第33話 オーガ令嬢と夜の光



 会場を出たら馬車が整列している区画に向かい、自分が乗ってきた馬車を見つける。どこかで休んでいたらしい御者が私の姿を見て駆けよってきたので、学園まで向かうように頼む。

 籠の中ではリヒトが待っているはずなので扉を軽くノックしてすぐに馬車に乗り込むと、驚いたようにリヒトがこちらを見ていた。



「ロメリィ!? なんで乗れて……っていうか目が赤いぞ。なんかあったのか」


「ああ。恐怖も忘れてそのまま馬車に乗り込むくらいにはな。……君の顔を見たら少し落ち着いた」


「……ん、目の色は戻ってきてる」



 リヒトの向かい側に腰を下ろす。リヒトは戸惑いながら私の心配もしているようで、かけるべき言葉を探しているように見えた。



「大丈夫だ、もう落ち着いた。……この後約束通り付き合ってくれるか?」


「それはいいけど……」


「馬車は学園に向かうように頼んだ。そうだな……花園の東屋がいい。あそこに行こう」



 廃れた花園は元から人気が無い上に夜の学園だ。貴族のほとんどはパーティーに出ているし、学園に残っているのは余程の変わり者くらいである。貴族のいない場所で二人きりになりたい。そうすればまだ少し波立っている心も落ち着くだろう。



「分かった。……それにしても、ついにロメリィも普通に馬車に乗れるようになったな」


「そういえばそうだな。一度乗れたなら次も乗れそうだ」


「……俺がこうしてロメリィを送ることももうないか」


「たしかに、こうしてリヒトに迷惑をかけることはなくなるだろう。……本当にありがとう、リヒト。君のおかげで馬車も克服できた」



 パーティーに参加しない相手にわざわざ送迎を頼むなんて、本当に迷惑をかけたと思う。彼が快く了承してくれたからそのままお願いしたが、少しでも嫌がるそぶりがあれば頼まないつもりだった。

 結果的にパーティーを早々に退散したからあまり待たせもしなかったが、本来ならもっと待たせることになっていたのだ。もう二度とこのようなことをしなくていいというのは、私としても気が楽になる。

 しかし何故か、リヒトはどこか寂しそうに「そっか」と呟いていた。



「それならジャイアントボア車の魔法はもう、使わないな」


「いや。私は割とあの見た目が気に入っているのでまた乗りたい。……それと、村の者たちに見せたら喜びそうだ」


「……っはは、たしかに。喜びそうだ。見せてやりたいな」



 オーガの村に馬車は必要ないし存在しないが、荷車ならある。それに魔法をかけて子供たちを乗せたら喜ぶだろう、と提案したらリヒトも同意してくれた。次に村に帰った時にはそうしてもらおう。きっと皆が喜ぶはずだ。……二人で帰る楽しみがまた一つ増えた。



「……ん、ついたみたいだな」


「ああ。降りよう」



 御者には待ってもらう必要がないことを告げ、先に城へと戻ってもらう。それを見送って私たちは二人で静かな学園の中を歩き、試験前の昼休憩の時に使っていた東屋へとやってきた。

 この場所も昼とは随分と雰囲気が違う。背の高い植物は夜になると深い影を生み出して、月が明るい夜でも暗く感じた。



「リヒト、頼みがあるんだが……君の得意な光の魔法で、この辺りを明るくしてくれないか」


「あー……別れの宴で使ったんだっけ、あんまり覚えてないんだけど……分かった」



 リヒトが辺りに手をかざして、葉だけが生い茂る生垣に光の花を生み出した。東屋に絡む蔦や芝生にも光の花が咲いていく。決して昼間には見られない光景に感嘆の息を吐いた。……この魔法はとても美しい。



「ロメリィは光るものが好きだからな」


「ああ。君のこの魔法も大好きだ」


「ぅ……ありがとう」



 か細い声で呟きながら彼は俯いてしまったので、表情が見えなくなる。私の好きな夜色の瞳ももちろん見えない。それを残念に思いながらふと妙案を思いつき、それを提案することにした。これなら自然と顔を上げてもらえるだろう。



