第9話 オーガ令嬢と昼休み
しばらくぼんやりと岩を眺めていたウラノスは、はっと我に返ったように首を振るとふわりと笑って見せた。
「たしかにロメリィさんの言う通りです。得意な魔法をあの岩まで飛ばせと言ったのは僕ですからね。素晴らしい結果だと思います。……ただ、貴女の力は僕の常識では測れない。だからやはり、僕に教えられることはあまりないかもしれません」
「そのようなことはありません。私は少し前まで、魔法という言葉も知らなかったのですから。……ウラノス先生に教えていただかなければいけないことがたくさんありますわ」
知識は力である。気功術という形で私は魔法を身に着けているけれど、それは身体が知っているだけで知識としてはないのだ。私はこれからの一年で魔法を学び、そうしているうちに魔力を外へ出す方法も理解できるかもしれない。……もしそちらが出来なくても竜の息吹ならなんとかなりそうである。新しい技の習得にはかなり興味があるので頑張ってみたい。
「僕が教えられるのは知識くらいになりそうですが……一年間、一緒に頑張りましょう。貴女は特殊な境遇にあるので色々と苦労もするでしょう。勉強のことでなくても、相談にはいつでも乗りますからね」
元々の柔らかい雰囲気も相まって、彼の優しい声と笑顔に包み込まれるような安心感を覚えた。オーガの村には居なかった類の人間だ。……これは包容力とでも言えばいいのだろうか。彼はつい頼りたくなってしまうような、不思議な力を持っているらしい。
「長くなってしまいましたね。次の生徒を呼びましょう」
たしかに他の生徒より時間がかかっている。私が部屋を出ると、部屋に残っている生徒のほとんどから視線が集まった。
次は最後に残る生徒であるリヒトが呼ばれるはずだが、皆が目標としていた岩は私が壊してしまったので何らかの準備が必要なのかもしれない。直ぐに呼ばれる様子はなかったので元の席、つまりリヒトのところに戻ろうとしたら何故かその席にはグレゴリオが座っていて、リヒトは彼から顔を背けていた。
「ロメリィ嬢、お疲れさまでした。……大きな音がしましたが、問題でも起きましたか?」
「いいえ、特には。……しかし殿下が何故こちらに?」
「彼と少し話をしていたんですよ」
平民を嫌う貴族の中でも偉い地位にあるグレゴリオがリヒトと話したがるのは意外だった。彼には平民に対する偏見はないのだろうか。
「ロメリィ嬢、昼食を一緒にどうでしょうか?」
「いえ、私はリヒトと……」
「俺は、別に約束をした訳じゃないから」
こちらに顔を向けることなくリヒトが呟いた。その声は堅く、そして低い。何か様子がおかしい。私がいない間に何があったのだろうか。
「リヒト、どう……」
「リヒトさん、お待たせしました。こちらへどうぞ」
間の悪いことにリヒトはウラノスに呼ばれて立ち上がり、隣の部屋に移ってしまった。何か、胸の内がもやもやとするのだが、これは私の知らない感覚だ。……人間の国に来てから知らないことだらけで、それを知るのは新鮮で楽しかったのに、これは楽しくない。
「ロメリィ嬢。お話したいことがあります。……昼食を採りながら、是非」
「……ええ、分かりました」
リヒトに昼食の誘いを断られてしまったのだから、グレゴリオとの食事を断る理由もなくなった。あとでリヒトと話さなければと思いつつ、彼が部屋を出てくるのを待つためにも椅子に座る。
少しして地響きのするような大きな音が聞こえた。……私の時も似たような音がしたのだろう。居残っている生徒たちはちらりと扉の方を見やったものの、あまり驚いた様子がない。またか、とでもいうような反応である。
「……貴女もでしたが、中で一体何を? 標的物まで魔法を飛ばせるかどうかの確認ではなかったのですか?」
「ええ、そのとおりでしたけれど」
「……ああ、はい。なるほど」
薄い笑みで頷かれたのだが何を納得したのだろうか。暫くしてリヒトとウラノスが隣室から出てきた。朗らかな笑顔のウラノスが軽く手を叩いて合図をし、注目を集める。
