第32話 オーガ令嬢の宝




「ジリアーズ公爵令嬢、ロメリィさまがいらっしゃいました」



 名を呼ばれ、眩い程に輝かしい会場へ足を踏み入れる。誰かが来る度にこうして名を会場中に知らせるのが慣例らしい。

 この先は貴族しかいない。だからこそ、私は貴婦人のマナー武器微笑みを完璧に装備した。いくつもの視線が私に突き刺さり――会場は一瞬で静寂に包まれる。


(やはり注目の的か。……今のところ、そう悪いものはないな。強い視線はいくつかあるが)


 この場では何よりも先に主催である王族へと挨拶をするのが決まりだ。音楽すら止まった会場の中を歩けば人が道を作るように避けていく。そうして王族の場所まで導かれ、一段高い場所に席を設けられた彼らの前でババリアを完璧に模倣した礼をして見せた。彼女も会場のどこかで見ているはずなので、この姿を採点しているかもしれない。……それにしても王族の面々は頬紅を使って顔色を良く見せる化粧を施しているようだ。主催の疲れを隠しているのだろうか。



「お招きいただき感謝いたします。ロメリィ=ジリアーズが参りました」


「おお、よく来たなロメリィよ。……皆、少し良いか」



 国王オルトラスが立ち上がり注目を集めた。とはいえ元より人々の視線は私に向けられていたのだが。

 オルトラスから私が行方不明であったジリアーズの娘であることや、王都から離れた場所で暮らしていたこと、これからはドロマリアの貴族として再びこの国へ貢献していくことなどが説明されている。しかしオーガに育てられていたことには一切触れていない。意図的にこの情報は伏せているようだった。

 だからこそ、当初のイリアナのように「オーガ育ち」は単なる噂だと思っている者も多いのかもしれない。純然たる事実なのだけれど。



「では、ロメリィ嬢。……皆に挨拶をしてもらえるか」


「ええ、陛下。……ロメリィ=ジリアーズでございます。今後は皆さまと同じ王国の一員として、王を、国を支えていく所存でございます。私は幼い頃の記憶も失い、世間知らずですから……是非皆さまに学ばせてくださいませ」



 この挨拶はババリアが考えたものなので妙な伝わり方はしないはずだ。淑女らしく完璧な微笑みを浮かべ、完璧な一礼をすれば貴族たちからの大きな拍手に包まれた。どうやら何も問題はなかったようである。



「中断させてすまなかった。存分にパーティーを楽しんでくれ。是非、ロメリィ嬢と仲良くしてやってほしい」



 オルトラスのその一言で中断していたパーティーが再開し、会場は音楽と人々の話声であふれる。耳が良すぎてあらゆる会話が入ってくるので少々疲れるが、おおむね私のことは好意的に見てくれているような反応だった。……イリアナ云わく、心の内で何を思っているかは分からないらしいが。



「ロメリィ嬢! お初にお目にかかります。しかし、それにしてもなんとお美しい……!」


「まあ、ありがとうございます」



 あらゆる貴族に話しかけられ、あらかじめ覚えていた名前と相手の顔を一致させていく。土地持ちの貴族であれば領地の特徴や特産物について話を振れば喜び、政務や軍務に関わる貴族であればその仕事ぶりを語れば気分をよくする。そうするようにと知識と助言をくれたのはババリアなのだが、正直これに何の意味があるのかはよく分からない。

 心象を良くしておくと後々助かる――と言われているのでやっているだけだが、楽しくはない。さっさと帰ってリヒトと大事な話をしたいという気持ちが大きくなるばかりだ。



「お初にお目にかかります、ロメリィ嬢。私はグレイス=ミルトンと申します」



 次々に話しかけられて言葉を交わし続け、さすがに喉が渇いたと葡萄の香りのする飲み物の入ったグラスを手に取った時だった。新たに話しかけてきた人物に目を向ける。

 褐色の髪を油で撫でつけてしっかりと髪を固めた、目の細い男性だ。しかし細い目は獲物を狙う狐のように鋭く光っていて、少しだけ嫌な感じのする視線を感じる。これは会場に入った瞬間から強い視線を向けていた人間のうちの一人だと気づいた。



「あら、貴方がミルトン侯爵でしたか。ロメリィ=ジリアーズです。よろしくお願いいたしますわ」


「ええ、よろしくお願いいたします。まさかロメリィ嬢に知っていていただけるとは――」



 ミルトン侯爵家の当主、グレイス。彼がリヒトを欲しがっていたという認識で間違いないだろう。リヒトの専属について話を切り出すタイミングをうかがっていたら、彼の方から切り出してきた。



「平民の魔法使いのことですが、今、我が家で所有したいと申し出ているところなのですよ」


「ああ。そのお話でしたら……」


「ジリアーズ家はもうロメリィ嬢しかいらっしゃらず、邸も戻っていない。これでは平民の面倒も見るのは難しい。ですから、うちの息子と婚約されてはどうでしょうか? 我が家が支援いたします。貴女のお気に入りの平民もいつでも貸し出しましょう」



 何故か突然話が変わったので、口を引き結ぶ。困惑が表に出そうなので扇で半分顔を隠しつつ、無言で相手が何を話したいのか理解するまで待つことにした。黙っていれば勝手に相手があれこれと用事を話すと教えてくれたのはイリアナだ。