「そうだ、リヒト。少し踊らないか? 今日はそういう趣向のパーティーだったんだ」



 ダンスパーティーという趣向だったはずなのだが、私はそのダンスの時間が始まる前に出てきてしまった。貴族のダンスというものは覚えたのに、使う機会はなかったのだ。今頃は会場でも踊るための音楽が流れ、貴族たちが踊っているだろう。音楽は聞こえてこないがここで踊るのも一興ではないだろうか。



「踊る? ダンスのことか? 貴族のダンスなんて、俺は知らないぞ」


「いや、そもそも貴族のダンスの型にはまる必要はない。ここは貴族のパーティー会場じゃないからな。一緒に踊ってくれればいい」



 オーガだって歌って踊る。私は今、確かに貴族の服を着て、貴族らしく着飾っているがここには他の貴族の目がない。それならマナーも関係ないし、ダンスの型も必要ない。

 リヒトの手を取ると彼は大げさに肩を跳ねさせたが、私を見つめる瞳に怯えはないので驚いただけのようだ。



「さあ、踊ろう。こんなに綺麗なんだからな」


「…………分かったよ、ロメリィ」



 音楽はない。ただ光の花に囲まれて、手を取って、互いにバラバラなステップを踏む。それが段々楽しくなってきて、私は慣れ親しんだ歌を口ずさみ、リヒトも笑顔になり始めた。踊りながらきらめく夜空と目が合って、途端に私の心臓が強く存在を主張する。

 やはり、彼が前向きな気持ちでいる時は美しく見えるのだ。今、卒業後のことを伝えればもっと喜んでくれるかもしれない。



「リヒト、実はな。君の卒業後は私の専属になってもらうことにした」


「え……?」


「グレゴリオに許可を取った。だから君は、卒業後の心配をしなくていい。このまま人間の街にいてもいいが……卒業後はオーガの村に来ないか? そうすれば君は、ずっと明るい顔をしていられるだろう?」



 リヒトが足を止めたので、私も止まった。彼は目を大きく見開いて私の姿を食い入るように見つめながら「なんで……」と小さな声で尋ねてくる。



「村に居た時の君は、力に溢れていて美しかった。私は、君に元気でいてほしい。だから」


「やめてくれ、ロメリィ。そんなこと言うな」



 その声は震えていて、彼の綺麗な瞳が濡れていく。予想外の反応に私が固まった。……私は何か間違えて、彼を傷つけるような言動をしてしまったのだろうか。



「俺はロメリィが好きなんだ。こんな気持ち持ってちゃいけないって隠してきたのに、そんなこと言われたら押さえきれなくなるだろ。……駄目だと分かってても好きなんだよ、今以上になりたいなんて欲を抱かせないでくれ、俺はあんたに迷惑かけたくない」



 滲んだ涙はやがて眼のふちから溢れて零れていく。リヒトは私を好きだと言って、泣いている。驚きのあまり言葉を失ってその姿を見つめてしまった。



「くそ、ずっと隠すつもりだったのに……ロメリィのせいだぞ。俺は、こんな……」



 これは人間のことに疎い私でも分かる。彼の「好き」は友愛でも親愛でもないのだと。目元をこすって涙をぬぐう彼を、つい、堪らない気持ちになって抱きしめた。

 出会った頃に比べれば逞しくなったが細い体だ。私の腕でも充分に回せるし、しっかり抱きしめられる。……親父殿を抱きしめようとした胴体に腕が回らず、なんとも歯がゆかったものだがリヒトは丁度いい。



「よかった。どうやって君に婿になって貰えばいいのかと思っていたが……同じ気持ちだったんだな」


「え、な……は……?」


「私もリヒトが好きだ。誰よりも君の近くで、誰よりも長く寄り添って、最期の時まで一緒に居たいと思っている」



 友人以上になることを私は望んでいた。リヒトも同じものを望んでくれている。これで心置きなく、オーガの村へと連れ帰ることができるというものだ。

 グレゴリオの反応を見るに何か複雑な手続きなどが必要なのかもしれないが、彼との結婚は不可能ではないだろう。少なくとも感情という最も思い通りにならない部分で、私達の思いは重なっているのだ。それならばきっと、なんとかなる。




