第2話 霊感をうそぶく


 聡見には、昔からどうしても苦手とするタイプがいた。


「あそこに、血まみれの女の霊が立っている。相当な恨みを持って死んだみたいだ。もしかしたら、誰かに殺されたのかもしれないな」


 それは自分には霊感があると触れ回り、大袈裟なパフォーマンスをする人である。そういうタイプは一定数いて、周りを巻き込みながら、霊がいると騒ぎ立てる。


「本当に? 怖い、どうしよう」

「大丈夫。この札を使えば、何とか祓えるはずだから――はあっ! ……よし、霊はいなくなった」

「凄い! さすがだね」

「こんなの、なんてことないよ。でも、まだ怨念が残っているかもしれないから、この札を持っていた方がいい」

「ありがとう!」


 今も教室の隅に女性の霊がいると言って、はべらせている女子生徒を散々怖がらせた後、手製の札を取り出し除霊の真似事をしていた。

 彼の名前は佐々木。聡見と良信と同じクラスの男子生徒だ。小学校は別だったが、中学は学区の関係で一緒になった。

 新入生として割り当てられたクラスで、自己紹介で放った言葉から違っていた。


「僕には霊感がありますので、何かお困り事が起こった時には、どんどん頼ってください。どんな霊も祓ってみせます」


 普通であれば失笑ものだが、佐々木は口がうまく何人かの生徒を虜にした。そして、こうしてたまに霊がいると言い出しては、騒いでいる。

 聡見は一部始終を、教室の後ろにある席から、頬杖をつき眺めていた。佐々木が霊の存在を示した、教室前方の隅――そこには何もいなかった。除霊されたわけではない。初めから、霊などいなかった。実際は、その反対側に腰の曲がった老人がいた。佐々木にそれが見えていないのだから、霊感があるという話がにわかには信じられなくなる。つまり彼は、嘘つきだった。

 聡見は霊が見えるが、それを周囲に打ち明けていない。唯一知っているのは、同じく霊が見え、なおかつ祓える良信だけだ。

 誰にも言っていないのは、自身の力を忌まわしいと感じているのと、特異な目で見られるのを避けるためである。そのため、わざわざ周知する人が何を考えているのか分からず、苦手としていた。

 その中でも、佐々木は嫌悪の感情まで抱くようになった。勝手に除霊の真似事をしているのは、まだ我慢できた。しかしあろうことか、佐々木は良信を目の敵にしだした。

 寺生まれの良信は成長するにつれて、容姿だけは薄幸の美少年になった。さらにはひょうひょうとした性格も相まり、どこか浮世離れした雰囲気のおかげで、女子に密かな人気があった。本人は、全く気にもとめていないが。

 しかし、それが佐々木には面白くなかった。霊感があるという点を除けば、彼はどこまでも普通の男。容姿や頭脳は平均的。運動神経も可もなく不可もなく。特出する部分がなかった――だからこそ、霊が見えると言い出したのだろう。少しでも目立ちたいと考えたのだ。

 嘘をついてまで人気になろうとしているのに、良信はその場にいるだけで空気を変えた。佐々木の取り巻き以外は、何か相談したいことがあった際に、まっさきに頼りにするのは良信だった。それも敵視する原因になってしまう。

 妬みに似た感情を、佐々木は良くない方向で発散した。良信を貶めながら、自分の武勇伝を声高々に語るようになったのだ。


「前に、筒井君が男性に取り憑かれているのを見たことがあるよ。気づいていないかったみたいだから、僕が祓ってあげたんだ。そのことにも気づいていなかったから、もしかしたら僕みたいな能力を持っていないのかもね」

「筒井君って寺生まれだって言うけど、全く力がないね。だって、祓っているところを見たことがないからさ。でも恥ずかしくて隠すしかないから、ああやって雰囲気でごまかしているんだよ。その点、僕は実績があるから、とある団体にも評価されているんだ」


 ありもしない話を堂々と広めるので、さすがの聡見も一言注意しようとした。友人である良信を馬鹿にされて、怒らないはずがなかった。

 しかし当の本人が、全く気にしていなかったのだ。佐々木が聞けば激怒するだろうが、存在を認識しておらず、因縁をつけられている時も自分がターゲットにされていると考えていなかった。無視しているというより、そもそも興味がないのだ。

 それを知った聡見は怒りが小さくなり、少しだけ佐々木に同情した。本人がどうでもいいのであれば、自分が対処するのは良くない。そう結論を出し、とりあえずは様子見をすることに決めた。

