第12話 オーガ令嬢は心の傷を知る



 人を探すなら高い場所が一番だと、リヒトを探して高い木に登った。一応人気のない場所を選んで貴族たちが近寄ってくる気配のない建物の裏の大木にしたのだが、その建物の中にリヒトが居たので一瞬姿を見られてしまった。……私はどうも隔たれた場所に居る人間の気配を探るのが苦手なのである。視線を向けられれば気づくけれど。

 しかし結果的に問題なかった。リヒトにはマナーが必要なかったし、貴族には見られていない。貴族の前ではマナーの鎧を着なければならなくても、平民であるリヒトだけの前でならマナーは忘れていいと分かって気が楽になった。


(私が思っていたよりも人間の世界は複雑だ。人間の序列を決める基準が理解できんしな……)


 分かりやすく実力主義にしてくれればいいものを、生まれた場所や家で序列ができるから意味が分からなくなるのだ。たとえば今の教室でリヒトの魔力と渡り合えるのは私くらいのものだろうに、なんと彼は人間の序列にすれば最下位になってしまうのである。オーガであればありえない。

 リヒトならきっとオーガたちも喜んで同胞に迎えてくれると思う。彼の洗練された魔力を見てその努力のほどを見抜けないオーガはいないはずだ。

 だから卒業したらオーガの村に来ないかと誘ってみた。私の婿としてという訳ではなく、友人として紹介してみたい。外にもこんなに素晴らしい力の持ち主がいたのだと、同胞に教えたかった。



「はは……考えとくよ」



 それは不思議な笑い方だった。嬉しそうで、寂しそうで、悲しそうで、楽しそうな。こんな複雑な笑顔は見たことがない。そしてそれが、彼が初めて見せた笑顔だ。


(気になるじゃないか。……私の話はしたが、君の話はまだ聞けていない)


 リヒトはどうにも自信がない。血反吐を吐くような努力をできる精神力は素晴らしいものだ。そうして得たその強大な魔力は誇っていいはずだ。それなのに自分を卑下してやまない。

 どうやら授業で離れている間にグレゴリオに何か言われたようで、私から離れていこうともしていた。それを彼が望んでいないことは見て分かったので強引に押し通したが――目を離したらどこかに行って、消えてしまいそうだ。



「……初めて笑ったな」


「ああ……うん。そうだな、久しぶりに楽しくて」



 久しぶりに楽しいとはどういうことだろう。世界には様々な出来事があふれていて、その中には喜びも楽しみもたくさんあるはずなのに。

 今それを尋ねたら彼の小さな笑顔が消えてしまう気がした。闇色の瞳にほんの少し灯った光も一緒になくなりそうで、訊けなかった。……こんな躊躇いを覚えたのは初めてだ。



「そうか。君は笑った方がいいな。それに少し、目に光が戻った」



 私は彼の瞳の夜空に、はっきりと光が灯る様を見てみたい。いつまでも曇り空のままではもったいないではないか。……きっと、今よりももっと美しいはずだ。完全な力を取り戻したリヒトは、どんな人間だろうか。

 もっと力を付けさせてやらなければならない。そのためにもまずは、食事からだ。



「明日こそ一緒に昼食を摂ろう」


「ん……でも、俺は食堂にはいかない方がいい。俺が居たら貴族たちは飯がまずくなるだろうし」


「……それが貴族の価値観なんだな。じゃあ、今日のように外で食べられるよう準備してもらおう。そしてまたここで食べればいい」



 ここは図書館の裏側で、貴族はあまり近寄らない。彼らは温室やサロンという場所を利用するのを好んでおり、そこからこの場所は遠いからだ。

 私としても貴族の前ではマナーを着なければならないし、こうしてリヒトと二人で昼の休憩時間を過ごせる方が気安い。……今は帰る家ですら、貴族の目がある場所だ。


(人間の国に来て今が一番気楽だな。できればこの時間は失くしたくない)


 マナーという鎧に重さはない。しかし実際の鎧を身に着けるよりも動きづらい。これなら鉄製の重たい鎧でも着ていた方が楽である。

 まだ完全に理解できたわけではないものの、貴族の戦いというのは私の知る戦いとはまったく別種なのだ。身に着けた教養や知識、マナー、見た目の美しさなどを積み上げて戦う。さらにそこに家の格という土台があるから、その戦いは平等でもない。……正直この戦いは全く面白くないのだが、これが人間の戦いだと言われるなら従う。まあ、負けたとしても悔しくはないのが救いだろうか。


(マナーは着るが私の意思を曲げる気はない。……幸運なことに、私の家は格が高い。文句を言えるのは王家くらいらしいからな)


 その王家とて私に強く出られないのだから。問題があるとすれば今回のように私ではなくリヒトの方に働きかけてくることだ。リヒトには家の格という土台がなく、つまり元から戦場にすら立たせてもらえないような状況である。戦う資格すらないというのはどうにかならないものだろうか。


(できるだけ離れないようにしていた方がいいな。話を聞いていると……リヒトは貴族に何をされても逆らえないように思える)


 私には納得できない制度だが、それがこの国のルールであるならリヒトは逆らえない。しかし傍に私がいれば、その理不尽からは守ることができるだろう。身分制度というものに納得できなくても、私にはそれの中でも強い力が与えられている。対抗手段があるなら使わない手はない。



