第7話 噂の公爵令嬢



 ドロマリア王国には魔法を専門的に学ぶ学園が存在する。在校年数は一年。その一年間で魔法だけを学ぶ場所だ。

 この国の貴族は魔力を持っていて、魔法を使う。どんなに成長の遅い者でも魔力の器が完成する十七歳を待って、魔力の扱いを学ぶ魔法学園に入ることが法律で定められていた。

 魔力を扱える者は誰でも必ずその教育を受けなければならない。極まれに平民の中でも魔力を持って生まれた者も例外なく、この学園で学ぶことになる。


(俺、何のためにここにいるんだろう)


 リヒトは不幸にも魔力を持って生まれた平民であり、強制的にこの魔法学園に入れられた。魔力を持った平民は貴族のために使いつぶされる魔導士になるらしい。

 ただし不幸なのはリヒト本人だけで、家には多額の支援金が支払われている。……つまるところ、売られたようなものだ。



「ねぇ、ご存じ? 今年は平民が入学するって噂」


「ええ。平民と机を並べるだなんて嫌だわ。別室に隔離してくれないかしら」


「汚らわしい平民が私達と共に学ぶだなんて、相応しくないわ」



 貴族の令嬢たちの噂話が風に乗って噂の主であるリヒトの耳に届いた。貴族の中に平民じぶんの居場所などないだろう。

 かといって魔法を使うリヒトには平民の町でも居場所がない。どちらにせよ、どこであっても、変わらない。自分の居場所などないと知っている。



「ねぇ、ご存じ? ジリアーズ家のご令嬢が見つかったというお話」


「ええ、勿論。今期の入学なのでしょう?」



 そんなリヒトと並んで、下手をすればリヒト以上に噂されている人間がいる。それは十年もの間行方不明となっていた公爵令嬢。竜の血を引くとされる特別な家の、特別な娘だ。

 失踪当時、いなくなった令嬢を探すため本当に国中が捜索された。リヒトの家にも衛兵が訪れたのでよく覚えている。人間の住む場所はくまなく探されたのに見つからなかった。そんな令嬢がどこで暮らしていたかといえば。



「余程劣悪な環境で暮らしていたのでしょうね。なんてお可哀相に」


「ええ、それが山奥で山賊と共に暮らしていたと聞きましたわ」


「私はオーガに育てられていたと聞きましてよ」


「なんてこと。どちらにせよまともな教育を受けられなかったでしょう。ジリアーズ家とはいえ、どのように粗野で粗暴なことか……お可哀相に、決して笑ってはいけないわよ。例えオーガのようなご令嬢であっても」



 オーガに育てられた、粗野で粗暴なオーガ令嬢。そんな言葉と共にくすくすと潜めるような笑い声が聞こえてくる。人の悪意に酔って吐き気がしてきた。

 貴族には家の序列というものがあり、王家の分家で竜の血筋であるジリアーズ家は王族の次に位が高いという話だ。だからリヒトの噂のように分かりやすく悪し様に罵ることはなくとも悪意を込めて嘲笑している。


(どこも同じなんだな。人の悪意っていうのは……)


 貴族は見栄を張る生物で、平民を見下していて、同じ貴族であっても傷を見つければ塩を塗り込むような人間らしい。こんな場所で一年を過ごさなければならないことが苦痛でならない。


(……いや……でも、卒業しても俺は……)


 帰る家はもうない。行く先とてどうせ貴族に使い潰される運命だ。未来に夢も希望あったものではない。今からの人生は死ぬために生きるようなもの。

 目の前にあるのは絶望だ。すべての気力を失って、自分を見る貴族たちの蔑みの視線を伸びた前髪で見ないようにしながら歩く。辿り着いた教室では窓際の一番後ろの席に座った。詰めれば四人は並んで座れそうな机だが、誰もリヒトの傍には近づかない。むしろ出来るだけ距離を置こうと離れた席へと移っていく。


(すっかり腫物扱いだ。まあ、それは……下町でも同じか……寝てれば、まだ気にならないかも)


 机に伏していれば人の視線など気にならないはずだ。そうして時間を潰そうとしたリヒトの隣に誰かが座った気配がして、驚きながら顔を上げる。すると前髪の隙間から輝くような金色が見えた。よく見てみるとそれは綺麗に整えられた金色の髪だった。……人だ。貴婦人が同じ机の席に着いていた。


(うわ……綺麗だ。こんな綺麗な人、初めて見た)


 リヒトの持つ言葉では言い表せないような美しい人がすぐそこにいる。背筋を伸ばし、美しい姿勢で隣に座る令嬢は気品だけではなく不思議な気迫にあふれていた。こちらに向けられた桃色の目は普通の人間とは違い、トカゲを思わせるような鋭い瞳孔を持っている。ただ、それでも息を飲むほど美しい顔立ちであり、瞳のこともあってとても同じ人間とは思えなかった。



「この席、空いているようだったから座ったのだけれどよろしくて?」


「……え……ああ……」



 平民の自分の隣に座りたがるなんて奇妙な令嬢だと思ったところで、先程の噂が頭に浮かんだ。おそらく彼女が、竜の血を引く貴き血筋なのに貴族の常識を知らずに育ったというジリアーズ公爵令嬢だろう。


