双子と着替えと隣部屋:Day2 morning



 僕は朝にはあまり強くない。

 特に予定がないならば、日曜日の起床は早くとも午前一〇時を過ぎる。

「あんまりねぼすけだったら布団剥いで起こしちゃうからね」などと、果たしてどの口が言うのか。


 しかしこの日、目覚めて枕元のスマホを確認すると時刻は八時前だった。

 早起きの理由は明らかで、先程から絶えず何らかの物音がしているのだ。

 マンションの共用部分である外廊下からの足音。

 そして隣室――二〇一号室からゴトゴトと物を置いたり、動かしたりするような音。


 確か、隣はしばらく空き部屋だったはずだ。

 前の住人はすれ違ったら挨拶する程度の間柄だったが、律儀に退去の挨拶をしてくれたのを覚えている。その後、二〇一号室には引越し業者がなにか運んできた気配もなければ、新しい隣人ともすれ違っていないし、生活音も皆無だった。


「誰か引っ越してきたんかな……」


 上半身を起こす。

 クランとラズはまだ、すうすうと寝息を立てていた。二人とも、僕の小学生時代とは違って就寝前から大きくポジションは動いていない。良いことだ。

 まだ少し眠いし、もうちょっとだけ一緒にまどろみ――待った。


 なんか足下湿ってない?





 脱衣所の洗濯機が、ベッドシーツと寝間着、そして双子の下着を抱えて回転している。

 着るものがなくなったクランとラズは、昨日からは考えられないローテンションな声色で「ごめんなさい」と言ったきり、バスタオルを体に巻いた姿のままどんより押し黙ってしまっていた。


「ま、まあ……どっちにしろ、そろそろシーツ洗濯しなきゃなって思ってたから」


 とはいえ、これが続くようだと困るわけだが……。

 彼女らをずっとこのままにしておくわけにもいかないので、一刻も早い着替え(を含む荷物)の到着が待たれる状況だった。昨日のように熊谷さんが持ってきてくれるのだろうか。


 ピーンポーン。

 噂をすれば、インターホンが鳴り響いた。


「おっ、来たかな……」


 ナイスタイミング。はーい、と玄関へ向かい、扉を開ける。


「おはようございます。緋衣瑠生さまですね」

「えっあっ、そうです」


 頭の中ではすっかり、あのでっかい警備員さんが訪ねてくることになっていたので、しどろもどろな応対をしてしまった。

 玄関の前に立っていたのは、黒いスーツ姿で、切れ長の目をした美女だった。艶やかな黒髪をポニーテールにしていて、僕と同じか、少し年上……鞠花姉さんと同じくらいに見える。


「猫山と申します。緋衣鞠花さまのラボのスタッフです」


 差し出された名刺を受け取ると、名前は猫山洋子ネコヤマ・ヨウコとあった。例のフォーマット。心都大学情報科学研究所のものだ。


「ああ、どうも。姉がお世話になってます。双子ちゃんの件ですかね」

「はい。すでに連絡があったかと思いますが、お二人のための荷物をお持ちしました。諸々隣室に運び込みましたので、ご自由にお使いください」

「……隣室?」


 まさか、さっきの物音は。


「借りたんですか、そこ!?」

「ええ。三人となると、この物件の一室ではやや手狭だろう……とのことで。家具や家電一式を運び込んであります。オーナーさんには話が通っていますし、お家賃や光熱費等々はラボの負担になりますのでご安心を」

「マジか……」


 フットワークと予算が凄い。荷物を届けるどころの話ではなかった。

「ちょっとそこで待ってて」と双子に呼びかけ、僕は猫山さんとともに二〇一号室に向かった。





 玄関の扉を開けると右手にキッチン、左手に風呂やトイレなどの水回りがあり、奥に一部屋、さらに奥にもう一部屋が連なっている。

 二〇一号室の間取りは僕の部屋とほぼ同様だが、キッチンと風呂・トイレの左右が逆になっており、角部屋であるため、二〇二号室にはなかった場所にも窓がある。


 猫山さんの言葉どおり、キッチンには冷蔵庫や電子レンジなどの家電が揃っていて、次の部屋にはベッドと洋服ダンスに鏡台、最奥の部屋にはダイニングテーブルと椅子が四脚、テレビに加えて二人分の作業デスクが用意されている。

