一章


 高校2年生の9月。

 嫌になるほどの快晴で、まだ暑さが冷め切らぬ放課後の教室に夕陽が差し込んでいる。

 夕暮れどきの教室には、もうあまり生徒の姿はない。


 そんな中、興奮した様子で予定を考えているのは、丸刈りのいかにも野球少年と言った見た目の男子生徒。


「なぁ、この後どうする!?」


 そんなに大きな声を出さなくてもちゃんと聞こえてるって。無駄に元気だなほんと。


 だが、その質問の対象は座っている俺ではなく…


「あ、私駅前に行きたい店あるんだよね!とりあえずそこはマストでしょ!」


 返すのは、学校指定のリボンを解き、制服を緩く着こなすいかにもなギャルらしい女子生徒。


「いいんじゃね?俺も行きたいとこあるし」


 誰かがそれに反応し、ワイワイと騒ぎながらその集団は教室を後にする。俺はと言えば、ゆっくりと話し声が遠ざかっていくのをただぼんやりと聞いている。


 俺、葛谷啓太は今しがた教室から出て行った一団には含まれていなかった。

 教室の左隅に位置する自分の席でスマホを眺めていたら、聞きたくもない一連の会話が耳に届いていたのだ。

 放課後の教室に残っていたのは先程までいたグループと俺ただ1人。


「───ほんと、バカじゃねーの」


 無意識に口から溢れた恨み事だったが、幸いそれを聞く者はもう誰も残っていない。


 毎日毎日、学校が終わるたびにバカ騒ぎして。何が楽しくてあんなはしゃいでるんだ?

