第27話 オーガ村の公爵令嬢



 村の入り口から最も遠く、大きな家がロメリィの実家だ。そこに向かってロメリィと並んで歩く。

 そうしていると多くのオーガたちが話しかけてきて、ロメリィの人気もそこから察することが出来た。老若男女関係なく嬉しそうに「おかえり」とロメリィに声をかけてくる。本当にこの場所がロメリィの帰るべきところなのだと、そう実感した。

 驚いたのはロメリィからすでにリヒトのことを聞いているらしい彼らが、一人残らずこちらにも笑顔で挨拶をしてくれたことだ。……ロメリィ以外の誰かにあまりにも普通の人間のように扱われるのが久々すぎて、落ち着かない。体中がくすぐったくなる。


(モンスターの集落に来たっていうより……他の国に来たって感じがする)


 たしかに彼らの見た目は人間とは違い、牙や角が生えていて、肌の色ははっきりと赤く、体も一回り以上大きい。しかしそれでも感情豊かな表情は人間と変わらないし、何より――悪意がない。自分に向けられる目に、一切の悪意を感じない。そんな相手しかいない場所というのが信じられなかった。

 むしろ彼らの目はとても澄んでいて、輝いているようにすら見える。生命力にあふれる力強い瞳といえばいいのだろうか。容姿は違うがロメリィによく似た雰囲気の彼らに、リヒトが好感を抱かないはずもなかった。


(……ここがロメリィの実家か)


 リヒトがオーガという種族を好きになったところで目的の家の前に辿り着いた。いよいよロメリィの親との対面だと気合を入れ直そうとしていたのに、すかさずロメリィは扉を開ける。……自宅なのだからノックをしないのは当然なのかもしれないが、もう少し時間をくれという気持ちになったのは仕方のないことだと思う。



「親父殿、ただいま帰った」


「ああ、ロメリィ。よく帰ってきたな。……それで、そちらが話していた人間の友人か」



 渋い声が扉の奥から答えて、重たい足音が近づいてきた。そしてここまでに見てきたオーガよりもさらに大きな体格の、ひときわ立派なオーガが家から出てくる。その顔には皺が深く刻まれ、いかめしいのに小さな瞳が随分と柔らかく見えて、何故だかほっとした。皺から考えると老齢だろうが、筋肉の盛り上がりは全く衰えていないのでよく分からない。



「そうだ、彼がリヒトだ。……素晴らしいだろう?」


「ああ、そうだな。よく練られた美しい気功だ。さぞ努力したんだろう」



 人の頭など握りつぶせそうな巨大な手がゆっくりと伸びてきて、リヒトの頭に乗せられた。過去の光景と重なってびくりと肩が跳ねたが、その手は何もすることなく数秒すると離れていく。……そこでようやく、撫でられたのだと気づいた。



「儂はタンダという。この村のまとめ役で、ロメリィの父だ。人間がここまでくるのは大変だっただろう。まずはゆっくり休むと良いぞ、リヒト」


「……あ……ありがとう、ございます」



 丁寧な言葉遣いを必死に思い出して口にしながら、低く落ち着いた声で話すタンダを見上げた。いかめしいのに優しげに見える彼の口調がロメリィとそっくりで、本当にこのオーガが彼女の親なのだと実感する。

 ロメリィが優しいのはこのオーガに育てられたからなのだ。撫でられた頭に触れながら、不思議な気持ちに満たされた。



「そうだな。私が麓から引っ張ってきたんだが、慣れない道で疲れただろう。まずは休んでくれ」


「………………さぞ大変だったことだろう。ほら、早く椅子にでも座れ」



 同じ台詞に一度目以上の感情が込められていた。そんな彼に小さく礼を言って、家の中へと入れてもらう。オーガ達は山の中に隠れ住んでいても結構文化的な生活をしているように思えた。

 おそらく自分で狩ったのであろう獣型モンスターの毛皮の絨毯や牙の飾り物があり、木製の家具は荒々しいが趣がある。オーガ達が大きいからか普段見るものよりも大きな家具が多く、自分が子供に戻ったかのような錯覚を覚えた。



