第14話 オーガ令嬢と助言



「おっしゃる意味が分からないわ」


「っですから……わたくしと殿下の仲を裂こうとしても、無駄だと言っているの……!」



 イリアナは興奮して声を荒げた。淑女たるものどのような時でも冷静でいなければならないはずだが、そのマナーを守れない程感情が昂っているらしい。


(グレゴリオは元々私と婚約していたんだったか……それが終わっているのは言われなくても私も知っている。それで新しい婚約者が彼女という訳だな)


 元婚約者だったということでグレゴリオが私という特異な存在の担当になっているものの、私たちの婚約関係はすでに終わっている。彼が毎日話しかけてくるのは私という存在を一任されているからであって、そこに婚姻関連の何かがある訳ではないはずだ。

 それに私は婿探しにこの国へとやってきたが、誰かの恋人や婚約者を連れ去ろうとは考えていない。


(それはオーガとしてもあまり歓迎されないしな。……まあ強い男に乗り換えることは……なくもないが)


 すでに恋人となっているなら手出しは出来ない。しかし恋敵より強ければオーガの女が惚れてくれる可能性はある。強さだけが基準ではないとはいえ、強さは何よりも分かりやすい魅力だから。

 とはいえ恋人がいる相手に自ら愛を語ることはしないのがオーガというものだ。精々武闘会で己の力を示してアピールするくらいしかできない。

 そんな中で育った私も、もし婿に欲しいと思った相手に想う存在があるのなら諦めるだろう。まあグレゴリオは候補に入っていないのだが、イリアナはそれを気にしているようだ。



「私はグレゴリオ殿下とイリアナ嬢の仲を裂こうだなんて考えていませんわ」


「嘘よ。平民を傍において、殿下の気を引いているじゃない!」



 平民を傍に置くとグレゴリオの気を引くことになるらしい。扇を口元にあてながら考えてみるが、理由がさっぱり分からない。私はリヒトに興味があって傍に居るけれど、貴族たちは平民である彼には関心などないはずだ。



「白々しい……! それ以外に、平民を傍に置く理由があるというの……!?」


「ありますわ。私、リヒトが……同期の中で一番素敵だと思っています」



 一目見て、彼の圧倒的な努力の痕跡に気づいた。あの教室の中で一番目を引いたのはリヒトだった。おそらく他の人間とも話せば違った魅力というものを見つけられるのかもしれないが彼らは私を避けているし、それなら彼らにわざわざ話しかけに行かず、もっとリヒトのことを知りたいと思っている。



「……さすがオーガ育ちは違いますわね。平民が魅力的に見えるとは。オーガを見て育ったせいでそう見えるのかしら」


「そうね、いまのところ私が見た貴族には弱者しかおりませんし、全く魅力的には見えなくて……その点、リヒトはとても素晴らしいです」



 同期には肉体的に多少鍛えている者もいるけれど、それは私に比べれば微々たるものだ。魔力の鍛え方で言えばリヒトが飛びぬけていて、他の主だった力といえば権力であり、それを一番持っているのはグレゴリオになるのだが私には通じないし、次点の権力者は私である。

 リヒトを蔑んでいる時点で観察力や洞察力という力にも期待できないし、知力ならばあるいは――そのうち試験があって成績が出るというので、それで判断できるだろうけれど今のところは見えるものがない。

 他に力らしいものを持っていると思ったのは講師のウラノスくらいで、同期の中で誰が一番力を持っているか考えるとそれはリヒトになる。オーガの価値観でいえば、リヒトは素晴らしい力の持ち主なのだ。



「グレゴリオ殿下の方が素敵ですわ!」


「そう、けれど人の好みはそれぞれですから……」


「いいえ、だって殿下は努力家で、お優しくて、紳士的で、聡明で、お顔立ちだって整っていて……」



 イリアナがグレゴリオの美点を上げていくのを聞き流しながら、そういえばリヒトは長い髪で顔をほとんど隠しているので顔立ちはよくわからないことを思いだした。前髪の隙間から覗く夜空色の瞳が綺麗なことは知っているけれど、それくらいだ。……顔を見せてほしいと言ったら嫌がられるだろうか。


(もっとはっきり、表情が見たい。まったく分からないことはないが……せっかく、まっすぐに見つめてくれるのだから)


 一度そう伝えてみてもいいだろう。リヒトが嫌がればそれで終わりだ。そんなことを考えてイリアナの話を聞き流していたので「聞いていらっしゃるの!?」と怒られてしまった。リヒトのことを考えて聞いていなかったのは事実なので「ごめんなさい、あまり聞いていなかったわ」と素直に謝った。



「それに貴女、一度もこちらを見ないで、礼を失しているのではなくて?」


「私の場合は、あまり他の方と目を合わせない方がよろしいかと思いまして」


「まあ。マナーがなっていらっしゃらないのね。貴女を指導した者はそんなことも教えてくれなかったのかしら」



 そこまで言われてしまっては仕方がない。ババリアは私にしっかりと教えてくれた。貴族は同格であればまっすぐに相手を見るのが正しい。それをしないのは、見下していることになるのだと。

 それを知っていても目を合わせないのは、貴族女性は私と目を合わせると怯えやすい――と知っているから。



「私はただ、いたずらに弱き者を脅かさないようにと配慮しているだけですわ。イリアナ嬢」


「…………」


「ああ、貴女はあまり怯えないのね、良かった。……人を怯えさせるのは私も本意ではないから」



 私が見つめるとイリアナは少しだけ体を緊張させたが、その程度だ。グレゴリオと似たような反応なので安心する。女性は皆小動物だと思っていたけれど、そうでもなかったらしい。