「ちょっ……まっ……まず放して、くれ……!!」


「あ、すまない、つい。……力を籠めすぎてしまったか? 大丈夫か?」



 私が本気で抱きしめたら彼の体の骨くらい折るだろうから加減はしたつもりだったが勢い余ったかもしれない。体を離して様子を確認したが、リヒトの顔が真っ赤になっている以外は大丈夫そうだ。



「だ、大丈夫……だけど……ロメリィ、いまの、本気……なのか?」


「ああ。私は嘘を言わない」


「……そう、だよな。ロメリィ……だもんな……」



 落ち着かない様子のリヒトが自分の髪を掻き交ぜている。最近よく見る仕草だが、もしかするとこれは恥ずかしがっているか、照れているという感情の表れだったのかもしれない。



「あの……さっきのってもしかして、結婚……っていうこと?」


「ああ。私は君に、私の婿になってほしいんだ。……嫌だろうか?」



 リヒトが確認するように尋ねてくるということはもしかして別の意味に捉えられる可能性があったのだろうか。婚姻試合の意思がないか尋ねても伝わっていなかったし、私の言動は勘違いをさせるらしいことはこれまでで理解しているので、はっきりと私の願いを告げて彼の意思も確認する。……私だけが舞い上がっている可能性も、なくはない。



「ん……嫌じゃ、ない」


「そうか! なら卒業したら結婚しよう!」


「は!?」



 喜びのあまりついリヒトの脇腹を掴んで空に掲げてしまう。村では結婚の決まった男女がよくやっている光景ではあったが、私も同じ行動に出てしまうとは思わなかった。見慣れた行動の刷り込みだろうか。

 突然持ち上げられたリヒトは動揺しながらもその瞳に陰りはなく、周囲の光の花の輝きを反射して、あの夜のように星空の美しさを見せている。「はやくない?」とか「なんで持ち上げるんだ」とか小さく呟いてはいるが、嫌そうではない。



「やはり、力を取り戻したリヒトはとても綺麗だな」



 彼が目を見張ると残っていた最後の一滴が私の頬に落ちてきた。これ以上、涙が流れることはないだろう。温かな雫が頬を伝ってくすぐったい。思わず笑っていると、見上げた先のリヒトも仕方なさそうに笑った。



「男を持ち上げながら告白するの、オーガのやり方なのか」


「女を持ち上げながら告白するオーガはよく見る」


「……ぐ……降ろしてくれ……」



 言われた通りゆっくりとリヒトを地面に降ろす。すると彼は力が抜けたように座り込んでしまったので、私もその場に膝をついて彼の様子を窺った。

 突然掲げられて腰が抜けてしまったのだろうか。驚かせてしまったなら申し訳ない。……私も浮かれていてあまり自制が効かないのだ。



「ほんとロメリィは規格外で予想外だよな…………心臓すごいんだけど」


「すまない。つい興奮していきなり持ち上げてしまって……」


「ん……いや……それはもう、ロメリィだからな、いいよ。そんなことよりさ……」



 顔を上げた彼と近距離で目が合った。星空のように輝く夜色の瞳に、私の姿が映りこんでいる。何故だか、目を逸らせる気がしなかった。



「俺を選んでくれて、ありがとう。……ロメリィ、大好きだ。これからはそう伝えても、いいんだな」



 その時の彼は、今までにないくらい幸福そうに微笑んでいて。私はそれを、何よりも美しい宝のように思った。絶対にこの笑顔を守らなければならない。何度でも彼がこんな風に笑えるようにしなければならないと、そのために力をふるおうと誓った。



 結婚の約束も交わしたし、あとは卒業してリヒトを村へと連れ帰るだけだとご機嫌で城へと帰還したら怒りの様相を隠しきれていないババリアが待ち構えており、私はパーティーでの振る舞いをこっぴどく叱られた。……咆哮も出さずに怒りを収められたというのに、解せぬ。



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