第5話 オーガ令嬢の入学
一年の始まりにすべての人間は歳を重ねるらしい。オーガは生まれた日に歳を取り、私は村に迎えられた日を誕生日と定めていたので不思議な気分だ。まあ、正確な年齢も本当の誕生日も分かっていなかったし、そこまでこだわりがある訳ではないのだが。
とにかく新年を迎えて、私は人間の歳でいうところの十七歳になった。そうすると人間は“魔法”を学ぶために学園という場所に入るのが規則で、私もそれに従わなければならない。人間はありとあらゆる規則の中に生きていて大変そうだ。
(魔力というのはオーガで言う所の“気功”であるようだが)
体内に巡る気の力を操り、身体を強化する。オーガ達はそうして強靭な肉体を得て、山の生態系の頂点に立っているのだ。勿論私もその使い方は知っている。
気と魔力が同質のものであろうことは暫く見ていて分かったのだがどうやら使い方が違うらしい。それを学ばせてくれるというのなら喜んで学ぼうと思う。
(いや、国王としては学園で縁を繋いで婿探しをしてほしい、という方が本題であったか)
貴族たちは十四歳を迎えると社交というものをするようになるので、私以外は大抵が既に知り合いであるという。私の場合は事情が特殊なので誰一人として交友関係がないため、学園で同世代の貴族たちとの関係を構築しながら婿探しをしてほしいとのことだった。
(問題は私より力を持つ者がいるかどうか……力の種類は問わない。ただ一点でも、私より優れた力を持つ者に会ってみたいものだ)
たとえば私を捻じ伏せるような力はなくても、知力で私を上回ってくれればそれだけで魅力的といえるだろう。自分にない力を持っている誰かと出会いたい。そう期待するのは、私くらいの年頃の乙女であれば珍しくはないはずだ。
(同世代の対等な友人関係にも興味があるしな)
オーガは人間より寿命が長く、成長の速度も違う。私が子供だった頃に同じ年頃に見えたオーガは、今でもまだ子供のままだ。そして私は男女問わずに大変モテた。誰も私に敵わないから、向けられるのは尊敬、下手すれば崇拝の感情である。誰もが私の背中を見るから、誰も私の隣には並んでくれなかった。
(さて、どんな人間に会えるかな。楽しみだ)
学園には城から通うことになっている。馬車で送ると言われていたが乗りたくないので辞退して、己の脚で歩いてきた。そう遠くないし問題ないと思っていたが、短い道中でもかなり人目を集めていた。……何故だろう。
まあとにかく、期待を胸に学園へと足を踏み入れる。ババリアに教えられたとおりに貴婦人の
「ジリアーズ家のご令嬢が見つかったそうよ」
「ええ、聞きましたわ。オーガに育てられた野蛮人だと」
「まあ、それではオーガ令嬢ではありませんか」
どこからか聞こえてくる女性特有の高い声に内心で頷いた。たしかに私はオーガに育てられ、オーガの価値観を持っているのだから「オーガ令嬢」であろう。
声に篭る悪意は察せられるが、気にはならない。強く気高い生物であるオーガの名を付けられたところで不快には思わないからだ。人間はオーガを知らなさすぎるのである。
(それに、弱い生物は皆こういうものだしな……)
縄張りに入ってきた異物に対して警戒音を鳴らす。弱い小動物たちはそうして仲間に危機を知らせて生き残るのだ。この反応は弱いものの本能である。生きるために必死な彼らのさえずりに対し目くじらを立てるほど度量は狭くないつもりだ。
「きっと容姿もオーガのよう、な………」
「あら、どうなさって……」
さえずりが止まった。どうやら私が視界に入る場所までやってきたようだ。さすがに本人の見える所では口にできないと思ったのだろうか。ちらりと声がしていた方を窺ってみると、驚愕の表情で固まっている二人の令嬢が見えた。
私と同じ、学園に通う者の証である制服に身を包んでいる。貴族の娘であることは間違いないが、淑女としてあるまじきことに口を半開きにしたまま動かない。……これをババリア夫人が見たら口うるさく注意されるだろう。
「貴女方。……口を閉じた方がよろしくてよ。そのままでは恥をかきますわ」
貴族相手には貴族言葉を使わなければならない。それがマナーというものだ。ちなみに私の貴族としての立ち振る舞い、言葉遣いはババリアを真似たものである。
彼女は高位貴族として完璧な女性であるということで私の講師に任命されたと聞く。彼女を真似ていれば間違いはないはずだ。……はずなのだが。
「も、申し訳ございません……っ」
「失礼いたしました、どうかお許しを……っ」
何故青ざめられるのだろうか。私は優しく「口が開いているぞ、淑女らしくないから閉じた方がいい」と教えただけなのに。
どうするべきか数秒悩んで「困った時こそ微笑むもの。微笑みは貴婦人の武器でしてよ」と言うババリアの姿を思い出した。こういう時にこそ微笑めばいいはずだ、と彼女たちに笑いかけたが怯えたようにさらに縮こまってしまったので、そそくさとその場を後にした。
