第8話 オーガ令嬢と魔法
講師ウラノスの先導で辿り着いた訓練場は白い建物で、中には複数の長椅子が設置されていた。訓練場という割には休憩室や待合所と言った雰囲気だ。
今期の学園生徒は28名だが、その全員がスペースを取って座れるような部屋である。その部屋の奥にはもう一つ扉があり、ウラノスはその扉の方を示してこう言った。
「見たところ全員魔力の操作はできるようですね。一人ずつあちらの部屋でどの程度できるか見ますので、名前を呼ばれたら順番にどうぞ。呼ばれるまでこちらの部屋で待っていてください」
そして最初に呼ばれたのはグレゴリオだ。私にとっては同期の学生の中で唯一の知り合いである。
しかしそれにしても何故わざわざ見えない部屋に連れて行って一人ずつ見るのだろう。教えるなら生徒全員集めて講師が面倒を見た方が効率が良いと思うのだが。
そんな思いを隣のリヒトに零してみると「ほんとに貴族らしくない」と言いながら教えてくれた。
「貴族は見栄を張るもの。実力差とかそういうの、見せるべきじゃない……ってこと。家柄の格と実力が見合ってなかったら笑いものになりそうだから、こうしてるんだと思う」
「そういうものなのかしら。強いことは誇らしいことですけれど、弱いことは恥ではないのに不思議ね」
弱いことは恥ではない。それでも自分の弱さを許せないなら強くなるために努力すればいい。たが、弱いことを自分以外のせいにして逃げるならば恥じるべきだろう。だからただ弱いことを笑う気持ちは理解できない。
そんなことを話していたらリヒトが不思議なものを見るような視線を向けてくる。
「…………どういう環境で育ったらロメリィみたいな貴族になるんだ?」
「あら、噂をご存じない? 私、オーガに育てられましたの」
「オーガって……貴族でも冗談を言うんだな。でもそんなことを言ってると……あの噂、消えなくなりそうだしやめた方がいい」
純然たる事実を述べたというのに何故か冗談だと思われてしまった。三か月前まで山暮らしをしていたと言ってもリヒトは冗談として捉えていて、これでは何を言っても信じてもらえそうにない。
(説得力がないのか。……私の体に傷がないせいかもしれんな)
屈強なオーガであってもモンスターや獣を狩り鍛練を積む暮らしをしていれば、小さな傷を作ったり手の皮膚が硬くなったりするものだ。しかし私の肌には傷一つなく、なんなら日に焼けてすらいない。
子供の頃はそれなりに小さな傷もできていたし、日焼けだってしていた。おそらくオーガの気功を習うようになった頃からだったと思うが、成長と共に段々と私は頑丈になって傷一つ負わなくなり、日焼けもしなくなったのである。健康的に日に焼けていた肌色も気づけば白く輝くようになり、荒れていた手もまるで何の武器も握ったことがないかのような柔らかさに戻った。
(貴婦人は皆似たようなものだから、貴族の女は大人になればこうなる性質を持った生物なんだろう)
一人一人生徒が呼ばれ、数分で出てくる。それを繰り返して一時間以上が経ち、今は26人目が呼ばれたところだ。一人数分とはいえ28人もいれば時間がかかる。まだ呼ばれていない私とリヒトは、魔法について話し合って時間を潰していた。……主に何も知らない私にリヒトが自分の知識を教えてくれるという内容だったが。
(他の者もほとんどが残って雑談に興じているな)
終わったものから教室へ戻って自習していてもいいと言われているのに、最初に終わったはずのグレゴリオが残っているためかほとんどの生徒が残って雑談をしていた。初日なのに随分会話が弾んでいるのは、やはり社交で知り合っている者ばかりだからだろうか。
「……ロメリィは高位貴族なのにここまで残されてるんだな。なんでだ?」
「私が特殊な境遇だから、かしら?」
貴族の家についても勉強したので覚えている。私を除けば家の位が高い順に名を呼ばれていたので不思議に思ったようだ。
そして彼はまだ私がオーガ暮らしをしていたと信じていないようで、肩をすくめている。昼食を一緒に摂った時にでもちゃんと話をするべきだろう。誤解されたままでは、お互いの理解などできない。
「次はジリアーズ公爵家のロメリィさん。こちらへ」
「では、行って参りますね。またのちほど」
軽く片手を上げたリヒトに見送られ、講師のウラノスと共に隣室へ移った。そちらはとても広い空間で、室内だというのに空や地面があり、岩や草が生えている。これも魔法で作り出された空間なのだろうか。
「ではロメリィさん。貴女は特殊な身の上だと聞いていますが……見る限り、魔力の循環が大変洗練されています。……魔力操作の訓練を幼い頃からしていましたね。死んでもおかしくない程に」
「死ぬような無茶はしておりませんけれど……」
「いえ、していたはずですよ。魔力の器も完成していないのに魔力を使い込んだり枯渇させたりしていたら、器が壊れる可能性がありますから。だから、皆十七歳を待って学園に来るのですよ」