 たしかに彼女は魔力が多い方ではある。女性よりも男性の方が魔力が多い傾向にあるけれど、女性でもイリアナくらいに魔力があれば私の目に威圧されないですむのかもしれない。



「……貴女の配慮は理解しましたわ。竜眼には特別な力がありますものね。前言を撤回いたします、失礼いたしました」


「いえ、気にしておりません。……イリアナ嬢はとてもまっすぐな御方なのね」



 彼女は直情型と呼ばれる性格だろう。貴族としてはあまり歓迎されない性質であるが、悪いと思ったことをすぐに謝れるのは美点である。私が微笑んでいるとイリアナは少しばつの悪そうな顔で目を逸らし、口元を扇で隠した。



「……本当に殿下のことは何とも思っていらっしゃらないのかしら」


「ええ」


「……それでは、あの平民のことも……本気でおっしゃっているの?」


「ええ」



 私がはっきりと答えると、彼女は一瞬戸惑うような表情を見せたが一度扇で煽ぐとすまし顔に戻っていた。出会ってから今が一番、穏やかな気配だ。



「……ジリアーズ家は特別なの。ご存じかしら」


「ええ。竜の家系だと聞いています。この目もその証なのでしょう?」


「そういうことではなくて。……ジリアーズは伴侶に望む相手ができたら、決してその相手を変えることをしない。その相手としか子孫を残そうとしないから、国王ですらその婚姻を止めることはできないのよ。むしろどんな相手でも後押しするしかないわ」



 それは初耳だ。私の驚きを表情から読み取ったらしいイリアナは満足そうに頷きながら扇を閉じた。少々得意げにも見えるので、貴族にしては随分素直な表情をする人だと思う。



「やはり貴女には伝えていなかったようね。……貴女は望めば誰とでも結ばれるわ。だから……再び殿下との結婚を望むと言われたら、わたくしにはどうにもできなくなってしまうから……」


「ああ、それで……」



 ジリアーズという家をどうしても存続させたい王家からすれば、ジリアーズが結婚をせず子孫を残さないという選択をしないようにしたいのだろう。ジリアーズの人間が惚れた相手なら恋人がいようが既婚者であろうが婚姻させるということだと理解した。

 それなら婚約者を愛する彼女が焦ってしまう理由も理解できる。過去のジリアーズにはそういうことをした者がいたのかもしれない。ただ、私はそんなことをするつもりはないので安心してほしい。……少なくともグレゴリオはない。



「……ごめんなさい。わたくしはグレゴリオ殿下を心からお慕いしているの。だからといって許されるような行動ではなかったけれど、どうしても我慢ができなくなってしまって……淑女としては失格だと、自覚はしてるのよ」



 たしかに公爵家という地位の令嬢にしてはかなり直情的だ。私が今まで接してきた貴族というものはどうにも内面を隠す癖があり、私も負の感情は笑顔で隠すのがマナーだと教わった。まあそもそも負の感情を抱くことがあまりないので今のところあまり関係がないのだが。

 彼女はその負の感情――嫉妬を思いっきり表に出していた。淑女として褒められた行動ではないだろうが、私はその真っすぐな感情が嫌いではない。



「私は気になりませんよ。オーガ育ちですから」


「っ……ごめんなさい。それも謝りますわ」


「いえ。私は本当に、オーガに育てられたことを誇りに思っています。揶揄されてもあまり気になりませんの」



 貴族たちが私のことで「オーガ」の話題を出すときは、少なからず侮蔑の意味が混じる。彼らはオーガがどんな生き物か知らないから侮辱に使うのだと思っているし、無知な彼らの発言を不快には思わない。ただ、少しだけ残念に思うだけだ。……それがないだけでも、リヒトと過ごすのは心地良い。



「……噂は事実でしたのね」


「あら……噂だと思っていたのに、そのようにおっしゃったのね」


「ええ、噂だと思っていたからこそ口にしたのよ。平民のことだって……誰であれ、身内への侮辱は腹が立つものでしょう。その意味でも謝ります」


「……謝ってばかりね。けれど私、貴女のそういうところが好ましいわ」



 先ほども思ったが己の非を素直に認めることができるのは、彼女の美点である。彼女にも貴族としての価値観、固定観念があり、オーガや平民についての認識は他の貴族と変わりないはずだ。

 それでもこうしてそれらが私の大事なものだと認識した途端に謝罪できるというのは、彼女の根が歪んでいない証拠であり、とても柔軟な思考をしているとも思う。柔らかい思考は対応力や順応力をあげる、とても良い才能だ。



「……もしかして、貴女は言葉通りの意味で話していらっしゃるのかしら」


「ええ。私は嘘が苦手ですの」


「……なら、貴女の言動は人を勘違いさせるわ。……わたくしが……社交というものを、もっと、教えてさしあげてもよろしくてよ」


「ああ、それは助かります。何せ、私には経験がありませんので」



 マナーを身に着け、常識は今でも学んでいる最中なのだが、貴族の社交というのは実践でなければ学べないことが多いという。ババリアがお茶会の指導などをいまだにしてくれるけれど、実際の貴族の社交とはいえないものだ。



「……わたくしのこと、これからはもっと気軽に呼んでくださらない?」


「では私のことも気軽に呼んでくださいな。……よろしくお願いいたしますね、イリアナさま」


「ええ、ロメリィさま。わたくしたちは今日から、お友達よ」



 まさか一日で二人も友人ができるとは思わなかった。しかも同性の友人である。

 とても人間らしい一歩が踏み出せた気がして、とても満足だ。


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