第25話 オーガ令嬢の休暇の始まり


 さて、長期休暇が始まった。初日からリヒトと共にオーガの村へと出発する予定を立てているので、私は意気揚々と城を出た。学園の前が集合場所である。

 私の目は特殊なため、貴族の服を着て外を歩く時はベールという薄い布で顔を隠すデザインの物を着ることになっており、少々視界が悪い。しかし弱い者たちを脅かさない配慮なので、私もこれは必要だと理解している。

 ただこうして顔を隠していても目立つのか、街を歩くとやはり人間の目を集めてしまった。淑女として完璧な姿勢と歩き方のはずだが何故だろう。



「それは、ロメリィの髪色のせいだな。……王族の血筋の人間が、供もつけず馬車も使わず一人で歩いてたら目立つのは当たり前だ」



 集合場所まで歩いてきた私を見たリヒトは吃驚しながら教えてくれた。そういえば金髪というのは王族の血筋にしか現れない色だから、確かに目立つだろう。納得した。



「私は馬車に乗れなくてな」



 馬車を操る御者は平民であるというので、彼の前でも貴族言葉は使わないことにした。グレゴリオもしっかりと経験のある御者で運転が上手くので安心して利用していいと言ってくれたが、耳が遠いのは運転技術に関係しないのだろうか。謎である。



「……乗れない? なんでだ」


「自分でも不思議なんだが、馬車に乗ろうとすると足が止まる。……事故のことは殆ど覚えていないはずなんだがな」



 そういえばリヒトにこの話はしたことがなかった。私自身、過去の事故のことはあまり気にしていないし普段は思い出さないせいもあるだろう。

 リヒトは私が十年前に事故に遭って行方不明になり、オーガに育てられたことを知っているがその詳細はよく分かってないはずだ。



「……そうか、馬車に乗ってて事故に遭ったんだな」


「ああ。家族でどこかに向かっていた……んだと思う。やはり、よく思い出せないが」



 私の血縁である父と母の顔は、まったくと言っていいほど覚えていない。六歳までの生活はあまりにもおぼろげで、だからこそ人間の国への愛着もないのである。私の親は親父殿であり、私の同胞は村のオーガたちなのだ。



「これは……ロメリィの心の傷なんだな」



 リヒトが馬車を見上げて言った。その言葉に驚きつつも納得する。たしかに私は馬車に乗ることをどこかで恐れていて、どうしても籠の中に乗る気になれない。それは私の、見えない心の傷であるのだろう。



「……そうか、そうなんだろうな。自覚はなかったが」


「……じゃあ、そうだな……馬車が馬車らしくなかったら乗れるか?」



 馬車らしくない馬車とは何だろう。首を傾げると、見た目を魔法で変えて馬車に見えなければ乗れるのではないか、と提案された。

 王族の立派な馬車はジリアーズ公爵家が使っていた馬車と似ているはずだから、余計に過去のことと繋がって避けてしまうのではないか、全く違う見た目なら何か変わるのではないか、と。



「たとえばそうだな……ロメリィの好きな動物は、何かいるか?」


「ふむ……ジャイアントボアだな」


「ジャ…………モンスターで来るとは思わなかった」



 動物もモンスターも、狂暴性が違うだけで同じようなものだ。どちらも良い食材である。最近食べた中だと、やはりリヒトと二人で焼肉をした大猪が美味だったという印象が強く、それが最初に思い浮かんだだけだ。



「あれは俺も見たばっかりだからつくりやすいといえばつくりやすいけどな。……ええと、じゃあこんな感じで」



 リヒトが馬車に触れると、たちまちその姿が別の物に変容する。丸くて大きな体に、立派な牙が生えた大猪。瞳は随分つぶらで愛らしく、その体部に窓がついているので本物とは程遠いが、それはたしかに大猪の形ではあった。……御者がびくりと肩を跳ねさせたが、こちらを見ないし何も言わない。



「動物の形してれば乗れるかと思ったけどこれは……我ながら酷い。他のにしようか」


「いや、試してみよう。……というより、これは乗ってみたい」


「え」



 これはもう馬車ではなく猪車である。さっそく扉を開けて中を覗き込んだ。内装までなんだか茶色の毛のようなものに覆われていて面白い。そして私は、普通にその中に足を入れることができた。足がすくむような感覚は、ない。



「乗れそうだ」


「ん、そっか。……幻影魔法を被せてるだけなんだけどな。よかった」



 リヒトが嬉しそうに、それでいて優しく笑う顔が見えて、一瞬自分の動きが止まる。私は彼に力を取り戻させようとばかりしていたが――これは、彼が私の力を一つ取り戻してくれた、ということではないだろうか。

