第30話 オーガ令嬢の旅の終わり



「じゃあなー! ロメリィ、また絶対リヒトを連れて帰ってこいよー!」


「ああ、もちろんだ」



 オーガたちに見送られ、行きと同じように山を下りた。麓についたら私は鞄から貴族の服を出して着替える。もちろん、リヒトからは見えない場所に移動した。

 今までは全く気にならなかったが私は今、リヒトへの好意を持っている。さすがに好意のある相手の前で着替えをしようとは思わない。


(リヒトへの接し方をこれから考えていかなければな……)


 リヒトに私の婿になってもらうという目標を立てたのは良いが、私の誘いは完全に冗談として受け取られてしまった。もしかするとこれは、私が一方的にリヒトを好きなだけでリヒトには私と婚姻したいというような気持ちがないから通じないのではないか、と一晩考えて思い至っている。

 一度リヒトの意識を確認して、彼に私を嫁にしたいと思うような気持ちがないのならその気になってもらえるように努力していこうと決めた。



「リヒト、私と試合をしたいと思ったことはないか?」


「ロメリィと? ……いや、まったく思わないな」



 帰りの馬車の中で尋ねてみたのだがやはりリヒトにその気はないらしい。村の適齢のオーガならすでに全員試合を申し込まれているほど好かれる私だが、人間相手だと美しさの基準も違う。しかし人間に異性として好かれる方法など私は知らなかった。

 やはりここはイリアナに相談するしかない。人間の同世代の女性としての知識なら、彼女に尋ねるのが一番だろう。


 行きがけの宿では全く質の違う部屋に泊まるリヒトを自分の部屋へと誘った。帰りも同じように部屋の質は違ったけれど、さすがに誘えなかった。好意のある相手と二人きりで夜を過ごすのは、あまりよろしくない。ただの友人であれば何も起きないだろうが、好意があれば別である。


(私の方が物理的な力は強いからな。何か、こう、変な気が起きてはいけない)


 好きな異性と夜を過ごすと妙な気が起きるという話は私も聞いたことがある。今後は私も気を付けなければならないだろう。……もしかすると親父殿は、私が無自覚だっただけでリヒトに好意を持っていると気づいて同室になろうとする私を諫めていたのかもしれない。

 そうして宿に泊まり、また王都に向けて出発する。一晩経っただけでリヒトの様子が少し変わっていた。


(……ああ、また少し暗くなってしまった。やはりオーガの村に連れて帰りたい)


 帰り道を行くリヒトの瞳は段々と輝きを失っていく。オーガの村ではあんなに輝いていたのに、王都に近づくにつれて明かりを隠すように曇っていくのだ。

 私は、彼の瞳が力を宿した時の美しさを知ってしまった。ずっとそうであってほしいと思うようになってしまったのだ。……この曇りを晴らさなければならない。



「リヒト、大丈夫だ。また必ずオーガの村へ連れていく」


「……ああ。ありがとな、ロメリィ」



 嬉しそうだがやはりどこか暗い。気持ちは嬉しいが、実現するとは思っていないというところだろうか。できるだけはやく、彼の不安を取り除きたい。帰ったら即、行動に移そうと決めた。


 王都へ帰還し、リヒトは学校の寮へと戻っていた。ウラノスが笑顔で迎えに出てきていてそのまま彼を連れていったので、きっと何かの研究をするのだろう。

 私は二人を見送ったらさっさと城へと戻ってさっそくグレゴリオに話をしに行った。



「ただいま戻りました。ところでリヒトが卒業したら、貴族の専属になるというのは本当ですの?」


「……ええと、おかえりなさいロメリィ嬢。いきなりですね……」



 白い顔に微笑みをたたえたグレゴリオは、穏やかというか疲れのせいで小さくなっているような声で教えてくれた。

 平民の魔法使いは卒業後、高位貴族のものになる。自分の代わりに魔法を使わせれば楽ができるからだ。優秀であれば国の専属として使うこともあり、あちこちに便利に派遣できる戦力になるのだとか。



「では、私がリヒトを専属にすることはできるのでしょうか」


「ああ……やはり。そう来ると思っていましたよ。ええ、悪寒がしましたからね」



 何か不思議なことを言いながらグレゴリオは紙の束を取り、その中の一枚を差し出してきた。平民の魔法使いの扱いに関する書類で、これにサインをするとリヒトを所有する意思表明になるというものだ。

 ……リヒトは一人の人間であるのに、物の様に書かれているのがむかむかしてくるが、これが人間の世界の仕組みなのだからどうしようもない。



「他に候補として名乗りを上げている中で最有力だったのはミルトン侯爵家ですが……ジリアーズであるロメリィ嬢がそれにサインをすれば、他の貴族はもう引き下がるしかありません。王家は貴女と対立する気はないですしね」


「ありがとうございます、グレゴリオ殿下」



 これはきっとリヒトを守ることになる。国が所有して各地に派遣するようなことがあるなら必ず王都においておかなければならない、ということもないはずだ。私の専属となったリヒトをオーガの村に連れていくくらい問題ないだろう。すぐにサインをして書類をグレゴリオへと渡した。



