第21話 オーガ令嬢の週末



 週末の二日は学園が休みだ。ババリアから常識を教わることもあるが、今週は暇だった。なのでグレゴリオを訪ねることにする。何かあればいつでも頼るように言われているからだ。

 そういう訳でグレゴリオの居場所を侍女に尋ね、しばらくして私室にいるという返事があったので彼の元を訪れた。



「ロメリィ嬢、どうされました?」


「……むしろ殿下がどうなさったのですか? お顔の色がすぐれませんけれど」



 リヒトは栄養不足で不健康な顔色だったが、今のグレゴリオも負けていない顔色の悪さだ。あまり眠っていないのか、目の下にクマができている。どう見ても疲労困憊、という状態の彼が心配になってきた。



「いえ……この前の演習の事件で、少し。調査が難航していて……」


「……それも殿下の仕事なんですの?」



 事件の調査は騎士団がするものだと思っていた。リヒトがそう言っていたし、指揮を執るのも騎士団の人間だと。だからこそ、彼らが関わる事件だからこそうやむやになると。

 けれど今調査の指揮を執っているのはグレゴリオのようだった。彼は今勉学に励む学生という職なのだから、この仕事を任されるには不適当な気がする。



「本来は違います。けれど私は貴女に対し誠実でいようと思っていますから。……貴女を、ここに連れてきたのは私ですし……」



 グレゴリオは誠実で真面目な人柄なのだろう。イリアナが惚れこんでいるだけのことはある。この国に来てから学んだことだが、王族がわざわざ交渉のためにと山中に分け入ってきたのもかなり珍しい事例であるらしい。権力のある彼らは人を動かすものであって、自らが動くものではないと。

 責任感が強く、抱え込み過ぎそうな性格に思えた。人間の国では権力者が下の人間に命令を下して働かせる仕組みになっていて、権力があればあるほど自ら動くことは少なくなっていく。グレゴリオは私に誠実であろうとして、本来は自分の仕事ではないものまで抱え込んで疲れているらしい。



「そのような無理はなさらなくても……」


「いえ、これくらいしかできませんから。……私は、たしかに貴女が平民といることをよく思っていませんが、決してこんなことはしないと信じてください」



 もしかして、グレゴリオは自分が首謀者だと疑われているのではないかと考えていたのだろうか。ならばそれは杞憂である。私は端からグレゴリオが関係しているとは考えていなかった。

 たしかにリヒトに対しては冷たく、また私から遠ざかるように忠告をしている節もあったが、それは一般的な貴族の価値観によるもの。そしてわざわざ直接忠告に行くような彼が、暗殺などという手段を取るとは思えない。



「ええ。私も殿下ではないと思っております。……首謀者に、心当たりはおありですか?」


「なくもないですが……結構、多いのですよ。ジリアーズの力を狙う者は。貴女の心さえ手に入れれば、誰にでも可能性があるのですから」


「ああ。私ならどなたとでも婚姻できる、というお話ですものね」



 イリアナから聞いていることをすでに知っていたのか、グレゴリオは困ったように笑って「申し訳ありません」と一度謝った。何故謝られたのかよく分からない。伝え忘れていたとかそういう意味だろうか。



「貴女が平民を傍に置いていることは周知の事実です。子供からそれを聞いた親、その親から話を聞いた他の貴族。……誰がやったとしてもおかしくない、というのがなんとも。直接関わったであろう騎士は、すでにいませんし」


「……いない、とは」


「自ら命を絶ちました。……いえ、そのように見せかけられたのかもしれませんが。もう二度と口を開くことはありません。それもあって調査は難航しています」



 なんとも不穏な話である。ルドルフに対し怒りを覚えた私でもやるせない気持ちになる。

 やはり人間という生き物は私には理解できない。罪は告白し償うべきものなのに、何故それを隠そうとして命を失わせてしまうのだろう。

 そもそも何故私の心を手に入れようとしてリヒトを狙うのか。リヒトを殺されたら私が怒り狂うとは考えないのだろうか。



「おかしな話ですね。リヒトを害して私の心を手に入れようなんて……大事なものを壊そうとして怒らない者などいませんわ。私、オーガの中ではそのあたり結構苛烈ですし」



 オーガは基本的におおらかで、その中で暮らしてきた私も同じだと思っていた。しかし村を人間に襲撃された際、最も怒っていたのは私で、人間たちが撤退した後は同胞たちに総出でなだめられたものである。