 一方、相手にされずにいた佐々木は、次の段階に移った。良信に対する嘘はやめて、重大な任務を任されているふりをするようになった。


「実は今、誰も手を出せなかったとんでもない悪霊を、祓うために準備をしているんだ」

「その霊は、体長が3メートルほどあって、醜いのはもちろん悪臭で人々を苦しめている。姿を見たら、発狂してしまうだろうね。僕もさすがに苦戦しそうだ」

「取り憑かれた人は悪夢にうなされて、どんどん生気を吸われる。最後に訪れるのは死だ。これまで幾多の人が戦ったが、みんな上手く出来ずに取り込まれた。力を蓄えて、今では祟り神に近い存在になってしまったんだ。だから、絶対に一般人は近づいてはいけない」

「その悪霊は、様々な文献にも登場しているんだ。政府も存在を把握しているけど、どうしようも出来ずにいた。でも僕にある能力の高さを評価してくれて、依頼をしてきたんだ。最初は断ろうと思ったけど、さすがに見て見ぬふりは出来なくてね。まあ、世界を救うぐらい、どうってことないさ」


 初めの頃は、凄いともてはやしていた取り巻きも、あまりに嘘くさい話に段々と佐々木を疎んじるようになった。人が減っていくのに焦り、話がエスカレートしていって、また人が離れる。焦りのせいで悪循環にはまり、最終的に誰も傍にいなくなった。

 一人になってもなお、佐々木は大声で嘘を重ねていく。見ていて痛々しい姿に、聡見も遠巻きにしながら心配していた。


 それから、数日が経った頃。

 教室に近づくにつれて、聡見は異臭が強くなるのを感じる。腐ったような臭いで、目まで痛くなってくるほどだった。

 嫌なものがいる。そう感じたが、まさか教室にいるとは思っていなかった。

 しかし、教室の扉を開けて絶句する。そこにいたのは、今まで出会ったことのない何かだった。霊、と一言では表せなかったのは、あまりにもその外見が禍々しすぎたためである。

 瘴気を撒き散らし、ぶよぶよとして赤黒い肉塊に似たものが、呼吸をしているかのように一定のリズムで動いている。内蔵みたいだ。しかし所々に、目や口や指がめり込んでいる。それは、ぎょろぎょろと周りを見ていたり、聞き取れない言葉を発していたり、助けを求めるように蠢いていた。


「――うっ」


 強烈な見た目と臭いのせいで、気分が悪くなった聡見は口を抑えて後ずさる。しかし、すぐに誰かにぶつかってしまった。


「おはよう」

「……良信」


 それが良信だと分かると、聡見の体から力が抜けた。彼がいれば大丈夫。これまでの経験から、ほっと胸を撫で下ろす。


「あ、あれ」


 とにかく何とかしてもらおう。そう考えて、早くこの場から立ち去りたい気持ちを抑え、教室にいる存在を知らせた。そちらに視線をやった良信は、特に驚いた様子を見せなかった。


「ああ。とうとう、存在を得ちゃったか」

「存在を得た?」


 何故か状況を把握しているので、聡見はどういうことなのかと説明を求める視線を向けた。


「えーっと、山田君だっけ? 色々と言っていた人」

「もしかして、佐々木のことを言っているのか?」


 ここまで来ても、クラスメイトの名前を間違える良信に呆れつつ、話を促す。


「そうそう。最近、たくさん言っていたでしょ。悪霊がいるとかなんとか」

「でもあれは、嘘だっただろ?」

「嘘から出たまこと。話しているうちに、知らず知らず力を与えていた。それがああやって、実態化したってわけ」


 にわかには信じられなかったが、我慢してそれに目を向けると、わずかな隙間から佐々木の顔が見えた。一気に老けて、目の下に隈ができている。


「悪臭、悪夢、生気を吸い取られる。今なら実体験として話せるね――祓えるかどうかは知らないけど」

「……もしも祓えなかったら?」

「それも自分で話してたでしょ」


 生死に関わる話のはずなのに、良信は興味がなさそうに口にした。他の人間は、彼にとってどうでもいい存在なのだ。それを、聡見は再確認する。

 もう一度、佐々木を見た。自分の話が現実となり、恐らく苦しんでいる姿を。あれをどうにかできるのは、限られた人だけだろう。

 死にかけていると分かった今、聡見にできることは一つしかない。そして彼は迷わず、実行に移した。


 それから一命を取り留めた佐々木は、二度と霊がいると嘯くことはなかった。

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