(何がオーガ令嬢だ。どこからどう見ても貴族様じゃないか。むしろ、他の貴族よりずっと……)


 その気品にあふれる姿はどこからどう見ても貴族であり、噂のように劣悪な環境で育ったようには見えない。この国の常識を知らないだけで、別の国の貴族にでも育てられたのではないだろうか。彼女に向けられる周囲の目も蔑むものではなく、驚きと称賛に満ちている。

 ならば彼女とて、この国の貴族の常識を知れば自分からは距離を置くようになるはずだ。出来るだけ関わらないようにしようと、そう心に誓った。



「あの、ジリアーズ家のロメリィ様でしょう? そちらの席はおやめになった方が……隣の男は平民ですわ」



 ほらきた。思った通りだ。窓の外を眺めながら心は重く沈んでいく。親切な誰かが隣の女性に話しかけてきたのだから、これで彼女も貴族らしい態度となるだろう。

 話しかけてきた生徒は彼女に丁寧に説明をしている。曰く、隣に座っているのは魔力を持っているが故に入学することになっただけで貴族ではなく、平民だ。貴族と肩を並べる存在ではない。そういう、今日一日だけでも散々聞いた言葉が聞こえてくる。

 これでジリアーズの令嬢も席を移すだろう。けれど浮かんだのは安堵ではなく、小さな胸の痛みだった。


(……知らなかったとはいえ……こんな、何でもないように……同じ人間みたいに声を掛けられたのが、久しぶりだったから……)


 平民の中では魔力持ちは恐れられ、気味悪がられる。貴族の中では下賤なものと蔑まれる。親ですら――。


『ああ、やっと、これで化け物と離れられる……!』


 思い出したくないものを思い出した。魔力が発現して以降どこにも居場所がないリヒトにとって、まっすぐ目を合わせようとした人間は隣の女性が初めてだったのだ。どこかで残念に思ってしまうのは仕方のないことではないだろうか。……リヒトとて、人間なのだから。人間のように扱われたいと願うのは、おかしなことではないだろう。



「そう。でも何故隣に座ってはいけないのかしら。私、平民の隣に座ってはいけないなんてマナーは知らないのだけれど……貴女、そのように習ったの?」


「え、いえ、そういう訳ではありませんが……」


「では、構わないわね。……貴方は、それでよろしいかしら?」


「え……ああ……いい、けど……」



 後半の台詞は自分に向けられたものだ。恐る恐る声の方に顔を向け直す。先程と変わらず、力強い桃色の目がまっすぐとこちらを見つめていた。強い力を放つ瞳に吸い込まれそうで、目が離せなくなる。たじろぎつつリヒトが肯定を返すと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。



「私はロメリィ=ジリアーズ。貴方のお名前は?」


「俺は……リヒト」


「あら、とても素敵な名前ね。これからよろしくお願い致します、リヒトさん」



 貴人らしく微笑みながら、平民の名前に敬称をつけている。彼女は本当にただ、知らないのだろう。オーガに育てられたかはともかく、貴族の中で育っていないというのは事実らしい。



「貴族にそんな敬称付けられて呼ばれたら、やりにくい。ロメリィ……さま? は貴族なんだから、俺のことは呼び捨てればいい、と思う」



 丁寧な言葉遣いは知らない。使えない。それでも必死に言葉を選びながら話してみる。無礼だと思われて、冷たい目を向けられるかもしれないと思っていたが杞憂だった。ロメリィは変わらず、穏やかに微笑んでいる。



「ではリヒト。私のこともどうぞロメリィと呼んでくださいな。ここでは皆、同じ学園の生徒という立場ですもの。対等だわ」



 対等。平民と貴族が対等。絶対に貴族の口から出そうにない言葉が出てきて驚く。いや、正確には彼女と話している間ずっと驚きっぱなしだ。

 


「あんたは……俺をからかってる、訳じゃ……ない、んだよな」



 昔、まだ子供の頃。七歳で魔力が発現したリヒトのことを、街で知らない人間はいなかった。気味悪がられて畏れられて、友達だった相手から石を投げられるような日々。そんな中、独りぼっちで空き地の壁に魔法で絵を描くリヒトに話しかけてきた子供がいた。

 そしてその子は友達になろうと言ってくれたのだ。それがとても嬉しくて頷くと、途端に大笑いして「化け物なんかと友達になる訳ないだろ」と言った。……似たようなことはそれ以降何度も起きている。罰ゲームで話しかけただけだとか、勇気試しだとかそういう理由だった。

 何度も騙されて、喜んで手を取ろうとしては振り払われた。それを思い出してそんなことを言ってしまったけれど。


(この人は違う、と……思いたい)


 期待するたびに裏切られることを繰り返してきた。それでも目の前の彼女に期待をしてしまうのは、魔力が発現するまでにはあったはずのものを、求めてしまうからなのだろうか。



「からかう?」


「ん、いや。なんでもない。……よろしく、ロメリィ」



 これが常識を知らない貴族である彼女の、常識を身に着けるまでの間の短い交流だったとしても。もしかしたら貴族としての遊びで、弄ばれているのだとしても。それでもいいかと思ってしまったのは、彼女の鋭い瞳があまりにもまっすぐとリヒトを見つめてくれたからかもしれなかった。


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