第23話 オーガ令嬢の試験前期間




「休暇前試験がくるけど……この……体力づくりは……休まないのか……」



 それは昼休みの事。呼吸を乱しながらリヒトはそう話しかけてきた。

 彼が息苦しそうなのはリヒトの体力づくりのため、昼食後に軽い運動をするのがここ最近の日課となっていて、ちょうどそれが終わったところだからだ。

 演習のあとから始めた運動ももう二ヵ月となる。リヒトは騎士族ではない貴族の同期生くらいには体力や筋肉がついたと思う。今は草地に座って天を仰ぎ乱れた呼吸を整えているが、最初の頃などその辺りを早足に歩き回るだけでも地面に転がっていた。慣れた頃に運動量を増やしていくのを繰り返して、今は早足でへばっていた距離を軽く走れるようになっている。



「たしかに最近は試験勉強という言葉があちこちから聞こえるな」


「ん……ロメリィは試験勉強、しないのか?」


「普段から授業を真面目に受けておけば特別に試験用の勉強が必要だとは思わないのだが……」



 授業で習ったことやウラノスの話はしっかり聞いていたし、全て覚えている。試験というのはいままで習った内容で問題を出し、しっかり頭に入っているかを己が確かめるためにあるものだ。覚えていれば特に問題はないと思う。



「記憶力もいいんだな、ロメリィ。でも大抵の人間はそんなことできないから勉強するんだ」


「そうなのか。……リヒトもその勉強をしたい、ということか?」


「いや、俺も別にいらない。休みの日なんかはここで魔導書とか読んでるし……授業の内容は頭に入ってるよ」



 リヒトは学園内の寮に暮らしているので、休日でも学園の設備を利用できる。休みの日は図書館の本を読んで魔法の勉強をしたり、ウラノスの研究を手伝っていたりしているという。

 私は私でババリアから学園とは違う授業をされたり、イリアナとお茶会をしたり、実家に帰ったりしているので休日もなんだかんだとやることがあった。……頻繁に帰ってくることに親父殿が驚いているが、徒歩圏内なのだから当然の事だと思う。


(そういえば試験が終わったら長期休暇とやらになるんだったな……二ヶ月ほど)


 今から夏がやってくる。暑い夏の時期は学園も休みとなるらしい。二ヶ月もリヒトに会えないとなると私としてもなんだか寂しいところがある。

 私は実家に帰ろうと思うが、リヒトは休みの間も学園で過ごすのだろうか。彼に――帰るべき実家は、もうないのだと聞いている。


(そうだ、なら私の家に遊びに来ればいい。城へは平民を連れてくるなと言われているが私の村なら関係ない)


 これなら私がリヒトを自分の家に誘ってもいいのではないだろうか。友人を家に招くという行為には少々憧れがある。遊びに行く方であればイリアナとお茶会をする時に招かれているのだが、家に招いて持て成したことはない。リヒトがその第一号になってくれればいい。



「リヒト、長期休暇の話なのだが……オーガの村に来ないか?」


「……オーガの村って……ロメリィが育ったっていう、あの?」


「ああ。二ヶ月も君に会えなくなると私も寂しいからな。遊びに来てくれると嬉しいんだが」


「ぅぐ……」



 リヒトが片手で顔を抑えて呻いた。ゆっくりと手を降ろし夜空のような瞳を覗かせた彼から、どことなく責めるような視線を向けられる。しかし責めているにしては嬉しそうでもあるので、判断の難しい表情だ。



「……ロメリィにそんなこと言われたら断れない。行くよ」


「そうか! それは良かった。きっと皆も喜ぶ。先に話を通しておこう」



 色好い返事を貰えて私も嬉しくなった。オーガたちは絶対にリヒトを喜んで迎えてくれるだろうから、とても楽しみだ。次の週末には私が友人を連れて帰ることを皆に話しておくとしよう。



「……文通でもしてるのか?」


「いや。週末はよく家に帰っているから、次の休みにでも話しておこうと思ってな」


「ロメリィの住んでたオーガの村ってそんなに近いのか?」


「そうだな、左程遠くない」



 私の脚では二時間の距離といったところだ。グレゴリオたちと共に馬でこの国へ来た時は三日ほどかかったが、それは馬が遅いからである。

 しかし体力をつけてきたとはいえ、まだ貴族たちと変わらない程度のリヒトに同じ距離を走れというのは無理だと私も理解している。私が負ぶっていくか、彼には馬車を利用してもらう方がいいだろう。

