俺の変わった幼なじみ

瀬川

第1話 初めての出会い


 聡見さとみは、自分の目が嫌いだった。どれぐらいと聞かれれば、抉り出したいと考えたことが、数え切れないぐらいあったほどだと答えられる。

 物心つく前から、彼には人とは違うものが見えていたからだ。それが良くない存在だと気づいたのは、何度も危険な目に遭ったせいである。

 親にも相談できず、誰にも話せず、それに呑み込まれないように、一人で処世術を学んでいった。

 相手に気づいていないふりをすれば、向こうも襲いかかってはこない。どんなに悲鳴をあげたくなる外見をしていても、いないと自分に言い聞かせる。そうやって、難を逃れてきた。


 でも、これは駄目だ。

 聡見は、ランドセルの肩ひもを握りしめて地面を見つめた。顔をあげられない。あげたら、あれが視界に入ってしまう。

 学校からの帰り道。いつもの道が工事中だったため、回り道をするしかなく、何もいないようにと願った交差点にそれはいた。

 遠くから存在を確認しただけで、本能が危険だと察した。今まで会った中でも、トップクラス、命の危機を感じるほどだ。

 その交差点は、前から見通しがいいはずなのに、事故の絶えない場所だった。死亡事故も何件かあり、よく花束やお菓子などが供えられていた。聡見も親の運転する車に乗っている時に、何度かそこを通った。しかし、あれを見るのは初めてだった。

 隠れていたのか、新たに発生したのか、判別はつかないが、とてつもない怨念の強さに近づくだけで気分が悪くなる。

 本当であれば、Uターンして別の道に変えたかったのだが、それをすれば相手に悟られる可能性が高い。聡見は、そのリスクをおかせなかった。だから、仕方なく近づいていた。

 近づくにつれて、どんな姿なのか嫌でも目に入る。すらりとしてワンピースを着ている女性だったが、元は白かったはずの服は茶色くまだらに汚れていた。血が乾いたあとだ。聡見は、そう思った。

 経験上、お供え物が新しいところに立っている霊は、比較的害は少ない。自分が死んだことに気づいおらず、どこへ行けばいいか分からなくて、さまよっているのがほとんどだ。そのうち行くべき場所を知り、いつの間にか成仏している。

 しかし、何も無いところに立っている霊は違う。時間が経過してもなお、現世にしがみつき、強い恨みを持っている。さらにたちが悪いのは、害をなす対象を無差別に選ぶところだ。留まるうちに、自分が誰を恨んでいたのか分からなくなってしまうせいだった。

 そして交差点の歩道に立っているのは、後者タイプ。目を合わせてはいけない。距離を縮めながら、不自然にならないように地面に顔を向けた。自分の足しか見えないのが、今は心強かった。

 大丈夫、これまでもどうにかなってきた。目を合わせないかぎり、向こうは何もしてこない。気づいているのに気づかれなければいい。そう内心で言い聞かせながら、女の脇を通り過ぎようとした。

 早足になりそうなのを抑えて、さりげなく進んでいた聡見は違和感に襲われる。どこかおかしい。言葉にするのは難しいが、まるでピースがずれているようだった。

 怖がっているせいだと、握りしめる手の力を強くした。白く色が変わるぐらい、でも表情は涼しく見える。霊なんて見えておらず、地面に何か面白いものでもあるような、そんな雰囲気を作っていたのだ。

 しかし、視界に女の足が入った途端、思わず肩が跳ねた。まずい、そう自覚した時には手遅れで、女の意識が自分に集中しているのを感じた。

 女の足は、裸足のせいでところどころ傷や汚れがついている。爪はひび割れ、その隙間から血が滲んでいた。節くれだっていて、人ではなく獣の足みたいだ。見たくないのに、勝手に細部まで目に飛び込んでくる。

 爪先が聡見の方に向いていた。自分に気づいているのかどうか、まだ探っている段階らしい。それなら、早くここから離れなくては。聡見はさりげなくスピードをあげた。意識を別に移す努力をしながら、脇を通り過ぎようとした。

 幸い、足だけならば何とかなりそうだった。自分の方を向いているとはいえ、置物だと思えば恐怖も多少は薄れた。顔を見なければ、きっと大丈夫だ。

 ――世間ではその考え方を、フラグと呼ぶ。

 突然、笑い声が聞こえてきた。息を漏らすような、変な笑い方だった。段々と大きくなっていく声だけでも恐怖を煽ったのに、聡見は女がこちらを覗き込もうとしていると分かってしまった。

 そして違和感の正体が、女の体の向きだとも気づいてしまう。足はこちらを向いているのに、腕は逆だった。体がねじれている。どういうふうにと想像できるほど、聡見は強くなかった。