 真ん中を寝室、最奥を居室に使うスタイルも僕の部屋と同様のセッティングだ。


「瑠生さま、おはようございます」


 最奥の部屋では、熊谷さんがテーブルのそばで段ボール箱を解体していた。荷物を運んできたのはやはりこの人だったようだ。


「おはようございます。すみません、まさかここまで……」

「いえ。突然のことをお引き受けいただいたわけですから、今後も可能な限りのサポートはさせていただきますよ」


 頼もしい言葉だった。なにしろ双子のことを引き受けたはいいものの、完全にノープランである。


「さしあたり、瑠生さまがご不在中のことはお任せください」


 背後からそう声をかけてきたのは猫山さんだ。

 彼女はいつの間にか、ベージュの三角巾とエプロンを装備していた。

 凛とした顔立ちでクールな印象の人だが、小さく拳を握っている姿には、親しみを感じる。


「四六時中常駐というわけにはいきませんが、お部屋の掃除や食事の用意などやらせていただきます。通学やお友達付き合いにあたっては、どうぞお心置きなく」


 ……サポートが手厚い。昨日の食事代を請求するどころの話ではなかった。

 本当に何者なんだ、双子。


「朝食がまだでしたら、早速ご用意しますよ。クランちゃんとラズちゃんのお着替えはベッドの横のタンスに入っていますので、持っていってあげてください……あ、行き来がご面倒でしたら、物件ごと買い上げて壁をぶち抜くとかも可能ですが」

「そ、それはさすがにいいです……」





 猫山さんはテキパキと朝食の準備をすると、熊谷さんと共に去っていった。またあとで来てくれるとのことだったので、おおまかに考えている今日の予定を伝えておいた。


 用意いただいたメニューは焼きベーコンと目玉焼き、それにトースト、葉野菜とトマトのサラダだった。コップにはオレンジジュースも用意されている。

 僕にとって朝食といえば、大学に行くときはコンビニのパンと野菜ジュース、休日に至ってはもはや食べないのがデフォルトになっていたので、こういった食事は久しぶりだった。

 二〇一号室のテーブルを囲み、僕と双子は手を合わせる。


「いただきます」

「「いただきます」」


 天気は昨日に引き続き快晴。

 まぶしい朝日を浴びながら、程よく焦げ目のついたカリカリのベーコンを口に運ぶ。ていねいな暮らしをする真人間になったかのような、爽やかな気分だ。

 クランとラズは、白いTシャツとカーキ色のサロペットに着替えている。双子用の衣類はきっちり一種につき二着ずつ用意されており、お揃いで着られるようになっていた。


「とろりとした黄身に少しの塩気……この目玉焼きは、昨日のオムライスを包んでいた卵とは違う美味しさですね。ベーコンの食感も、噛むと染み出してくる味わいも、クラン好きです」