 彼らに言わせればあれこそが青春ってやつなんだろうか。

 何をしても許される。どんな事でも出来る。友達といれば無敵、ぐらいに世の中を思ってるんだろう。

 楽しくて仕方ない自分を見せつけたくて仕方ないって様子だ。

 だから、教室で1人過ごす俺に見せつけるような声量で話してるんだろうか。嫌味な事だ。



 学校には可視化されていないだけで確かにカースト制度が存在する。

 生徒1人1人に序列の書かれた、見えない名札が付けられているのだ。

 俺みたいな1人でスマホを弄っているぼっちに発言権はないし、さながら空気のような扱いだ。スペースを取り邪魔だと言う点では、空気以下の存在価値かもしれない。


 それに引き換え、彼らは上位者。一軍とでも言うのだろうか。

 この場での主役は俺たちだと言わんばかりの立ち振る舞いに、俺のような下々は目を合わせる事すら許可されない。


 ───本当に、何が楽しいんだか。


 ゲーム画面を映し出していたスマホの電源を落とし、帰り支度を始める。

 もちろん、俺にこの後の予定などある訳がなく、本当に家へと帰るのみだ。


 教科書を鞄に詰めながら考える。

 あいつらからしたら俺みたいな存在はきっと見えてすらいないんだろうな。

 遊んでいられる高2の期間は今しか無い…とはいえはしゃぎすぎだ。帰って勉強でもしてろ、時間を無駄にしてんじゃねーよ。


 かくいう俺も家に帰ったとしてもただダラダラとするだけなのだが、そんな自分の事は綺麗に棚にあげた。


 ───どうせ内心では周りの事を見下してるんだろ?いいさ、こっちだってお前らを馬鹿にしてる。



「誰も君のことをを悪く思ったりしてないよ」



 突然、静まり返った教室に響いたその透き通る声に、思わずビクッと体が飛び跳ねる。

 何が起きたのかと、声の方向に目をやると、そこに立っていたのは確か同じクラスの…川崎?だったか。


「川崎美雨。クラスメイトの名前ぐらい覚えなよ?そんなだから友達も出来ないんだよ」


 皮肉を含んだように言う女子生徒は川崎美雨だと名乗った。


 そうだ、そんな名前だった。

 特徴的なのは、その綺麗に手入れされた長い黒髪。大きな目に通った鼻筋と、全体的に整った顔立ちが印象的だ。

 制服なのだから他の生徒と服は同じはずなのに、何故だか少しキラキラと輝くオーラを感じる。


 どうしてか理由を探すとすぐに思い当たった。

 あぁ、そうだ。川崎はさっき教室から馬鹿騒ぎしながら出て行ったグループの中に所属している、所謂、一軍女子ってやつだ。

 やっぱり雰囲気でどこか分かるんだよな。俺の嫌いなタイプ。


 ここまで考え、冷静になると同時に背筋に寒気を覚えた。


 いや待てどうして会話が成立してる?

 ここまで俺は、川崎の前で一言も喋っていない。だと言うのに、まるで俺と会話しているかのように語りかけてくる。


「君は、気にしすぎなんだよ。悪く言うと自意識過剰?みんなが内心ではバカにしてるだなんてそんな事あるわけないのに。」


 まただ。俺の思考を完全に分かっているかのような物言い。でも、そんな事ある訳ない。


「……何を言ってるのか分からない」


 何とか絞り出した声には全く覇気がこもらなかった。川崎の言っている事はあまりにも俺の内心とリンクしている。知らん顔でしらばっくれるには具体的すぎた。


「分かってるくせに」


 そう言って川崎は肩をすくめてみせる。

 突然話しかけてきたと思ったら、なんなんだこいつ。

 そもそも俺はこの川崎美雨という人物の事をほとんど知らない。

 知っていることと言えば、その整った顔立ちと受けのいい笑顔でいつもクラスの中心にいる印象がある事だろうか。周囲からの評判も良く、何の悩みもなさげな底抜けの明るさ。


 …思い出してみれば、さっきの一軍集団の中に川崎の姿もあったような気がする。


 そうして考えると、一つの可能性に思い当たる。

 そうか、俺の事をからかってるのか。そう考えると全ての辻褄が合った。こんな意味の分からない絡み方、嫌がらせ以外ないだろう。流石、人気者様はいい趣味してる。


 だが、川崎は不機嫌そうに頬を膨らませた。


「だーかーら!!誰も君を馬鹿にしようだなんて思ってないんだって。ね、葛谷啓太くん?」


 俺の思考をぶった斬るようによく通る声が響く。

 またしても、こちらの考えている事を見透かすような物言いだったが、今回はそこはあまり気にならず


「…俺の名前、知ってるんだ」


 そういうと、川崎は呆れたような顔を浮かべる。


「もう9月なんだし、クラスメイトの名前ぐらい全員覚えてるって…。まぁ葛谷くんは私の名前を覚えてなかったみたいだけど?」


 川崎は当たり前だと言うが、正直驚いた。こういった手合いは見下す対象の事なんて、何一つ気にも留めていないだろうと思っていたから。

 ちなみにだが、俺はクラスメイトの名前なんて興味が無さすぎて全く覚えていない。


 ていうか本当に何なんだ?こんなに何度も思ってる事を言い当てるなんて、まるで考えている事が全部分かっているかのような…。

 その思考に応えるように川崎が口を開いた。


「そうだよ。私はあなたの考えてる事が分かる」


 川崎は俺の反応を見るようにじっと目を見つめてくる。。

 そして、少しの沈黙の後再び口を開き、信じられない内容を口にした。


「───私、人の心が読めるの。

誰にも言っちゃダメだよ?」


「………は?」


 思わず口から間抜けな声が溢れた。急に何を言い出したんだ?

