第4話 オーガ令嬢はマナーを着る



「ロメリィ嬢にはまず淑女教育を受けて頂くことになります。貴族としてのマナーを身に着けていなければ侮られますから。……それは必ず貴女の力になりますので、どうか」



 ドロマリア王国の首都、その城に到着するとグレゴリオは不安そうにそう言った。どのような力であれ、私が持っていないものを手に入れるのはやぶさかではない。頷いて答えれば彼は安堵したように息を吐き、これから私が暮らすという部屋へ案内してくれた。

 広く明るい室内ときらびやかな家具。どれも落ち着かないが、大きなベッドだけは一目で気に入った。あれならばよく眠れて翌日に疲れを持ち越すことはなさそうだ。



「ロメリィ嬢には暫くこちらで暮らしてもらいます。ジリアーズ公爵邸は十年も主を失くしていたため、その、いろいろありまして。もうしばらくかかります」


「住む場所はどこでも構わない。地面でも木の上でも眠れるからな。屋根があれば上等だ」


「……ロメリィ嬢……貴女はいままでどのような暮らしを……いえ、深くは聞きません。ここではどうかゆっくり休まれてください」



 何やら悲壮感のにじむ顔をされた。ただ獣を追いかけて山奥に入り込んで野宿することが多々あったので慣れているというだけなのだが、何か勘違いをしている気がする。

 オーガの暮らしは悪いものではない。自然に囲まれ、豊富な山の恵みを得て、同胞と笑いあって生きる。それは満ち足りたものであって、悲しむようなものではない。


(このような生活が正しいと思っている人間には分からないか。……おっと、私も人間だったな)


 与えられた部屋の家具は丁寧に磨かれ滑らかな手触りで、布が使われた柔らかい長椅子に、体の沈み込むベッド。暮らしを手伝う専門の「使用人」という人間が傍に居て、自分で狩りや調理をしなくても食べ物が出てくる。しかも、手間暇かけて整えられた料理だ。

 木や石など周囲の自然の恵みで作られた荒削りな家具、乾草のベッド、毛皮の毛布や衣服。己で糧を得て生きるオーガの暮らしとは大違いである。


(……朧気な記憶にはテーブルマナーとやらがあったような……思い出せんな)


 貴族の娘であった頃の記憶が多少戻ったとはいえ完璧ではない。テーブルに並べられた料理を食べるにもたしか作法があるはずなのだが、覚えていないので好きに食べた。私の身の回りの世話を焼く使用人は女性ばかりなので、配膳やらなにやらで世話を焼く彼女たちとは目を合わせないように気を付ける。……前回のように怯えさせないための配慮だ。

 食後に空の皿を片付けた使用人がそれを外に運び出し「さすがに手づかみではなかったわね、よかったわ」などと話す声が廊下から聞こえてきた。オーガとて食器類くらい使うのだが一体何だと思われているのだろう。


(人間の世界はよく分からんな。……まあ、しかし面白いかもしれん。これだけ文化が違えば、違う強さも見つかるだろう)


 膂力、武力だけではない力、強さ。それで私を上回るものを持つ誰かに出会えたらいい。そんな期待を胸に、その日は柔らかなベッドで眠った。



「まあ。何から何までなっておりませんわ。よろしいでしょう、わたくしが完璧な淑女にしてさしあげます。まず、人の目は真っ直ぐ見ることですよ、ロメリィ嬢」



 翌日、私には貴族令嬢としての教育が足りないということで講師の女性を紹介された。幾人もの淑女を育成した完璧なマナーの貴婦人で、周囲にはババリア夫人と呼ばれている。そんな彼女は私を見るなり眉をひそめてそのように言ったのだ。

 小動物は目を合わせると怯えるもの。私は人間の女性も同じだと思っているので見ないようにしているのだが、それがいけないことらしい。見ろと言われては仕方がないのでゆっくりと視線を合わせた。



「本当に見てもいいのか? 怯えさせてはいけないと、こうしていたんだが……」


「っ……竜眼の威圧はありますが、魔力を持つ貴族なら問題ありません。強い魔力を持つ者なら気圧されることもないでしょう」


「そうか。それは良いことを聞いた」



 魔力というのは私の知らない力だが、目を合わせるだけである程度の潜在能力を図れるということだ。村では私と目を合わせても恐れる者などいなかった。まあ、言葉の覚束ない幼子には怯えられたが。

