演劇部に本物の子役が来た話
放課後が来た。私は
「演劇部のレディたち。そしてプリンス結羽! みんな揃ったね」
腕組をして仁王立ちを決め込んでいる奈々未さんは、みんなをぐるりと見渡して、それから大きく両腕を広げ、部室の一角に座っている男子生徒を示した。
「待望の男子部員だよ!
私たちはいっせいに彼の方を見た。私はすぐに、今朝の子だ、と気づいた。
「
声変わりが始まっていないソプラノボイス。近くで見るとより一層整った顔立ち。彼が着れば大抵の服は何かの衣装に見えるだろう。中学校の素朴なワイシャツでさえこんなにさわやかに着こなしているんだから。
「男子部員って珍しいね?」
みんなが囁きあった。無理もない。この中学校は男子は野球部一強。女子は吹奏楽部が半数。だから演劇部にも今まで男子部員がいなかったのだ。その、いない男子部員の代わりに、私が一年生の時から「男役」を務めていた。
「中園くんはねえ実際の映画で子役をやったこともあるんだよ、ねっ中園くん」
奈々未さんが言うと、女子部員たちが揃って高い声をあげた。
「へえー!」
「何の映画?」
「どれも海外の映画です。最初の映画は僕は赤ん坊だったので、記憶はまったくありません」
杏里はよどみなく答えた。とても綺麗な日本語を話すのだなぁと思った後に、それは偏見だ、と思い直した。杏里は私の手の届かないところで、平均身長の女子たちに囲まれている。そう背は低い方ではないはずなのに、私が無駄に伸びているせいで小さく見えてしまう。
「フランス人の祖父が俳優をしていたので、その伝手で何作か出演しましたけど、そんなに大したことはありませんよ」
「過度な謙遜は敵を作るぞっ」
奈々未さんがどこかで聞いたことのあることを杏里に言う。そしてこちらを見て、何か目配せをした。私は彼女をじいっと見返した。
「なんですか、部長」
「奈々未さんとお呼び! プリンス結羽、エチュードだよ。題目は『姫と騎士』」
いきなり無茶ぶりが来るなんて思わなかった、というと嘘になる。奈々未さんは無茶ぶりの権化だから、これは想定の範囲内だ。私は騎士のセリフを
『姫!ここは危険です。お早く』
急に始まったエチュードに気づいて、部員たちがはけていく。残されるのは、私をまっすぐ見つめる杏里だけだ。私は従者なので、ツカツカと彼の元に歩み寄り、彼を見下ろして、そのまま
「どういうことですか、佐々木部長」
「奈々未さんとお呼び! ――これは最初のセリフだけが決まっている寸劇だよ。続けて、アンリくん。今の君はお姫様だ」
青い瞳が私を見おろす。どの角度から見ても、綺麗な顔。でも私は今は騎士だ。私はすべてを忘れて騎士の殻の中に入りこんでいく。騎士は姫の足元に跪いて、彼女の返事を待っている――。
『貴方を残してはいけないわ』
高いボーイソプラノの声が、そう言った。甘い女の子の声音で。瞬時に「女の子」になってしまった杏里におののきつつも、私は次の台詞を探す。
『私などどうなっても構いません。姫は私の命です。どうかお早くお逃げください』
『いいえ。……いいえ。私は逃げません。貴方がともに来ると言うまで、逃げません』
騎士はいうことを聞かない姫をどうするだろう。迷っている間に、姫は畳み掛けてくる。
『この城とあなたと、……終わる覚悟はとうにできております』
次の瞬間、私は杏里に抱きすくめられていた。いい匂いがして、あの綺麗な金髪が目の前にあった。思ったより広い背中が見えて、そして。
『あなたが好きよ』
息が止まった。がくがくと脳みそが揺れてるみたいで、演じてるはずなのに、演じただけなのに、本当に「私」に言われたみたいで、心臓がおかしくなってしまった。ドキドキが止まらず、私は
「はいカット。上手だね、アンリくん。君なら女の子役もできそうだ」
奈々未さんがパチパチ拍手をしながら私たちの間に立った。私はピークを過ぎたドキドキを持て余したまま立ち上がって、胸の痛みを誤魔化すみたいにオーバーな動きをしてみせた。まるでさっきの抱擁なんかなんてことなかったよ、みたいな風に。
「元子役、すご……すごすぎだよ……」
まだ胸が痛い。痛いのが胸なのか心なのかわからない。こんなに女の子になれる男の子がいるなんて。
……こんなに、演技中の私の心を、ぐらぐら
揺さぶる人がいるなんて。
「俺、できれば男役がいいんですけれど」
アンリはにがにがしく笑う。「女の子と間違われるのは、あんまり好きじゃないので」
「善処しとくね!」
奈々未さんの「善処」は通ったためしがない。今後も杏里に女役を振るんだろうな、と思いながら、私はため息をついた。
「さてプリンス結羽。今の演技を見ていて、きみには宿題を出さなければならないと思ったよ」
「え?」
奈々未さんは汚れたメガネをぎらんと光らせる。何かとんでもない思いつきが彼女の頭の中にあるらしかった。
「なんですか、宿題って」
「これからきみには毎日アンリくんと『姫と騎士』のエチュードをやってもらうよ。姫はアンリくん。騎士はきみ」
「えっ」
「当演劇部のプリンスなら
「ええっ」
「不満かい?」
そういうわけじゃ、ない。と言いかけて、私はまた胸を押さえた。せっかく収まりかけていたドキドキがまた蘇ってきて、私の
「……わかり、ました」
「よし!じゃあ次のエチュードは、せっかくだからアンリくんと……」
そうして当たり前に始まったはずの演劇部の練習は、私の目の前を通り過ぎていくパラパラ漫画のコマみたいだった。全てが静止して見えたし、全てがコマ送りだった。さっきの、「好きよ」が頭から離れなくて。
頭から、離れてくれなくて。
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