 馬鹿にするのも大概にしてくれ、そんな訳ないだろ。と言いたい所だが川崎は、冗談でも何でもなく大真面目そのものといった表情だった。

 尚更ありえない、イカれてる。


「いやいや…人の心が読めるとかそんな訳ないだろ。嘘にしたって何も面白くないし」


 テレパシーなんてオカルトちっくなものは1ミリも信じていないし、何より非科学的だ。大体そんな事を今このタイミングで俺に言う必要がどこにあるっていうんだ。


「嘘じゃないよ。その証拠に私がさっき言った事、心当たりがあるんじゃない?」


 言われて振り返れば、先程までの奇妙なやり取りが思い浮かぶ。

 まるでこちらの思考が透けているような会話。

 だが、あんなの偶然当たったっていうだけだろ?たまたま考えていた事と被っただけで心が読めるだなんて話が飛躍しすぎている。


「もし仮に。仮に心が読めるとしても。いつもクラスの中心にいるような川崎が、俺に絡んでくる理由はなんだ?馬鹿にしてる以外ないだろ。

…それに、そもそも人の心なんて読めるはずがない」


 これ以上ない正論。

 これで少しは怯むと思ったのだが、そんな事はなかった。


「どうしてそんな考え方しか出来ないかな。信じる信じないは勝手だけど、人の心なんて読めるわけないって葛谷くんは言うなら、どうして私が君を馬鹿にしてるって決めつけるの?

葛谷くんは人の心なんて読めないって思ってるのに」


 その返答に思わず言葉が詰まった。人の心が読めないのなら私の考えている事がどうして分かるのか。その問いに納得させられるような明確な答えは、すぐには出てこなかった。


「そんなの…ただの屁理屈だ。心なんて読めなくたって分かる事はあるだろ」


 苦し紛れに吐き出した俺の言葉に、川崎は心底呆れたと言うふうにため息をつく。


 と、次の瞬間川崎は、思いついたと言うように、パッと顔を明るくし手を叩いた。


「凄くいいこと考えた!周りの人は全て敵だっていう捻くれた君を私が更生させてあげます!

ね、いいアイディアだと思わない?」


 ───本当に。今度は何を言い出したんだ?ますます意味が分からない。

 そもそも俺のどこに更生しなきゃいけない所があるって言うんだ。


「捻くれてないし。更生だとかさっきからまじで何なんだ」


 いい加減、この意味の分からない会話にも嫌気が差してきた。


「ほら、そう言うとこも含めて捻くれてる。ふふん、これはやりがいがあるね、私の腕の見せ所だ!」


 川崎はお気に入りのおもちゃを見つけた無邪気な子供のように、上機嫌ではしゃいでいる。

 勝手にテンションが上がって盛り上がっている所悪いが、俺は全くついていけていない。どんなテンションの振り幅してるんだ。


 川崎がクラスで話している所は何度か見たことあったが、正直ここまで変わった人だとは思っていなかった。やっぱりスクールカーストの上位者は、みんなこれぐらい頭のネジが飛んでいるんだろうか?


