02

大陸暦1971年――平和な朝


 肌寒さを感じて目が覚めた。

 かすんでる視界はほのかに明るい。それで夜が明けている最中だとわかった私は、何度かまばたきをして前を見た。そこにはライナが仰向けに腕を投げ出して寝ている。

 私とくっついて寝ていたら大抵、朝にはこうなっている。子供は体温が高いから、寝ているうちに熱くなってしまうのだろう。そして肌寒く感じるのはライナが毛布を引っ張って、横向きに寝ている私の背中が出てしまっているからだった。

 ライナは口を開けたまま、小さな寝息を立てている。その呑気な寝顔に思わず頬があがるのを感じながら、ライナに軽くれた。


「ライナ」


 呼びかけると、ライナのまぶたうすらとあがった。この子は寝起きがいいから、だいたい一言、呼べば目を覚ましてくれる。

 ライナは眠そうな目でこちらを見ると、ゆるい微笑みを浮かべた。


「おねえちゃん。おはよう」

「うん。おはよう」


 二人で部屋を出て一階に降りる。その際、隣の部屋を覗いてみたら、父さんは戻っていなかった。そのことに安堵しながら顔を洗って朝食の支度をする。とは言っても朝食は昨日の残りもの――夕食と同じなので支度はすぐにできた。

 そうして用意した朝食を二人で食べて歯みがきをしたら、仕事の時間までライナと一緒に過ごす。

 仕事は基本、昼過ぎからで、事前に荷物が多いのがわかっているときは前もって早く来るように言われる。そういうときは日当を多くもらえることがあるので、こちらとしては嬉しいのだけれど、それをライナに伝えるとこの子はうなずきながらも決まって少し寂しそうな笑顔を浮かべた。

 その理由はわかりきっている。私と過ごす時間が減るからだ。

 だから早く行くときは、なんだか複雑な気持ちになる。

 生活のためにお金は稼がなければならないけれど、その代償にライナには寂しい思いをさせてしまうから。

 そして最近、思う。母さんもこんな気持ちだったのかな――と。

 今日は早く来いとは言われていないのでライナに勉強を教えながら過ごし、昼前には二人で家を出た。

 目的地は自宅から歩いて二十分ほど。この辺りでは一番の大きな空き地だ。

 近くに小さな商店街があることから人通りが多いその場所には、朝から沢山の子供たちが集まっている。その誰もが幼年学校に通えない壁近へきちかの子供たちだ。

 壁近へきちかも貧民街の壁区へきくほどではないにしても、子供を狙った犯罪がそれなりに起こる区域ではある。だから仕事で子供の面倒を見られない家庭は少しでも人目があるところにと、日中、その空き地で子供を遊ばせていた。

 とはいえ空き地も完全に安全なわけじゃない。何度か人通りが少ない時間帯に、子供が誘拐されそうになったという話も聞いたことがある。正直、日中に関しては家で留守番をさせていたほうが安全だろう。実際、子供を滅多に外で遊ばせない家庭もある。屋内にいるのが耐えられる子ならばそのほうがいいだろうし、そしてライナもそれができる子ではある。

 だけどうちの場合、いえにいさせたらいつ父さんがライナに手をあげるかわからない。

 それだけでなく最近では日中、父さんは家に女を連れ込むことがあった。私やライナがいてもお構いなしにだ。手をあげる心配がなかったとしても、そんなところに子供のライナを一人、いさせるわけにはいかない。

 ライナと一緒に商店街でパンなどの食料を買ってから、空き地へと向かう。

 そして入口に辿り着くと、私たちに気づいて子供が二人やってきた。

 ライナの話にもよくでてくる、アイちゃんとセイくんだ。歳は二人とも九歳で一人っ子。家がお隣同士の幼馴染だという。

 母さんが生きてたころは午前中に母さんが、そして午後は幼年学校から帰った私がライナの子守をして母さんが仕事に行っていた。だけど、どうしても午前中から仕事がある場合は、母さんはここにライナを預けていた。そのときからこの二人はライナの面倒を見てくれている。壁近へきちかの子は親から下の子の面倒を見させられることが多く、だからここでも自然と下の子を見てくれる上の子がいるのだ。


「ライちゃん。お姉さん。おはようございます」

「はよ」


 アイちゃんが丁重に頭を下げるのに大して、セイくんは軽い感じで挨拶をした。


「おはようございます」


 ライナもぺこりと頭を下げる。いつごろからか人に対してこう挨拶するようになったのだけれど、おそらくアイちゃんの影響だろう。


「おはよう。悪いけど今日も頼むよ」

「悪くないよ。ライちゃん。すごくいい子だもん。ね、セイ?」

「あぁ。帰りもちゃんと送るから、心配すんなよ」


 この二人は帰る方向が同じということで、ライナを家まで送ってもくれていた。


「ありがとう。本当に助かるよ」


 私はライナを見る。


「それじゃあ、行ってくる」

「うん。いってらっしゃい」


 一生懸命に手を振って見送ってくれるライナに、見えなくなるまで振り返してから足を早める。それから一旦、家に戻って食料を置いてからすぐに出かけた。

 次の行き先はもちろん仕事場だ。仕事場の倉庫は貧民街である壁区へきくとの境目近くにある。自宅から見て、先ほどライナを連れてった空き地からは真反対だ。距離も歩いて四十分ほどかかる。

