず、どうしようも出来ない。


「あらま。思ったより重症みたいだね」

「何が?」

「うーん……ちょっと待ってて」


 一方的に宣言すると、絵を持ったまま良信はまたどこかへ行ってしまう。手を伸ばしかけたが、残っている理性で押しとどめた。

 聡見の頭には、まだ絵の女性がこびりついて離れない。彼女の顔を見たい。彼女に会いたい。段々とそれしか考えられなくなる。

 自分で無くなる感覚に恐怖を抱き、聡見は頭を抱えた。悪意を感じなかったのに、魅入られているのは良くないものだったからだ。頭のどこかでは分かっているはずだが、どうしようも出来なかった。


「はい、これ」


 いつの間にかしゃがんでいたため、良信が戻ってきたのに気づかず、話しかけられて驚いた。ノロノロと顔を上げると、掛け軸を差し出す姿があった。


「……これは?」

「寝る前に必ず、部屋のどこかに飾っておいて」

「なんで?」

「いいから」


 説明をする気のない良信に、問い詰めるのを諦めた聡見は掛け軸を受け取った。その瞬間、あんなにも狂おしいほど感じていた女性への執着が消える。

 これは、守ってくれるものだ。クリアになった頭で、そう判断する。


「分かった。ありがとう」

「こちらこそ」


 お礼を言うと、何故か向こうも感謝するようなことを口にしたので、少しだけ疑問が湧いたが気のせいだと流した。


 その日の夜。

 良信に言われた通りに、部屋に掛け軸を飾ろうとした聡見だったのだが、広げた中身にギョッとする。


「なんだこれ」


 守り神でも描かれているのかと思っていたそこには、柳と共に恨みがましい視線を向けている女性の姿があった。白装束を着て、その合わせ目は逆だった。完全に幽霊を描いたものだ。


「こんなの、飾っていいのか?」


 嫌なものをひしひしと感じたが、それでも良信を信頼しているので、できる限りベッドから遠い壁に引っかけた。

 そして突き刺さる視線を無視して、眠りにつく。視線が来る方向が、掛け軸からだと感じていても気付かないふりをするしかなかった。


 夢の中で、聡見は水面を歩いていた。沈むことはない。

 向かっている先に、あの女性がいると何となく察していた。行っては駄目だと本能が警告しているが、操られたように歩き続けた。


「……あ」


 そうしているうちに、金色に輝く女の髪が目に入ってきた。向こうも彼を待っているかのように、その場に跪いている。

 ますます警告が大きくなるが、歩みを止められるほどではなかった。このまま女性に近づけば、良くないことが起こると分かっていてもだ。

 女性までの距離が1メートルほどになった。その時である。聡見の脇を、凄まじい速さで何かが通り過ぎたのは。

 思わず足を止めた聡見の視界には、驚くべき光景が広がっていた。

 金髪の女性と、白装束を着た女性が掴み合いの喧嘩をしている。いやもっと酷いことに、噛み付いたり引き裂いたりと、時間が経つにつれて激しくなっていく。

 すでに、聡見のことは意識の外にあるようで、女性達の争いは続いた。流血が凄まじい惨状を見ていることしか出来ず、その場から動けなかった彼は、ただただ吐き気を我慢するしかなかった。



「ちょうど同じ力を持ったのをぶつければ、相討ちになるかなって思って。上手くいって良かった」


 あっけらかんと言う良信に、聡見は呆れて何も言葉が出なかった。

 目を覚ますと、まっさきに掛け軸を見た彼は、そこに描かれていたはずの女性がいないのを確認する。その代わりにおびただしい量の血と、肉片らしきものがあり、思わず口を抑えた。

 夢の中で出てきた女性だと確信し、登校中に良信を問い詰めようとしたのだが、本人は全く悪びれた様子がなかった。


「……もっと、他になかったのか?」

「まあ、一番手っ取り早いかなって。それに、もうひとつの呪いも消えて一石二鳥じゃない?」


 呪いには呪いを。その考え方は分かったが、自分を巻き込まないでほしかったと聡見は肩を落とした。


「二度と止めてくれ」

「はーい」


 面白くていい方法があったと、愉快犯ゆえに再び同じことをしそうな良信に釘を刺したが、納得したのかどうかは怪しいものだった。

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