「すごーく失礼な事考えてるみたいだけど、とりあえず今日は勘弁してあげようかな。私もこの後用事がある事だしね。忙しいのです!」


 用事。きっと先程までグループで話していた、駅前に遊びに行くというあれの事だろう。


 結局川崎はあっち側の人間で、俺は1人家に帰る側の人間なのだ。この差がある限り、お互いを分かり合える事なんてないだろう。

 これ以上絡むとろくな事がないと俺の全神経が言っている。


「奇遇だな。俺もこんな意味が分からない話は忘れて帰ろうとしてるところだったんだ。じゃあこれで。」


 それだけ言って鞄を担ぎ、颯爽と教室を後にする。


「あっ!待ってよ、そんな逃げるように帰らなくたって!もー、また明日ねー?」


 背中に呼び止めるような川崎の声が聞こえたが俺は返事も、振り返る事もせずその場を後にした。




 その後、家に着く頃には川崎に絡まれた事なんてすっかり忘れて、気にならなくなっていた。

 確かに、不思議な経験ではあったが、もう話す事もないだろうしな。

 制服から動きやすい部屋着へと着替え、ベッドへとダイブする。

 寝っ転がったままスマホを操作し、慣れた手付きでSNSを開いた。


『今日もやっぱり学校はクソだったよ。みんなお疲れ様』


 そう投稿すると、すぐにスマホが通知の音を立て震え始める。


『お疲れ様!!』『まじで分かる。』『おかえり!』『ほんと行きたく無いわー。』


 俺は、ネットの「友達」からの反応を満足気に眺めていた。

 沢山の友達の反応が、現実で疲れて荒んだ心を癒していく。

 帰ってきた反応を眺め、またそれに一つ一つ返信を返していく。

 そうしていれば時間なんてあっという間に過ぎていくのだ。


 ネットの世界は暖かい。俺を見下す学校の連中は存在しないし、葛谷啓太と言う存在を皆が認めてくれる。誰も否定しない。


 現実の繋がりなんて必要ないのだ。そんなものなくたって俺にはこの世界がある。ここが全てで、俺にとって現実なんてものはどうでも良い。

 むしろネットの繋がりこそがリアル。何にも変え難い絆のようなものすら、俺はこの世界に感じていた。


 この時間が1日で1番落ち着く時間だな。

 電気も点けずカーテンを締め切った暗い部屋でただ1人。いつまでもスマホの明かりだけが灯っていた。




 翌日、いつもの様に登校した俺は、教室のドアを開けた入った瞬間。頭がくらっとするような出来事に襲われていた。


「おはよう、葛谷くん!」


 満面の笑みで川崎美雨が挨拶をしてくるという異常事態に遭遇した。

 たったそれだけ、と思うかも知れないが、立派な異常事態。こんな事、今までの生活からじゃありえない事なのだ。

 俺の普段は、いつからいたかも察せられない程に存在感を消し、しれっと教室に溶け込むのが常だというのに。


 せめて俺の事を名指しでなければ、間違えて挨拶しちゃったのかなとか、気付かないふりやしらばっくれる事が出来たかもしれないのに、その逃げ道は完全に潰された。

 周りの様子を伺えば、案の定、クラスの人気者が俺に向けて挨拶するという異常な光景に周囲からの注目を集めていた。そりゃ不審がるよな。どうしてこんな事に、と軽く立ち眩みを起こしそうになる。


 人前で声をかけてくるなんて正気か?昨日は2人きりだったから気紛れに話しただけで、こんな人目につく場所でも絡んでくるとは思っていなかった。

 周りからどう思われるのかとか考えていないのか?


 俺みたいなスクールカースト最下層の空気に絡むなんて川崎の立場も危うくなる可能性がある。

 川崎の事を心配する訳では無いが、俺の平穏な生活を破壊しないでくれ。

 俺からは何も干渉しないからそっちからも干渉してこない。それがお互いが気持ちよく過ごす約束みたいなもんだろ?


