第10話
不猿は、転がるコーヒーの缶を見る。その無機質な存在に自分を投影し、自分がどのように扱われてしまったのかを、自覚した。
一目見て、彼女のような存在に憧れて。自分を変えたくて。芯のある彼女を美しいと感じて。
好きだなって思って。
好きだって感じて。
その思いだけで、ここまで来た。
しかし、不猿のその募る思いが、蹴とばされた砂城のように、無残に砕かれた。
「何で、そんなこと言うんだ……」
膝をついてがっくりと崩れ落ちる。薄暗いこの場には、僅かに自動販売機の電子音が鳴るだけだった。遠くからは、校舎に反響して一年生のザワザワ声が僅かに聞こえてくる。早くしないと朝礼が始まり、出席が始まるだろう。だが不猿にはそんなこと頭に浮かばないくらい、失恋の絶望を噛みしめていた。
そんな静かな中だった。
テクテクと、不猿を真っ赤でつぶらな目で見据えてゆっくりと歩み寄る、四足歩行の生物がいた。全体的に白い体毛を纏い、小さな耳の穴から輪っかがくっついた大きな耳が特徴的だった。大きなしっぽを揺らし、その足を止めた。
その生物を見て、不猿は意味が分からず目をぱちくりさせていた。犬や猫とも違う。だがキツネやマングース等の生物とも違う。現実で見たことがない生き物。一目見れば新種を疑うところだろうが、中学生から高校生に上がった者ならば、こう見えるかもしれない。
まさか、ライトノベルとかアニメでよく見る妖精が現れたのではないかと。
そして周りとは違う、ちょっと波乱でワクワクドキドキとした冒険活劇が、これから自分に取り巻くのではないか? と。
「え、何これ?」
「やぁ、僕と契約して――――」
「おーーーっとごめんねぇーーー!」
謎の生物に絶望と期待で綯交ぜになっていた不猿に優しい言葉で語り掛けようとしたその刹那。一人の、おちゃらけた口調の少年が、青髪を激しく揺らしながら、まるでビーチフラッグの如く、謎の生物目掛けて飛び込んだ。その勢いのまま受け身を取って、謎の生き物を抱えた状態で立ち上がる。そして中身の見えない真っ白な袋を取り出し、その謎の生物をしまい込んだ。袋がもごもごとしている。
その様子を呆然と眺めて、不猿はまだぽかーんと口をあんぐり開けている。不猿を見て、少年は苦笑いしながら語り掛けた。
「ごめんね、俺のロボットが脱走しちゃってさぁ」
きょとん。という効果音が聞こえた気がする。少年はイヤホンの音量が一気に爆音になったように、唸って袋を持った手とは逆の手で耳を抑えた。謎の生物がそのチャンスを見て、もがく力を強める。
「離してよー! んー!」
「おっとと、逃がさないよ~」
もがく謎の生物を袋ごとぎゅっと抱きしめる少年。その間にようやく、不猿は話しかけるということをしていなかったことを思い出した。
「あ、あの! その生き物って一体……」
「あー、気にしないで、これは、ほら、俺ってロボット研究部でさ、AIを搭載して自立稼働させてたんだけど、この通り逃げちゃってね」
「で、でもさっき俺に話しかけてましたけど!?」
不猿の目が輝いた。さっきまで好きな女の子に一蹴されたことなどつゆ知らず。3キロバイトの記憶力を有する不猿の興味は、既に自立稼働するロボットの方へと移行していた。
「そうそう、chatGDPってあるでしょ? 知ってる? 人と話すみたいに話してくれるAIね。その技術を応用して、自立稼働しながら話しかけるロボットを開発しているんだよ」
「凄い高性能じゃないですか! まるで未確認の生命体が僕に未知なる能力を与えようとしている感ありましたよ! 魔法少女になるかと思いました!」
謎の鋭さを発揮する不猿。だがどうやら騙せているようなので、もう一つ取り出した袋に謎の生物、もといロボットを入れる。
そして青髪の少年は、先輩としての優しい口調で、不猿を諭した。
「おいおい、そんな超常現象がこの世界に起こるわけないじゃないか。異世界転生とかファンタジーとか、そういうのの見過ぎだぜ不猿君。そういう夢のある出来事ってのは、自分の力で作り上げるもんだからな。俺がこいつを作ったみたいに、さ」
この現実には、夢も無ければ希望も無い。だからって、そういうのを誰かにもとめちゃいけねぇな。自分で作った方が楽しいぜ?
笑顔の少年はそう言うと、暴れる袋をサンタクロースのように引っ提げて、不猿のいる階段を離れていった。階段をタンタンと小気味のいい音を立てて。
不猿は、その少年の背中を追いかけたけれど、さっきまでの足音は消えており、気配は全く感じなかった。
ありがとうは言えなかったけれど、不猿の心の炎は再び燃え上がった。両手で両頬をバシンと叩き、気合を入れる。落ちていたコーヒー缶のプルタブを開けて、グビグビと飲み干した。
「よし! こっからこっから!」
失敗を乗り越えて、不猿は再び、水原静を想うのだった。
その恋叶わなきゃ世界がヤバイ こへへい @k_oh_e
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