ウラノスは何とも言えない悲しげな顔をしていた。「これから先は無茶をしてはいけませんよ」ととても心配そうに言われて頷いたものの、私は無茶などしないので安心してほしい。この歳になれば自分の限界くらいわかるものだ。
……しかし私でも死にそうな無茶をしていたように見えるなら、リヒトはもっと死ぬ危険があったということだろう。やはりどうしてそこまでの努力が出来たのか気になるところだ。
「僕が教えるようなことは何もないのかもしれませんが……ひとまず、得意な属性の魔法を、あの岩まで飛ばしてもらえますか?」
あの岩と示されたのは十メートル程先にある岩だ。しかし魔法を飛ばす、という感覚が私には分からない。内側で魔力を練り上げて身体を強化する方法しか知らない。
「…………それは一体どのように?」
「えっ」
「え?」
それから少し話を聞くと、貴族は皆十歳までに魔力を知覚するようになり、自分の体外に流れていく魔力を常に感じるから、外に放出することは自然と誰でもできるのだという。危険なので本格的な訓練は行わないが、魔法は頭で思い描いた結果を魔力が作り出すものだから、自分と相性のいい魔法くらいは思春期の感情のぶれなどで突発的に使ってしまうもので、魔法を使ったことのない貴族の子を初めて見たと言われた。
リヒトももっと幼い頃から普通に使えていたと言うので難しくないことだと思っていたが、私はその感覚を知らない。むしろ私にとって魔力とは外に流れるのではなく、内側にこもっていくものなのだ。
「魔力の低い子が生まれやすい下位貴族ではたまに見かけるのですが……それだけ魔力豊富で、流れも制御しているのに放出したことがないというのは珍しいですね。手を貸してくださいますか、引き出し方を感覚で教えます」
「ええ、よろしくお願いいたします」
私の手を取ったウラノスが翡翠色の目を閉じた。なんとなく手の表面をくすぐられているような感覚はあったが、魔力が引き出されるという感覚はない。暫くして彼は目を開けて、困ったように眉尻を下げた。
「ロメリィさんの魔力の壁が厚すぎて、僕では引き出せないようです。内側に篭ろうとする力があまりにも強いですね」
「オーガの気功術は体内に力を巡らせて、外に出すものではなかったので……」
「ああ、下等魔法……身体強化の魔法だけを修練していたということですか。最初にそれを覚えると魔力の流れを逆流させることになるので高等魔法が覚えにくくなると聞きますが……」
聞き覚えのない言葉なので尋ねたところ、この国では体内に魔力を巡らせて強化する魔法は下等とされているらしい。消費が少なく、効果範囲が狭いからそう考えられているようだった。
(外に出す必要がない分消費が少ないのか。効率の良い、戦闘向きな魔法だと思うがな)
消費効率が良いということはつまり長期戦に向いているということだ。持久力もまた大事な力である。あと一歩、というところで体力が尽きて敵や獲物を逃しては悔しい思いをするのだから。ただ短期戦にもまた別の利点があるので、役割が違うだけでどちらが上等でどちらが下等という事はないと思う。
「しかし、困りましたね。それだけ魔力を高めるほど、体内で留める方向に使い続けたとなると……外に出すのは難しいかもしれません。本物の竜のように体内で魔力を練り上げて口から吐き出す息吹ならあるいは……いやしかし、その魔法使うのはさすがに無理がありますかね」
「なるほど……」
それは考えたことがなかった。体内で練り上げた物を口から出すのならなんとなくできる気がする。あとで練習してみよう。
だが今は、出された課題をこなす方が先だ。十メートル程先にある岩まで魔法を届かせなければならないという話だったが、つまり魔法を使ってあの岩まで攻撃を届かせればいいのである。
「ウラノス先生、あちらの岩に魔法で攻撃すればよろしいのでしょう?」
「はい。しかしロメリィさんは魔力を外に出せないでしょう?」
「出さなくても似たようなことは出来るではありませんか」
ウラノスがきょとんとしていたので、見せた方が早いと判断した。体の内に魔力を巡らせ、身体能力を極限まで高める。本当なら拳を振りぬきたいところだが、淑女らしくありませんとババリアに叱られそうなので、淑女らしく扇を使うことにした。
力を込めて、岩に向かって扇を振るう。そうすれば生まれた風圧で目標の岩が砕けた。ようは魔法を使ってあの岩に何かしらの力を届かせろという話なのだから、これでも同じだろう。
「ね? できますでしょう?」
「…………いや、普通はできないんですよ」
「まあ……オーガなら大抵は同じことができますのに」
誰が一番遠くまで衝撃を打ち出せるか、なんて勝負は日常茶飯事だったというのに。人間はやらないらしい。
ウラノスはしばらくの間、遠くの岩をぼんやりと眺めていた。
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