 そうアイコンタクトで必死に伝えようとするが、川崎はニコニコと人当たりのいい笑顔を浮かべるばかりで、まるでこちらの意思が伝わっていると思えない。

 くそ、心が読めるってのはどうした。

 とりあえず、起こってしまった事はもう取り返しがつかない。こうなると俺にできる事は、これ以上傷を広げず素早く逃げる事だ。


 そう判断するや否や、挨拶を返す事なく素早く自分の席に座り、周囲からの干渉を拒むように机に突っ伏した。

 それはどこからどう見ても会話の拒否。何の関係もありませんよというアピール。


 これだ。これこそが俺の平穏を取り戻す術!変に波風立つ前にキッパリと関わる気がないという意思表示をしておこう。


「あ、逃げた!」


 という、川崎の声が聞こえた気がするが、流石に俺の席までは追いかけてくる事はない。

 それでいい。というか、そもそも俺に話しかけるなんて面倒な事しないでくれ。

 俺は、平穏無事に暮らしたいだけなんだ。


 クラスの雰囲気も、そんな俺の願いあってか、すぐにいつもの朝へと戻っていった。

 どうにか難は逃れたらしい。その様子に、俺は内心ホッと胸を撫で下ろした。





 昼休み。

 俺は決まって屋上で弁当を食べると決めている。と言っても、屋上は鍵が掛かっていて一般生徒は入る事が出来ない。


 じゃあどうするのかと言うと。

 俺が昼休みを過ごすのは屋上のドアの目の前。屋上へと続く階段の踊り場でドアにもたれかかるようなこの体勢がいつものルーティーンだ。

 解放されていない屋上へとわざわざ登ってくる生徒なんて滅多にいない。程よく陽が差し込み、校内の騒がしさが遠くに聞こえる。

 ここは、昼寝にも使えるお気に入りのぼっちスポットであった。


 だと言うのに。今日はそんな場所に俺以外の姿があった。


「いつも教室にいないと思ってたら、こんなとこにきてたんだ。どうりで見た事ない訳だね。…こういうのってあれだ!秘密の場所って感じでワクワク!」


 そう言ってはしゃぐ川崎に俺は、はぁ、と今日1番のため息が漏れた。


 言うなればこの場所は俺にとっての聖域のような場所だ。誰にも見つかっていないというその事実に、密かに胸踊っていたのに。

 

 どうしてこんな事になったんだ?それは、時間を少し遡る。


 昼休みになり、いつものようにこの場所へと向かおうとしていた俺の背後に気配を感じ振り返ると、そこには川崎の姿があった。

 俺の視線に気付くと、何を言う訳でもなく川崎はニコリと微笑んだ。

 たまたま方向が同じだけなのか?そんな願望の籠った淡い期待は見事に打ち砕かれ、ピタリと後ろにくっついて離れない。

 撒く様に校内を一周したのだが結局振り切れず、聖域への侵入を許してしまっていた。


「なぁ、なんで俺に付き纏うんだ?今日の朝だってあんな目立つようなことして一体なんのつもり?」


 幸い、ここに俺たち以外の姿はない。

 追い払う事は諦め、家から持ってきた弁当でも食べながら、何を考えているのか問い詰める事にした。


「どうしてって。昨日言ったじゃん。葛谷くんの捻くれた価値観を更生させるためだよ」


 川崎は俺の横に腰掛け、コンビニのおにぎりを口一杯に頬張っている。


「またそれか…」


 更生させるって、昨日のは冗談で言っていた訳じゃなかったのか。だが俺は、更生されるような心当たりも筋合いもない。

 唯一分かっている事は、俺の平穏な学校生活が脅かされそうになっているというそれだけ。

 はっきり言って迷惑だ。朝のように注目を集める事が重なれば、安定である今の立場が揺らいでしまうかもしれない。


 ───もう俺は周囲に期待する事はやめたんだ。


「更生なんて頼んでないし、そもそも今のままで何も問題ない。人前で俺に絡むなんて周りからどう思われるかぐらい、自分でもよく分かるだろ?川崎もどうせ自分の立場が1番大事なんだったらほっといてくれよ」


 言葉に精一杯の拒絶を示した。

 関わる事で、川崎が自分の優位性を確認しようとしているのだとしたら、そんな踏み台になんて使われてやるもんか。

 ここまで言えば流石の川崎も引き下がるだろう。


「あー出た出た。葛谷くんのその卑屈さは、もはや病的だね。

全ての人が自分に敵意を持ってるなんて凄く傲慢な思考だっていうのにどうして気付けないかな。私は君のそんな考え方を変えたいの。

だって葛谷くん。学校楽しくないでしょ?」


 その言葉に、俺は思わず手にグッと力が入った。


 ───傲慢な思考だなんて、一体川崎が俺の何を知っていると言うんだ。

 俺は知ってる。人なんてものは信用しちゃいけない。信用するから裏切られるんだ。初めから期待なんてものをしなければ何も問題なんて起きないし失望もしない。


 それに、学校が楽しいか?だって。考えるまでもなく楽しくないに決まってる。

 行きたくないのを、毎朝我慢して通っているんだ。だというのに、それを他人にどうこう言われるのは酷く不愉快だ。


「そもそも、誰が上で誰が下かなんてみんな気にしちゃいないんだよ。自分の事で手一杯で人の事にまで気を回してる余裕なんてない。

葛谷くんは、あのクラスにいて誰かに直接馬鹿にされた事があるの?ないよね。それなのに目に入る人は全て敵だなんて枠に囚われすぎじゃない?」


 …川崎の言っている事は理屈としてはあっているかもしれない。

 でも理屈がそうだとしても事実が同じとは限らないだろ?

