第6話 オーガ令嬢と平民
道理で周囲の生徒が近づきたがらないはずである。隣の彼が「平民」という民族で嫌われている人間だったようだ。
女性は平民と貴族は並ぶものではないとか、平民は汚らわしいといった話をしているが理解ができない。
(私にはいまいち違いが分からないが……ああ、でも文化は違うようだな)
貴族にはマナーという文化がある。美しいとされる所作で過ごすという文化だ。彼はその所作から外れている。ただ“マナー”は私の「美しさ」の基準ではないし、私の美的感覚で言えば隣の彼の洗練された魔力の流れの方が美しいと思う。
それに、私の習ったマナーの中に平民に関するものはなかった。人間には“貴族”と“平民”という二種類の民族があって、普段はそれぞれ別の場所で暮らしているから関わらないのだろう。
「そう。でも何故隣に座ってはいけないのかしら。私、平民の隣に座ってはいけないなんてマナーは知らないのだけれど……貴女、そのように習ったの?」
「え、いえ、そういう訳ではありませんが……」
それはそのはずだ。彼らは基本的にかかわらない民族だからこそ、普段の生活の仕方を定めるマナーの中にその存在があるはずもない。ただ、集団的な認識として嫌っているというだけのこと。それはいうなればただの偏見である。
この女性はおそらく親切心で、隣の彼は平民だと教えに来てくれたのだろうけれど。他の民族を嫌う感覚は私にはない。それは彼女や、周囲の他の貴族の偏見であってオーガ育ちの私にはないものである。
彼らは幼い頃から周囲の大人たちの“平民”を嫌う心を見て育ったから、平民を嫌うものだと思っているだけだ。少なくとも私から見て彼らに種族的差異はない。どちらも同じ人間でしかない。……竜の血を引くという私の方が、よほど別の種族だろう。
「では、構わないわね」
私にこの席を移動する気がないと悟った女性とは少し肩を落としながら離れていった。親切心を踏みにじってしまった様で悪いのだけれど、私は平民だからという理由でこの力の持ち主との交流の機会を失くすつもりはないのである。
「……貴方は、それでよろしいかしら?」
「え……ああ……いい、けど……」
私が隣を希望したからと言って、この青年がそれで良いかどうかは別だ。確認してみると彼は驚いているようだが私に対する嫌悪感はなさそうだった。それにひとまず安心する。話すことを拒絶されないなら、彼を知りたいという私の願いは叶うかもしれない。
そして相手のことを知りたいなら、自分のことも知ってもらうべきだ。まずは、そう、名前からだろうか。
「私はロメリィ=ジリアーズ。貴方のお名前は?」
「俺は……リヒト」
「あら、とても素敵な名前ね。これからよろしくお願い致します、リヒトさん」
平民の彼はリヒトというらしい。古語では光という意味のある言葉で、私の好きな単語の一つだ。実に良い名だと思いながら呼んだら、彼は何故か口をぐっと堅く引き結ぶようにして、複雑そうな顔を見せた。
「貴族にそんな敬称付けられて呼ばれたら、やりにくい。ロメリィ……さま? は貴族なんだから、俺のことは呼び捨てればいい、と思う」
「ではリヒト。私のこともどうぞロメリィと呼んでくださいな。ここでは皆、同じ学園の生徒という立場ですもの。対等だわ」
どうやら貴族が上位、平民が下位という認識が強いようでそれはリヒトも同じらしい。平民は虐げられている民族なのかもしれない。しかしそれは私には関係のない事だ。
(権力は、私の期待したような力ではなかったしな)
人間の国では武力以外の序列があって、それを決めるのは権力だ。それを一番持っているのが王族で、その次はジリアーズ公爵家だったらしい。ジリアーズの家の出である私は王家にだけは逆らえないのかといえば、そうでもない。私はこの国で、人間の世界で暮らさなくても生きていけるからだ。私に出ていかれて困るのは王家の方であり、彼らの嘆願で私はこの国に来た。彼らは全力で私の望みに応えるから出ていかないでくれという立場なので、私より強いとは言えないのである。
そういう訳で貴族の権力による上下関係も私にはあまり関係がない。貴族も平民も私にとっては人間という種でしかなく、同期生は対等に学ぶ立場だと認識している。それを伝えたら彼はまた驚いたように私を見つめた。そういえば、人間の世界に来てからこうしてまっすぐに私を見つめてくるのは彼が初めてかもしれない。
(大抵はすぐに目をそらすか……私の向こうの遠い景色を見ているような目をするからな)