 目が合えば、死ぬ。根拠は無いが、確信があった。そして同時に、自分ではどうすることもできないという事実も叩きつけられた。

 女の傍に来た時点で、そもそもこの道を選んだ時点で、聡見の運命は決まっていた。女が現世に留まるための糧にされる。逃れるすべはなかった。

 今まで気をつけていたのに、ここで人生を終えるのか。すでに諦め出した聡見は、変なものが勝手に見えてしまう自身の目を呪った。この目がなければ。あの時、抉っておくべきだった。

 女は腰を曲げていた。動きが遅いのは、それ以上早く動けないからか、獲物をいたぶるためか。どちらにしても、いつかは目を合わせることになるのは間違いない。死刑執行を待つ気分で、いつしか歩みが止まっていた。

 笑い声が、耳障りなほど大きく高くなっていき、頭に響く。顔をしかめた聡見だったが、耳を塞ぐことも、目を閉じることも出来なかった。

 女の長い髪が垂れ下がり、地面について広がる。人間ではありえない曲がり方をしながら、体を折りたたんでいた。うつむいている視界に入ろうとすれば、どれほどその体をねじ曲げるのか、想像するだけで聡見のこめかみに汗がつたった。

 現実逃避をしているが、その間にも女は動き続けている。口元、鼻とくれば、残された時間は少ない。

 耳まで裂けそうな口が、にやりと三日月形を描く。そして獲物を頭から呑みこもうと、大きな口を開けた。


 ――突然、その体が吹っ飛んだ。


「!?」


 聡見は驚いて、思わず女の体を目で追った。横に吹っ飛ぶと、地面に倒れ、ピクピクと小刻みに震えていた。起き上がろうとでもしているのか、手や足を動かしているが力が入らないようで、死にかけの虫みたいになっていた。

 何が起こった。聡見は呆然と立ち尽くしながらも、女の脇をコロコロと野球のボールが転がっているのに気づいた。そして女が吹っ飛んだ際、頬を白いものが直撃したのを思い出す。それは弾丸のように早かった。

 一体、どこからボールが飛んできたのだ。ようやく聡見は、視線を飛んできた方向に移す。

 2メートルほど先には、ランドセルを背負った少年が立っていた。聡見と目が合うと、口元を緩ませた。


「間違えちゃった」


 場の状況がおかしいと気づいているはずなのに、少年の雰囲気は気が抜けるほど緩かった。自分と同じぐらいの年齢の子に、助けられたのだと理解した聡見は、緊張から解き放たれて立っていられなくなった。


「あらら、大丈夫?」


 焦った様子もなく近づいてきた少年は、聡見の前に来ても手を差し伸べることなく、観察するように見ていた。腰が抜けたまま、聡見は尋ねる。


「……あれが、見えるのか?」


 少年は、まさかそんなことを聞かれるとは思ってもみなかったとばかりに、首を傾げた。そして未だに蠢いている女に目をやって、なんてことのないように言う。


「まあね」


 これまで見える人に出会ったことの無かった聡見は、嬉しさから勢いよく立ち上がった。自分の苦しみを分かち合える仲間が見つかった。それだけで、恐怖はどこかに消えていた。勢いのまま、彼に手を差し出す。


「お、俺、遠見とおみ聡見さとみ。えっと、君は?」


 自己紹介をしたのは、少年の顔に見覚えがなかったせいだ。同じ小学校であれば、全く知らない子はいないはずなのに。もしかしたら、違う学校の生徒かもしれない。そう考えたが、別に大きな問題ではなかった。

 差し出された手をまじまじと見ながら、少年は数秒何も言わなかった。しかし、そろそろと手を握り返し、満面の笑みを浮かべた。


筒井つつい良信よしのぶだよ。よろしくね、とみちゃん」

「とっ!?」


 これが良信との出会いだった。

 後から、彼が近所にある寺の息子だと知り、聡見は納得した。通りで霊が見え、そして対処ができたのだと。

 驚いたのは、良信が同じ学校に通っていたことだった。しかも別とはいえ、隣のクラスであった。存在に今まで気づいていなかったわけである。さすがに申し訳ないと感じ、本人には言えなかったが。

 その日を境にして、交差点では事故が減った。やはりあの女が、人を引きずり込んでいたのだ。良信がいなければ、聡見も犠牲者の一人になっていただろう。

 助けてもらったのには感謝しながらも、聡見の心に引っかかっていることがあった。冷静になってから、どういう意味だったのだと頭を悩ませていた。

 それは、良信のとある言葉。


「間違えちゃった」


 何を間違えたのか。まさか、ボールの狙いは女ではなく……その答えが怖くて、気になってはいても尋ねられないまま時間が過ぎ、話題に出せなくなった。

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