第34話 未来をくれた人



 リヒトはロメリィから馬車の送迎を頼まれた時、正直嬉しかった。オーガの村から王都まで帰る道中、彼女は少しリヒトから距離を置いているように見えたからそれが思い違いであったことに安堵したし、ロメリィから頼られたことが誇らしかったのかもしれない。


 待ち時間とて苦ではなかった。ロメリィの役に立てることがあるなら、なんだってしたかったから。しかし彼女はパーティーで何かがあり、その怒りのおかげか苦手だった普通の馬車も克服してしまった。それ自体はとても良いことだ。……ただ、リヒトが彼女にしてやれることがまた一つなくなったことが少し、寂しい。


(俺は卒業までに……あとどれくらい、ロメリィのためになることができるのか)


 休暇が明けたら学園生活は残り半分、半年となる。まさかこんなに、時が流れるのが早く感じるとは思わなかった。それはただ、ロメリィに出会ったおかげだとも思う。

 鬱々として暗く、何の希望もない、いつか死ぬまでただ生きるだけだと思っていたリヒトに、光をくれたのはロメリィだ。だから彼女にできることならなんでもしたいと思う。そして、出来ることなら。


(この先、二度と会えなくなっても……ロメリィの中に俺が残ってたら、いいんだけどな……)


 例えば馬車を見た時、オーガの村の子供たちが魔法を使った時。そういうものを目にしたロメリィが、ふとリヒトの存在を思い出してくれたら嬉しい。たしかにそこにいたのだと、何かを残せているのなら、自分に価値があったのだと思える気がする。

 そんなことを考えながら話がしたいというロメリィと共に、夜の学園を歩いた。この時間にこのように人気のない場所で二人きりという状況に、少し鼓動が早くなる。……しかしそれを悟られてはいけない。これはあってはいけない感情ものだ。



「リヒト、頼みがあるんだが……君の得意な光の魔法で、この辺りを明るくしてくれないか」



 学園の古い花園についた時、ロメリィがそう言いだした。たしかに綺麗に整えられた新しい庭園と違い、ここには野花くらいしか咲いておらず、生い茂った緑のおかげで昼間は涼しいが夜だとかなり暗い影に見えた。



「あー……別れの宴で使ったんだっけ、あんまり覚えてないんだけど……分かった」



 ロメリィに酒を渡されてそれを飲んでからの記憶は曖昧だ。ただとても楽しかったことだけは覚えていて、周囲の話で自分が光の絵を描いたことを知った。

 子供の頃、一人で遊んで覚えた魔法だ。その時は誰にも見向きもされなかったけれど、ロメリィやオーガたちは気に入ってくれたらしい。


(そうだな……折角の花園だ。思い切り、花を咲かせてみるか)


 手入れのされていない生垣、伸び放題の草地や東屋に絡む蔦に光の花を描く。魔法の光が集まれば薄暗かったこの場所も、明るい光の花園へと生まれ変わる。

 ロメリィは光るものが好きだと言っていた。この光景も喜んでくれているのが分かって、嬉しくなる。……こんなことしかできないけれど、彼女にたくさん喜んでほしい。


 そのあとロメリィが踊りたいというので、リヒトはその誘いに乗った。ダンスなんて貴族のものどころか、平民の祭りで行われているものだってまともに知らない。リヒトはただ、遠くからそれらを眺めていることしかできなかったから。


(誰かと踊るって、こんな、感じ……なのか。なんか、すごく熱い……っていうか照れる)


 触れている手が熱くて、音楽もないのに跳ねて、体温も息も上がる。暫くするとロメリィが鼻歌を歌いだしたので、それにあわせて動くようになった。この音楽は聞き覚えがある。……あの村で、オーガたちが酒を飲みながら歌っていた気がする。


(こんなの、絶対に貴族らしくない。……ああでも、楽しいな)


 今日のロメリィは貴族らしく着飾っていて、目にしたリヒトが息を飲むほど美しい。情熱的な赤は彼女を引き立たせる色で、女性らしい曲線が分かりやすいデザインのドレスは人の目を惹きつける。煽情的ともいえるだろうが、リヒトはもっと布の少ない姿を見ているせいかそこまで動揺せずに済んだ。……他の、貴族の男たちはそうでもなかったかもしれない。それが少し、嫌だ。