 人の考えている事が分からない以上、俺のことを下に見ていないという断言だって出来ないはずだ。


「分かるよ。私には分かる」


 そんな俺の内心を見透かしたかのような言葉に、思わずぎょっとする。

 昨日から度々あったが川崎のこ・れ・は本当に何なんだ。心をピタリと正確に言い当ててくる。

 勘が鋭いとでも言うのか?鋭すぎて気味が悪いとまで思う領域だ。


「言ったでしょ?私は人の心が読めるんだって。誰も葛谷くんの事を悪く思ったりしてない。それは私の名に賭けて断言してもいいよ。

君のそれは被害妄想のレベルだね。みんな君の作る壁で話しかけるタイミングを見失ってるだけ」


 相変わらず川崎の言っている事は何一つ分からない。


「何の保証だよ……人の心が読めるだなんてそんな事、信じるとでも思ってるのか?それこそ人の事を馬鹿にしてるじゃないか。

俺はただ、今のまま平穏に何となくで暮らして行ければ文句がないんだ。関わらないでくれ」


 心が読めるだなんだと、こんな変人と真面目に会話していると話が通じなくて疲れる。

 あいにく、信じられるのは自分だけだともう心に決めているのだ。


 人気者の彼女に俺の気持ちなんて理解出来るわけがないしされたいとも思わない。何事もなかったかのように、今まで通りの交わることの無い関係へと戻りたい。


 そこでちょうど、弁当を食べ終えた。

 言いたい事は言ったし、これ以上川崎と絡む必要もない。

 会話を拒否するようにスマホを操作し、最近ハマっているゲームを立ち上げた。


 だがそんな俺の様子を意にも留めず、川崎は横からゲーム画面を覗き込んでくる。

 突然、真横に現れた顔に不覚にもドキッとしてしまう。


「あ、このゲーム私もやってるよ!!私の周りやってる人いなくてさ、どうせなら対戦しない?」


「え?やってんの!?」


 少々大袈裟に驚いてしまったかも知れないが、俺が驚くのも無理はない。

 今、俺がプレイしているのは所謂FPSという人と撃ち合うシューティングゲームだ。ゴリゴリの軍服を着たおじさん同士が戦う絵面は、川崎のようなキラキラ女子とはまるで無縁の物だと決めつけていた。


 むしろこう言ったオタク趣味のゲームを、川崎のような人種は毛嫌いしているような印象すらあった。

 実際、このゲームの主なプレイヤー層は男性で女性プレイヤーはそれだけでチヤホヤされるというような状況だ。


「失礼な。私だってゲームぐらいするよ」


 そう言って川崎は頬を膨らませる。

 でも本当に意外だった。そこまで有名なゲームでも無いというのに、同じゲームのプレイヤーが、こんな近くにいたなんて。しかもそれがよりによって一軍女子である川崎。

 もう話す気はなかったのだが、そう言う事なら話は別だ。


「いいよ、やろうか」


 初めて同じゲームをやっている人にリアルで会ったのだ。テンションも上がる。相手が川崎だと言うのは凄く奇妙な感じだが。


「おけおけ、じゃあフレンドなろ!」


 川崎が慣れた手つきで俺の画面を操作し、フレンドになる。

 ロビーに現れた川崎の操作するキャラは、やっぱりと言うべきか、現実とは似ても似つかない筋骨隆々の大男だ。本当に目の前の女子高生がこのキャラを動かしているのかと疑いたくなる。

