第20話 勘違いされやすい公爵令嬢
背後からの殺気にはリヒトも気づいていた。食事をほとんど与えられなくなってからリヒトも森に入り動物やモンスターを自力で狩って食べるようになっていたし、気配を探るのは得意だ。
ルドルフという騎士はこの演習に乗じて、なんらかの手段でリヒトを事故に見せかけて殺す気だろう。理由はおそらく、平民である自分がロメリィの傍にいるからだが――この事態を予想していなかったわけでもない。大して驚かなかった。
ただリヒトが気づけることに武の結晶のような存在であるロメリィが気づかない訳がない。彼女は直接ルドルフに殺気が漏れていることを注意した。
「そのように殺気を隠せていないと、獲物に気づかれてしまうでしょう? いけないわ。狩りをするなら……獲物を狙う直前まで、殺気は完全に収めておかないと」
(ロメリィは……なんていうか、思ってることを言ってるだけなんだろうけど……)
貴族の言葉には裏があるものだ。彼女は言葉通り、殺気を洩らしていては狩りの動物に逃げられると言っているはずだが、悪だくみをしている人間には別の意味に聞こえるだろう。
翻訳するなら『殺気が漏れているぞ、殺すつもりなのが丸わかりだ。ばれないとでも思ったのか?』というあたりだろうか。少なくともルドルフはそのような意味に受け取ったはずだ。顔色が悪くなっている。
(迫力あるからな……竜眼に恐怖を抱く人間も多いんだっけ)
所作は美しい貴婦人なのに、それでも内側の猛々しい気配を消せないロメリィには他の貴族にはない迫力がある。それに拍車をかけるのが竜の血族である証の竜眼で、その目は見るものを委縮させる効果があるという。
リヒトにはその効果がないようで、ロメリィはそれを喜んでリヒトの目を見たがった。……そんなことを言われたら前髪でもなんでも切るしかないと思う。
ルドルフの殺気は完全に萎えてしまったようだが悪意のないロメリィの行動は止まらない。その後、道中に生えていたコチットの実を収穫したと思ったら素手で割って見せた。
これは本来素手で割れるはずのない木の実である。専用の道具を必要とする固い殻を難なく割って、ルドルフを振り返った。息を飲んでいる彼には『お前もこうなりたいか?』という副音声が聞こえたに違いない。
「顔色が悪いですわ。休んだ方が良ろしいのではなくて? ……そうだわ、これを預かっていてくださる? 護衛はカーン卿が居れば充分ですもの。貴方は先に戻って、ゆっくり休んでいて」
これも言葉の通り、彼女はただ顔色の悪いルドルフを心配しただけだ。ただリヒトの暗殺を目論んでいただろう彼は『この実のようになりたくなかったら余計なことをせずに戻れ、大人しくしていろ』という意味にしか聞こえなかっただろう。
悪意ある者ほど、正直すぎるロメリィのありもしない言葉の裏を勝手に想像してしまうものなのかもしれない。
一連の流れを見ていたもうひとりの騎士カーンにもこの“脅し”の効果は出ていた。様子を見る限り彼はルドルフの作戦については殆ど知らない様だったが、何かあることは薄々感づいてはいたのだろう。
護衛であるはずのカーンは自分にたくらみなどないことを証明するために動かず案内地点にとどまるという選択をしたのでロメリィと二人で狩猟をすることになった。
話の流れで騎士たちの行動が理解できていなかったロメリィにも、リヒトが想像していたルドルフの目的を説明する。
「俺がロメリィの傍に居るのが気に食わない奴がいるんだろうな。俺はちゃんと自分の身分くらい……」
リヒトは平民だ。貴族の隣に並び立つべきではないし、ふさわしくない。それでもロメリィが望んでくれているから、学園にいる一年の間で彼女が望む限り傍にいる。
その後はちゃんと貴族の道具になるから、もうしばらくの間だけ夢のような日常を過ごすことを許してほしい。身の引き際はわきまえている。
それでも目障りに思われるのも仕方がない。襲われたところでそう簡単にやられはしないがいい気分でもないのはたしかだ。……自分が不必要だということは、自分が一番わかっているのだから何度もその事実を突きつけられたくない。
「ロメリィ? ……目の色が変わってる」
「ん……ああ、怒りを覚えると変わるらしいな、私の目は」
普段は桃色の竜眼が深紅へと染まっていた。轟々と燃える炎のように美しい赤だ。リヒトは仕方のないことだと受け入れていたのに、ロメリィはリヒトへの扱いに怒っているらしい。
リヒトにとってはそれだけで充分だった。他の誰にどう思われても気にならない。ロメリィがリヒトを必要としてくれている気がする。それが嬉しかったから。……それだけで充分なはずだったのに。
「リヒト。……私は君を大事にするからな」
「はっ……!?」
まさかそんなことを言われるとは思っていなかった。一気に顔が熱くなって、まともにロメリィの方を見られない。ふいに魔力の制御すら失いそうになって慌てて浮遊の魔法を使いなおす。
(大事にするってなんだ。大事に……大事にするってどういう意味だ……!?)
