第19話 オーガ令嬢と演習の終わり
魔法陣の中で眠るモンスターは私が見てきたものの中でも大きい部類に入るだろう。絶対に200キロ以上はある。
「これを狩れば私達が最高得点ではないか?」
「それは間違いない」
これは人の悪意によって用意されたものではあるが、しかし狩りの獲物としては上物だ。むしろこのように動けない状態にして狩りやすくしておいてくれたことを感謝するべきかもしれない。
「しかもジャイアントボアは……コチットの実で焼くと美味だ」
「俺はそれで食べたことがない。……ボアの焼肉か、楽しみだな」
大猪には普通の猪とは違った風味がある。食べている物の違いなのか爽やかなハーブの香りがうっすらと漂い、よく脂が乗った肉は弾力がある。端的に言えば美味い。
「しかしどうするかな。この魔法陣……魔力を遮断してある。解除するまでこの中のモンスターは眠っていて、解けばすぐに目を覚まして動き出すみたいだ」
リヒトが大猪を囲っている魔法陣について調べて教えてくれた。魔法陣の解除はリヒトができるけれど、解除の途中で目を覚まして解除し終える頃には戦闘態勢になり、覆う壁が消えた途端に襲い掛かってくるだろうと。猪を囲っている壁は魔力も遮断する魔法陣のため、モンスターを外に出さない代わりに外から魔法で攻撃して仕留めることもできない。
「どうする?」
「魔法を使わなければいいんじゃないか? そうだな、ついでだから試してみるか」
ここで先ほど用意したコチットの外殻の出番だ。眠る大猪の正面に立ち、コチットの殻を指で弾いた。……一度目は力を籠めすぎて殻を粉砕してしまったので、二度目は力を調節しつつ上手くはじき出す。狙うのは猪の額だ。
パシュンという空気を切る音と短い悲鳴。大猪はしばらくの間痙攣し、やがて動かなくなった。脳を破壊すればどんな生き物でも死ぬものだ。モンスターであっても、それは変わらない。
「よし、リヒト。魔法陣を解除してくれ」
「……いや、待って。今何したんだ?」
「これを弾のように飛ばした。コチットの殻は頑丈だな、ジャイアントボアの骨くらいなら貫通できるらしい。どこにでも生えているし良い武器になると証明できた」
訳が分からない、という顔をしているリヒトにまだ残っているコチットの殻を見せ、地面に向かって弾いて見せた。土煙を上げて地面にのめり込むコチットを見たリヒトは、小さく吹きだして笑いだす。
「その武器が使えるの、ロメリィだけだからな」
「そうか? しかし私は貴族の前で身体強化の戦闘は行わない方がいいらしいからな、こういう武器があるといいと思ったんだ。私が使える武器なら問題ない」
「まあ、初見じゃ仕組みは分からない……っていうか、ロメリィを分かってないと分からない。知らないやつには風の魔法にでも見えそうだなっと……よし、解除できた」
ジャイアントボアを囲っていた魔法の壁が消えた。普通の動物と違ってモンスターは急いで血抜きをしなくてもいいため、解体は後に回してまずは運ぶことにする。
巨大な牙に手をかけて持ち上げたら肩に担ぎ、中継地点で待つカーンの元に戻ろうとしたのだがリヒトがついてこない。
「リヒト? どうした?」
「……ああ、いや、あまりの光景に意識が飛んでた。ロメリィ、それじゃ服が汚れるぞ。俺が魔法で運ぶから一旦降ろしてくれ」
「ん、そうか。解体すればもっと汚れるんだから気にならないんだが」
「……他の貴族が気にするからな? あと多分、あの騎士はその姿見たら腰抜かす」
たしかに、淑女は荷物を肩に担いではいけないかもしれない。そもそもこんな大きなものを持つことに関するマナーなどないのだが、ババリアに叱られそうな大振りの動作である。リヒトがそう言うならと従った。
私が地面に降ろした巨体を今度はリヒトが魔法を使って運ぶ。これはウラノスが生徒に資料や教科書を配る時に使っている魔法と同じもののようだ。浮遊の魔法を自分ではなく、他の者に付与するものである。自分を浮かすよりは難しいと聞くが、体内でしか魔力を動かせない私には実感できない話である。
「……結構重いな」
「ああ、結構な重さだ。私たちより重い獲物を狩る生徒などいないだろう」
「それはそうだ。でも……この演習、中止になるかもしれない」
何故中止になるのだろう、と首を傾げたがリヒトがそれ以上言うことはなかった。中継地点に戻ると待っていたカーンはジャイアントボアを見て震え、私を見てさらに震えて尻もちをついた。……私が担いで来なくても腰は抜けたようである。
「ろ、ロメリィ嬢、そのモンスターは……っ」
「ええ、良い獲物でしょう? 鮮度が落ちる前に片付けたいから、もう戻ろうかと思うのだけれどよろしくて?」
「は、はい、いま、すぐ……」
生まれたての小鹿のように立ち上がったカーンのあとを着いていく。スタート地点にはルドルフもいるはずだが、彼の目的を知った今、私は冷静でいられるだろうか。
彼にはリヒトを襲う算段をしていたという嫌疑がかかっているのだ。直接問いただして真相を突き止めたい。
