二人で反省文を書く話

 杏里アンリが来てからずっと、私はおかしい。もともと苦行だった儀式のような着替えが、本当に、本気で、嫌になってしまった。女子中学生を主張するためのスカートとか、赤いスカーフとか、ぶかぶかの袖とかが、私を重苦しく縛る鎖のように思えた。すべては、杏里のまなざしが原因だった。あの目に見られると、なんだか、どうしても。 


――杏里に、似合わないって思われたくない。

 

 私は精一杯の反抗に、朝からジャージを着た。制服はぐちゃぐちゃに丸めてサブバッグにしまい込んだ。母親に見とがめられる前に家を出て、早足で街をいく。いつもより少し遅れて出たから、たぶん奈々未さんにも、杏里にも会わない。

 坂を上り切ればあとは降りていくだけ。あとは道にそっていくだけ。なのに私の足ときたらひどく重たい。思い切って校則違反をしたはいいけれど、私の中のいい子ちゃんな部分が今になって葛藤を起こしているみたいだった。

 やっぱり嫌でも着てくるべきだったんだよ、と天使の私。

 いや、たまにはこういう主張もしないとだめだよ、と悪魔の私。

 なんだか悪魔の私の方がいいこと言ってるように聞こえる。気のせいだろうか。

 そんなこんなで普段の通学路を歩き終えた私が校門前で見たのは、生活指導の五十嵐いがらし先生に呼び止められている杏里だった。

「あれ」

 遠くから、「校則違反だ!」という言葉だけがちぎれたように飛んでくる。五十嵐先生は、校則違反を見付けるのが好きだ。杏里は首を横に振った。

「俺、これが校則違反だとは思いません」

「いや、男子は耳にかからない程度の髪の長さと決まっている」

 五十嵐先生は鼻息荒く言った。「君のそれは、耳にかかっている。切りなさい」

 周りの生徒たちは二人を遠巻きに校門に吸い込まれていく。ハサミを取り出さんばかりの勢いの五十嵐先生は、杏里の腕をつかんだ。

「生徒指導室に来なさい」

「五十嵐先生」

 私は思わず駆け寄って、先生をじっと見下ろした。私の身長は、178センチ。どんな先生よりも高い。

「うわっ」

「杏里は転校してきたばかりなので、大目に見てあげてください。慣れるのにも時間がかかるでしょうし、なにより」

 驚いていた先生だけど、だんだん状況が飲み込めたらしい。私の格好を指さす。

「七瀬! ……お前、その恰好! 制服はどうした!」

「そうです。大っぴらに校則違反をしている私もいることですし、ここは……」

 五十嵐先生は私に見下ろされながら眉間に青筋を立てた。

「二人とも生徒指導室に来なさい!!」



「……この格好で来て、正解だったかもなぁ」

 私は生徒指導室の机に座って、私は真っ白の用紙を埋めるべく、シャーペンをくるくると回した。

「ありがとうございました、結羽ゆう先輩。庇ってくれて」

「たまたまだよ、たまたま。迷ってたんだよね、制服着たくなくて」

 隣でやはり反省文の用紙に向き合っている杏里の横顔を、私はやはり見れずにいる。

「着たくない?」

「似合わないでしょう、ああいう格好」

 

『私は制服を着ず、ジャージで登校してしまいました』


 最初の一行を書き終えて、まる。そんな私を見つめる視線がある。だけど私はどうしてもそちらを向けなかった。

「似合わないから着たくなかったの。たったそれだけ。そしたら杏里が、たまたまそこで五十嵐先生に絡まれてたの。……たったそれだけ」

「俺はそうは思わない」

 杏里は強い口調で告げた。ソプラノの声が変にかすれた。だから――私は見ないようにしていた杏里の方を見てしまった。

 

「先輩は何着ても、似合うと思います」

「……そう?」

「そう」

「私がもう十センチくらい小さかったら、……お世辞でも信じたかも」

「お世辞じゃない。どうして自分のことを悪く言うんですか」


 杏里は不機嫌になって乱暴に紙を埋め始めた。チャイムの音が鳴り響いて、一限が始まったことを私たちに教える。間に合わなかったことに対する罪悪感はまるでなかった。杏里を怒らせたものが何なのか、私には分からなかった。

「……怒ってる?」

「ええ」

 先輩が、自分のことを下げるから。杏里はそう言った。

「俺は本気で言ってるのに」


 こんなとき、なんと言えばいいんだろう。


「……ごめん」

「この前言ったじゃないですか。俺は先輩に会いに来たんだって。去年見た喜劇『ハムレット』、あの時の主役の人に会いたくて来たんだって」

「そんなことは言ってなかったよ?」

「今、言いました」

 憤然と、杏里はすべてを書き終えて立ち上がった。

「先輩。俺はあなたが好きです。好きで追いかけてきました」

「あ」

「だから、もうこれ以上、自分のことを下げたりいじめたりしないでください。怒ります」

「は、い」


 杏里は言うだけ言って、生徒指導室を出ていってしまった。私は、しばらく放心していた。俺は貴方が好きです。俺は貴方が好きです? ……いや、ありえないし。

「聞き間違いかな」

 つぶやきには誰も答えてくれなかった。私はサブバッグからぐちゃぐちゃになった制服を取り出すと、女子トイレに行って手短に着替えた。くしゃくしゃのスカートのプリーツが、今の私を代弁してくれているような気がした。


「聞き間違い……だよなぁ」


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