 ひとまず目を合わせても怯えない程度に力があれば、オーガの幼子よりは胆力があるということだ。……あれ、あまり参考にならないかもしれない。



「よろしいですか、ロメリィ嬢。マナーとは貴族の鎧です。それを身に着けず社交にでれば傷つくのは貴女なのですよ。ですからわたくしからきっちりと学んでくださいませ」


「ふむ……なるほど。それは学ばなければならないな、よろしく頼むぞババリア夫人」


「その古風な言葉遣いもいけません。淑女らしく柔らかく丁寧な言葉を――」



 ババリアの話はとても長い。しかしそれは貴族としての鎧を身に着けるための情報であると思えば、聞き逃す訳にはいかない。真面目に一言一句逃さないように聞いた。

 私が真面目な生徒だと理解したのか、彼女は満足そうに頷き持っていた扇で手を打ち鳴らす。気合を入れたのだろうか。



「では、まず姿勢から。背筋を伸ばし、顎を引いて……よろしい。その姿勢で歩いてみてください」


「……いや。ババリア夫人、まずは服を脱いで見せてくれ」


「ッ!? と、突然何を言い出すのですか……!? まさか貴女、そのような趣味が……!?」



 真っ赤な顔で声を震わせるババリアは扇を広げて口元を隠し、一歩後ずさった。そのような趣味とはどのような趣味なのだろう。ただ私の言葉の意図が伝わっていないのはたしかなので、補足説明をしておく。



「動きを見て手本にするならしっかり体の動きを見た方がいい。そんなに長い布で足を隠されては分かりにくいではないか」



 この後何故か一時間程叱られた。云わく、女性は素足を見せるのがはしたないとか、他人の足を見ようとするものではないとか、そのような話である。だからグレゴリオはオーガの服を着ていた私を見て赤くなっていたのかと理解した。

 しかし私は間違ったことを言ったつもりはない。私が今覚えている武術の技だって、オーガたちの筋肉の動きを見て覚えたのだ。見れば一発で理解できただろうに、それはできないらしい。



「仕方ない……それではババリア夫人。一日……いや、二日。貴女の完璧な淑女の生活というものを見せてほしい」


「……わたくしの暮らしを見たい、ですか?」


「私はそもそも、こちらの生活の仕方をほとんど覚えていないのでな。基本的な手本が必要なのだ。貴族の子供とて、親がどのような生活をしているか見てから学ぶだろう?」


「貴婦人としてのイメージが必要ということですね。よろしいでしょう。では、本格的な指導は二日後からとします。二日、しっかりとわたくしを見て学んでくださいませ」



 ババリアが納得してくれたので、その後の二日はじっと彼女の生活を観察し、それからマナーの指導を受けた。結果は、上々である。お墨付きを貰えて、これなら国王との謁見も許される運びとなった。

 ただ一つ気になるのは。完璧なマナーを着たはずの私に、グレゴリオが引きつった笑みを浮かべていたことだ。


――――――――




 十年間オーガに育てられていた常識知らずの令嬢を迎え入れて一週間。彼女の対応は第三王子であるグレゴリオに一任されている。

 国王オルトラスは彼女の生還を喜ぶと同時に、オーガなどという野蛮な生物に育てられ、野蛮に染まってしまっているであろう令嬢のことが心配でならなかった。淑女教育も難航しているだろう。


(来年の入学に間に合えば良いのだが……)


 貴族は十七歳から一年間、魔法を学ぶために学園へ通う。そして卒業と同時に成人となる。社交の場には一切出ていないロメリィでも学園に入れば同年代とのつながりができるのだ。必ず入学させ、この国の貴族と婚姻させたい。そのためにはとにかく、表面だけでも取り繕えるようにしなければならない。

 粗野で粗暴な振る舞いは貴族から倦厭されるだろう。それでは困るのだ。



「グレゴリオ、ロメリィ嬢はどうだろうか」


「はい、父上。……それが……その……」



 息子の言い淀む態度や戸惑う表情から結果は芳しくないのだろうと察する。六歳まで公爵家の娘として暮らしていたとはいえ、そこから記憶を失い十年の間オーガとして暮らしたのだ。