「……ロメリィ嬢はオーガじゃありませんからね?」


「ああ、そうでした。……分かってはいるのですけれど、人間だという意識がどうも薄くて」


「貴女は竜の性質も持っているので純粋な人間とも違いますしね。逆鱗に触れれば竜は怒るものです」



 竜の逆鱗の内側には竜にとって最も大事な宝玉が隠してあるのだとされている。だからこそ逆鱗に触れる者があれば激怒して襲い掛かってきたのだと、そのような文献が残っているという話をグレゴリオが教えてくれた。

 人間の形をしている私には物理的な逆鱗はなくても、宝と認識するような大事なものはいくつかある。大らかな性格であっても、それに触れられるとどうしても我慢がならなくなるというのは不思議なことでもないとも言われて納得した。



「普段はそんなに感情が昂ることはないのですけど、大事だと思うものは守りたい意識が強いようですわ。リヒトもその中に入っていますから」


「……そうですか……」



 何故かグレゴリオが酷く落ち込んだ様子を見せた。その反応が分からず首を傾げていると、疲れを隠せない、どこか諦め交じりの笑みを向けられる。



「では……ロメリィ嬢はあの平民を婿と定めたのですね」


「いいえ。そのようなことはありません」


「! そ、そうですか……!」



 今度はぱっと明るい顔になった。グレゴリオの反応がよく分からないが、どうやら私がリヒトを婿にしようとしていると思って落ち込んでいたらしい。……そういえばグレゴリオは私の婿を一生懸命探しているようだったので、その労力が無駄になると思ったのかもしれない。


(私はただリヒトの力を取り戻してやりたいだけなんだが)


 確かに彼は私にない力、私以上の力を持っている部分がある。しかし今の彼はとても弱弱しい。私はそれが心配で、放っておけなくて、ただ元気になってほしくて傍に居るだけで婿にしたいとまでは考えていない。

 ただ力を取り戻した本来の彼を見てみたいだけである。その時の彼はきっと、今以上に素晴らしい。



「こちらの話が長くなってしまって申し訳ない。今日は何の御用でしたか?」


「ええ、オーガの村に帰りたくて」


「え」



 少し明るい顔色になっていたグレゴリオが再び青ざめた。彼は私の言葉に心境を左右されすぎではないだろうか。そしてその理由もいまいちわからない。



「ロメリィ嬢、一体何が不満でしたか。できることは改善いたしますので、どうかまだこの国に居てくださいませんか。調査もできる限りの力を尽くしますから、どうか」


「けれどそろそろ親父殿……いえ、お父様の顔を見たいわ。皆の様子も気になるもの。そういえば例の、団長になるという騎士の方は交流会をしてくださったかしら?」



 親父殿をお父様と呼ぶことに違和感があるが、ここではそのように呼ぶのが正しいらしいのだ。人間の顔しか見ていなくて、厳ついオーガ顔が恋しいのである。

 そんな私の思いが通じたのかグレゴリオは「そういう意味か……」と小さく息を吐いて許可をくれた。



「騎士団は現在調査で忙しいので交流会はまだ難しいかと。あの村まで帰るならそれなりの距離がありますし、馬をお貸ししましょう」


「いえ、結構ですわ。自分で走った方が早いもの」


「走った方が早い……」


「むしろ丈夫な靴が欲しいですわ」



 貴婦人の靴は踵の部分が細いピンヒールというもので、力を込めて地面を蹴ろうとするとめり込んでしまうのだ。私は元から背が高いので他の女性に比べるとそのヒールも短いのだけれど、それでも時々加減を間違えて地面に穴を開ける。

 男性の靴と同じような平たいものがほしい。そんな要望をグレゴリオに伝えたら、彼は引きつったように笑いながらも了承してくれた。



「…………で、デザイナーと相談しますね……」


「ありがとうございます、グレゴリオ殿下。では、少々帰省いたしますね」



 そう言う訳でオーガの衣装だけ小さな鞄に詰めて人間の国を出発した。人目がある間は貴婦人らしい姿勢で歩き、人の街を出てからは全力で駆ける。

 二時間程で懐かしい山へとたどり着いたので、いそいそとドレスと靴を脱ぎ、気軽なオーガ服に着替えたらいざ村を目指して山登りだ。そうしてさらに十分程度でたどり着いた村で、真っ先に我が家へと向かった。



「ただいま帰りましたわ! お父様!」


「!? ロメリィ!? 何があった!?」


「ああ、間違えた。ただいま帰ったぞ、親父殿」



 そうして久々に再会した父親は、目玉が零れるのではないかというくらい驚いて目を見開いていた。


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