「……ロメリィがそれでいいなら。でも、俺が重荷になったらいつでも言ってくれ」


「何故君が重荷になるんだ。君は私より軽いだろうに」


「え、いやそういうことじゃなく……っていうか俺の方が軽いのか?」


「私は鍛えても何故か見た目が変わらんだけで、筋肉はしっかり身についている。君はもっと食べて重くなれ、折れそうで心配になる」



 不思議なことに私の身体はどれだけ鍛えても見た目が変わらない。ただ筋肉はついているようで、力は鍛えれば鍛えるだけ強くなったし、体も重くなった。普段は柔らかい体だが力を込めれば鋼鉄並みに堅くなる。おそらく密度が高いのだ。皮膚の下は筋肉の塊に違いないと思っている。



「……あんたと話してるとなんか、軽くなるな」


「何……? それはいかん。しかし私は君との会話を諦める気はないので、その分しっかり食べてくれ。ほら、さっきから食が進んでいないぞ」


「ああ、うん。……心配……させるんだよな……?」



 窺うように見られて首を傾げた。私は先ほどからそう言っているつもりだが伝わっていなかったのか。だから当たり前のことを、不安げに尋ねてくるのだろうか。



「当然だ。君はとても弱っているから心配でならない。私は君に、本来の力を取り戻してほしい」



 そう、リヒトは弱っている。怪我や病で寝込んでいる時のオーガのようなものだ。屈強なオーガであってもそういう時は気が弱り、目の光が弱くなる。まあ私は大きな怪我も病気もしたことがないのでその感覚を知らないが、誰しもそうなのだと理解している。

 リヒトの体は驚くほど痩せていて、だからきっと目の力がないのだ。今日も昼食を食べたら少しだけ力を取り戻したようだから、完全回復までしっかり食べさせてやらなければ。



「……そっか。じゃあ、それまではロメリィが見ててくれるのか」


「そうだな。……いや、出来ることならそれ以降も監督したいな。放って置いたら君は元に戻りそうだ」


「はは、じゃあずっと見ててくれるのか。……そっか。じゃあ、努力しないとな」


「君は、元からとても努力していると思うが」



 私は一目彼を見て、その努力に尊敬の念を抱いたのだ。私はいつからか気を練る修行をしても力を使いきれなくなって、これ以上増やすのは無理だと断念し、技を磨くようになった。その理由は今日の授業で「体内に使う魔法は消費量が少ないから使いきれなくなった」ことが原因だろうと見当がついたけれど、当時は――ほっとしたのだ。もうその修行が終わったことに。これ以上伸びないからこの鍛練は終わりだと、ならあの苦しみをもう味わうことはないと思ってしまった。

 リヒトはそれを、私以上に繰り返していたはずだ。途中で投げ出すことなく。……だから私以上の魔力を持っている。尊敬しない、訳がない。



「……出会ったばかりのあんたが、そう言ってくれるんだな」


「……どういう意味だ?」


「嬉しいってこと。……俺は多分、ずっとそう言ってほしかったんだ」



 また同じ笑顔だ。笑顔の中に哀愁が浮かんでいる。君はどうしてそんな顔をするんだと、そんな風に笑うんだと、尋ねようとした口は声を発することなく閉じた。……私には馬車以外にも、怖いものがあったようだ。


(強いのに脆そうなリヒトへの接し方が……分からない。壊してしまいそうで怖いな)


 まるで怪我でもしているように見えて、けれど体に傷がある訳ではないから、あるとすれば見えない傷。つまり心の傷である。心には物理的に触れなくても、言葉は触れることができるから迷ってしまう。もっと傷付けてしまわないかと。


(そうか、リヒトの目に光がない理由は心を怪我しているからなんだな。……まずはそれを、治してやらなければ……)


 しかし目に見えないその傷は、どうやって癒すのだろう。薬を塗ることだってできないのに。……すでに傷付いているように見える人への接し方が、分かる日が来るのだろうか。



「ところでロメリィ。……その扇、やたらと重たい音がしたけど何だ?」


「特注の鉄扇だ。いや、鉄ではなくミスリルだったかな……元々は普通の鉄扇を使っていたんだが淑女が持つには見た目が悪いということでな。こうして見た目は普通に見えて丈夫なものを作ってもらった」



 鉄よりも丈夫だというミスリル製の扇は、確かに間違えて握りつぶす心配もないほどに固い。薄っすらと光を帯びているように見えて華やかで、まさに貴婦人が持つに相応しい一品という訳だ。

 そう語るとリヒトは俯きながら肩を震わせて、やがてこらえきれなくなったように小さく噴き出した。



「ロメリィ、あのな……貴婦人はそもそも扇に硬度を求めないから」


「そうなのか。……私はこれで岩も割れるから、武器としても扱えて良いと思うが」


「くっ……ほんと、オーガらしい考えだよ」



 その時彼が口にした「オーガらしい」という言葉には一切の悪意がなく、いままで私に向けられてきた貴族たちの「オーガ」という言葉に少なからずあった侮蔑を感じなかった。……私はそれが、少し嬉しかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る