 人間ですらなく、モンスターとして育った彼女には礼儀もマナーもあったものではないだろう。それを矯正できる兆しが少しでもあればよいのだが、難しいのだろうか。



「ロメリィ嬢の所作は問題ありません。ありませんが……」


「……何?」


「記憶力、順応力が高くマナー自体は身に着けたと言えます。父上への謁見も可能でしょう。……実際にご覧になった方が分かりやすいかと」



 三日後、非公式な謁見の時間が設けられた。玉座の間ではなく、庭園の生垣に隠された人目につかない場所で茶会の席を設け、オルトラスはロメリィを迎える。



「陛下、お初にお目にかかります。ロメリィ=ジリアーズと申します」



 美しいドレスに身を包み完璧な淑女の礼をして見せた、高貴な金の髪を持つ女性。山中で育ったとは思えぬ白い肌。受け継がれた竜の瞳は婦人にそぐわない鋭い眼力を備えているものの、ジリアーズの人間は皆少なからずこういうものだ。オルトラスが見た三世代の中では目の前の女性が最も強い威圧感を放っているが、ジリアーズだと思えば納得できる範疇である。



「おお、そなたの無事な姿が見られて何よりだ。さあ、席に着きなさい。苦労はしていないかね?」


「ええ。皆、よくしてくださいますから」


「そうかそうか、それはよかった」



 金の髪は王族の血にしか生まれない。オルトラスにとっては叔母に当たる人物が王家よりジリアーズに降嫁したので、ロメリィとはそれなりに近い血の縁を持つことになる。

 しばし飲食と談笑を楽しみながら彼女の様子を観察したが、高位貴族にふさわしい気品ある振る舞いだ。それに血縁の証である髪の色をしているともなれば情が湧く。つい姪と話すように砕けた態度を取ってしまった。



「しかしこの短い間によくぞここまでのマナーを身に着けたものだ。正直驚いているぞ」


「ババリア夫人がとても良い見本を示してくださいましたから。私はそれを真似ているにすぎませんわ」


「ほう? 夫人には感謝をせねばな。どのような授業を受けたのだ?」


「朝起きてから眠るまでの夫人の一日をひたすら観察させていただきました。二日ほど」



 その時のロメリィの言葉をよく理解できなかったオルトラスは「どういうことだね?」と尋ねた。ロメリィは完璧な微笑を浮かべてみせる。……それは、ロメリィをよく指導してやってくれと頼んだ時にババリア侯爵夫人が浮かべた笑みによく似ている気がした。



「どのような技であっても見て覚えられる自信がありますの。マナーを覚えるのも似たようなものですわ。体の動かし方を見て学び、覚えるだけですから容易いことです」



 とても淑やかに、彼女は扇を広げて微笑む口元を隠した。その動作は本当に貴婦人らしい。長く語る時、貴婦人はこうして口元を隠すものである。

 しかし気のせいだろうか。彼女の持っている扇が、鉄製に見えるのは。



「……その扇は……どうしたのかね」


「ババリア夫人が微笑は貴婦人の武器だとおっしゃっていましたので、ならば普段は鞘にでも納めるべきでしょう? 彼女も扇をよく使っておられましたので、私も真似ようかと。しかし軽いものは耐久力が低く私の力では壊しかねないので、出来るだけ重たい方が良いとお願いして、こちらをグレゴリオ殿下に頂きましたの」



 鉄扇は貴婦人がたおやかな様子で扱える代物ではない。それを普通の扇であるかのようにロメリィは扱っている。

 オルトラスは息子がなんともいえぬ表情を浮かべていた理由を理解した。ロメリィは完璧な淑女の皮を被れるようになっただけで、中身はオーガに育てられたオーガ脳のままである、と。


 その茶会の後、王命が下された。「三か月後の学園入学までにロメリィに貴族の常識を教え込め」というものだ。しかし常識とは、長い年月で培う偏見という名の知識である。

 なまじ表面上が完璧な淑女となってしまったがゆえに、彼女の思考がどこまでずれているのかを察することができる者などいなかった。


 そうしてロメリィは、学園の門を潜ることになる。……勿論、頭の中に力強いオーガを飼ったまま。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る