第3話 オーガ令嬢、出立する



 約束の日時に合わせて山を下りると麓には見覚えのある人間が大きな馬車と共に待ち構えており、私の姿を認めるなりぎょっとした表情を見せた。



「やあ、グレゴリオ。……どうした?」



 ドロマリアという国の第三王子という立場の男、グレゴリオ。彼には権力という力があり、それがあれば大抵の国の人間を従わせることができるので、私の扱いが悪くならないように彼が主だって面倒を見てくれるという話だった。

 彼のそういう提案を受け入れて私は今、ここにいる。会うのはその話し合いをした以来だから一ヵ月ぶりだろうか

 そんな彼は私と同じ金色の髪に目を隠すように俯いて顔を押さえていた。人間らしい白肌がオーガのような赤に染まっている。明らかに様子がおかしい。



「ふ……服を! 服を着てくださいロメリィ嬢……!!」


「……着ているだろう?」



 前回顔を合わせた時は皮の鎧を身に着けていたが今回は戦う意思もないのでそれは置いてきた。今日はオーガらしい胸当てと腰巻の姿だ。里の女は皆この格好をしていて、他の服などない。

 たしかに人間はもっと布の多い服を着ているし、朧げな子供の記憶ではもっと布を重ねた服が日常的ではあった。だが重要なところはしっかり隠されているのに何をそんなに恥ずかしがっているのかが分からない。



「あ、あちらの天幕でお召し替えをお願いします。身を清める用意もありますので……っ」


「……まあ、それが人間の常識であるなら従おう」



 グレゴリオが示した先の天幕に入ると一人の女性がいた。線が細く、きっちりと髪をまとめ、どこかで見たことのある服を着ている。記憶では「使用人」という人間が着ていたように思うのだがはっきり覚えてはいない。



「まあ……! なんとお可哀相に……すぐに身を清め、お召し替えを」



 私を見て女性はショックを受けたような顔をする。“可哀相”と言われる理由も分からず首を傾げつつ、されるがままにした。

 まずは台に寝かされて頭を洗われ、次に服を脱がされて用意されていたぬるま湯で体を磨かれた。村では行水が基本だったのだがこれはこれで悪くない。そのあとは髪の水気をとり、風の魔法というもので乾かして、少しばかり毛先を切られた。



「山で暮らしていたとのことですが、髪も傷んでおりませんね。毛先を少しだけ整えるだけですみました」


「そうか……」



 ここまででだいぶ時間がかかっていてすでに気疲れしてきた。それが終わるとようやく服を着せると言われる。自分で着替えられると断ろうとしたのだが、どれも背中にボタンや紐がある服であったので断念した。……何故このように自分で着替えるのが難しい仕様になっているのか不思議でならない。



「ロメリィ様の体のサイズは分かりませんでしたので、ゆとりのある服を揃えてございます。そうですね……こちらはどうでしょう?」


「……それでは戦い難そうだな。どうやって武器を持てばいいんだ?」



 女性がとって見せた服もそれ以外も、どれも裾が長く足首まで隠すようなもので走り難そうだ。腕回りの布もそこまでのゆとりがある訳でなく、武器を振るえば邪魔になるだろう。

 これを着たところで村のオーガに負ける気はしないが動きにくくなるのは間違いない。できればグレゴリオが着ていたような、脚も二股に分かれている服の方が動きやすそうでいい。あちらは着られないのだろうか。



「ドレスこそ貴婦人の武器でございますよ」


「……そうか、ならば仕方ない」



 これが女性の装備であると言われては仕方がない。他の人間も装備に大差ないのだし、何かあっても遅れを取ることはないだろう。大人しく服を着せられ、髪を結われてようやく着替えが終了した。……人間はずいぶんと身支度に面倒をかけるのだと学んだ。

 子供の頃は私もこのように暮らしていたはずなのだが気ままなオーガ生活が長かった上に人間の暮らしを忘れていたので、馴染がなさすぎる。



「それではこちらの布は処分を致しますね」


「里帰りする時に着るだろうし、捨てる必要はない」


「いえ……これは服とも呼べぬほど粗末なものです。公爵家のご令嬢がこのようなものを着る生活をしていたなんて……ロメリィ様があまりにも不憫です。里帰りの際も新しく仕立てた服をお使いください」



 悲しそうな顔をする女性は本気で私を憐れんでいるらしい。だが、私には憐れまれるようなことなど何一つない。この十年間、私は間違いなく幸福だったのだから。

 優しい同胞と親が居て、彼らが健やかに育ててくれたから今の私がある。彼女は私の何を知っていて、私を憐れむのだろうか。



「私が、憐れに見えるのか」



 じっと女性を見つめる。彼女は私の体を洗ってくれたのだから、よく鍛えられた健康なこの体を見たはずだ。傷一つなく弾力のある肌も、健康的で血色のいい顔色も、鍛え抜かれて割れた腹筋も自慢の肉体である。憐れまれるような生活をしていないことは分かると思うのだが――なぜか女性は青ざめて震えはじめた。