「卒業後あの平民は、ロメリィ嬢の所有になるでしょう。貴女のことなので……オーガの村にでも住まわせようと考えているのでしょうね」


「ええ。私、卒業したらリヒトを婿にしたいんですの」


「ぇ゛ッ!!??」


「……殿下? つぶれたカエルのような声がでましたけれど、いかがなさいました?」



 あれは私が十四歳になる頃だった。川辺で水浴びをしていたら魚を狙ってきたらしい熊と鉢合わせになり、私と目の合った熊は恐慌状態となって襲い掛かってきたのだ。

 それを投げ飛ばした先にちょうど大きなカエルがいて熊の巨体に潰されてしまったのだが、今のグレゴリオの声はその時のカエルの断末魔に似ていた。



「……ロメリィ嬢……あの平民を婿にする気はないと……言っていませんでしたか?」


「ええ、嘘ではありません。私が彼を婿にしたいと思ったのはほんの三日前ですから」


「……か……考えを改める気は……?」


「ありませんわ。反対されたらリヒトを攫ってでも連れて帰ろうかとは考えましたが」



 最優先はリヒトの意思だが、リヒトが婿になりたいと言ってくれて、人間側がそれを許さない場合は強硬策に出るしかない。その時は村の皆にも迷惑をかけてしまうが、リヒトの事情を知ったら全員が喜んで協力してくれるだろうことも分かっている。

 元々人間に見つかった時点で集落は移すしかなかったのだし、今は私の存在が人間とオーガを繋いでいるだけだ。私が縁を切れば元の生活に戻るだけのこと。全員で集落を移して別の場所に隠れ住まうだけである。



「…………ああ……はい…………父上、いえ……陛下に話をしてみます」


「まあ、ありがとうございます。……具合が悪いようですわ、お大事になさってください。お休みの邪魔になってもいけませんし、私はこれで失礼いたしますね」


「ええ……」



 グレゴリオは何故か頭と胃を押さえている。どうやら体調が悪いらしいので、私はさっさと退散することにした。


(さて、リヒトの卒業後のことは解決したな。次にするべきことは……明後日の準備か)


 休暇前から決めていた予定で、明後日はイリアナとお茶会をして社交パーティーの対策を練ることになっている。彼女が起こりそうな嫌がらせなどを教えてくれるらしい。私の初めての社交パーティーを絶対に成功させるのだと息巻いてくれている内容の手紙が届いていた。


(……しかし嫌がらせか……何故わざわざそのようなことを。……ああ、そうか、人間は小動物のようなものだったな)


 自分の縄張りに入ってくる異物を排除しようとする行動だと、学園の入学日に思ったことを思いだした。それは弱い者の習性なので仕方がない。私はそれを気にするほど狭量ではないにせよ、イリアナは親切で起こりそうな出来事を教えてくれるのだから聞いておくべきだろう。


 そして翌々日、彼女の家を訪れた。馬車にはリヒトがいないと乗れないので徒歩であるが、彼女の屋敷は城に近い場所にある。この距離をわざわざ馬車で移動するのかと疑問に思うくらいなのだけれど、それでも己の足では歩かないのが貴族の基本らしい。



『本当は貴女も淑女らしく馬車に乗らなければならないのですからね。……しかし貴女は過去のことで、馬車に乗れませんわ。それは、致し方のないこと。ですから特別ですよ。けれど本来は馬車で優雅に移動するのが正しいと覚えておきなさい。よろしいですね』



 ババリアの長い小言を思い出した。しかし私としては、自分より速度の出ない乗り物に一人で乗る意味は見出せない。親しい相手とゆっくり会話と景色を楽しむのならわかるのだけれど。



「ようこそ、ロメリィさま。お待ちしておりましたわ」


「ええ、イリアナさま。お久しぶりですわ」


「早速お茶会を始めましょう。……それで、婚約は上手くいきましたの?」


「え? ……婚約、ですか?」



 何やらうきうきとした様子のイリアナからまず切り出されたのは私の婚約についてだった。社交パーティーのことよりも彼女が気にしていた内容らしいのだが身に覚えがない。

 話を聞いてみるとどうやらリヒトを実家に連れて行ったのが婚約についてだと思っていたようで、否定した。むしろ私が彼を好きになったばかりで、どうしたらいいか分からないところだということを伝える。



「……わたくしは、ロメリィさまからお気持ちを伝えればそれで上手く行くと思いますけれど」


「そうでしょうか。……どうもリヒトにはその気がないように思えるのですが……」


「…………あれでその気がないように見えるのですね、ロメリィさまには。初々しいこと」



 何やら温かい視線を向けてくるイリアナは、とにかく大丈夫だと励ましてくれた。そんなことよりもパーティーの対策をしましょう、と彼女が切り出したはずの話を終わらせてしまう。

 ……彼女の目には私とリヒトがどのように映っているのだろうか。


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