家族や同胞と共に狭い集落の中で暮らしていた私は、突然人間の世界へ出ることになった。誰もかれもどこか私に遠慮をしていて、目を合わせれば怯えられることも珍しくない。気づかぬうちにどこか寂しさを覚えていたのだろうか。相手が目を見て話してくれるというだけで嬉しくなる。
「あんたは……俺をからかってる、訳じゃ……ない、んだよな」
「からかう?」
「ん、いや。なんでもない。……よろしく、ロメリィ」
私でなければ聞き逃しそうなほど小さな声で名を呼ばれた。それに頷いたところで教室に講師が入ってくる。
柔らかな顔立ちをした細身の男性だ。栗色でくせ毛の髪がふわふわと揺れていて、全体的に柔らかそうな人である。猛獣に出くわしたら真っ先に狙われそうといえばいいだろうか。端的に言うと、美味しそうである。……いや、さすがにオーガも人間は食べないけれど。
「初めまして。魔法学の講師を務めさせて頂きます、ウラノスと申します。一年間、魔法について余すことなくお伝えしますからよく聞いてくださいね。まずは――」
この学校がどのような場所か、何を目的としているか。そんな説明から入り、そのまま魔法の授業へと移っていく。生徒一人一人の元へ一冊の本が魔法の力で飛んできたのには少し驚いたが、それ以外はいたって普通の授業だった。
学園に来る前は私も教師を付けられて歴史やら何やらを学んだので、授業にも慣れたものである。
(魔法は魔力を外に出して扱うのか。オーガの気功は体内に力を巡らせるものだから真逆だな)
そういえば、私は魔力を外に出す方法は知らない。授業でしっかりと学ぶ必要があるようだと思ったところで、ウラノスがぱんっと音を立てて手をたたいた。
「理屈を言われても分かりにくいですよね。とりあえず、一度実践してみましょう。体で覚えた方が早いですしね。修練場にいきますよー」
……学ぶ間はなかったらしい。だが体で覚えた方が早いという言葉には賛成だ。私もそちらの方が得意ではある。
教室の中の生徒たちが移動していくので、私も立ち上がった。当然リヒトも行くものだと思ったが、何故か動かないので首を傾げる。
「どうしたの? 遅れてしまうわ」
「……いや、俺が近くを歩いたらまずいだろうから」
「何がいけないのかしら?」
貴族と平民が共に行動してはいけないとか、近くを歩いてはいけないというマナーは習っていない。私は本気で彼がそう言っている理由が分からなかったのだけれど、リヒトはやはり驚いたように私を見て、戸惑いつつ口を開く。
「普通の貴族はたぶん、嫌がる。あんたは……や、なんでもない。行こう」
彼は何かを言いかけたけれど、首を振って立ち上がった。私たちは二人で歩き出したが、リヒトは何故か隣ではなく二、三歩後ろをついてくる。立ち上がった彼は私よりも背が高かったのに歩幅は狭いのかと思い、歩みを合わせようと私が速度を落とすと彼はさらにゆっくりと歩いて並ばないようにする。……どうやら意識的に並ばないようにしているらしい。
「何故後ろを歩くのかしら」
「……並んじゃいけないと思ってな」
「そんなことはないわ。むしろ、後ろを歩かれる方が落ち着かないのよ」
背後に立たれると気配が気になって仕方がない。背中側は死角となるのでどうしても意識を向けてしまうのだ。彼を敵だと思っている訳ではないのだが、オーガ達は私の隙を窺って仕掛けてくることが多かったのでこれはもう抜けない癖だと思う。
「隣か、それが嫌なら前を歩いてほしいわ」
「…………前は、もっとだめだと思う」
少し悩む気配はあったがリヒトは隣に並んで歩くようになった。私自身を嫌って並ばないようにしていた訳ではないようで安心した。
しかしそれにしても、彼は体が細いので折れるのではないかと心配になる。オーガであれば私より背が低くても私の倍は肉厚だというのに、この背丈でこの厚みは栄養が足りていないのではないだろうか。
「リヒト、食事はちゃんと摂ってらして?」
「……や、あんまり」
「いけませんね。昼食は一緒に摂りましょう? 私、貴方がしっかり食べているか監督するわ」
「なんだ、それ。……でも、考えとく」
考えておくというのはとりあえず、断られてはいないということ。あとでもう一度誘えば了承してくれるだろうか。
食事を摂りながらであれば話も弾むはずだ。もっといろいろと話してみよう。そう思っていたのに、その日、リヒトと昼食を一緒にするという望みは叶わなかった。
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