 けれど彼らは、ロメリィのこんな姿は知らない。容姿はどこまでも貴族らしいのに、オーガの歌を口ずさみ、貴婦人と思えぬ俊敏な動作で、力強くステップを踏む。リヒトが好きな、彼女だけが持つ魅力的な姿だ。……見惚れない、はずがない。踊りながら何度も目が合ってしまった。



「リヒト、実はな。君の卒業後は私の専属になってもらうことにした」


「え……?」


「グレゴリオに許可を取った。だから君は、卒業後の心配をしなくていい。このまま人間の街にいてもいいが……卒業後はオーガの村に来ないか? そうすれば君は、ずっと明るい顔をしていられるだろう?」



 ダンスの最中、ロメリィが突然そんなことを言い出したのでリヒトの足は止まった。卒業後、リヒトはどこかの貴族の物になる。ロメリィはオーガの村に帰るだろうから、彼女以外の誰かに使いつぶされるのだとばかり思っていた。

 それなのに、いつの間にか彼女はリヒトの所有権を得たらしい。それでいて、リヒトを道具のように扱わず――あの村に住めという。そうであれば、リヒトの表情が明るいからと。



「なん、で……」



 何故、そこまでしてくれるのだろう。ただ一年間、この幸福な時間を貰えただけで充分だった。それ以上のものなんて絶対に望まないから、一年だけの我儘くらいは許されるはずだと自分に言い聞かせ、あらゆる方法で届く貴族からの忠告も警告も無視して、我を通してきた。

 望んではいけないと思っていた未来を提示されて、どうしていいのか分からなくなる。分不相応だというのは誰よりもリヒトが理解しているのに、一年だけと決めたはずの決意が揺らぐ。……その先を、夢見てしまう。



「村に居た時の君は、力に溢れていて美しかった。私は、君に元気でいてほしい。だから」


「やめてくれ、ロメリィ。そんなこと言うな」



 ロメリィの、自分を思い遣ってくれている言葉があまりにも優しくて突き刺さるようだった。心の奥底にしまったはずの箱から入りきらなくなった想いが溢れ、それは涙という形になって零れ出てくる。



「俺はロメリィが好きなんだ。……こんな気持ち持ってちゃいけないって隠してきたのに、そんなこと言われたら押さえきれなくなるだろ」



 リヒトは未来を諦めることで、自分が深く傷つかないようにと予防線を張るようにしてきた。だから卒業後のすべてを諦めて、今、ロメリィといる一年だけを希望とすると決めていた。

 それなのにこの人は、元気でいてほしいという理由だけで未来を与えようとしてくる。優しくて、思いやりが深くて、輝く日の光のように眩しい。そういうロメリィがリヒトは好きなのだ。だからこそ、先のことなんて考えたら――――抑えていた欲まで、出てきてしまう。



「……駄目だと分かってても好きなんだよ、今以上になりたいなんて欲を抱かせないでくれ、俺はあんたに迷惑かけたくない」



 ロメリィの友人でいい。一年だけの友人。それでいいはずだった。けれどオーガの村で暮らす未来さきの光景を思い浮かべてしまったら、そこにはロメリィがいる。オーガの村で見た、自然体の彼女だ。他に人間のいない場所、誰もがリヒトを認めてくれるあの場所にいたらきっとリヒトは、望んでもいいのだと思ってしまう。分不相応であることを、忘れて。



「くそ、ずっと隠すつもりだったのに……ロメリィのせいだぞ。俺は、こんな……」



 こんなことを言うつもりはなかった。望むつもりはなかった。けれど一度溢れ出したものは簡単には止まらない。にじむ視界を晴らそうと、目元をこすってもあまり効果はなかった。


(ロメリィにとっては、俺だって……婚姻を望む、村のオーガと同じだ。言うつもりなんて……)


 リヒトは非力だ。村の屈強なオーガの足元にも及ばない。そしてそんなオーガ達ですら、ロメリィにとっては赤子同然で婚姻の対象にならないのだ。

 彼女のことだから、きっとリヒトの気持ちを知ったとしても、それは不可能だときっぱり断ってそのあとは以前と変わらず接してくれるのだろう。ただリヒトが同じようにできるかどうかは問題だ。とにかくこの想いをもう一度、心の奥にしまわなければ。そう思っていたら、何か柔らかくて熱いものが突然体を包んだ。