 自分ではどうにもならなかった恐怖を一つ克服させてくれたのだ。……どう感謝すればいいのだろう。



「うわ……すごいですね、これは」


「あ、ウラノス先生」


「あら先生、ごきげんよう」



 学園の中からウラノスが出てきて、猪車を見て開口一番にそう言った。たいへん面白い乗り物となっているので興味が出たのだろう。猪の腹のあたりを触って何やら頷いている。



「視覚情報から想像できる感覚を誤認させることもできる幻影ですね? うわ、生きてるみたい。すごい。リヒト君ちょっと僕と一緒にこの魔法について」


「いえ、先生。俺たちはこれからロメリィの実家に行くので」


「え? 実家にご挨拶? ……なるほどなるほど、それはいってらっしゃい。しかしこの馬車が通ったら人を驚かせますよ。一応、王子殿下にご連絡をさしあげておきましょう」



 その言葉通り、この猪車はモンスターを模しているため人を驚かせるだろう。驚かせるだけですめばいいが、脅かしては大変だ。

 ウラノスの魔法の手紙が鳥の形となって飛んでいくのを見送って、返事の到着を待った。出発の予定は遅れてしまうが別段急ぐ旅でもない。その間ウラノスは楽しそうに馬車を触って、あれこれと考察を口に出してはリヒトに話しかけていた。リヒトは慣れた様子で返答していたので、いつものことなのかもしれない。



「ああ、返事が来てしまいましたね。……文字が荒々しくて読みにくいのですが……ええと、馬車の通る予定の近辺の村や街には先んじて触れを出しておくとのことです。これで心置きなく出発できますよ」


「ありがとうございます、ウラノス先生」


「いえいえ。ではよい旅を。二人とも楽しんでください。……そういえば最近この辺りでとてつもない勢いで駆けまわる金毛の獣を見かけたという情報もありますので、お気をつけて」



 さて、これで心置きなく出発できる。もう一度、猪車の前に立ち中に乗り込んだが特に問題ない。椅子の部分の手触りは山猫のような柔らかめの感触で、猪の硬い毛とは別物だ。

 中は普通の柔らかい布で出来ているだろうけれど、リヒトがそう感じるように幻覚魔法を使っているという。本当に魔法は多種多様で不思議な力だ。……残念ながら、私は身体強化と竜の息吹しか使えないが。


 そうして走り出した猪車は道行く人々をぎょっとさせつつ街の中をゆっくりと走った。御者と馬がいるのでモンスターだとは思われないだろうが、通りかかった人間のほぼすべてが二度見、三度見、もしくは凝視という反応を見せているのが窓から見える。

 そうして窓からの景色を眺めていると、空に大量の鳥が飛んでいるのが見えた。



「うわ、凄い数の伝書鳥だな……」


「ああ、さっきの鳥と同じだな。あれは全部魔法で出来ているのか」


「ああ、そうだ。まあこの街では間に合わないだろうけど……ロメリィから外側は見えないから、外見だけでも戻しておくか? まあそのままでも王子殿下が後処理をどうにかしてくれるかもしれないけど」



 他の街にはこの猪車が到着する前に、そのような変わった馬車が通ることが知らされる。ただこの街ではその知らせより先に車を目にする人間の方が多いだろう。それで脅かしてしまっては悪いのでリヒトの意見には賛成だ。



「そうだな。……それでも私が大丈夫かどうか、試してみたい」


「ん、分かった。……無理だったらすぐ言ってくれ、戻すから」



 見た目も中身も随分と雰囲気が違う馬車には乗れた。外観は中からは殆ど見えないが、窓から見える大きな牙がなくなったらどうだろうか。

 リヒトが幻影魔法をかけ直し、外観は本来の馬車で中は毛皮に覆われたままの姿に変える。私の様子を心配そうに窺う視線を受けながら、外の景色を眺めた。……特に、問題はない。



「リヒト」


「ああ。戻そうか?」


「いや、大丈夫だ。……ありがとう、君のおかげだな」



 不思議そうにこちらを見ている夜空の色の瞳には、以前より輝きがある。彼が順調に力を取り戻している証であり、私がそうしたいと願った結果だ。

 しかし、私は自分が力を失っているだなんて全く気付いていなかった。たしかに馬車に乗ることはどうしてもできなくて、恐怖心なのだろうとも思っていたけれど、それを心の傷として認識してはいなかったというか、リヒトのように治療が必要な心の怪我だなんて思っていなかったのだ。



「きっとこれは私の心の傷だった。……君が治してくれたんだ、ありがとう」


「…………まだ、はやいだろ。中は幻覚だぞ。……そういうのは、中も大丈夫になってから、だろ」


「ああ、そうかもしれないな。なんだか嬉しくて、気が逸った。外も中も普通の馬車に乗れるようになるまで付き合ってくれるか?」


「…………当たり前だ」



 くしゃくしゃと髪を掻いて崩しているリヒトから、窓の外へと視線を動かす。馬車から見える風景とはこのようなものだったか。流れていく街並みも、人も空も、同乗する向かい側の親しい相手の顔も何もかも新鮮で、全く覚えていないからこそ、新しい記憶として刻まれた。

 ――こうして私とリヒトの二人旅は始まった。

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