 仕事の時間にはまだ余裕はあるけれど、私は小走りで倉庫に向かう。そうするのはたまに荷物が早く届いていることがあるからだ。そのときは早く荷下ろしができるし搬出も早く始められて、早く仕事が終わる場合がある。そうなればライナのもとに早く帰ることができる。だからそれを期待して、仕事場には早めに行くようにしていた。


 倉庫に近づくにつれ、ちらほらと建物に寄り添うように立つ女の人が増えてきた。

 壁近へきちかの裏通りが近いせいだ。この辺りではそこにある店の子が、日中問わず客引きをしている。それがどんな店か、そして彼女らがなんなのかわからないほど……私も子供じゃない。

 女の人たちは前を通り過ぎる私に、視線を向けてくる。その年齢は様々で、下は私ぐらいの年齢の子もいる。そのことを痛ましく思いながらも、決して人ごとではないその現実に目を背けるように視線を下げて、早足で通りを進んで行く。

 そうしていたら、この辺りでは大きめの建物、倉庫が見えてきた。

 倉庫の前を見ると荷馬車は止まっていなかった。どうやらまだ荷物は届いていないらしい。そのことに気持ち落胆していると、背後から声を掛けられた。


「早いなアルバ」


 振り向くと、タバコを口にくわえた監督がこちらに歩いて来ている。

 監督は私の目の前で立ち止まると、見下ろしてきた。監督は凄く大きいから私は見上げる形になる。


「荷物はまだ届いていないぞ」

「みたいですね」


 そう答えると、監督は倉庫のそばまで歩いて行って壁に背をつけた。

 早く着いたときは大抵、ほかに誰も来ていない。待っているうちに段々と人が集まるといった感じだ。だから着いた途端、人と――監督とこうして会うのは初めてだった。

 一人だと倉庫の隅に座ってみんなが来るのを待ってるんだけれど、今日は監督がいるしどうしたものかと迷っていると、監督が手招きをしてきた。


「こっち来い」

「あ、はい」


 私は駆け寄って監督に並んで立つ。監督は特に用事があって呼んだわけではないのか、タバコを吸っては空に向けて煙を吐き出すのを繰り返している。

 なんか話題を振ったほうがいいのだろうか。でも監督とは雇ってもらったときぐらいにしか、まともに話したことがないし……。普段も雑談とかしないし……あ、そうだ。


「昨日は飴、ありがとうございました。妹、喜んでました」


 監督には雇って欲しいとお願いしたときに、妹のことも話している。


「そうか」監督はこちらを見ずに言った。

「あれ、どうされたんですか?」


 流石に私にくれるために買ったとは思えないのでそう訊いてみたら、監督は眉を寄せた。


「ガキにぶつかられてな。泣きながら手持ちの飴を渡された。別に怒ってもいないし飴もいらないって言ったんだが」


 そう言う監督の顔はどう見ても怖い。


「お前もよく、こんな顔の奴に頼めたな」


 どうやら顔が怖い自覚はあるらしい。


「あのときは必死でしたから……それに」私は足下を見る。父さんの顔が脳裏に浮かぶ。「顔が優しくて中身が怖い人よりは、顔も中身も怖い人のほうが、よっぽど怖くないです」


 父さんが怪我をして初めて私たちに怒鳴ったのを見たときは、本当に怖かった。

 いつも優しい顔をしていたからその落差が大きくて、余計にそう感じたんだと思う。

 だから最初、監督を見たときは怖いと感じながらも、恐れまではしなかった。たとえ怒鳴られたとしても、中身も怖い人だったとしても、まだ外見通りというか想像がつくから。……まぁ、監督に関しては、中身は怖くなかったけれど。


「そうか」監督がタバコを吸う。

「あのとき、雇ってくれたこと感謝しています」


 私は心から礼を述べた。今こうして、最低限ライナを食べさせてやれているのは、一重ひとえに監督のお陰だ。もしあのとき追い返されていたら私はとっくに、覚悟を決めなければならなかっただろう。ライナを食べさせるために……母さんと同じ覚悟を。

 監督はなにも言わなかった。ずっと空を見ながらタバコを吸っている。

 少しの沈黙が流れたあと、やがて監督が口を開いた。


「……アル――」


 そのとき、車輪の音が聞こえてきた。

 監督がこちらに顔を向ける。視線は私の頭の先だ。私もそちらを見る。道の先から馬に引かれて、何台もの大きな荷馬車が向かってきている。


「早かったな」


 監督は壁から背を離すと、タバコを地面に落として踏みつけた。


「はい。……監督、なにか言いかけませんでした?」

「いや……ほら、ほかの奴はまだ来てないからお前が誘導しろ」手で払う仕草をする。

「はい」


 私は返事をして、荷馬車を迎えるべく歩き出した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る