何か特別な意味のありそうな言葉。彼女は決して嘘を吐かない、だからこそそれは正直な言葉。しかしそれが一体どういう意味なのか。自分でも理解できない熱のような感情が頭の中を巡って沸騰し、混乱する。
「君を殺させなんてしない。それから、私はリヒトを絶対に傷つけないと約束しよう。大事な友人として」
「あ、ああ、そういう……」
友人として大事にする。そういう意味らしい。熱で火照った目元を誤魔化すようにこすっていると、訳の分からない感情に振り回された心が落ち着いていく。何故か、何か少しだけ期待を裏切られたような、自分が何を残念がっているのか分からないけれど、そのような気持ちだ。
(ほんと、ロメリィは……勘違いされやすいっていうか、ロメリィ語は難しいな)
生きてきた世界が違う。常識が違う。だからこそ、彼女の言葉の意味をくみ取るのは難しい。彼女の背景を、本来の性格を理解していない貴族ならなおさらだろう。
その後、人為的に仕掛けられている大猪を発見して、ロメリィの常識はずれなコチットの殻の使い方で狩り、持ち帰る。
大猪は随分と重いので、そちらの運搬に魔法を使うことに気を使って地面を歩くことを選択したが、森を出る頃にはくたびれていた。
(ああ、ほんと……軟弱だな、俺は。こんなんじゃ……)
ロメリィは巨大な猪を軽々と担ぎ上げていた。その細腕から想像できないほどの膂力。彼女から見ればリヒトはとても非力だろう。少なくとも彼女の探している「自分より力のある相手」とやらには程遠い。
(……俺には関係ないのに、何でこんなこと考えてるんだろ)
オーガの村から人間の国へ、自分より強い婿を探しに来たロメリィ。正直彼女より強い貴族なんていないと思うし、このまま見つからなければオーガの村へと帰っていくのかもしれない。
そこにリヒトは関係がない。一年後にはどこかの貴族の所有物になるのだから。それなのになぜ、己の貧弱さを気にしているのだろう。
「リヒト。上等な肉を貰ってきたぞ、河原で石焼きにでもしよう」
「ん……疲れたし、きっと肉が美味いな」
「ああ。私もこういう食事は久々だから楽しみだ」
想定外のモンスターが現れたことで演習は中止になり、他の生徒も帰宅していく中で大猪の解体が終わったらしい。ウラノスは生徒たちを見送るまで残り、その後あちこち報告へと向かうらしい。行きは同じ馬車に乗せてもらったリヒトだが平民なのだから本来なら徒歩で来るべきだった。ウラノスもこれから大変だろうし、帰りは辞退したのであとは自由な時間だ。
(ロメリィも徒歩で来たって言うしな。……途中まで、一緒に帰れる)
森は立ち入り禁止になってしまったので、新鮮な肉の入った包みを持って街の方角へと進む。道中で河原に寄り道し、そこで焼肉をする――という予定だった。
狩場であった森からは離れ、街からはまだ距離があり、人気がない。そんな場所で街道から少し外れて河原へやってきた。
「じゃあまず……竈を作りつつ、平たい石を探すか」
リヒトもよくやっていたので、河原で肉を焼く手順は分かっていた。石を組んで竈をつくり、上にはできるだけ平たい石を置く。そして薪をくべて平たい石の上で焼くのだ。
この辺りは中流で、まだ大きめの岩も転がっている。ちょうどいい石があればいいのだがとあたりを見渡しているとロメリィが岩に近づいて行った。
「平たい石なら作る方が早い」
……彼女はミスリル扇で岩を両断し、平たい石というか石版を作り出した。もうこのあたりのロメリィの規格外具合については深く考えないことにする。
その石板に合わせて石を組んで竈をつくり、薪を集めて魔法で火をつけた。傍らにいるのは乗馬服を身に着けた貴族の令嬢だというのに、野性味のある食事の支度をしているのがちぐはぐで、楽しい。
(なんか楽しいな。一人で……やってた時は、こんな気持ちにはならなかった)
家から閉め出された日。夜の河原で、その日狩った動物を一人で捌き、竈を作って焼いて、味気のない肉をかじった。そんな昔を思い出す。
友人と一緒に竈を作って、コチットを振りかけた大猪の肉を串に刺して焼き、漂う香りに空腹を刺激されている今とは全く違う。
「次はホーンラビットを狩れるといいな」
「はは。……そうだな、次はホーンラビットが狩れるといいな」
次があるのかと、そう思うだけで胸が詰まるような思いがする。ロメリィと過ごす日々がまだ続くと思うと嬉しくてたまらない。
笑顔で「焼けたぞ」と肉の串を差し出してくる、貴婦人とは思えぬ言動の貴婦人。太陽の光を反射して眩しい金髪は高貴なのに、こんな場所でそのあたりの木の枝を刺した串焼きの肉を齧っている。ちぐはぐで、それが何よりも彼女らしくて、誰よりも眩しい。リヒトは、そんな彼女のことが――。
(俺……ロメリィのこと……いや、だめだ。それはいけない)
自覚したものに蓋をした。それに気づいてはいけない、持っていてはいけない感情だ。けれどあまりにも温かい気持ちだったから、捨てられそうにない。
宝物のように箱に仕舞って、奥深くに隠すように。誰にも見つからないようにするしかない。
「リヒト、食べないのか? 冷めてしまうぞ。……ああ、もしかして少し焦げた方が好きだったか?」
「いや、猫舌で。ちょっと冷ましてただけ。……ああ、美味い。コチットは肉によく合うな」
その時食べた焼肉の味は、今まで食べたどんなものよりも美味しかった。きっと一生忘れないだろう。
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