「リヒトはこの椅子に座るといい。今朝、山葡萄を絞ったからな、果実水を持ってきてやろう」



 座るようにと言われた木製の椅子は、随分真新しく見えた。その隣には同じサイズの使いこまれた椅子があり、ロメリィはそこちらに腰を下ろす。人間用に小さめに作られたもの、リヒトが来ると聞いてから作ってくれたであろうその椅子からもタンダの気遣いや優しさが感じられて、体の内がくすぐったい。この村に来てからリヒトはどこか、ふわふわした心地でいた。



「皆が話しかけてきて疲れなかったか? 人間がくるなんていままでなかったから、皆リヒトに興味津々でな」


「……いや……別に、嫌じゃない。皆、いいひとそうだな」



 肌の色も体格も、そもそも種族が違うのに。異物を気味悪がって排除したがる嫌悪の目はどこにもなかった。まるで――魔力が発現する前に、戻ったみたいだ。

 リヒトの言葉にロメリィは心底嬉しそうに笑って見せて「ああ、皆気のいいやつらだ」と誇らしげに口にする。金色の美しい髪も傷一つない白い肌も貴婦人のものだというのに、この場で粗末なオーガの服を着ている彼女は“しっくり”くるのが不思議だ。……改めて服の布面積が少ないことを思い出してそっと顔を正面に向けた。やっぱりまともに見られない。



「ほら、これで喉を潤すといい。……ロメリィは飲んだら防具を着てこい。村の者がうずうずしている」


「ん、そうか。では着てこよう。リヒトは少し待っていてくれ」



 大きなコップに並々と注がれた果実水を飲み干し、ロメリィは別室に消えていった。リヒトも一口飲んでみると、優しい酸味と甘みでほんのりと冷えているその果実水がとても美味しく感じられて、無自覚だったが喉も乾いたようで一気に杯の半分は飲んでしまった。



「美味い……」


「ロメリィもこれが好きだからな、人間の口に合うと思ったのだ」


「……ありがとうございます」


「なに、これくらい。……娘の友人をもてなすのは親として当然だろう。ロメリィが人間を連れてくると言った時は驚いたがな。とてもおぬしを気に入っているようだ」



 リヒトもロメリィから好かれているのは分かっている。それはリヒトと同質の感情ではなくても、好意であるのは間違いない。友人として大事だとも言われているし、事実だろう。

 けれどロメリィのもう一人の友人が言っていたように、彼女は誰にでも優しい。リヒトは決して彼女の特別ではないのだと、自分に言い聞かせた。貴族の友人は山奥まで来られないだろうからリヒトだけが誘われただけで、特別親しいから呼ばれた訳ではないはずだ。



「俺にとってもロメリィは……大事な友人、です」



 決してそれ以上になりたいだなんて望んでいない。友人として大事にしてもらって、家にまで連れてきてくれた。それだけで充分なのだ。

 友人の域を超えないとは思ってはいけない。そもそも不可能なのだ。リヒトは平民で、ロメリィは貴族。リヒトは貧弱で、ロメリィは強靭な婿を欲しがっている。最初から望みがないものに希望を持たない方が、苦しまなくて済むのだと知っている。



「おぬしは……」


「戻ったぞ。到着して早々放置してすまなかった」



 タンダが何かを言いかけたところでロメリィが戻ってきた。彼女は革製の鎧を身に纏っていて、先程よりも随分と露出度が減った。……おかげでリヒトもなんとかロメリィを見ることができる。



「ロメリィ、眠るとき以外はそれを着ているといい。試合はいつ申し込まれるか分からないからな」


「了解した、親父殿。……ところでリヒト、君の今日の寝床なんだが私の部屋でいいか?」


「やめておけ」



 リヒトが心の中で「だめに決まってるだろ」と思うと同時にタンダがロメリィをたしなめた。残念そうな顔をされたがリヒトもタンダに賛成である。

 一瞬で馬鹿みたいに騒ぎ出した胸の上に手を置いて息を吐く。鎧を脱いだあの格好のロメリィと同室だなんてとんでもない。



「友人と眠るまで話し込むというものをやってみたかったんだが……」


「今はやめておけ。リヒトには空き家か……ひとりが心配なら儂の部屋に来ると良い」



 こちらを見るタンダの瞳が「大変だろう」と呼び掛けている気がする。何故だかとても、彼とは分かり合えるような気がした。

 こうしてオーガ村での心臓に優しくなさそうな二週間の生活が幕を開けた。



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