 ご機嫌な朝食に、双子の姉はすっかり調子を取り戻していた。


「バラで食べるのもいいけど、こうやって乗っけてごらん」


 僕はサラダからレタスを数枚とって自分のトーストに乗せ、さらにベーコンと目玉焼きを重ねてかじってみせた。

 クランとラズが同じようにパンに具材を重ね、かぶりつく。


「「美味しい!」」

「でしょ?」

「これは……知ってる! BLTだね、お兄ちゃん!」


 ぐっとサムズアップするのは双子の妹だ。


「Tがないけどね。サラダに入ってるから、それ乗せたら一応BLTか」

「TAMAGOをTとするのは」

「時々聞く主張ではあるけども。いや、そもそもBLTは普通サンドイッチのことを言うかなあ」


 そういえば、昨日のキッチン・ロブスタはサンドイッチも美味しかった。

 割引券も貰ったことだし、今度また双子を連れて行こう。昨日ブンブン手を振って見送ってくれた三葉さんの姿に思いを馳せながら、ベーコンレタスたまごパンをかじってゆく。


「ところでお兄さま、今日はどうしましょう? ゆうべは、いろいろ入り用になりそうだから買い物に、ということになりましたけど……」


 あらかた食べ終えたところでクランが言う。

 昨晩、僕たちは寝る前にそういう相談をしていたのだが。


「うん、なんかいろいろいっぺんに揃っちゃったというか、なんというか」


 今朝突如として僕たちの家(2)となった部屋を見渡す。

 まさかこんな手当がつくとは……食材なんかもある程度冷蔵庫に入っている。


「とりあえずざっと確認して、まだ足りてなさそうなものあったら買いに行こうか」


 と言いつつも。実はひとつ、双子と一緒に見に行こうと思っていたものがあるので、どちらにせよ買い物には出かけるつもりでいた。


「お兄ちゃん、あれなんだろう? メモが貼ってない?」

「うん?」


 ラズが指差すのは、タンスのそばに置かれていた衣装ケースだった。

 鞠花の筆跡で「♡おまけ♡」と書かれた付箋が貼られている。





 スカートの裾を両手でちょこんと持ち上げ、クランが小首をかしげて微笑む。


「いい……!!」


 シャッターを切る。

 ラズが両手を広げてくるりと時計回りに一回転すると、スカートがふわりと広がったシルエットを見せる。


「ウワーッ! カワイイーッ!!」


 スマホがうなりを上げ、シャッターを切る。切る。切る。

 二人がまとうのは黒いロングスカートに白いフリルエプロン、そしてヘッドドレス。

 すなわちメイド服である。


 鞠花の付箋付き衣装ケースを開けてみると、そこに収められていたのはこのメイド服、それに巫女服、なんかのアニメに出てきそうな女子学生服、サンタガールにチャイナドレスなどなど、さまざまなコスプレ衣装だった。

 ドンキとかで買えるような安いやつではなく、しっかり本格派の作りであることが素人の僕にも一目でわかる良いものである。


 あの姉は一体何を考えているんだ。これをどうしろと。

 いや、そんなことはわかっている。

 だって全部二着ずつ入っているから。

 そしてここにはとびきりかわいい女の子が二人いるから。


「いろんな服が入ってるね、ラズ」

「あっ! ねえクラン、この服知ってる!」


 などと不思議そうに物色する彼女たちに。


「……ちょっと着てみる?」


 その一言を発してしまったのが運の尽きであった。


 やはり鉄板だろう、と試しにメイド服を着てもらったところ、案の定たいへんよく似合う。清楚さとあどけなさの同居が高得点だ。美少女が可愛らしい衣装を着ると相互作用で双方の魅力が際立つというのは、皆が知る基本シナジーである。

 僕は日常生活でさほど写真を撮ることはないのだが、このときばかりはノータイムでスマホのカメラを起動していた。さまざまなポーズや動きをリクエストしたところ、無邪気に繰り出されるそのどれもが映えること映えること。


「二人で向き合って、胸の前で両手をつないでください。顔もっと寄せて……あそうそう。目線こっちにください。流し目っぽくしてくれると助かります」

「なんで急に敬語……?」

「こうですか、お兄さま?」

「それ!!」


 耽美! 双子が最高に輝くポーズ。これよ。二人とも普段は眼鏡をかけているが、眼鏡なし版も何枚か撮っておくべきか。カメコと化した僕はすっかり撮影に夢中になり、アホほどボタンを連打&長押ししていた。

 来たのか。見る専だったインスタのアカウントがスーパーいいね量産機になる時が。

 いやダメだ、これは僕のものだ。こんないいものインターネットに放流なんかしてやらない。


 ……そんな有様だから、その足音に気付かなかった。


「申し訳ありません! お二人に渡し忘れていたものが――」


 勢いよく二〇一号室の扉を開けて、猫山さんが駆け込んできた。


 ――視線がぶつかる。


 沈黙の中に、シャッターの連写音が響いていた。

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