「も、申し訳ございませ……」


「……いや、すまない。脅かすつもりはなかった。とりあえずその服は取っておいてくれ」


「はい……」



 私はただ女性を見つめただけだったのに彼女は本気で怯えていて、とても居た堪れなくなった。うっかり縄張りに踏み込んで小動物を怯えさせてしまった時のような気持ちだ。

 可愛いので突然現れたその姿をつい見つめてしまうが、それは動物にとって恐ろしいことである。獲物を狙い定めているように見えるのだろう。彼女にも私がそうしているように見えたのかもしれない。



「……手伝ってくれてありがとう」


「いいえ、それが私の仕事です……」


「……すまなかったな」



 彼女はすっかり目を合わせなくなってしまった。人間の女性は小動物のようにか弱いのだと覚えておこう。これから私は人間の中で暮らすのだから、下手に怯えさせないように気を付けなければならない。

 天幕を出るとグレゴリオが待っていた。彼は私の姿を見ると目を丸くしてふわりと微笑む。



「お待ちしておりました、ロメリィ嬢。……よく、お似合いです」



 自分としては着慣れない妙な服を着せられたという心地でしかない。しかしグレゴリオは本気でそう言っているようなので、人間の目から見ても不格好ではないのだろう。……まあ、私は元々人間なのだから、人間の服を着ていて似合わないこともないという訳か。



「動きにくいがな。これが人間の装備だというなら仕方ない」


「装備……?」


「これが貴婦人の武器なのだろう? 装備ではないならこんなもの脱ぐんだが」


「装備です。貴族女性の装備ですそれは。間違いありません!」



 私としては間違いであってほしかった。履きなれない靴にも違和感を覚え、つま先で地面を突いて感覚を確かめる。ベルトで固定してある靴なので思いっきり足を振っても脱げることはなさそうだ。



「で、ではロメリィ嬢。さっそく王都へご案内します。こちらの馬車へどうぞ」


「……いや、これには乗らない。私は歩こう」



 人間の技術で作られた、見目華やかな馬車。人間としての知識は子供の頃の断片的な記憶しかなくても質の高い、高級なものであることは理解できる。しかしどうしてもそれに乗りたくないと、心が拒絶した。

 おそらくそれは幼い私が馬車での移動中に事故に遭ったことが原因なのだろう。この乗り物に対する忌避感が私の中に根深く刻まれてしまっているようだ。


(私にも苦手なものがあったとは……新しい発見だな)


 どうしてもこれに乗れと言われたら屋根にでも上るしかない。そんな思いを口にした私に対し、グレゴリオは口元を引きつらせていた。



「しかし、他に移動手段はありませんし……」


「だから歩くと言っているではないか。……ん? ああ、そうだ。そんなに何かに乗ってほしいなら私はあれがいい」


「あれ……馬、ですか」



 騎士が一人、馬にまたがっている姿が見えた。グレゴリオの命で一頭の馬が連れてこられる。黒い毛並みに黒い瞳を持った優し気な顔立ちの馬だった。

 見つめてはまた怯えさせてしまうだろう。攻撃の意思がないことを示すために瞬きをゆっくりと繰り返しながら馬に近づき、そっと手を差し出す。馬に触れる前に動きを止め、馬の方から触れてくれるのを待った。濡れた鼻先が手のひらに押し当てられてからそっとその顔を撫でてやる。



「馬の扱いがお上手ですね。……しかしロメリィ嬢、乗馬というのは難しいのです。貴婦人のドレスでは馬の鞍に上がるのは難しいですし、馬の高さにも慣れなければなりませんし、乗りこなすには……」 



 先ほど騎士が乗っているのを見ていたのでどうすればよいかは分かっていた。軽く地面を蹴ってその背中の上に飛び乗り、騎士がやっていたように手綱を握って馬に指示を出す。

 そのあたりを軽く歩かせ、方向転換をしたり、走らせたり、跳ばせてみたり。黒馬は私の意思をよく読みとって指示を聞いてくれた。鬣を撫でてやりながらグレゴリオを振り返る。



「賢くて良い子だ。グレゴリオ。私は彼が気に入ったのだがこのまま乗っても構わないか?」


「…………はい……ご随意にどうぞ……」



 覇気のない声で呟くグレゴリオ。彼は全く力の入っていない、穏やかで透き通るような笑みを浮かべて私ごと天を仰いでいた。



「殿下、帰りの私の馬は……」


「馬車を使え。……一台空いたからな……」



 こうして何故か気力を失ったような声のグレゴリオ達と共に王都へと出立した。まだ見ぬ力を求め、私の胸は期待に膨らみつつある。王都で待っているのは一体、どんな強者か。


 ――そんな私を最初に待ち受けていたのは、マナー講師であった。



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