「もういい時間ですから昼の休憩時間にしましょう。学園内でしたら自由に行動して構いませんが、午後の授業が始まる三十分前に鐘が鳴りますので、それを目安に教室に戻ってください。……では、僕は教室に戻った生徒にも同じことを伝えてきます。解散してください」
どうやら昼休みとなったらしい。リヒトはウラノスが話している中さっさと訓練場を出て行ってしまったので、結局話しかけられなかった。
また後で話しかけに行こうと決めてグレゴリオと共に歩き出す。背中に強い視線を感じて振り返ると、話したこともない女生徒と目が合った。赤い髪に緑の瞳の彼女は私を睨むように見ていたが、目が合った瞬間に逸らされる。……敵意に近い感情だった気がするけれど、殺気のように強いものではない。
何か用事があるならば話しかけてくれればいいのだが。まあ、何かあれば話しかけてくるだろうからそれまで気にしないでおくことにした。
学園内には食堂と呼ばれている施設があり、学生の食事はそこで提供される。各家から支払われている学費によって食事の内容が変わる仕組みらしく、メニューには個人によってばらつきがあった。ちなみに私の場合は王家が費用を出している。ジリアーズ家は一度無くなった家なので資産も回収されており、私個人の資産というものはこの国にないためだ。
グレゴリオと同じ席につき、同じメニューの食事を摂る。学園専用の給仕が働いているので城と同じ食事マナーで問題なさそうだ。
「それで、お話があるというのは?」
「ええ。……ロメリィ嬢、お見合いをしてみませんか?」
「……お見合い……?」
お見合いとは、未婚の男女が結婚相手を探すために互いを見定めるための会談であるという。王家としても全力で私の結婚を後押ししたいとのことで、力のある未婚の人間を探しているとのことだった。
「今、候補に挙がっているのはこの国で一番実力があるとされる騎士です。来年には騎士団長へと昇格することが決まっています」
「実力ですか。……それはつまり、武力ですね?」
「はい。我が国が誇る英雄なのですが……」
「私より強いとおっしゃるなら是非、手合わせを願いたいところですわ」
グレゴリオが笑顔のまま固まった。私は“私より力のある婿”を探しに来たのだから当然の話なのに妙な反応をするものだ。武力の強さで競うならば手合わせが一番わかりやすい。
しかしグレゴリオは暫く答えを探すように視線を彷徨わせて、首を振った。
「王国の紳士は女性と戦うことができませんので、それは難しいかと……」
「それではどれほどの実力か分かりませんわね。……ああ、そうだわ。では、オーガの里の者と手合わせをしていただきましょう。私より強いなら、私よりも簡単にオーガを屈服させられますね」
私の村とドロマリア王国は不可侵条約を結んでいる。しかし交流をしてはならない、という約束はしていない。私はこれからもオーガ村の実家に出入りする予定だからだ。
せっかくオーガと人間の間で珍しい関係が築けているのだから、交流試合でもすればいいと思う。村のオーガなら私の実力もその体でよく知っているので、騎士団長になるというその人間と試合をすればどの程度の使い手なのか判断してくれるだろう。そのように提案したら、グレゴリオは笑顔で頷いた。
「……検討します」
「拳闘してくれたらオーガたちも喜びますわ」
そうして穏やかに食事を終えた。食堂には生徒たちが一堂に会しているが、しかし。私が食事を始めてから終わるまでの間リヒトは姿を現さなかった。
食事が出てくるのはここだけなのだから、昼食を食べていないことになる。あの細い体で食事を抜くなんて自殺行為だ。
(何か持っていってでも食べさせた方がよさそうだな)
厨房の方に声を掛けて、リヒトの食事を持ち出せないか相談してみたら快く引き受けてくれた。……若干怯えられていた気がしないでもないが、出来るだけ目線は合わせないように気を付けたので大丈夫だったと思いたい。
軽食を詰めたバスケットを受け取り、食堂を後にした。学園は広いのでリヒトを探すのはなかなか骨が折れそうだ。……上からの方が探しやすい。とりあえず、敷地内で一番背の高い木にでも上るとしよう。
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