 グレイスはそれからしばらくミルトン家と縁付くことで私が得られるメリットについて語っていたが、この国に対し執着のない私からすれば別段どうでもいい内容ではあった。貴族とのつながりも、裕福さも、何もかもほしいと思ってはいない。

 それにしても話が長い。私が黙っているせいか、相手は私の気を引く話題を出そうと焦っているような雰囲気だ。



「ええと……ああ、そうだ。あの平民も最初は貴女にまとわりついているのだろうと思い、排除しようかとも思いましたが、気に入っているなら飼うのもよいかと思い直しましてね。貴女のために……」



 そして彼は、ついに私の気を引く話題を出すことができた。……非常に悪い方の関心だが。つい表情が崩れ、片眉が上がる。

 貴族が平民を快く思っておらず侮辱する発言に関しては、嫌ではあるが彼らの固定観念なので仕方がないところがある。しかしリヒトを排除しようとした、とはどういうことだろうか。思い当たるのは演習の時の暗殺騒動だが、まさか彼が首謀者だったのだろうか。



「排除しようとなさったというのは、どういう?」



 ピシリと空気が固まった。周囲からも余計に視線が集まるほどに場の空気が変わった。じっと目の前の彼の瞳を見つめると、その顔から血の気がなくなり口元が引きつり始める。



「ええと、それは、その……貴女程の方と並び立つには、あまりにも……分不相応だと、そう、伝えるだとか……」


「それは言葉で? それとも、何か行動を?」


「え、ええ、そういう文書、を……」


「……そう。騎士を送り込んだのは貴方ではないのかしら」


「き、騎士……?」



 グレイスは酷く動揺して目を躍らせているが、騎士のことについては何も知らなさそうだった。リヒトを排除したい人間は大勢いるのだと、グレゴリオもそう言っていた。私は知らなかったが、彼は何やらリヒトに私の元を去るようにという忠告文を送っていたらしい。


(……リヒトが……卒業までは一緒に居たいとわざわざ言っていたのは、こういう理由か)


 彼だけではないのだろう。他にもあらゆる場所で、あらゆる方法で、彼は身を引くようにと忠告されているのではないかと思う。――本当に腹立たしいことだ。私の意思に反して、勝手に私から彼を遠ざけようなどと。



「ひっ……」


「どこのどなたであっても、私の宝を奪おうだなんて許されないわ。ねぇ、そうでしょう。……私は竜の子だもの。宝を奪われたり、傷つけられたり……そんなことをされては、どうなってしまうか分からないわ」



 つい体に力が入ってしまったようで、手に持っていたグラスが割れた。ガラス片が私の手を傷付けることはないので気にしないことにする。


(ああ、腹立たしい。しかし抑えねば……竜の息吹など使ってしまったら、ババリアに叱られそうだからな。ただ怒りをぶつけるのではない。貴族としてのマナーを守りつつ、彼らに理解をして貰わなけば……)


 私は竜の性質を受け継いだ竜の子。宝に触れるものを許さない性質があると言ったのはグレゴリオなので他の貴族たちも知っていることだろう。だからこの機会に、分かっていてもらうことにした。……私の宝はリヒトであると。

 貴族たちは噂話が大好きで、社交の場での出来事は直ぐに広がると聞いている。私がいかに彼を大事にしているかを、この場に集まる貴族たちが広めてくれればいい。



「誰も手出しをしないでほしいという、私のお願いを聞いてくださらない? 貴方のお友達にもそう伝えてくださると嬉しいわ」



 グレイスは何やら壊れたおもちゃのようにかくかくと何度も頷いた。これできっと、私がリヒトを大事にしていると他の貴族も理解してくれるだろう。……それでも手を出すというなら、その時は拳を振るわせてもらう。



「ありがとうございます、ミルトン侯爵。……あら」


「ッ――!?」



 ふと気づくと足元の石で出来た床までヒビが入っていた。まさか床を割っているとは思わず、会場を壊してしまったことに申し訳なくなる。せっかくヒールが低く底広の靴を作って貰ったというのに力が入りすぎだようだ。ピンホールは開けなかったが底が広い分力の伝わる範囲も広がって割ってしまったのだろう。

 私がそのことに気づいて思わず漏らした声にグレイスは大きく肩を跳ねさせた。さすがにこの目で見つめて脅かし過ぎただろうと思い視線を外すと、こちらを見ている周囲の貴族たちと目が合って、今度はそちらがびくりと反応した。……もしかすると目の色が変わっているのかもしれない。これでは他の者がパーティーを楽しめなさそうだ。



「ごめんなさい。場を壊すつもりはなかったのだけれど……私がいてはパーティーを楽しめないでしょう。今宵はこれで失礼いたしますわ。……陛下、大変申し訳ありません」


「……よい。今宵はもう休まれよ、ロメリィ嬢」


「ええ、それでは皆様。ごきげんよう」



 オルトラスもその傍に控えている他の王族も化粧で誤魔化せないほど顔色が悪くなっていた。グレゴリオなど胃を抑えながら俯いていて、余程怖がらせたらしい。

 夜は長いのだ。私がいなくなれば彼らはパーティーを再開できるだろう。美しい淑女の礼を残し、私は会場を後にした。

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