 プレイヤー名は『覚』。


「プレイヤー名。なんて読むんだ?かく?」


 尋ねると、川崎は違うと言うように首を横に振った。


「覚って書いてこれで、さとりって読むの。まぁ初見じゃ分かんないよね。そういう葛谷くんの方は、『Keita』って。本名だなんて安易だなぁ」


「いいだろ別に。これが慣れてるんだよ」


 俺のプレイヤー名の『Keita』は確かに本名の啓太からそのまま引用していて、安易だなと自分でも思う。だが、一々新しい名前を考えるのもめんどくさくてネットの世界では全てこれで統一しているのだ。

 結局使い慣れたものに限る。


「それじゃ、始めようか!手加減しないからね!」


 心なしか、川崎のテンションもさっきまでより高い気がする。


 それもそうか。

 川崎も周りにこのゲームをやっている人がいなかったと言っていたし、そもそも、そこまで知名度があるゲームじゃない。

 こうして面と向かって対戦できるのは本当に偶然が重なった結果なのだ。


 俺も初めての経験に、少し胸が高鳴っていたのを感じていたがいざ始まると、急に恥ずかしくなってきた。

 落ち着いて考えれば、ここであまり変な事は出来ないんじゃないか?

 相手は川崎だ。調子に乗った発言をしたり過度なオタクを見せつければ、変な噂を流され、この後の学校生活が地獄になる可能性も充分にありえる。


 かと言って、ゲーマーとしてのプライドもある。わざと負ける事は許されない。板挟みだ。

 だとするなら、俺のする事は一つ。負けない程度に適当に相手してご機嫌を取ることか。

 どうせ川崎のようタイプはゲームなんてろくにやった事がないような人種だ。どうとでもなるだろう。


 今回の対戦ルールは、1対1で時間内により多く相手を倒した方が勝ちというとてもシンプルなものだ。シンプルな分、小細工は効かず実力差も出やすくなっている。


 小さく息を吸い込み、ゲームへと意識を向けた。


 俺のキャラはスタートと同時に、敵陣地へと攻め込む。それはもう定石であり、何度も繰り返してきた動きだ。手が覚えている。

 自慢じゃないが俺はこのゲームを相当やりこんでいるし、初心者相手なら100回やろうが負ける事はない。だから、まさか負ける訳がないと1ミリも疑っていなかった。


 『パァァン!!』


 俺の操作しているキャラは次の瞬間、頭を撃ち抜かれ初期位置へと戻されていた。

 何が起きたのか分からず、フリーズする。


「は…?」


「ふふん、甘いんじゃないの『Keita』くん」


 何をされたのかすら分からないまま、一瞬で俺のキャラは倒されていた。今の一瞬でヘッドショットを喰らったのか!?俺視点では見えてすらいなかった。

 いくらなんでも早過ぎる。反応すら出来ないなんて…。


 ───いや、そんな訳ないきっとまぐれだ。落ち着いてやれば勝てる勝負なのだから。

 そう自分に言い聞かせ、額に流れた汗を拭った。


 今度は正面から突っ込むんじゃなくて側面から回り込んで…。

 先ほどの反省を踏まえ修正した俺の動きは、周り込んだ先に仕掛けられた罠に気付かず、体勢を崩され、あれよあれよという間にまた一本取られていた。



 …いやいや!?普通あんな位置に罠を置いておくか?まず間違いなく初心者じゃない。こちらの動きを完璧に把握しての、見事な立ち回りだ。


 この時点で俺は自分の見積もりが間違っていたと気づいた。このゲームを長くプレイしているからこそ分かる。こいつは…いや川崎は。想像していたよりはるかに強い。

 そこそこでやって勝てるような相手じゃなかった。本気で気合いを入れてやらねば。


 俺の内心は、凄く焦っていた。

 まさかクラスの中にこんな強者がいて、しかもそれが女子だなんて。このゲーム、相当マニアックだぞ?どんな確率だよ。


「ほらほらどうしたの!こんなもんかね?」


 おどけて煽る川崎の声で、俺の中のゲーマー魂に火が付いた。

 普段ゲームを遊んでるオタクとして意地がある。ゲームで一軍女子に負けるなんて俺のプライドが許さない。


「こっからだよ。さっきまでは油断してたけど、今からは本気で行くから」


「お、言ったね?頑張りたまえ!」


楽し気に笑う川崎を横目に、俺はより一層ギアを上げ、スマホを握り直した。


 大丈夫!俺ならやれる───!!