(……やはり私の目が怖いのかもしれないな。先程の二人はあまり強い気……魔力を持っていなかったし、貴族であっても弱い者とは出来るだけ目を合わせぬようにせねば)
私の目は竜眼と呼ばれるもので瞳孔が特殊な形をしている。いままではオーガの中に一人人間が交っている状態だったから、瞳が変わった形をしていても気にしたことはなかった。しかし姿形がほとんど同じである人間の中に入り込むとどうも異質であることを実感させられる。
(やはり私は異質か。……しかし今期の学生には私以外にも一人、そういう存在がいるようだな)
学園の敷地を歩いていると様々な噂を聞く。大半の話題は私のようだが、もう一人話題に挙げられる生徒がいるようだ。「平民」と呼ばれるその人間はどうやら「貴族」とは別の民族で、おそらく山のオーガと谷のオーガくらいの違いだろう。ちなみに私たちは山オーガである。
オーガではそんなことはないのだけれど、同種でも別の場所に暮らす一族を嫌うのが人間らしい。貴族が大多数を占めるこの場所では平民族が嫌われているようだった。
(人間はかなり縄張り意識が強いな。我々オーガの集落も見つけ次第追い払おうとするし……おっと、私も人間だった)
私にはまだ貴族という自覚、いやむしろ人間であるという自覚が薄い。話題に上がっている平民という種族を見ても違いが分からない可能性があるし、なんなら貴族も平民も同じ人間だろうに何が違うのかと思っている。
(平民には角や牙でも生えているんだろうか? それならオーガに近くて親しみが持てるな)
子供の頃は父親のような立派な角と牙が欲しいと思っていたことを思い出し懐かしくなりながら、人の流れやところどころにある案内看板に従って歩き、授業が行われるという教室という場所の前まで来た。
この一室に集まる人間は全て同世代の、魔法を学ぶ同志という訳だ。さてどのような人間がいるかと教室に一歩踏み込んだ瞬間、たった一人が目を引いた。
部屋の最後列、その窓際の席に一人でぽつんと座る黒髪の青年。机に伏せていて顔は見えないが、体に巡る気が――いや、魔力が桁違いである。
(これは、私以上に練り込まれている。私とてかなり鍛練を積んだというのに……一体どれほど努力したんだ?)
体の内の魔力の増やし方はオーガの気の増やし方と変わらないはずだ。私がそうやって魔力を増やしたのだから、人間でも同じように魔力を増やすのだと考えられる。
鍛練方法は単純で、魔力を使いきれば最大容量や密度が増えるからそれを繰り返していく。使い切らなくても空に近づけば少しは増えるが、使い切った方が効率はいい。ただこれは言葉ほど簡単なことではない。
魔力は使えば使うほど体に不調をきたす。倦怠感から始まって、頭痛、吐き気、ふらつきなど様々な症状が重なっていく。魔力量が底をついた時の苦しみは酷いものだ。そうして魔力を増やす鍛練のことを、オーガでは気を練ると言う。
そしてこの青年は私以上に練り込まれた力を持っている。同い年で私以上の力となれば、文字通り血反吐を吐くような訓練を繰り返したはずだ。……それがどれほど辛く険しいものであるかは、己の経験を鑑みれば分かる。
(素晴らしい。婿云々はともかくとして、彼と話をしてみたい)
それは興味だった。この人が一体どんなことを思い、ここまでの努力をしたのかが知りたい。何故か他の人間は彼から離れようとしている様で、出来るだけ遠くの席を確保しようと交渉する声が聞こえてくる。
席が自由ならば私は是非、彼の隣に座らせてもらおう。そうしてがら空きのスペースに迷わず向かい、青年の隣へと腰を下ろした。
私が座ったことで人の気配に気づいた青年が顔を上げる。黒い髪はまるで顔を隠すように長いが、その隙間からは夜の帳が降りた空のような瞳が覗いている。せっかく綺麗な夜空に似た闇色なのに、力を失くして光が消えてしまっているという印象を受けた。……どうしてこんな目をしているのだろう。素晴らしい力を持っているはずなのに、彼の瞳には力がない。
「この席、空いているようだったから座ったのだけれどよろしくて?」
「……え……ああ……」
戸惑ってはいるものの拒絶はされなかった。私の目でまっすぐ見つめても微塵も怯える様子はない。まあこれだけ洗練された魔力を持っているなら当然なのかもしれないが、少し嬉しい。ならばこのまま、この席で一年過ごして魔法を学びつつ、彼のことも教えてもらおう。
そう思っていたら一人の女性が近づいてきた。もしかして彼女もこの席に座りたいのだろうか。
「あの、ジリアーズ家のロメリィ様でしょう? そちらの席はおやめになった方が……隣の男は平民ですわ」
……どうやら違ったらしい。そして、隣の彼が噂の平民だったらしい。
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