 休みの期間は二ヶ月もあるのだから、移動に多少の時間がかかっても問題ない。



「そうなのか。ちなみにどのあたりだ?」


「ホロニャ山、と人間は呼んでいるな」


「ホロニャか……え、ホロニャ? 往復したら一週間くらいかかるよな? 週末に帰…………まあロメリィだからな。徒歩の方が早いか」



 リヒトは相変わらず話が早い。馬よりも私の徒歩の方が早いと察して納得してくれた。グレゴリオなどは翌日に帰ってきた私を見て「……本当に行ってきたんですか?」と疑うようなことを言っていたのに。



「でも、ほんとに俺が行っても迷惑にならないか……? その、オーガ達は俺みたいな人間が嫌いだったりは……」


「前にも言ったが、オーガ達は君を歓迎するはずだ。気楽に来てほしい」



 せっかくオーガと人間の平和協定があるというのに、なんだかんだと交流会は開催されないままである。リヒトが来てくれたらとても嬉しい。オーガがどんな種族なのか、人間に見て、知ってほしいのだ。



「ん、じゃあ……試験が終わって、長期休暇に入ってからだな。……楽しみに、してる」


「ああ。それまで体作りは継続しよう。試験の時は疲れるだろうから、それ以外の日はな」


「…………ああ、やっぱりやるんだな」



 筋肉も体力も一日にしてならず。地道な積み重ねが必要なのである。

 リヒトはそのあたりの努力がしっかりできる人間なので、しんどそうにしながらも休むことなく運動を続けてきた。栄養が足りず体力が落ちていた彼にとっては厳しい道のりだったはずだが、それでもめげることなく。


(君のそういう所が私は好きなんだ。もっと元気になってくれ、リヒト)


 少しずつ力を取り戻していく彼の姿を傍で見守ることに、私は充実感を覚えている。まだ瞳に陰りが見えることはあるから完全ではないのだろうけれど、それでも大分元気になってきた。

 オーガたちに囲まれて、私以外にも彼の力を認める存在がいるのだと分かればきっと、また少し元気になるはずだ。長期休暇がとても楽しみになってきた。


 その、数日後。



「ロメリィ様、休暇の期間は社交シーズンでしてよ。ご予定はいかがかしら?」



 イリアナとの何度目かの茶会で、彼女からそのように切り出された。

 ここはラノック公爵家の別邸で、魔法学園に在学するためにイリアナは領地の実家から離れた王都のこの邸で暮らしている。社交シーズンには国中の貴族が領地から王都へ集まるため、地方の領主でも必ず王都の貴族街に別荘があり、学生となる貴族は各地から別邸へ一年の間移り住むのが慣例らしい。

 私の場合はジリアーズの邸を既に使っている家があるので取り戻すか新たに建てるかで検討を重ねている最中で、いまだに家無し王城暮らしである。……まあ、私の実家はオーガの村なのであまり気にならない。



「休暇の間はリヒトを連れて実家に戻ろうかと考えていますの」


「まあ! ……おめでとうございますわ。もうそのような仲になられたのね」


「ええ、とても親しくしていますから」



 分かりやすく驚いて祝いの言葉を述べるイリアナが何故そこまで喜色を顕わにしているのかよく分からないが、とりあえず肯定を返す。



「けれど二ヶ月もご実家に居る訳ではないでしょう? 貴女もそろそろ社交デビューした方がいいわ」


「そうなのかしら?」


「ええ。……わたくしとだけお友達で居てくださっても嬉しいけれど、貴女はもっと大勢の人間に認められるべきよ。わたくし、いまだに貴女がオーガ令嬢と呼ばれているのが気に障るのよね。ロメリィさまは、美しいわ」



 私は貴族の社交場に顔を出さず、学園でもリヒトとばかり過ごしてイリアナやグレゴリオ、ウラノスを除けば知り合いがいない状況だ。イリアナ曰く、いまだに社交のパーティーなどでは私を粗野で粗暴なオーガ令嬢だと言う貴族がいて、それを耳にする度に扇を握りしめているのだとか。



「私の振る舞いは、イリアナさまからしても合格ということかしら?」


「…………そのあたりはもう不可能だと諦めましたの。ロメリィさまは、感性も価値観も特殊なのですもの。けれど、一緒に過ごしていれば貴女がどのようなお人柄なのか分かるようになるわ。だからこそ、他の者にも貴女を知ってほしいのよ」



 イリアナは扇を開いて口元を隠しながらそっと目をそらした。……私の言動は人を勘違いさせるままのようだ。しかし、何故そうなっているのかいまいち理解できない私にはどうしようもない問題である。

 こうして、長期休暇の前半はリヒトとオーガの村へ。後半はイリアナと社交パーティーへ行くことが決まった。


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