 10分後。

 試合終了と書かれたゲーム画面には、『Keita 4ポイント───覚 12ポイント』と圧倒的なスコア差をつけられ敗北したリザルトが表示されていた。

 画面上部には大きな文字でLOSEと敗北を意味する単語が浮かんでいる。



 ───負けた。言い訳のしようがないほどに。



「いぇい!私の勝ち!」


 川崎が満面の笑みでピースサインを送ってくるのに対し、俺の表情は正反対。この世の終わりのような絶望が張り付いている。

 俺の…唯一のアイデンティティ。ゲームでなら誰にも負けないと思っていたのに、まさかその自信をこんな形で壊されるとは、思ってもいなかった。


 川崎のプレイスタイルは、狙いを外さない正確なエイムもさることながら、何よりも、こちらの腹の内を見透かすような圧倒的な先読み能力が見事だった。ここまで完璧な立ち回りはそう見れるものじゃない。

 俺のやりたい事を潰す川崎の動きで、俺はいつもの動きが実質的に封じられていた。


 …くっそ、完全にゲーマーじゃないか。こんな伏兵がいたなんて。

 人は見かけによらないと言うのはこんな場面で使うのかと、実感する。

 ここまで圧倒的にボコボコにされては、言い訳の言葉すら出てこない。


「───完敗だよ。正直、川崎がここまでゲームが上手いと思ってなかった」


 川崎は誇らしげに胸を張る。


「いやー照れちゃうね。実は、家ではずっとこのゲームばっかりやってるからね。下手だと思って舐めてたでしょ?」


 それは図星で、舐めていなかったと言えば嘘になる。手を抜くか、とすら思っていた程だ。



「つまりね。やってみないと分からないことも多いって事!現実もそうだよ?葛谷くんは思い込みが多いけど、そうじゃないことも沢山あるんだって気づいてくれれば嬉しいな!」


 言い終えると、川崎はあの眩しい笑顔を浮かべた。俺はそのキラキラした目を直視できず、思わず逸らしてしまう。


 …確かに川崎は俺よりもこのゲームが上手かった。ただ、だからと言って、言っている事全てその通りだとは思えない。

 思い込みが多いって言うのはみんなが俺に敵意を抱いているってことについてだろう。考えすぎだと言いたいのは分かる。でも過剰なぐらいが丁度いいのだ。


 その考え自体は揺らいでいないが、たった今自分の固定観念。一軍女子にゲームで負ける訳ないという俺の思い込みが打ち砕かれた所だ。

 それを無かったことのようにして反論する事は流石の俺でも出来なかった。


 言い返さず黙ったままの俺を見て、川崎は満足げに頷く。


「葛谷くんの更生第一歩目だね!」


 …何を持って一歩目なのかは全く分からないがどうやら何かが進行したらしい。と言うか、まだそれ続ける気だったのか。本当に何を考えてるんだか。見当もつかない。


 何の目的があってこんな事をしているのか。


「ふふっ、秘密だよ」


「……何も言ってないけど」


「私は心が読めるんだって」


 ───不思議な人だ。相変わらず、川崎は冗談混じりに。だがからかうような様子でなく、心が読めると言うのを心の底から真実だと信じているように見えた。


 どうやら変わり者だという俺の認識に、間違いはないようだ。

 まだ聞きたいことはあったが、昼休みの終わりを告げるチャイムにより俺たちは強制的に教室へと帰る事となった。

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