森の中を進む間、大猪を魔法で運んでいるリヒトの息が上がり始めた。200キロは超える大物を持ち上げ続けるのだから魔力も消費するだろう。疲れたのかもしれない。
「リヒト、魔力の消耗は大丈夫かしら。それは結構力を使うのではなくて?」
「魔力は、大丈夫。……むしろこれは、歩き疲れてる、だけ……」
そういえば行きがけは自分に魔法をかけて浮いて移動していた。今は獲物が大きく魔力の扱いに注意が必要なのか、その魔法を使っていない。魔力ではなく、自力で歩くことで体力を消耗しているようだ。魔力は膨大なのだが体力がないのがリヒトの弱点である。
「まあ。……体力づくりも必要ね。でも今日は歩けなくなったら教えて、私が運んでさしあげるわ」
「いや、絶対いい。自分で歩く」
片手で猪を担ぎもう片方でリヒトを抱えればいけそうだと思ったのだが拒否された。
結局そのままスタート地点まで戻り、大猪を地面に降ろしたリヒトは近くの木に背中を預けてずるずると座り込んだ。深呼吸をして乱れた呼吸を整えている。
「ロメリィさん! リヒトくん! その獲物は……!?」
「ああ、先生。ただいま戻りましたわ。ジャイアントボアがおりましたので、仕留めてまいりました」
「何故この森にそんなモンスターが……!」
「魔方陣の中に閉じ込められていましたの。誰かが連れてきたのでしょうね。……ところでルドルフ卿は戻っていませんか?」
慌てたように駆けつけてきたウラノスが、私の話を聞いてさっと顔色を変えた。私たちは帰りが早かったようで他の生徒の姿はなく、先に戻ったはずのルドルフもいない。
「急な指令とのことで騎士団へと戻られました。ロメリィさんのものだとコチットの実を預かりましたが……」
「ああ、それは私の物で間違いありません」
小さな袋に入れられたコチットの実を渡された。結局ルドルフはいなかったので問いただすことはできなかったが、顔を見て怒りに駆られることもなかったので逆によかったのかもしれない。……少々消化不良ではあるが、本人を前にしたら怒りを抑える自信も持てない。日を置いて冷静になってから改めて尋問したいところである。
「しかし、演習は中止です。他に危険なモンスターがいないとも限りませんし、調査が必要です」
「……そうなのですか。せっかく好成績の獲物になると思ったのですが……」
「演習はやり直しになりますが、今回の結果も加味しますよ。……これ以上の獲物を狩れる生徒は他に居ないでしょうしね」
演習中止を告げるため、緊急事態即召集の合図である魔法の光をウラノスが打ち上げた。残念だが仕方がない。私やリヒトならともかく、他の生徒では大猪のようなモンスターが出たら太刀打ちができないだろう。
リヒトを狙ったものだとしても、他に仕掛けがないとも限らない。皆の安全が優先だ。
「では先生、鮮度が落ちる前にあちらを解体してもよろしいでしょうか?」
「ああ、せっかくの獲物ですからね。あちらの小屋に解体屋を呼んであります。この時間では他の組の狩りが終わっているか怪しいですし、仕事がないと彼らも待ち損になりますから是非利用してください」
「ええ、分かりました」
自分で捌くつもりだったのだがすでに専門の人間を呼んであるようだ。貴族は自分で獲物を捌かないのだろう。せっかく来てくれているなら仕事がないのも寂しいだろうということで、大猪の解体はそちらに任せることにした。
「演習はやっぱり中止か。調査はしても……まあ、うやむやになりそうだ」
「……そうなのか」
「ん、たぶん。罰せたとして、逃げた騎士までだと思う。……まあ、そんなことよりも焼肉が楽しみだな」
過ちは償うべきであり、人間の法律でもそのように決まっているはずなのに――犯人が断定できなければ裁けないと言う訳か。オーガなら過ちを犯した場合自ら名乗り出るものだが、人間は違うのだろう。
私がもやもやとした感情を持っていることに気づいたのか、リヒトが明るい声で話題を変えた。どうにもならないことを悩んでも仕方がないので気持ちを切り替える。……犯人が目の前に現れた時は決して逃がさなければいい。今は、リヒトとの約束を果たすことを考えよう。
解体小屋からは職人たちの元気な声が聞こえてくる。大猪という獲物を前に随分張り切ってくれていたので、楽しく仕事をしているのだろう。……できることなら私が捌くところまでやりたかったのだが。
「自分で捌きたかった」
「……猪のこと、だよな?」
「ああ、それ以外にあるか?」
「いや、ないよな。……ロメリィだから」
その後、コチットの実を使って焼いたジャイアントボアの肉を二人で食べた。リヒトが明るい顔で「これは美味い」と笑う顔が見られたので、少しほっとした。彼はあまり気にしていないようだ。
いつか、かならず。二度と手出しができないように、陰謀の相手とはしっかりと話し合おうと決めて、もやもやと残るものは肉と共に飲み下した。
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