「よかった。どうやって君に婿になって貰えばいいのかと思っていたが……同じ気持ちだったんだな」


「え、な……は……?」


「私もリヒトが好きだ。誰よりも君の近くで、誰よりも長く寄り添って、最期の時まで一緒に居たいと思ってる」



 驚きすぎてリヒトの涙は止まった。何なら心臓も止まるかと思った。ロメリィの言葉がぐるぐると頭の中を回っている。

 告白のように聞こえた。まるで、ロメリィもリヒトとの未来を望んでいるように。しかしそれを深く考えるには、押し付けられる柔らかい熱があまりにも思考をかき乱すのでまずは放してもらった。


(ロメリィやわらか……いやそうじゃなくて……っ)


 抱きしめる力は驚く程強いのに、その体の柔らかさは全く失われていないのだから竜の子の性質は恐るべしというやつだ。

 一瞬、本当に何が起きたか分からなかった。ロメリィにとっては自分より力のある相手だけが婿として求める者だったはずである。それなのにリヒトを好きだと言い、愛の告白のような台詞を口にした。

 とんでもない状況にリヒトが何か聞き間違いをしたという可能性もあるため、改めて彼女の言葉の真意を尋ねる。



「あの……さっきのってもしかして、結婚……っていうこと?」


「ああ。私は君に、私の婿になってほしいんだ。……嫌だろうか?」



 嫌なはずがない。ロメリィが婿探しに来たことは知っていた。ただその対象に自分が入ってないと思って、少々気落ちすることもあったくらいだ。嫌なはずはない。……好きな相手に、同じように好きだと思われているということだ。舞い上がりそうになる。

 震えそうになる声を絞り出して、本当に許されるのかと自問自答しながら、それでも答えた。



「……嫌じゃ、ない」


「そうか! なら卒業したら結婚しよう!」


「は!?」



 舞い上がりそうだと思っていたが実際に舞い上がる――というか持ち上げられるとは思っていなかった。軽々と赤子でも掲げるようにリヒトを高く持ちあげたロメリィの、輝かんばかりの笑顔が目に入る。


(卒業したら結婚って……はやくないか。っていうか何で持ち上げるんだ……)


 混乱しながらロメリィを見下ろす。いまいち状況が理解できないが、これはオーガの喜びの表現とかそういうものだろうか。自分を持ち上げる美しい貴婦人の姿があまりにも非現実的で、眩暈がしそうなくらいに眩しい。



「やはり、力を取り戻したリヒトはとても綺麗だな」



 竜眼はまっすぐにリヒトを貫いて、まるで大事な宝物でも見ているかのように熱っぽい。先ほどから意味が分からないくらいに鼓動の早い心臓が、もっと早くなったような気さえした。

 こんなことをしながら嬉しそうに笑う顔を見て、リヒトもつられて笑う。……これでこそ、オーガ育ちのロメリィなのだろう。人間の世界でこんなことをするのはきっと、彼女だけだ。オーガの中では珍しくないのかもしれないけれど。



「男を持ち上げながら告白するの、オーガのやり方なのか」


「女を持ち上げながら告白するオーガはよく見る」



 聞かなければよかった。知らなかった方がいい情報を知って、軽く後悔しつつも地面に降ろしてもらう。いや、そもそも男のオーガのように告白する彼女の方が変わっているのだと、そう思うべきだろうか。


(いや、でも……ロメリィらしいよな)


 オーガの村にあっても、彼女は少々変わり者だというのは彼女の父親から聞いていた。あまりにも規格外で、人間でもオーガでもないような。そんな彼女をリヒトは好きになってしまった。そして、奇跡的に彼女からも想いを寄せられている。



「俺を選んでくれて、ありがとう。……ロメリィ、大好きだ。これからはそう伝えても、いいんだな」



 この宝物のような気持ちは、隠す必要がなくなった。未来を諦める必要はなく、リヒトとロメリィの二人が望む未来を目指して一緒に進んでいけるのだ。それはリヒトが今まで知らなかった、希望である。



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